四日目・②

 久方ぶりに人を招き入れた礼拝堂は、いつかの祭儀の時のように厳かで、何者にも侵しがたい神秘的な空気を纏っているように思えた。

 ……思えば久しくこの空気を忘れていたな、と少年は黙考する。


 本来の正式な儀礼であればもっと凄いのだ、と神父はいつも悔しそうにしていたものだが。のちのちサラに聞いたところによれば、現在では進行上必要不可欠な部分が複数失伝しているらしく、完全な形で祭儀を行うことは事実上不可能だとのことだった。

 それを聞いた時、少年は思わず神父に憐れみの念を抱いてしまったものだが──。


 さて、完全な形を知っているらしい彼女が、初めてまともに手伝ったとも言えるこの祭儀は、果たして彼女の言う完璧な儀礼となっているのだろうか?……なんて、益体もないことを思わず考えてしまうのは、彼女が澄まし顔でピアノの前に座って厳かな曲を奏で続けているからだろうか?

 歌が上手いことは彼女の歌をよく聞く関係上知っていたが、まさか楽器の演奏まで上手だとは思わなかった、と少年は内心感嘆していた。

 ……反対に神父の方は楽器の演奏が壊滅的であったため、自身の代わりに楽器ができる者を探すのに腐心していた時期があるとかないとか聞いたこともある少年としては、見つかったのがよりにもよってサラだというのは彼にとって不運なのか幸運なのか、と遠い目をしそうにもなったが。

 まぁ、いつもより五割増しくらいに張り切っている神父の姿を見るに、嫌われているとかどうとかの前にちゃんとした祭儀ができる、ということの方が彼にとって重要そうだというのは確実だろう。

 そうして、祭儀開始の挨拶やらお決まりの文句やらを彼が満足いくまで(というと語弊があるが)こなしたあと、

いよいよ今回の本題である朝の出来事へと話題が及んだ。



「今朝、我が教会の付近にて、痛ましい事件が起きました。詳しい身元は分かりませんが、恐らくは近日行方が分からなくなった者の内の一人でしょう。彼がこういう形で私達の前に現れたことを、私は哀しく思います」



 その言葉に、町民の一部がざわつく。

 恐らく最近身内が行方不明になったことがある者達なのだろう、見るからに狼狽え、哀しみに涙している。それを、



「──ですが!神は祈る者を決して見捨てないでしょう。失われた命を、流した涙を!我らが神は、決して見逃さぬのです!苦難の中で、神の心を求めるのなら、神は必ずや、我らをお導き下さるでしょう!──さぁ、祈るのです。失われた者に、安寧を、安息を。天に、祈るのです」



 神父は熱の籠った言葉で慰める。

 一人、また一人と、目を閉じ頭を垂れ、祈りを捧げ始める町民達。

 神父はそれを見て目を細めたあと、振り返って礼拝堂の奥にある十字架に祈りを捧げ始めた。

 ……それは、「神が居なくなった」とされる今の世界で唯一とも言える、切なる祈りの姿であった。


 そうして、しばしみなが瞑目したのち。

 神父の儀礼の閉幕の言葉と共に、町民は一人、また一人と、盛んに言葉を交わしながら町へと帰っていく。

 そこに先程までの暗さは見受けられず、神父の言葉が彼らの不安を拭い去ったのだということが如実に感じられた。……だからこそ、とある一人だけが彼らと違う表情をしているのが殊更に目立ってしまうわけなのだが。


 そのとある一人はといえば、弾き終えたピアノに布を被せたあと、神父の元へと静かに歩み寄っていく。



「ああサラ君、助かったよ。君のお陰で町民達を安心させることができた、感謝しよう」



 気の抜けた笑みを浮かべる神父の前に立った彼女は、少年が一度も見たことがないような怒りを抑えた表情で。



 ──軽い音。



 それは、サラが神父の頬を右手で叩いた音だった。

 信じられない、とサラと神父を交互に見る少年と、何が起きたのか理解できていないように目蓋をぱちぱちと何度も開閉させる神父。

 そのどちらもを無視して、サラは吼えるように言う。



「──私は貴方を軽蔑します、ジェームズ神父」



 そう言い捨てて、彼女は礼拝堂の外へと足早に歩き去ってしまうのだった。








「ああ、うん。私のことよりも、サラ君のことをお願いできるかな?」



 そんな神父の言葉を受けた少年は、サラを探して一人森の中を走っていた。

 あまりにも彼女らしくない行動だったものだからおろおろと慌てていた少年を、見兼ねた神父がこうして送り出してくれなければ、自分はいまだに礼拝堂で立ち止まっていたかもしれない。

 それくらい、先のサラの行動は少年に驚きと、少しばかりの恐怖を産み出していた。


 やがて、いつも二人が休みを取る小川の付近にたどり着く。

 はたして、彼女はそこに──いつもの岩の上で、縮こまるようにして膝を抱え、視線を明後日の方向に飛ばしていた。

 落ち込んでいるのか、はたまた悲しんでいるのか。

 そのどちらでもないのかも分からないまま、少年はサラに近付いていく。



「……私は、あの人を許せそうもないや」



 こちらが近付いてくるのを察知していたのか、彼女はポツリと呟くと目蓋を閉じ、苦笑いと共に開きながらこちらに振り向いた。……まるで泣いているかのようなその表情に、思わず立ち止まる少年。

 それに構わず、彼女は言葉を続ける。



「神の不在は、もはや隠しようもないもの。──光すでに亡き我らの世界において、それでも確かに、神の愛はあった。……あったんだよ、神の愛は」



 膝を抱え直し、視線を正面に戻しながらサラは言う。


 例え今は失われたものであっても、神の愛はあった。

 失われるその時まで、確かに神は人を愛し、人を想い消えたのだと。

 ……ゆえに、今は亡き神の愛を騙り、それを説く神父のあのやり方は、自分には絶対に許せるものではないのだと。

 そこまで語って、ちょっと照れ臭そうに、



「まぁ、私よりちゃんとした、もっとすっごいシスターからの受け売りなんだけどね」



 と微笑んでみせた。

 それから、町民を安心させるためにはああするしかなかったと一定の理解も示した。

 示した上で、やっぱり相容れないのだと彼女は苦笑する。



「あーあ、こうなるって分かってたからエセらしく振る舞ってたのに。……やっちゃったなぁ」

「……やっぱり、わざとだったのか?」



 あ、バレてた?と舌を出すサラに、ようやくいつも通りに戻ってきたと少年は苦笑する。



「知ってる?同じものを信じていても、喧嘩にはなるんだよ。解釈の違いとか、言葉の受け取り方次第で、ね」

「なるほど、今のサラと神父様はまさにってわけか」

「あ、やぶ蛇だった……」



 そうして、なんでもない話をして、なんでもないように二人は町へと帰る。

 ただ一つ、少年が問い損ねたことだけを置き去りにして。



 ───「神の不在」について、どうしてそこまで確定事項のように話すのかという、その問いを。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る