夜②

「君の数十倍は強い」というサラの言葉を聞くのはこれで十回目だ、と少年は思い返す。


 その言葉が額面通り「彼よりも強い」という意味なのか、はたまたこちらを納得させるためのただの強がりなのかは分からない。が、サラの運動神経が特筆してよいものである、というのは確かな話だった。


 例は幾つも挙げられる。

 とある日に子供たちと一緒においかけっこをしたことがあるのだが、彼女が鬼になったことは「初めから鬼であった」時を除いて皆無だった。

 ……すなわち、一度も誰かに捕まったことが無いのである。それも、彼女以外全員が鬼になったような状況も含めて、だ。

 皆で一斉に飛び掛かったのにも関わらず、隙間を縫ってひらりと避けられた時には思わず自身の目を疑ったものだ。


 またある時、少年が体力作りのために教会の周りを走り込みしていた時のこと。

 それをたまたま見つけたサラが一緒に走り始めた結果、なんと5週ほど周回遅れにされたあげく、息も絶え絶えの彼に対して彼女は息どころか汗すらもかいてなかった、なんてことがあった。

「だらしないわねぇ」なんて言われてしまった少年の自尊心がどれほど傷付けられたことか!


 他にも、サラに用事があった少年が彼女の姿を探して教会の周囲を歩き回っていた時のこと。

 教会の内も外も散々探し回ったのにも関わらず、どこにもその姿が見つからずに困り果てていたところ。どこからともなく聞こえてきた寝息にはっとした少年が上に視線を向けると、なんとサラが教会の近くに生えているそれなりの高さの木の上で呑気に昼寝をしていた、なんてことがあった。


 ……近くに脚立は無かったので素手で登ったことが分かり、少年は困惑しきりだったという。

 なお、下から聞こえてくる少年の声に目を覚ましたらしいサラが「うーけーとーめーてー!」などと宣いながら木の上から飛び降りて来たりもしたがそれはそれ、である。突然サラを受け止めることになった少年が肝を冷やしたのもそれはそれ。……役得だった、などとは言わない。


 そうして少年が複雑な感情がこもったため息を吐いていると、森の最中にある小川で休憩を提案し、それに少年が承諾を返した結果近くの岩に腰を下ろして靴を脱ぎ、清流に足先を晒し水を跳ねさせて遊んでいたサラが、こちらに不満げな表情を向けてきたのだった。



「ほらもう、君ってばまーたため息ついてる。

そうやっていっつもため息ついてるけど、そんなんじゃ幸せ逃げちゃうよー?」



 ビシッ、と少年を指差しながら告げるサラ。

 が、その行動に少年が苦笑を見せれば、返すように破顔してみせた。……その笑顔が眩しくて、対する少年は思わず普通の笑みを返してしまう。



「そうそう、【笑う角には福来る】ってね」



 さらに愉しげに笑うサラ。──どうでもいい話だが、サラは今は亡き【ヒノモトノクニ】の【ことわざ】というものをよく使う。少年がそのことを尋ねると決まってはぐらかされるので、詳しく聞いたことはないのだが。


 ……案外、サラの故郷なのかも知れないと少年は考えている。サラがこの町に来るよりも以前になにをしていたのか、町の人間は誰一人として知らないのだから。



「──よっ、と。

休憩終了、そろそろ見廻り再開としよっか」



 靴を履き直して立ち上がるサラ。

 それに少年が頷き、近くの岩の上に置いていたカンテラを取る。


 周囲は相変わらず暗く、遠くの方までは見えそうもない。そうでなくともここは森の中である、迷わないようにすることだけでも一苦労だ。

 ──だけどサラは躊躇わない。まるで道が分かっているかのように足を踏み出し、事実迷わない。それに少年が毎回首を捻るのもいつも通りである。



 ……結局。この日もまた何も見つからないまま、見廻りを終えた二人はそれぞれの家に戻ることになったのだった。

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