愛する人々へ、時の風に流されて

@tonegawa_abiko

愛する人々へ、時の風に流されて


プロローグ


秋の肌寒い朝、モノレールの羽田空港駅は、ちょうど電車が浜松町駅より到着したばかりで、重いスーツケース、いろいろな形のバックを持ち、興奮と期待、不安と喜びを顔に浮かべ、これから海外、国内へと観光、社用と出かけていく人々、見送る人々、新婚旅行へ出かけようと花束をもって、腕を組んでいるカップル、憂鬱、また眠そうな顔をしている空港に勤務している人々、それらの人々でごったがえし大変混雑していた。

その中を出発のベルが鳴り、反対側のホームより、静かにあまり人が乗っていない7時20分発、上り浜松町行きが発車していった。

到着したばかりのホームは混雑して、誰もゆっくりと動きだした上り電車に注意はしなかった。

そのモノレールは地下を通り、地上にでると羽田整備場駅で7.8人を乗せ、再びゆっくりと海老取川の下をくぐるため、トンネルに入っていった。

ちょうどその時、ロシア航空のVIPが乗ったジェット旅客機が右エンジン不調で、離陸後直ちに緊急着陸することになり、異常な音を発しながら空港に向かって、海老取川河底トンネルの昭和島モノレールの上空を、超低空でよぎりC滑走路へ着陸していった。

消防自動車が急いでサイレンを鳴らし、滑走路の左右に展開していた中を緊急着陸していった異常な光景であった。


モノレールは全て昭和島の信号所にある中央管制センターにより集中管理されており、センターの統制室には、路線のすべてが表示されている大きなグラフィックパネルが正面の壁に置かれ、全路線のモノレール車輌の刻々と変わる位置、状態が点滅しながら一目で分かるようになっている。何か路線のどこかで不測の事態が起こると、赤ランプが点滅し警報が鳴り、その地点、理由が表示され、管制官が直ちに電話、無線でモノレールと直接連絡し、その不測事態に対処するようになっていた。

もし、何らかの異常、危険があった場合、進行中の全車両を全て指示し停止させることも出来るような完璧なシステムができていた。

その日のセンターの当直管制官三原は、日勤に引継いだら、同じ車輌係中川と一緒に泊りがけで、河口湖へゴルフに行くことになっていた。

しかしまだ引継ぎまでに一時間ほど間があった。三原の目は正面のグラフィックパネルにそそがれていたが、頭は別のことを考えていた。

何度も買うことを躊躇していた外国製最高級ゴルフクラブを、一週間前に上野のアメ横で大特価セールがあり、それでも非常に高かったが、清水の舞台から飛び降りたつもりでようやく買い求めた。そのマクレガーのゴルフクラブで打っている自分の姿ばかり思いうかべていた。

7時20分発浜松町行きのモノレールが羽田整備場を過ぎ、海老取川のトンネルへ入ろうとしていた時、三原は椅子から立ちあがり、ゴルフスイングの格好をしながら、車輌係の中川はきっとマクレガーのゴルフクラブを羨むだろう、いつも軽蔑の眼差しか、無表情で、逆にチップ欲しさに愛想笑いしているキャデーもひよっとすると、あのクラブを見て違った態度になるのではないだろうかと、ニヤニヤしながらあれやこれや頭の中に思いうかべていた。

しかし彼ら2人はゴルフには行けなかった。


突然、回りにある全ての非常ベルが、けたたましく鳴り渡り、グラフィックパネルを見ると、あちらこちら赤く点滅し、特に海老取川のトンネル位置、周辺に多く集中して点滅していた。

一時にすべての警報装置の赤ランプが点灯し、ベルが鳴り渡ったため、三原は愕然とし、何事が起きたか理解できなかった。それとともにATS(AUTOMATIC TRAFIIC SYSTEM)で自動的に停車された車輌、それに各駅で発車待ちの車輌より、非常無線で急に送電が切れパワーが入らない。急停車したが何事が起きたのだと、応答を求める交信が次々とあわただしい声で入ってきた。

三原は一時、茫然自失して、交信にも応じることもできず、あちらこちらの警報ベル、赤ランプを見ていたが、原因がどこにあるのかまったく分からなかった。

習得しているマニュアルには個々の異常に対して原因対処は書いてあるが、ほとんど全警報が同時に鳴る異常には、どう対処するか書いてなかった。そして遂に他の者の救いを求めるようにドアに走りよった。しかし同時にあまりにも多数の非常ベルが高く鳴り渡っているのに驚いて、2、3人の同僚達がドアを蹴るようにして入ってきた。その中に車輌係の中川の姿も見えた。

入ってきた者たちも、あちらこちらで鳴る非常ベルの高い音と、警報を知らせる赤ランプに驚愕した。

ともかく鳴り渡る非常ベルの音を止め、手分けして警報のひとつひとつに当たり、原因を調べてみることにした。しかし車輌係の中川だけはパネルの海老取川トンネルの赤ランプがどうも気にかかり、三原に「トンネルにいる車輌から何か言ってこなかったか、 何か異常はないか交信してみてくれないか、どうもあのトンネルの3個の同時に光っている赤ランプが気になる。あれが原因のような気がする」と言った。三原も一瞬、「ハッ」とし、身震いするのを感じた。すぐに無線機へ行きトンネルにいる車輌と交信を試みた。

「羽田モノレール、羽田モノレール、こちら管制センター、車輌№751、感度いかがですか、応答願います」

「- - - - - - - - - - 」

「羽田モノレール、羽田モノレール、車輌№751、応答願います」

「- - - - - - - - - - 」


 直ちに、羽田整備場駅、空港駅、センターより、トンネルへ職員が急派された。

最初にトンネルに到着したのは、一番現場に近く、100メートルしか離れていない羽田整備場駅より、駆け足で走ってきた駅務員の和田であった。

海老取川河底トンネルは全長115メートルあり、浅い鍋底のゆるくカーブしているトンネルである。和田はトンネルを駆け下りていくにつれ体に異様な感覚を覚えた。何かに吸い付けられるように頭髪が逆立ち、体にピリピリと太い針で刺されるような刺激があった。あたりは電気の焼けるような臭いと、紫がかった煙がうっすらと漂っていた。危険を感じ走るのを止め、そろりそろり10メートル位、さらに入っていくと和田は突然「ウワー」と驚きの声をあげた。

上り下り、両方のレールが約70メートル無くなっているのである。鉄筋コンクリート製で、2メートル当たり一トン近くの重さがあるレールが70メートルほどむしりとられるようにして無いのである。消えているのであった。

鉄筋などがむき出しになっている中を茫然としながらゆっくりと足元を確かめながらトンネルの反対側へでると、ちょうど管制センターより人々が走って来た所であった。日勤で早めに出勤してきて、たまたま話を聞き、制服に着替えるいとまもなく、そのまま走ってきた者もいた。

