四日目・①
──その日は特にいつもと変わりなく始まった。
いつものように鶏が朝を告げ、いつものように大人達が寝床から起きてきて、いつものように朝の準備を行い、いつものように畑や小屋へと向かったのだ。
だから、それは『いつも』という日常を変化させる明らかな異常であった。
とある牛小屋の裏手、その小屋の管理をしている男が、いつものように牛達の様子を見ようとして──、向かいの草原に、見慣れないものを見つけた。
遠目に赤く写るそれは、まだ朝方であるがゆえに確りとその全貌を視認できず、ゆえに男はそれに無防備に近付いた。
そして、後悔する。
──鼻が折れ曲がりそうになるような腐臭。思わず喉元に込み上げてくる胃酸。
そう、そこにあったのは。
真っ赤な血溜まりに浮かぶ、人一人分の腐食した肉塊であったのだ。
──男の情けない叫び声が、鶏の声の代わりに町中へと響き渡った。
「……おはよ」
いつもよりも堅い笑みを浮かべたサラが、こちらに挨拶をしてくる。
対する少年も小さく挨拶を返すが、そこからいつものように話が続くことはない。
昨日の別れ方は流石に不味いと思ったのか、はたまた単にあんな態度を彼に見せてしまったことを悔いているのか、───それとも、そのどちらでもないのか。
少年にサラがどう感じているのか判別はつかないが、それでも居心地が悪いということだけは確かだった。
小屋の中にサラを招き入れる。最初は中に入るのを躊躇していた彼女は、しばらくしてなにかを決心したような目をし、小屋の中に入るとそのままテーブル前の椅子を引いてそこに腰を下ろした。……話をする、という気になったらしい。
それが昨日のことなのか、はたまたそれ以外かは分からないが、とにかく長くなりそうだということだけは確かだったので、手始めに茶を淹れることにした少年。しばし台所に立ち、湯が沸くのを待つ。
──火のはぜる音だけが小屋に響く。
なんとも言えない空気の中で、なんとも言い出せずに湯の様子を見る少年。
なんとも言わないサラは、ただその背を見つめ続けている。
そして、一瞬逡巡するように視線を惑わせたあと、意を決したように声を出そうとして、
「うわあぁああぁあぁっ!!?」
──町中に響き渡る男の叫び声に動きを止めた。
何事かと視線を交わす二人だが、小屋の中からでは何が起こったのかわかるはずもない。
そう判断して、二人は揃って小屋を飛び出していく。
そうして、沸騰する湯の音だけが家の中に取り残されるのだった。
たどり着いた先では、大人達が一ヶ所に集まってなにやら騒いでいた。
その騒ぎ方は昨日の楽しげでどこか緩やかなそれとは違い、切羽詰まったというか慌てふためいているというか、とにかく尋常ではないものだった。
顔を見合わせた二人はとにかく何があったのかを確かめるため、集った町民達に声を掛け必死に落ち着かせようとしている神父の元へと駆け寄る。
「ジェームズ神父、これは?」
「ああサラ君、どうか君も彼らに言葉を掛けてあげてくれないか!私だけでは少し対応しきれないと思っていた所なんだ!」
一切の理由を述べず、町民達の混乱を抑えることを優先するように言う神父。
対するサラは表情を一瞬硬化させたあと、少年に「ごめん、ちょっとお願い」と声を掛け、神父の手を引きそのまま近くの小屋の影へと止める間もなく突き進んで行ってしまった。
思わず呆気に取られる少年だったが、すぐに気を取り直して大人達を宥めるためにその渦中へと歩を進めるのだった。
「……ジェームズ神父。あの場で子細を話すのは躊躇われるというのは伝わりました。ですので、こうして町民達から離れた場所へ誘導したのです。───話して、頂けますね?」
まるで詰問するような態度のサラに思わずため息を溢しそうになった神父は、すんでのところでそれを堪えた。
話が更に拗れかねないし、実際町民達の前で話をするのは躊躇われると思ったのも確かな話だったからだ。
──第一発見者の男以外に、直接あれを目にしたものはいない。
それは発見場所が比較的教会に近かったこともあるが、それを衆目に晒すのは宜しくないと神父が真っ先にそれに布を被せて隠したからでもある。
そして混乱していた男も真っ先に教会に保護したため、子細がどこからか漏れることも恐らくないだろう。
ゆえに、今はまだ不安に苛まれているだけの町民達に余計な負担を掛けまいと詳しく説明するのを避けていた、というのが先ほどまでの神父の状況だった。
だが、その結果として混乱した町民達に群がられているのでは意味がないというのがサラの主張だろう。
だから、彼女は一度神父と町民達を引き離した。──自身がこの場で取るべき最善を模索するために、だ。
「いつもそうなら私としても有難いんですけどねぇ……」
「ジェームズ神父。私に対しての小言はあとでいくらでも伺います。ですので先の悲鳴の子細、お聞かせ下さいまし」
なぜこの子は私に対してこんなに慇懃無礼なのだろうかとちょっとへこむ神父だったが、自身の心の安定よりは町民達の安寧を取る方が利口か、と思い直してことの子細を話し始めるのだった。
「……死体が、見付かった?」
「形的にというか、量的にというか。恐らくは人間のものとおぼしきものが、ね」
告げられた子細に閉口するサラと、一つ息を吐いて瞑目する神父。
見付かったのはただの肉塊と化した、人間らしきものの死骸。人間らしき、というのは皮膚が腐り落ちて内部の肉が見えているせいで、実際には四肢のようなものがあるピンク色の肉の塊にしか見えないからなのだが。
とはいえこの辺りに大型の猿などはおらず、また熊とは明らかに大きさというか手足の比率というかが違うように思えたため、消去法的に人の死体なのだろうという予測が立った、という面も無くはないのだが。
そういったことを付け加えれば、伝えられた側の彼女はしばし沈黙したあと、
「……わかりました。であればジェームズ神父、祭儀の用意をお願いします」
「ん?……ああなるほど。確かに、今の騒ぎを抑えるにはそうした方がいいでしょうね」
神父に対し、町民達へ祭儀を行うことを提案する。
大勢の人間の混乱を一度に治めようとするのであれば、それに向いた行事を行うのが確実だ。
幸いにしてそれを行うのに必須となる神職の人間は──、そっち方面の信頼の乏しいサラでは無理があれど、町民の信頼篤い神父がこうして戻ってきているし、開催場所となる礼拝堂の補修も都合よく昨日のうちに終わらせている。
ある意味、機会を失っていた祭儀を再開するのにちょうどよい状態であると言えた。
「では、ジェームズ神父は先に教会へ。私は町民達をある程度落ち着かせたあと、彼等を連れてそちらに向かいますので」
そこまで決めたのち、こちらに一礼を返してサラは足早に小屋の影から表に出ていった。……あまりに早いその退去に思わず小さくため息を溢す神父。とはいえ、神父としては別の気掛かりがあるのだが。
「……都合よく、ね。サラ君、君は何を知っているんだい……?」
今のこの流れが『あまりにも都合が良すぎるのではないか』という神父の言葉は、誰にも届かずに宙に消えるのだった。
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