六日目・①


 山狩りは、早朝から行われた。

 町民達は神父の言葉に半信半疑であったが、それでも『噂』の解決に繋がると言われれば大きな文句は出なかった。


 山狩り、などと言うと少し物騒に聞こえるが、その実単なる集団行脚である。

 人数を動員し、死角をカバーし、目的のものを見付けるために集団行動する──。

 ゆえに、そこには動員された人間達の団結が必要となる。


 ……そういう意味で、少年が山狩りに動員されないのは必然であるとも言えた。

 何せ、彼は今回の捜索目的であるサラと、殊更仲の良かったといえる人間である。

 仮に発見しても見逃してしまうのではないかと神父が危惧し、代わりに病人の面倒を見るように、と言いつけるのは自然な流れだった。


 キキばあが寝かし付けられたベッドの横で、時折彼女の様子を見たり、無事な方の額に浮かんだ汗を拭いてやったりする少年。

 ……顔の右半分を覆う腐食した部分は、当初感じた通り、見た目ほどの傷ではないらしい。

 時折寝苦しそうにしているものの、目立つ異常と言えばその程度で、見た目から予想される患者の恐慌は、一度足りとも目にすることはなかった。


 ……少年は知るよしもなかったが。

 顔の半分という、人体の表面積的に考えれば大部分が腐っているといえる状況で、それでいて命に全く別状がないというのは。

 それ自体が明確な異常であり、そこには必ず何か不審な点があると、疑って掛かってもおかしくないものだ。


 無論、少年にその知識はなく。

 彼にはただ、見た目より軽い怪我なのだろう、という単純な予測だけしかできなかったのだが。


 そうして、キキばあの面倒を見ていると。

 教会の窓の外を、黒い影が横切ったような気がした。



「……サラ?」



 少年にはそれが、サラが自分を呼んでいるように思えて。

 一瞬、キキばあに視線を向けて立ち止まる。

 ここで彼女の様子を見ることが、彼に神父が与えた仕事だ。

 けれど少年にとっては、サラの安否を確かめることもまた、重要なことだった。

 しばし躊躇ったあと、意を決して教会の外に飛び出す少年。


 ──その背を見送るものが居たことを、彼が気付くことはなかった。









 森の中を、必死で駆け抜ける。

 辺りに町民の姿はない。

 追い込むように探す、という手法上、最初に探した場所への警戒は薄れるということだろうか。

 なんにせよ、追いかける黒い影が人気のない場所を選んで駆けている、ということだけは確かであるようだった。


 時折視界を横切る黒い影を必死に追いかけ、森を走る。

 途中で小川に出た時に追い付いたと思ったのだが、何故か黒い影は小川に出た途端に反対側の森に姿を隠そうとしていて、一瞬理解できずに立ち止まった少年を待つかのように森に佇む場面もあったが。

 結局はその影に追い付けぬまま、森の果て──底なし谷の前へとたどり着く。


 黒い影は、そのまま黒いローブが目に写っていたものだった。

 ……それが昨日のモノと同じかは分からないが、その中身が誰なのかは予想がついていた。

 ローブの下から腕が伸び、顔を隠していたフードを捲り上げる。



「……追い付かれちゃった。速くなったね、キミも」



 浮かべた表情は苦笑。

 追いかけっこでは負けたこと無かったのに、なんて嘯いて。

 彼女はいつもと変わらぬ笑みを浮かべていた。










「───サラ。話しては、くれないのか?」



 少年の問いに、彼女は首を振る。

 だがそれは、決して拒絶からくるものではなく、ただ──確信が持てていないから話せない、という感じのもので。



「積み上げたものはあるけれど、最後の一つが掴み切れない。そして……悔しいことに、これは多分、私じゃ掴みとれない。お互いがお互いを疑っているから、お互いに最後の一歩を踏み出しきれないでいる」

「……?……っ、いや、サラ、待て、待ってくれ」



 抽象的な事を言うサラを訝しむように見ていた少年は、彼女が一歩後ろに下がるのを見て狼狽する。

 彼女の視線が、微妙に自身を外れていることもその狼狽を助長した。


 だから、手の届かない距離を、どうにか詰めようと駆け出そうとして。



「……うん、ごめんね。それと、あとはお願い」



 そうして、少年の手が彼女に触れるよりも先に。彼女の体は背後へと倒れていって──、



「サラっ!!サラぁーっ!!」

「危ないっ!落ち着くんだ!」



 その手を捕まえようと飛び出した少年を後ろから羽交い締めにするのは、いつの間にか彼の背後まで来ていた神父だった。


 少年が暴れる間に、サラの姿は谷の淵へと消える。

 どうにか神父の手を振りほどいて、淵まで駆け出し、乗り出すように谷底を覗き込むも。

 一年中深い霧に覆われるがゆえに底なしの谷と呼ばれるその谷の終点は、白く曇って目視することすらままならず。



「サラ、なんで……」



 焦点の合わない目をしながら俯く少年の傍らで、神父は足下に何かが落ちているのを見付ける。


 そこにあったのは、今谷底へと身を踊らせた彼女がいつも身に付けていた、野暮ったい黒縁のメガネ。



「……遺品、ということになるのでしょうかね」



 ぽつりと呟いた神父もまた、谷底へ視線を向ける。

 ───深い霧は渦巻き、そこに何があるのかを決して見せようとはしなかった。

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