「どうした。何が起こったのだ」と青白い顔をして身震いしている和田に声をかけた。

「消えている- - - - - - -、レールがないんだ」

和田はこう言うと、すぐにはっとした、「上り、751はどうしたんだ、通過していったんだろうな」と叫ぶように言った。

センターの職員らは「まだ通過していない、トンネルの中に止まっているはずだ」と答えながら薄紫色の煙がトンネルから漏れでてくるのを不気味そうに見た。和田は叫んだ。「みんな見てきてくれ、俺の目がおかしいのか、トンネルには、なんにも無いのだ。レールごと消えたのか、そんなばかな- - - - - - -、はずがない」

センターの人達は続々とトンネルに入っていった。また、車で空港より駆けつけてきた駅員達も羽田側より入って行った。

和田の言うとおりであった。消えているのである。

こうしてモノレールの職員らは有り得ない、予想し得ない大事件が起きたのを知ったのである。

7時20分発モノレールが乗客を乗せたままトンネルの中で消滅したのである。







捜 索


警視庁にモノレール消滅の通報がきたのは事件後30分たってからである。

続いて、ニュースの第一報がテレビ、ラジオの臨時ニュースで流された。

10分後、警視庁に110番で別の事件が報告されてきた。それはタクシーの運転手からであった。高速道路一号羽田線の羽田トンネルを走行中、40メートル前方を走っていた空港からの大型リムジンバスが、急にボーッとしてきたかと思うと見る見るうちに、霞のようになり消えていった。それで驚き、あわてて急ブレーキを踏み車を置いたまま、外にでたと言う。その時、モノレールの消滅時と同様に、紫色の煙、電気のショートしたような臭いを感じたという。

さらに続いてその後、多数の目撃者より電話があり、バス以外にも、反対車線を走っていた中型の乗用車も一台、その時に消滅したらしいと、携帯電話、高速道路の緊急電話など、いろいろな形で連絡が入ってきた。

通報してきた人達は、いずれも直ちに通報しなかったのは、高速道路走行中であったとか、警察に言っても信用してもらえないと思い通報しなかったが、臨時ニュースを聞いて、急いで関連があると思い電話したと言ってきた。

その2台の自動車消滅も、モノレールの消滅と同時刻、7時34分頃起きたようである。

高速道路1号線の羽田トンネルとモノレールのトンネルとは同じ場所に併行して、海老取川の河底を通っている。

他に、空港の管制塔にいた管制官の一人より、トンネル付近がその時間、うっすらと紫の霞がかかり、何か全体が少し振動しているように見えた。妙に思い目を何度も瞬き見ているうちに止んだので、その時は錯覚だろうと思っていた。緊急着陸の処理で忙しくもあり、特に他の同僚には知らせなかったが- - - - -、という情報も入ってきた。


 警察は直ちに大々的に捜査を始めた。付近の立ち入り禁止、モノレールの運行停止、高速道路一号線の羽田トンネルある区間、空港から平和島まで、高速道路横浜線は羽田までの車の乗り入れ、通行は禁止された。また同時に行方不明、消滅したモノレール、リムジンバス、中型乗用車、各々の乗員、乗客の人数、名前の調査も合わせて開始された。

都内の警察官はもちろん、機動隊員は全員緊急招集し、トンネル内だけでなく、モノレール、高速道路の周辺にも捜索を広げ、消滅したモノレール、リムジンバス、乗用車の何らかの手がかりを発見しようと努めた。

海上、運河も水上警察のランチで、空からはヘリコプターで行方を捜させた。政府首相も何か普通でない特殊な事件と感じ、直ちに臨時閣議を開き、警察庁の世界に誇る科学捜査力と、緊急に各分野の研究調査機関にも協力求めた。


 しかし、すぐには何の手がかりも得られなかった。

世界中のマスコミは、この特異な事件を、新聞は第一面に、テレビ、ラジオはトップニュースとして取り上げ、衛星中継によってほとんどの時間をこの事件にあて、捜査の成り行きを見守った。

乗車していたバス、モノレールの乗客の人数、名前の確定作業も非常に困難な仕事であった。しかし、当日、朝到着したフライトは、国内線はまだ朝早いため、まだ到着した便がなかったが、おり悪く国際線専用の成田空港が濃霧で視界がほとんど無く、着陸できず、やむなく近くの代替空港ということで羽田空港へ着陸してきていた。

普通なら濃霧が一時間くらいで回復し、成田へ再度飛び立つのだが、成田空港の予報では、かつてない濃霧で午前中は継続すると予想され、成田空港は当分の間、着陸不能として、成田に着陸しようとしているフライトは全便、羽田だけでなく、名古屋、関空、札幌に行くよう指示していると言うことであった。

そのため羽田に臨時着陸したフライトの乗員乗客は機内で天候回復待ちにせず、何時に成田に戻れるか予想つかないため、やむなく羽田で全員降機させられた。

その日降機し、乗員乗客がリムジンバス、モノレールに乗れる可能性のあるフライトは、ヨーロッパからの南回りドイツ航空725便と、全日航パリよりモスクワ経由442便の2機であった。

このためこの2機のフライトの乗客名簿を中心に重点的な調査が開始された。税関の入国記録カード、それに書かれている宿泊予定地などを調べ、各宿泊場所に問い合わせた。

ニュースを聞いて日本、世界中よりの行方、安否の問い合わせの殺到したため一時、錯綜大混乱したが担当者は根気よく人員を最大限増やし情報を集めていった。

モノレールは自動改札機械の、その時間に通行した人の数、バスは切符発行数などから作業は割に順調に進んだ。またそれ以外にも、空港にある各航空会社、関連会社にモノレール、バスに乗ったと思われる人々の調査を依頼したりして、どうにかこうにか翌日の昼までに、大体の名前、人数を確定することができた。無数の場所に設置されている監視カメラは非常に役立った。

発表された行方不明者の国別内訳をみると次のようであった。

日本人 32人、 アメリカ 13人、 イタリア 2人

インド 1人, フランス 5人、 ドイツ 7人、

中国 5人, イギリス 5人、 ロシア 6人、スペイン 1人、

チェコ 1人、 ポーランド 2人、エチオピア 3人、

韓国 2人、 タイ 1人、カナダ 2人

ケニア 2人、インドネシア 2人、イラン 3人

計 95人


その他、所在不明、連絡方法無しなどで、確定できない者が15名いた。

モノレールは夜勤が終わって帰る日本人の通勤客が多かった。航空会社社員、整備士、税関職員、航空食品会社のコック等々- - - - -。

リムジンバスの乗客中には、アメリカ人2人、イギリス人 2人、ドイツ人1人、フランス人1人の、NATOより派遣され二日後に川越で開かれる自衛隊の観閲式に招待、出席予定の軍人がいたが、ほとんどは観光目的で来日した者が多かった。ハネムーン旅行中のカップルも3組あった。

