三日目・夜

「結局、どんちゃん騒ぎになっちゃったねぇ」



 くつくつと笑みを浮かべるサラの言葉に、些か疲れたような様子で机に伏せっている少年。

 あれからすぐに少年の醜態を肴に酒盛りが始まってしまったので、当事者たる少年のその心労足るやいかほどのものか、という話である。

 日が沈んでもなお解散しようとしない男達の撤収作業にさらに気力を奪われた、というのも一因だろう。

 最初の内はやれやれといった様子だった奥様方も、最後の方では無理やり夫の耳を引っ張って連れ帰る、という有り様である。……あれは明日が酷いだろう、主に妻の機嫌と二日酔いの頭痛が。

 まぁ、少年からしてみればいい薬以外の何物でもないので特にいうことはない。ついでに自分のやった醜態について記憶が飛んでいてくれればいい。……奥様方の記憶には残っているので根本的な解決にはならないが、それでも全員に憶えられているよりはマシだ。


 そうして、元懺悔室に持ち込んだ机に頬杖をついて不貞腐れている少年に苦笑を返しつつ、サラは窓から外を見る。

 今日も外は薄暗く、森は静まり返っている。

 特に何かがあったようにも──特に何かがあるようにも思えない。

 ただ、いつも通りの森の姿がそこにはあった。







「んー、今日も何もない、かな」



 思わずといった風にぼやくサラ。少年もその言葉に頷きを返す。

 多少道を変えて行動範囲を広げたりしてみるものの、噂の確証に繋がるようなものにはいまだに出会えていない。

 せいぜい出会うのは足下を駆けるねずみだとか、森の奥の方でこちらに視線を向けてくるフクロウくらいのものだ。

 夜の森はただただ静かで、無意味な不安感を煽る以外のことは何も起きていない。

 それゆえ、少年の緊張感もどこか緩みがちになっていた。あまり油断し過ぎると足下の暗さゆえに木の根に引っ掛かって転倒しかねないので、最低限の警戒はまだ続いているのだが。


 ……それでも。

 最初に見廻りを始めた時に比べれば、どこか真剣味が薄れてしまっている、というのは紛れもない事実だと言えた。



「とはいえ、あんまり奥の方に足を伸ばすのは時間的に無理があるし、ねぇ」



 夜に何者かが蠢いていると言うのが噂の主旨である以上、必然的に探索は夜になってしまうわけだが。

 夜に探し回るにはこの森は広すぎるし、そもそもあまり奥に行ってしまうと底なしの谷があるため、誤って落ちてしまったりしかねない。それゆえ、見廻りもせいぜいが森の奥の手前──共同墓地の少し奥までとなっている。


 夜に立ち入る墓地の雰囲気の恐ろしさはなんとも言い難いものだが、幸いというかなんというか、ここで何かが見付かったということもない。果たしてそれを喜んでいいのかは謎なのだが。


