一日目・夜①

 ────夜。


 町は暗く静まり返り、灯る明かりはまばらなもので。雑木林を抜ける細い道には、空から降ってくる星明かり以外の光はなく、それゆえに道の先はほぼ見通せず、足元は覚束ない。周囲は生い茂る木々によって、町に灯る僅かな灯りも阻まれてしまっているがゆえにことさら薄暗く……。


 そんな夜道をただ一人、少年は町外れの教会へと向かい、歩を進めているのだった。


 左右に広がる深い森の奥の方からは、フクロウのものと思しき鳴き声が響いてくる。

 ふと、その鳴き声をどこまでも追って行きたいという衝動に駆られ───止める。

 あまりに益体がないし、それに今の町の状況……、ひいてはこの辺りで起きているとある事件のことを思えば、それがどうしようもないほどに愚かな行為であると分かってしまうからだ。さすがに後先を考えずに行動できるほど道理を知らない子供、というわけでもない。

 ゆえに少年は小さく首を振ってその誘惑を払いのけ、その代わりにとばかりに、たどり着いた教会の扉に手を掛けたのだった。


 扉を開け足を踏み入れた教会の中は、外よりもなお薄暗い。申し訳程度にはめ込まれた薄い窓ガラスを通して差し込む、柔らかな月の光くらいしか教会の中を照らすものがないのだから、仕方がないといえば仕方がない話なのだが。


 ……しかし、ただ一つの明かりであるその柔らかな月の光こそが、この古ぼけた教会の中を一種の神秘的な空間へと変貌させていることもまた事実。


 教会の中央に座す朽ち果ててしまった十字架も、この淡い輝きの中では不思議と存在感と威圧感を増しているように思える。──まるで神聖な空気の中で厳かに鎮座し、迷える衆生を静かに待ち続けているかのようにも見えてくるのだから、中々の演出力だと舌を巻かざるをえまい。


 ───そして、そんな神秘的な舞台……朽ちた十字架の前に立ち。ひとり、月のスポットライトを浴びて佇んでいるのは。

 聖歌のように高らかでありながら、鎮魂歌のように聞く者に哀切を誘う───、そんな、高く澄んだ声を教会内に響かせる一人のシスター。……そう、彼のよく知る女性である、サラであった。


 少年の聞き覚えのない、恐らくは彼女の故郷のものと思われる歌を、切なげに高らかに、一心に歌い続けるその姿は。

 彼女が『シスター 』という一種の神聖な職にあることを思い出させるように美しく、かつ不可侵なものにも見えて。



「……いつもこうならいいんだろうけどな」



 いつものお転婆で破天荒な彼女と、今現在の……ともすれば吹く風と共にどこかへ行ってしまいそうな儚げな姿とのギャップに、呆れたような、感心したようなため息と共に小さな笑みを溢せば。

 その吐息の音で少年の存在に気付いたのか、十字架の方を向いていたサラは歌うのを止めて振り返り、彼に大きく手を振りながら駆け寄ってくる。


 途端に崩れてしまった神秘的な空気に思わず苦笑を漏らし、返礼に軽く手を振り返しつつ、少年は教会の扉を後ろ手に閉めたのであった。






「さて、おいしい夕食も終わったことだし、と。それじゃあ今日もはりきって、お月さまをお供に夜の見廻りとしゃれこもうじゃない?」



 少し遅い夕食も終わりに差し掛かったころ。すっかりカラになってしまった傍らのかごに改めて布を掛け直しながら、サラが席を立つ。

 少年はそれを複雑そうな面持ちで眺めながら、残っていた左手のパンを口の中へと放った。


 ───彼女が『見廻り』と称するこの行為も、それを始めた時からはや一月ほど。別段なにかが見つかることも、なにかを解決することも無いままに、日数だけが無意味に過ぎているのが現状だが。その事実が少年に幾ばくかの不満と、それと同じくらいの不安をもたらしているのだった。


 そんな、胸中の複雑な思いが漏れだした厳めしい顔をする少年に、思わず小さな苦笑を溢してしまうサラ。

 対する少年はといえば、彼女の笑みに暫し苦い思いを胸の裡にしまい込むように瞑黙した後、どうにか表情を取り繕いつつ椅子から立ち上がるのであった。




 ───失踪事件、と呼べばいいのだろうか。

 サラがこの町にやって来てから丁度一ヶ月くらいの時期に、この町の住人である男が一人、忽然と姿を消したのが始まりだ。

 それは、『消えた』と言うのが妥当過ぎるほどに突然で、けれど、『消える』理由が本人に一切無いような人物に振り掛かったモノ。


 ……自分から消えるはずがないのであれば、必然、それは『誰か』の仕業だという答えに行き着く。

 ゆえに、町の人々が各々に不気味がるのに合わせて、その事実は根を張り葉を繁らせた『不穏な噂』という明確な形を得ていった。


 ───曰く、【人喰い】の化物。それが、消えた男を跡形も無く喰い殺したのだ、と言う噂に。


 形を得たとはいえ噂は噂。具体化した根も葉も、所詮は一つの幻でしかない。


 ……ないのだが。

 その『噂という幻』が、町の住人達の不安を悪戯に煽っているというのもまた明確な事実。

 ゆえにこうして(エセとはいえ)シスターであるサラが、町民の心の安定を図る為に周辺区域の森の探索を行うこととなるのもまた、ある意味必然の話であった。


 なお、本来その辺りを任せられるはずの神父はといえば、同じく不安がった近隣の町村民達の心のケアのため、西に東にとあちこちを走り回る忙しい日々を送るはめになっている。……神職というのはこういう時大変だな、と少年が思ったかどうかは定かではない。


 閑話休題。

 結果だけを言えばサラが夜の見廻りをすることになった、というだけの話なのだが。そこに「まった」と異を唱えたのが、ここでサラに同行している少年である。


 幾ら(エセ)シスター、聖職者とは言え、女性一人にそんな危ない真似をさせるわけにはいかない──


 そんな、町会議の場での少年の訴えに、他の皆がそれもそうだ、と同意を見せた結果。最終的にサラと少年の二人で見廻りを行うことになった──、というのが、今この場に少年が居ることの答えだった。


 ……もっとも、当所少年は一人で見廻りをするつもりでいたのだが、町会議の場であれこれと問答を行ったすえ、サラに押し切られる形で二人での見廻りを承諾させられた、という本人にとっては割りと苦い裏話もあったりするのだが、それはそれ。


 この話で一番重要なのは、少年が未だにサラが見廻りに同行することに反対している、ということだろう。



「もうっ、毎回言ってるじゃない。少なくとも私は君の数十倍は強いよ、って。お姉さん的には、寧ろ君の方が心配なんだよ?」



 不満げな様子を隠しきれていない少年の様子に、腰に手をやり不満げに言うサラ。実際、初日からずっとこの調子なので彼女の反応も無理もない。

 ただ、不満げな割りに少し嬉しそうなのは──、



「………………」

「あぁっ、もう!先々行くの禁止ーっ!」



 結局。

 少年は答えず後ろを向き、教会の外へと歩き出してしまう。慌てて傍らのかごをひっ掴みその後を追って教会を出るサラ。


 ──彼女が少し嬉しそうなのは、彼がどうして不満げなのか、という理由を理解しているからなのか。

 それは彼女の心に問い掛けねばわからない問題であった。


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