しかし中には、東京で開かれる世界建築会議出席のために来日した学者3人、京都で開かれる医師会に招待された医師4人と出迎えの日本人医師2人、さらに数人、モノレールかバスのどちらかに乗ったと思われるいろいろな分野で著名な人がいた。

警察庁は行方不明者全員の名前、人数の最終的な確定には、さらに数日かかるだろうと発表し、各方面、各国大使館などに協力を求めた。

中型乗用車に乗っていた者の名前は、意外に早く分かった。それは武器密輸入、売買などで銃砲等所持取締法違反の容疑で警視庁に追われていた暴力団中尾組の組長と幹部の2人で、当日、他の暴力団に売却するために、多数の武器弾薬をトランクに入れ、高速自動車道1号線を横浜に向かっていた。

警視庁は取引が行われるという情報をキャッチして取引現場で両暴力団を一網打尽に逮捕しようと、彼らが乗っていた車に超小型電波発信機をひそかに付け、覆面パトカー3台で、少し離れた位置より探知追跡をしていた。それが問題のトンネルに入ると、電波発信が急に弱くなったと思ったら、止まり二度と電波は発信してこなくなった。

しかし警察は2人に対する、これらの容疑は伏せ、他の行方不明者と同じ扱い方で名前を発表した。

あまりにも広範囲に及ぶ国籍と著名な人々を含む多数の行方不明者に、世界中の人々はいっそうこの事件の成り行きに注目し、大きな反響をよんだ。

各国の大使館、領事館をとおし、警視庁、外務省などに直接、詳細な事件の報告、自国民の安否、捜索の進展状況を求めに訪れた。また、自衛隊もこの事件に対して興味をもち、ひそかに警視庁に捜査協力や現場検証に立ち会いたいと私腹の自衛官を派遣してきた。

NATOの現職軍人が消息不明なったため、ヨーロッパ、USA のNATO軍のいろいろな機関より、大小さまざまな計器を大量に持参し、公式に日本政府に要求し、捜索に参加してきた。

各国の諜報機関もこの事件の裏に、なにか秘密があるのではないか、またどこかの国の新兵器による影響、結果でないかと活動を開始した。

しかしながら、捜索はすぐに行き詰まってしまった。警察の能力では、この消滅事件にまったくなすすべもなく、他の分野の研究機関、東大、京大の地球物理研究所、理学研究所などにも協力を求めた。また、外国からも多数の学者が自ら興味を持って訪れたり、わが国の研究所から協力を依頼されたりして来日してきた。

そしてそれらのさまざまな分野の研究機関、内外の有力な学者などで、羽田消滅事件調査委員会が組織設立され、あらゆる観点から調査研究を開始することとなった。


だが、行方不明者、消滅した車輌を発見することはもちろん、発生の決め手もつかむことはできなかった。

半年後、人々の脳裏から薄れ、だんだん忘れ去られようとした頃、調査委員会は決定的な事柄も、行方不明者のわずかな手がかりも発見できなかったが、いくつかの問題点、原因、要因かもしれないと、それらの事項を列記した報告書をまとめ解散した。

その中での多数説は異常音波説であった。

消滅が起きる直前、ロシア航空のジェット旅客機がエンジントラブルで引き返し、トンネルの側を超低空で通過し着陸していった。そのジェット旅客機は今日、全盛のジャンボ機やエアバス機でなく、すこし古いタイプであるがロシアでは一番使用されているIL-62(イリュゥシン)の航空機であった。

今では少し古いタイプの航空機に属するようになったが、ソ連の時代に大変多く製造され、中国、東ヨーロッパに輸出された旧共産圏では一番ポピュラーな航空機であった。

しかし、このジェット旅客機は他の類似航空機よりも騒音は少ないが、専門家の間では低周波の人間にはほとんど聞こえない音波発生が、他の航空機より多いといわれていた。

それがエンジントラブルで、より一層ある限界を超えて発生し、引き金になり消滅が起こったという説である。

大多数の委員はこの低周波の音波が重要な鍵を握っていた、あるいは原因の一つであるということに意見が一致したが、その異常低周波がどのようにして消滅につながったかという点において、各委員の意見は異なり百人百様まとまらなかった。

異常低周音波がトンネル内で共鳴作用を起こし、異常な振動が発生、中の物質(人間、車輌など)を分解したという説。

重力、大気の異常な乱れが生じ、何らかの作用が起こり、磁場が変化したか、強力な磁場が生じたか、反対に強力な磁場の逆転が生じた。それでその場所にあった物質が急速にどこかに吸い込まれていったか、吹き飛ばされていったという説。

また異常低周波により、右にあげた共鳴作用、重力大気の乱れ、磁場の変化などの何かが影響して、物質の分子、原子の結合エネルギーが解放され、爆発的に分解、消滅したという説をとる物理学者もいた。

ある学者は自説を証明しようと、さまざまな実験を試みたが異常な現象、作用を起こすことはできなかった。

またどのような異常低周音波が発生したのかと、ロシア政府の協力を得て当該機のエンジンを調査しようとしたが、エンジンは既に修理した後であった。しかし調査のためわざわざそのエンジントラブルの時の状態に戻し、何回もテストを繰り返したが、微妙な点で異なるのか、特に変わった低周波は発生しなかった。

最後には低周波犯人説も疑問視する者もでてきていた。


しかし、それもさらに半年経つと、もうUFO研究家や、異常現象研究家など以外、誰もこの事件を顧みることなく、警視庁も迷宮事件として大々的な捜査をあきらめ縮小せざるをえなかった。


さらに半年後、警察は事実上捜索を打ち切った。


アメリカ政府はJAPAN M(Mystery) FILEとして、日本政府、アメリカ政府独自に調査した資料など、すべてを添付してまとめ、膨大なファイルを作成した。

すると様々な大学、会社の研究機関、興味を持った多数の個人の閲覧、コピーのリクエストが多かったため、インターネットで全ファイルを公開することを決定した。




東西調査隊


ジャクソン・メナードは鳥の鳴き声で目を覚ました。時計を見ると5時半を指していた。冷たい湿った空気は毛皮を二つ折りで作った寝袋をぐっしょりぬらしていた。横にいる他の4人はまだ眠っており、ジャクソンは支給された3本しかないタバコの最後の一本をだし、ライターで火をつけた。

そしてふと、ミネアポリス士官学校時代の最後の夏、カナデアン・ローキーをバック・パッカーした時を思い出した。

あの時は希望があった。山を降りれば普段の文化生活に戻れ、学校の親友や仲間たち、故郷ミズーリーの家、親兄弟がいた。安心して何日も自然の中で、山の中で暮らせた。しかし今は- - - - -、何も無い。