 まぁ、そんなわけで。

 今日も墓地の奥まで進んだあと、こうして森の小川まで戻ってきて休んでいるというわけだ。


 この間のように素足を晒して小川に浸していたサラは、岩の上でため息を吐いている。

 少年も少年で近くの木の幹に背を預け、ぼーっと空を眺めていた。



「んー……仕方ない。今日はもう戻ろっか?見廻りを続けるにしろ止めるにしろ、一回町長さんに相談した方がいいだろうし」



 靴を履き直したサラがひょいと岩から飛び降りてくるのが視線の端に入ったので、少年は視線を下から横に戻した。

 実際、夜遅い生活が続いた少年としてもそろそろ限界が見えていたころである、見直しをするというのには素直に賛成であった。

 そうして、またいつものようにサラが先導して森に戻ろうとする。


 ──ところが、今日の見廻りはこの後がいつもと違ったのだ。

 なんと、サラが森に入る直前で立ち止まったのである。

 訝しむ少年がサラの顔を覗き込めば、彼女は常とは全く違う、厳しく鋭い目で目前の森を睨んでいた。

 思わず、少年も森の中へと視線を向ける。……生憎と、少年の目ではなんの異常も感じられない。そこにあるのはいつも通りの、暗くて鬱蒼とした森だけだった。



「……誰か居るの?」



 それでも、サラは眼前の森に向かって鋭く言い放つ。……それは確認、というよりはどこか確信めいた声音だった。思わず、少年がごくりと生唾を飲み込む。


 ──暫しの沈黙と緊張。

 やがて、なにかが動く物音が目の前の森から返ってきた。



「───やれやれ、サラ君のそういう所は素直に感心しますよ」



 茂みの中から現れたのは一人の中年男性。

 黒の礼服に身を包み、普段なら人の良さそうな笑みを浮かべているだろうその顔を、今は小さく苦笑に歪めている。短く切り分けられた髪は金色で、瞳の色は青色。背丈はサラより頭一つ分高い。


 ───そう、彼こそは。



「……え、神父様!?こんなところで一体なにを!?」



 我に返ってすっとんきょうな声を上げる少年。

 傍らのサラはと言えば、露骨に嫌そうな顔をしている。

 対する神父はと言えば、先までの苦笑を緩め楽しげに笑っていた。







 ───ジェームズ・ウッドリバー。

 街の皆からは【神父様】と呼ばれ親しまれている彼は今、暢気に礼服に付いたほこりや葉っぱを手で払い落としていた。



「───お早いお帰りでジェームズ神父。近隣の村々の方はもう宜しいので?」



 そんな神父に対し、サラは先程までの調子が嘘のような、低く感情の読めない声で問い掛ける。少年が視線を横に移せば、その表情までもが堅く愛想のないものに一変していた。

 そんな露骨過ぎるサラの態度の変化に呆れたような顔をする少年だが、当の話し掛けられた神父本人は露ほども気にしていない様子で笑みを浮かべている。



「そうですね、深夜の外出は控えること。居なくなった人がいれば速やかに伝えること。───その他諸々、きっちりと伝えてきましたよ」



 そんな神父の態度にますます不機嫌そうになっていくサラだったが。



「………左様ですか。なら私は帰っても良さそうですね。───彼の事、宜しくお願いします」



 ぴしゃりと言い放つと、踵を返して脇目も振らず森の中に消えて行ってしまった。

 そんなあんまりにもあんまりなサラの行動に唖然とする少年。

 そんな中、当の神父はといえば、困ったような笑みを浮かべ、サラが消えていった森の奥へと視線を向け続けていたのだった。







「……相変わらずサラ君には嫌われているみたいですね」



 二人で森を歩き町へと帰るなか。

 ため息こそ漏らさなかったが、些か疲れたような表情を浮かべぽつりと溢す神父。そんな彼の様子に、少年もまた曖昧な苦笑を浮かべていた。


 確かに、あそこまで行くと『嫌われている』と言う方が正しいだろう。最早威嚇している、とでも言った方が正しいような態度であった。


 ……ただ一つ疑問が有るとすれば。

 サラがあそこまで露骨に嫌悪を示すこと自体が珍しい、ということだろうか?

 基本的にあっけらかんとしているのがサラの常なので、あそこまで嫌悪感丸出しなのはどこか異様に思える。

 そう考えているのが顔に出ていたのか、神父が苦笑と共に口を開いた。



「彼女とはどうにも『神』に対する価値観が違うみたいでしてね。………なかなか上手くいかないんですよ」



 初耳であった。

 サラが神父を苦手としているのはずっと姑に対する嫁の心境のようなものだと思っていた少年にとって、今の話はまさに寝耳に水もいいところであった。

 そんな少年の呆けた顔に、神父が笑みを返す。



「いずれは、理解して貰えると信じていますがね」



 ……真っ直ぐな眼だった。

 そうなる事を信じて疑わない強い眼差し、彼が『敬虔な信徒』と呼ばれる所以である。事実、彼の真摯な言葉に心動かされた住人も数多い。


 少年の視線に笑みを深めた神父は、右手のカンテラを目線の高さにまで持ち上げたあと、少年に声を返した。



「さ、今日はもう寝床に戻るとしましょう。夜も遅いですしね」



 指差す先には町の灯りが疎らに浮かんでいた。


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