あれ以来もう2週間もたっている。親兄弟、友人、同僚らは今ごろ何をしているだろうか、妻、愛らしい一人娘を考えると、いつかジャクソンの目はうるんでくるのであった。

隣にいる聖五郎が目を覚ました。ジャクソンは涙を隠すため視線をすばやくそらしたが、聖は一瞬はやくそれを見つけた。しかし気がつかなかったように他の方向に視線をかえ、黙っていた。聖にもその涙の意味がわかるからである。

しかし、やおら立ち上がり英語で「朝霧は晴れるというから、今日も良い天気だろう、さあ朝食の用意をするか」と言った。

そして「本当に今日中にわれらが村に着くことができると思いますか」と、いつもの快活な男に戻るよう、誘いをかけるかのように、ジャクソンの心中をうかがいながら声をかけた。

ジャクソンは自分にも言い聞かせるように「大丈夫だ、夕刻までに絶対帰れるさ、みんなが豪勢な食事を用意して、われわれの帰ってくるのを待っていてくれるよ」そして微笑んだ。

横からいつの間にか、ロシア人のアンドレーが目をあけ、上体を起こしながら口をはさんできた。

「この四日間の探検で、時々、われわれだけがこの世界に取り残されたような気がして不安でしようがなかった。帰り着いたら誰もいなくなっており、われわれだけ残してみんなが、元の世界に戻って行ってしまった、というようなことになっていなければ良いが」

聖は少し考えたあと「誰もが、そういう不安は大なり小なりもっていると思う、しかし、そうなってもわれわれは生きて行かなければならない。たとえ一人となっても死ぬまで最善を尽くして生きる。われわれは今度の探検で、いっそう、この世界で生きていけると確信したんではないかな。ここは水も生き物もいない砂漠ではない、動植物は豊富にあるし、みんなが力を合わせれば絶対に生きていける」

そういうと、聖は小さな石を拾い茂みの中に力いっぱい投げつけた。

ジャクソンはアンドレーの肩に手をかけた。

「さあ元気を出せ、われわれは全員仲間だ。過去はなるたけ忘れるんだな。五郎の言うように、生きることだけを考えて行くのが今のところ、われわれには必要なんだ」

その間、中国人の田と、フランス人のポールも起きだし、聖と共に朝食の準備をし始めた。ビニールで覆っていた枯れ草と枯れ木を出し、まだかすかにくすぶっている昨晩の焚き火の中に入れ火をつけお湯を沸かした。そして田氏は湯の中にコーヒー、緑茶代わりにと、特別に笹の葉とクコの葉を乾燥して混ぜて作ったものを入れた。さわやかな、いや味のない飲み物であった。それに昨日の夕食で残ったウサギの肉を火に炙りはじめた。ポールは田に言った。「ああ、甘い砂糖があったら、もっと食事も楽しいのだが、何でも良いから甘いものを食べたいよ。早くなんとかして砂糖か、それに代わるものを作ってくれないかな」

田は「砂糖を作るのは難しいだろうな。もっと南の国なら砂糖を造る植物があると思うけど、ここでは難しいと思う。しかし料理チームがいろいろな植物の根、実、茎から甘い調味料を作ろうと研究しているらしいよ。蜂蜜をとるという手段もあるし、その内早い機会になんとか解決すると思いますよ、もう少しの辛抱ですよ」と言った。

田は香港で漢方薬の店を経営していた。そのため今回の探検隊の一行に特に加えられ、草、木の葉、実、根、動物の骨、鹿の角などを採取したり、変わった色の石、岩を拾ったりしていた。

田は今回の探検の間、喜喜として歩きまわった。そして時々悲鳴のような嘆声をあげた。田氏に言わせると、ここは漢方薬の、特に薬草の宝庫だというのである。今まで書物の上だけで、実際に見たことや、手に入れることもできなかった、また、すでに滅び去ったと思われていた草や木の植物がたくさんここにはあった。強精、強壮薬になる高麗人参、さらにそれ以上に価値のある三七人参、冬虫夏草が豊富にあり、もしこれらを採取し香港に持って帰れたら、胡文虎氏が「万金油(TIGER BALM)」で財をなしたように、これらの薬草で巨万の富を築くことができると、採取した場所など地図を書きながら記入して行った。


ジャクソンの東方面探検隊が朝食をとっているころ,村長のカール・ヘルンケンは東方面、西方面、両探検隊の無事を案じながら、小高い丘より海のほうを見渡していた。丘の下には、新しい茅葺の家が3軒、住居兼貯蔵庫の洞くつが三ヵ所、それにそこから、少し下がった広い砂浜の海辺に一際、赤色が目立つモノレールの車輌が見える。一両目は脱線して横倒しになっていたが、二両目以降はレールの上に、少し傾いていたが、何本もの太いロープに支えられながらおさまっていた。

さらに左手の丘に目を向けると、その丘の中腹に、オレンジ色の大型バス、その横に黒の中型乗用車が置いてあった。ヘルンケンはそれらを見ながら、この二週間を回顧していた。まるで自分の人生四十七年分に匹敵する人生経験、苦労を二週間で過ごしたような気がしていた。

あの日、突然この世界に投げ出された。暗黒の中、奇妙なまばゆい光が交差し、耳を覆いたくなるほどの騒音、振動、悲鳴、驚愕の声、泣き叫ぶ声、苦痛を訴える声、混乱、混乱- - - - -。

どの位たってからだろうか。四十秒、いや六十秒、もしかすると二分以上続いたかもしれない。それが終わると、われわれは突然に木々の緑に覆われた美しい、この異なった世界に放り出された。

もし日本を訪問しようと思わなかったら、もし東洋の思想哲学、仏教哲学に興味をもたなかったら、もし休暇とることを来春まで延期していたら、私はこの世界に投げ出されなかったし、私は今頃ハイデルベルクの大学で学生たちに、カント、ヘーゲル、ニーチェ、サルトルなどの哲学を談じていただろうに。

ヘルンケンはこの二週間の出来事を次々と思いうかべていた。

 われわれ105人は突然、現代社会から離され、ロビンソン・クルーソーのような生活をしなければならなくなった。

しかし、私は思う。国籍は各々異なるが、みんなでお互いに協力して行けば、なんとか生活でき、生き抜くことができるだろう。ロビンソン・クルーソーよりも私たちは現代文明の多くの物資、モノレール、バス、車、それに付属した道具、器具がある。私たちはそれに素晴らしい組織がある。ロビンソン・クルーソーと異なり私たちには多くの仲間がいるのだ。組織をつくる過程で知ったけれども本当にわれわれには有能な人々がたくさんいる。このことは神、いやこの偶然に大変感謝しなければならない。

医師、建築家、数学者、電気技師、金属工学者、飛行機、車の整備士、薬学者、軍人、考古学者、教師、コック、政治家、コンピューター技師、等々-------。その他専門家ではないが、登山、陶芸、彫刻などに知識を有する者、変わったところで、東洋医学や針灸の研究していた中国人もいる。

 私たちはこれらの知識、技術を有する人を中心にグループを作り、子供を除き全員何らかのグループに属するように組織作りをした。

施設班、医療班、食料調達班、料理被服班、調査探検班、そして各班より委員を出し、上部機関として委員会を設けた。村の共通言語として英語に決定したが、話せない人のために毎日一時間ずつ英会話の学習会を開いている。皆、協力的であり、この逆境に今のところ良く耐えている。

私は村の村長を兼ねた委員会の議長に選ばれたが、私のような懐疑論者がこのような任にあってよいのだろうか?

これからどのように、みんなをひっぱって行ったらよいのだろうか?

創意工夫して生活をより良くしていくのは必要だが、果たしてそれだけで良いのだろうか?

ああ、あの日以来のことが、すべてこれは現実ではない、悪い夢だとして何度も早く覚めることを願ったことか。誰でもいい、私たちを救ってくれる者が現れることを何度、想っただろうか。

 ヘルンケンはあれやこれや考えながら何度も大きなため息をついた。

その時、下の方から誰かが登ってくるのに気づいた。イギリス人のトーマス・アルバーターであった。彼は施設班のチーフをしている。

「おはよう、ミスター・チェアマン・ヘルンケン村長」

「おはよう、ロード・トーマス・アルバーター、何かあったのですか」と今まで嘆いていた心中を隠すため、努めて明るい声で返事をした。ヘルンケンはトーマスがイギリスの侯爵で上院議員をしていたので、時々、お互いにヘルンケンを議長、トーマスをロード・トーマス、時にはサー・トーマスと呼びあった。

「いや、別に- - - - -、今日はいやに早く目が覚めてね。起きて外をぶらりぶらりしていたら、あなたが丘の上にいるのに気がつき、何をしているのかと思い登ってきたですよ」

ヘルンケンは「ハハハハ- - - - -」と笑いながら「お互いに年のせいか早起きですな。あなたも、ここんとこ大変苦労しているようだから、無理しないでくださいよ。みんなあなたに大変感謝しているのですから- - - - -。ところで最近、なにか船を造ろうという案もあると聞いていますが、それは本当の話ですか」と尋ねた。

「さすがに早耳ですな。まだみんなには知らせていないのですが- - - - -、それにまだいくつかの設計書を作り検討している段階なんでね。私はボートを少し大きくしたくらいの舟でよいと思っていたのだが、若い者たちがそれでは駄目だ、どうせ造るなら外洋も航海できる大きな船を造ろうと言って反対するのですよ。特に中のワトソンという私と同国人、その人は知っていますよね」

ヘルンケンはうなずいた。

「その彼がヨットの操縦とか製作に相当詳しいだ。そのワトソン君を中心に今、鋭意検討していますよ」

ヘルンケンはそれを聞きしばらく黙っていたが、やがて「その船なんだが、できれば全員乗れる船を造って欲しいのだが」と変わらない穏やかな口調で言った。

トーマスはそれを聞くと、そんな大きな船が造れるわけがない、冗談を言っているのかなと思い、微笑を浮かべヘルンケンを見た。

しかしヘルンケンの真剣な表情を見て、おやと思い、笑い声を途中で止めた。

「どうしてそのようなことを言うのですか。そんな全員が収容できる大きな船を造るなんて無理に決まっている。施設班は何人いると思っているのだ。どんな工具があると思っているのですか。しかも、われわれは木の船しか造れないですよ」

「分かっている。無理だということは。しかし、一隻で駄目なら、少し小さめな船を2隻、2隻が駄目なら3隻。なにしろ全員が乗船できる船を造って欲しいのだ。マンパワーが足りなければ原住民の手を借りてでも造って欲しい。しかもなるたけ早く。何故、何故全員が乗れる船を造る必要があるのかと言われても、理由は私自身も今はっきりと言うことはできない。ただ漠然とだけれども、私たちはこの地にそう長く居れないような感覚、不安のような思いが常に私の頭の中から離れないのです」

トーマスは一瞬沈黙し、ヘルンケンの目を見つめた。

「あなたも、そう感じていたのですか、私もいつまでもこの地に居て、どこかの船が通りかかるのを待っていたり、飛行機がこの上空を飛んできたら発見してもらおうと期待するだけでなく、いつまでも発見されなかったらばということを考え、ここで永住の手段を一刻も早く完全に確立するより、救助を求め、数人、船でどこか派遣するか、または全員一度に船に乗り移動し、救助を求めるかを決断するときだと思っている。私にはわれわれが今いるこの地は何か不適合な地のような気がする。私が住んでいた環境とあまりにも異なるせいもあるかもしれない。強いて理由を見つけるならば、ここの植物はヒノキやモミ、唐松などの針葉樹が多く、したがってここは寒冷地と判断できる。そのうち、雪に覆われる冬が来るはずです。そのためにもっと南の温暖の地に移る必要がでてくるかもしれない。その手段としても、全員を運べる船を造ることは良い案かもしれない。無理かもしれないが早速、ワトソン君らと相談してみよう」

「ありがとう、トーマス。でも今の話は、二人だけの話として、他の人には言わないほうが良いかもしれません。みんな、まだまだここに居れば何らかの変化が現れて、また元の世界に戻れるのではないかという話や、その内、きっと飛行機や船などが捜索、救援に来てくれるという淡い期待をもっている人が多いからね、私は様々の事態を考えもう少し良く検討したい」

トーマスは無言でうなずいた。

「ところで議長、今晩、探検隊が戻ってきたら開く、帰還歓迎パーティにハインリッヒ氏から重大な報告があると聞いていますが、どういう話なのですか」

 ヘルンケンはこの質問に少し困惑の表情を浮かべていたが、すぐに決意し緊張した顔つきで重大なことをトーマスに語った。

ヘルンケンは一週間ほど前、ハインリッヒ氏に、われわれは地球上のどの辺にいるのか調査するよう依頼していた。

「二日前に私のところへ来て、調査結果を直接聞かせてくれました。彼は気温、磁気、星の位置、動植物、原住民、海岸線などを調べた結果、われわれはどうも丁度、最後の氷河期、ヴェルム氷河が終わりか、終わりに近い時代,約一万年から一万二、三千年前の時代にいるのではないかと言うのです」

トーマスは驚き顔色が変わった。

ヘルンケンはあまりにも大きなショックを受けているトーマスの顔を見るにしのびず、視線を海の方に向け話を続けた。

「彼と私は直接には面識はありませんでしたが、彼の名前は新聞や本などで知っていました。ドイツでは新進の若い地質学者としてテレビの教育番組にも時々解説者として、活躍していました。だから彼の研究調査結果は信頼しても良いと思います。あなたもこの土地の環境や原住民の姿を見て、あまりにも静かで、海や星空など自然が美し過ぎるし、夜空を見ても人工衛星が飛んでいない。うすうす、現在より過去へ来たのではないかと感じていたのではないでしょうか。これで現代よりどのくらい過去までさかのぼった時代にわれわれはいるのか、彼の調査で私たちに、はっきりと示し認識させてくれたということになります」

トーマスはしばし茫然とし「一万年、一万二、三千年前- - - - -か」とつぶやいた。

ヘルンケンはさらに話を続けた。

「ただ、ハインリッヒさんは、この場所がはたして地球上のどの位置かは、さらに調査しないとはっきりと特定できないと言っています。アメリカ北東部か、ノルウェー、イギリス、中国、日本、ロシアの北東部など、北半球のどれかに違いないといっていますが、まだこの時代は氷河期の影響が大分残り、二十一世紀より5.6度地球全体の気温が低いため、氷河がまだまだこの地球上には相当残っているだろうということです。その結果海水面の高さも、元の世界より5.6メートル低くなっているそうで、海岸線などの地形で判断することが、なかなか困難であるし、できないと言っていた。だから、今度の二つの探検隊がどんな発見、資料を持ってくるか期待しているし、それによって解くことができるかもしれないと言っていました」

ロード・トーマスは、なお、茫然としながら「一万年前というと、旧石器時代。そうすると村に来るあの入れ墨のある人間たちは、やはり旧石器人ということになるのか- - - - -、ああ、われわれも旧石器人になるのか、この一万年前の時代の中に埋もれてしまうのか- - - - -」とうめくように言った。

トーマスとヘルンケンの二人はしばらく無言で丘の上に立っていた。








希望の村


料理被服班、料理係のチーフでカナダ国籍のマリアンヌ夫人と被服係のチーフ、スーザン・ゴールデン夫人は一緒に、倉庫替わりに利用しているバスの中で、食糧や衣服などを整理していた。バスの中は以前とすっかり変わっていた。座席は三分の二ほど取り払われ、両側の窓際には、二段や三段の棚が作られ、床やその棚に大小の木の箱が置かれていた。天井からは整然と乾し肉や燻製の魚や肉がつるされ、数少ない瓶詰、缶詰、ウイスキー、ぶどう酒などの酒類、チョコレート、キャンディーなどの菓子類、その他の二十一世紀消費文明の貴重な製品は木箱の中に入れられ、しっかりと鍵がかけられていた。

マリアンヌは乾し肉や燻製の状態を調べながらゴールデン夫人に声をかけた。

「今日、探検隊が帰ってくる予定になっているけれども、特別に何か出して慰労しないといけないわね。ウイスキーでも2本くらい出してやりましょうか」

「それは良い考えですね。大変お酒に飢えている人もいるし、みんな喜ぶんでないかしら」

そう言ったあと、ゴールデン夫人は、ひょつとあることを思い出し笑いながら言った。「そう言えば、サー・トーマスさんが二、三日前近くの原住民の部落へ行ったとき、酒を出されたんですって、喜んで飲んだらしいけど、濁って酸っぱい味がして、ひどい酒だったらしいの。でも、久しぶりに飲んだので酔いが早いとか言って赤い顔をして私の所へ来たのよ。そうしてね、私にね、あのような酒でも、だんだん飲みつけているうちに慣れてくるだろうから教えてもらい造ったらどうだと言うのよ。そこで私が彼にあの酒はどうやって造るか知っていますかと聞いたのよ。そうしたら知らないというから、はっきりと教えてやったのよね。私は酒をどうやって造っているのか、原住民の部落の生活を何度も見学に行ったから知ったのだけれども、部落の女の人たちが粟(アワ)を口の中でかんで、そして土器の壺の中に吐き出して壺が一杯になったら大きな葉っぱで口を覆い暗い場所に貯蔵し発酵させて造るのよ。それを聞いたら彼、悲鳴をあげて、さかんに口を水ですすいでいたわよ」

それを聞き、マリアンヌ夫人は吹き出し、百キロの巨体をゆすり大笑いした。

その時、外から同じ料理被服班の日本人、力武美智子が手に小さな袋を持って入ってきた。二人の笑っている姿を見て、何がそんなにおかしいのと聞きながら、その実、その答えを聞こうともせず、小さい声で歌いながら、持っている袋に外札を付け、鉛筆でSEED OF NOZAWANAと書いて棚に置いた。そして初めて二人の存在に気がついたかのように話し掛けてきた。

「種が取れたのよ。日本の野沢菜のような野菜の種が。それで半分は蒔いて、残りの半分は失敗したらいけないと思い、保管しておくのよ」

マリアンヌとゴールデン夫人の二人は笑いながら目と目を見合わせた。ゴールデン夫人は笑いをこらえながら、「ミッチー、あなた今日はいやにはしゃいでいるわね、それにいつもとお化粧がちょっと違うみたい」マリアンヌ夫人はそれに続けて「知っているわよ」と言った。

美智子はちょっと顔を赤らめ「何が」と答えた。

「あなた今日はうれしいのでしょう。ある人が帰って来るので、その人の名は何と言ったかなあ」

「私、知っているわよ」と今度はゴールデン夫人が声をかけた。

「その人の名は、今、探検隊で行っている- - - - -」

美智子の顔はさらに真っ赤に染まり、「やめて、もうそれ以上言わないで」と言いながら外へ逃げ出そうとした。ゴールデン夫人は笑いながら、しかし温かい母親のような表情で美智子の手をとり、「ごめんなさい、ふざけてね。あなたを見ていると私の娘を思い出すのよ。ちょうどあなたと同じくらいの年よ。だからあなたを見ていると、今頃、私の娘は何をしているのかしら、病気でもなってなければ良いけどと、いつも思い出すのよ。何とかして再び会いたい。会うことができなければ私がこうして無事にいることを伝えたいと、いつも思っているのよ。だから、あなたが側にいると私の娘が目の前にいるような錯覚がしてくるの。だからお願い、これからも、なるたけ私の側にいてちょうだい。あなたのアンドレーは誰からも好意をもたれている良い青年だわ。それに私の目から見ると、アンドレーはあなた以上に、あなたに好意を持っているように思えるわ。必ず大事に二人の愛を育てていきなさい。私はあなたに何かをしてあげたいんだけど、今の私には何もないし、何もできないのだからね、でも- - - - -」と言いながら木箱のところへ行き鍵を開け、中からチョコレートを一枚出した。「いけないことだけど、これをあげるわ。今の私たちは甘いものがなかなか手に入らないから、欲しがっている人が多いけど。探検隊の人々は疲れているはずだから、甘いものに飢えていると思うわ。これをあなたにあげる。アンドレーと二人で食べなさい」

「ありがとう、スーザンおばさん。だけど私はいりません。この先私たち、みんなに何があるか分からないし、食べないですむなら食べないで、その時のために貯えておくべきだわ。それに二人だけで食べるなんてあまりにも、みんなに申し訳ないです」

「では、あなたに三分の一だけあげましょう。残りの三分の二は探検隊の人々に一粒ずつになるけれども、あげましょう。ミッチーとっておきなさい」とゴールデン夫人はチョコレートをすばやく折り、無理やり美智子のポケットに入れた。

美智子は「ありがとう、スーザンおばさん」と言いながら、しばらく泣きそうな顔をしてゴールデン夫人を見つめていたが、ゴールデン夫人の胸の中に泣きながら顔をうずめてきた。

美智子はスチュワーデスで家へ帰るために、たまたまあのモノレールに乗り、この世界に一人肉親、兄弟からも離され投げだされた。今、久しぶりに本当の母親に会えたかのように、大きい声をあげ泣いた。ゴールデン夫人も声をあげ「知っているわよ、あなたが苦労していることや、夜、時々泣いていることも。これからは救助されるまで私たちは本当の親子と思って暮らそうね」と両手で、美智子をしっかりと抱きしめ泣くのであった。

マリアンヌも、たまらずハンカチで目をおおいながら、そうっとバスの外をでた。


その日の午後三時頃、ジャクソンの東方面探検隊が帰ってきた。しかし、午後五時、六時、七時になっても西方面探検隊は戻ってこなかった。西方面探検隊は日本人2人、アメリカ人2人の4人のメンバーで構成されていた。その日本人二人とは警視庁から手配されていた、あの暴力団の中尾と松延であった。彼らは村の中でくすぶっているのは、いやだと言い、今度の探検隊に加わることを特に希望し許されたのであった。それに西方面探検隊は、最初から案じられることがあった。それは村から西、約1キロメートル先に150メートルほど広い川原の川があり、海にそそいでいた。その川の向こう岸からが、まったく未知であった。情報を得るために原住民にいろいろ聞いてまわってみると、どうやら川の向こう岸の地域はタブーになっているらしく、対岸のことを聞くと彼らは「フニ・パフー、フニ・パフー」と言って、手や首を振り、畏怖の念を表情に出すのであった。そして情報収集のため村の者が川の中に入ろうとすると「フニ・パフー、フニ・パフー」と言って、止めるのであった。

そういうこともあって、ヘルンケンやトーマスも西方面は強力なメンバーで探検隊を構成する必要があると思い、中尾、松延の参加を許し、現役軍人のアメリカ人二人の四人で組織したのであった。そして中尾、松延らが密売しようと車の中に入れていた武器の中から銃一丁を携行させた。


冷ややかな下弦の月のもと、モノレールの横たわる砂浜だけは明るかった。大きな焚き火を中心に人々は集まり、東方面探検隊のジャクソンらを囲んで話し込んだり、まだ帰らぬ西方面探検隊について、心配そうに西の彼方を眺めたりしていたが、いつものような賑やか笑い、どよめきはなかった。不安が皆の心にあったからである。今日の晩餐用のイノシシと鹿の肉はとっくに焼きあがり、さめないように火の側に置いてあった。

ヘルンケンは時計を見た。7時である。

「もう今日は彼らは帰ってこないだろう」とあきらめ切れず、小さい声でつぶやくように言うと、側にいたマリアンヌ夫人に言った。

「東方面探検隊、それにみんなはこの日のご馳走を待っていたのだから、延期するのはかわいそうだ。開始しましょう」

マリアンヌ夫人は早速、ゴールデン夫人や班の人々を呼び、テーブルの上に食事や飲み物の用意をし始めた。

7時半、晩餐会は開かれた。

村長のヘルンケンがまず最初に立ち発言した。

「皆さん、ご承知のように東方面の探検隊は無事に大きな成果をあげ帰ってきました。しかし、西方面探検隊はまだ帰ってきません。私は彼らがちょつとした手違いで遅れているのであって、全員無事に明日にでも帰って来るだろうと確信しますし、また、そのようになることを祈ります。開催時間が大変遅れ、おなかもすいていると思いますので、食べながらでも三十分ほど、がまんして各班の活動報告、東方面探検隊の報告、それに特別にハインリッヒさんの報告を聞いていただきたい。今日は特別にウイスキーが二本、ワインが二本、料理被服班の御配慮でだされますので、報告が終わり次第、直ちにパーティに移り、ダンスなどを楽しんでいただきたいと思います」

酒がでると聞くと、人々の間から二、三の歓声のような声が上がり、人々はその声にどっと沸いた。そしてそれを期に場は華やいできた。

各班の報告が終わったあと、東方面探検隊長ジャクソンが立ち、東方面の地理、環境、動植物について語った。できる限り高い山に登り、われわれは島に住んでいるのか、大陸の一部に居るのか判断しようとしたが、北や東方面は二、三日の距離でたどり着くあまり適した高い山もなく、それはできなかった。それでも展望の良いところから見渡すと、東は林、森が多く、広大な平野の感じがする。しかし、西や北西方面のはるか彼方に、高い山が幾重にも重なり、多くの頂は雪に覆われており、多分標高二、三千メートル以上あるのではないかと思われる。

この大きさから判断するとわれわれは大陸にいるのではないだろうか。もしこれが島だとすると大変大きな面積のある島であると述べた。また、歩きまわった範囲には原住民の部落が五、六ヵ所有ったが、いずれも敵対的、好戦的な人達でなく、反対にわれわれを恐れ、われわれが危険でない者とわかると、大変好意を示してくれた。われわれが悪意のない人間だと知れば、仲良く協力しあうことが十分可能だと思う。また動植物は寒冷地帯に属するものが多く、大きい動物も熊くらいと思われる。ただ、時々、夜、狼の遠吠えが聞こえたが、数も少ないようだし、われわれと遭遇することもなかったので、危険性は無いと思うと語った。


東方面探検隊の報告は、みんなに興味を持って聴取されたが、次に立ったハインリッヒ氏の話は大きな衝撃を皆に与えた。

しばしの沈黙の後、いくつかの質問があったが、ハインリッヒ氏の自信ある態度と学者としての誠実な人柄が滲み出た、静かに答えるその姿に、ますます皆に真実感を与えたのであった。

ハインリッヒ氏への質問が止み、会場が静寂に包まれた時、ヘルンケンが再び立ち上がった。

「私はハインリッヒさんから最初にこの事実をきいた時、皆さんと同様驚き、影響を考え、発表を差し控えたほうがよいのではと思いました。しかし、敢えて報告させたのは、秘密にしておいても、いずれ知るか、気がつくようになるだろうということでなく、皆さんにこの事実を的確にとらえ、お互いに協力し、この時代を生き抜こうと思ったからです。私たちはただ、この一万数千年前に投げだされ、そのまま死ぬ、消えて行くだけで良いのか、私はこの数日、私たちがこの時代に投げだされたことは、大きな、なんらかの意志、理由、別の意味で、それは神かもしれないが、私たちをこの時代にある使命を持って派遣したのではないかと考えるようになってきました。決して運命を責めてはいけない。皆さん、私たちはよりいっそう協力して、この一万数千年前の時代を生きて行こうではありませんか。私たちはもう戻ることはできない。前進しかないのです」とヘルンケンは発言した。

しかし、一万数千年前の時代に居るという反響は大きかった。天を仰ぐ者、膝をおとし、うなだれる者、流れ出る涙を拭こうともせず、まっすぐ正面を見つづけている者、抱き合って嘆き悲しんでいる者、人それぞれの感慨を抱き、満天の星空のもとに時は静かに流れていった。

その後のパーティはマリアンヌ、ゴールデン夫人がさらにウイスキー、ワインを追加して出したが、いつものような賑わいも無く、ダンスを踊る人もいなかった。










  希望への前進


三日後、ヘルンケンがいつものように,早朝、丘の上にたち、遠い山々、海の彼方を眺めていると、後ろに人の気配を感じた。

ハッとして振り返ると聖五郎が立っていた。

彫りが深く屈託のない若々しい顔と油毛はなかったが、ふさふさとした黒い髪の毛が目立ち、日本人以外からも「ミスター・ヒジリ」と呼ばれ、誰からも愛されていた。

本人は人の中にいることはあまり好まなかったが、何かと相談相手や、ミーティングに呼ばれ意見を求められた。

その聖が、ニコッと笑い軽く会釈してきた。そして少しためらうような素振りをしたが「あなたに、ちょっとお願いがあってここに来たのですが」と言った。

しかしヘルンケンは、直ぐに思い当たることがあったので、聖に次の言葉を続けさせなかった。「待て、ミスター・ヒジリ、君は多分、西方面探検隊の行方を探りに行きたいと言うのだろう、それだったらだめだよ」

「何故ですか、もう帰村予定日から三日も経っています。明らかに彼らに何らかの危険が生じたと思われます。もしかすると我々の救助を待っているかもしれません。是非、私を助けに行かせてください」

「君の勇気、好意は大変ありがたい。しかし、私はもうこれ以上犠牲者、行方不明者を出したくないのです。私たちはたった105名しかいないのです。私たちが生存して行くためには、もう一人も失いたくないのだ。彼ら四人には、かわいそうだが、私は敢えてみんなから非難を受けてでも、救助隊は出さないつもりです」

「私もあなたの考え方は大変理解できます。私もあなたの立場なら、そう判断します。しかし彼らは我々のために探検調査に出かけ行方不明になったのです。彼ら自身のためでなく、我々の生存、より良い村建設のために、命がけで出かけていったのです。それなのに救助に行かなかったら、これから、みんなが心から協力して、われわれや子孫の生存のための新しい社会を築き上げてくれるかどうか、非常に疑問になります。何かがあれば誰かが助けてくれるということでなければ、みんな安心して仕事に打ち込み、心を一つにして同一の目的を持ち、協力してより良い協同体を組織することはできないでしょう。どうか考え直してください。それに私は、大勢で行こうと言うのではありません。私一人で行こうと思っているのです。私は山登りが趣味だったので、野や山での生活は慣れています。自然の中に溶け込み、目立たないように隠れながら彼らの行方を探します。もし会うことができず、救助が出来なくとも西方面に何が存在するのか、この目で、はっきりと調査してきたい。どうか行かせてください」

「君以外にも今まで三人、救助に行きたいと言ってきた者がいた。しかし私はいずれも断り、許さなかった」そしてヘルンケンは、それでも行きたいという変わらぬ聖の表情を見て言った。

「実は、これはまだ一部の人しか知らないのだが、私が救助隊を派遣しないと言うのには、もう一つの重大な理由があるからです。それはちょうど、彼らが出発してから二日目の昼過ぎ、西の遠方の山々から狼煙らしいものが三ヵ所上がっているのを見たという者が、あの晩餐会が終った後、西方面探検隊の消息と関係あるのではないかと報告してきた。そして実は私も、晩餐会の翌日の朝、この丘で、西の山々に狼煙らしいものを見たというので注意して眺めていたら、遠くに四ヵ所ほど狼煙が上がっているのが見えた。山火事ではなく、明らかにあれは誰かが連絡か合図のために出している人為的な煙だ」

ヘルンケンはその四ヵ所の山の場所を聖に指し示しながらさらに話を続けた。

「その狼煙は西へ西へと、どんどん連絡し合っているように私には思えた。私はこの狼煙を見て、救助隊を派遣するのは無理と断念した。君も知っているとおり、私たちの周りの原住民たちは、狼煙という通信手段は使わない。まだまだ旧石器時代そのままで、小さな家族、小さな部落単位の生活環境です。しかし、あの狼煙は、そこに大きな部落、いや国家かもしれない。十分に組織され管理された人間がいることを表しているのではないだろうか。私たちの側にいる昔からの住民たちが、川の向こう側を恐れていることを考え合わせると、私は川の対岸へ再び立ち入らせることは、当分の間、避けておくべきだと思っています」

聖は初めて聞くこの話に胸が高鳴ってくるのを感じた。そして狼煙が上がったという遥か彼方の山々を何度も目を凝らし眺めた。

「今の話でますます私は行きたくなりました。また、以前に増してわれわれは対岸の地を偵察する必要が出てきたと思います。彼方の住民の人種、文明の発達の度合い、それに一番重要なことは、われわれに対して危険な存在かどうか、絶対に早くわれわれは知っておかねばなりません。是非私に行かせてください」

ヘルンケンは聖五郎の目をしばらく無言で凝視した。おそらく彼は私が絶対に行くなといっても決行するのではないだろうか、聖の言うように対岸の様子を知るということは、これからの安全な生活、将来設計のために是が非でも必要であった。最悪の場合、危険を避けるために移動をも考えなければならない。

ヘルンケンは狼煙を見て以来、何か対岸の情報を得る手立てはないかと心に留めていた。仕方がない。それなら無許可で行かせるより、承認しできる限り安全な事前計画を立て行かせようと思った。聖君なら無事やり遂げてくれるのではという確信と願いもあった。

「今の私たちには、君のような優れた人間を失いたくないのだ。しかし君は、私がどんなに止めても行くだろうな。仕方がない。残念だが君の言うことも道理がある。若い者の誰かが私の忠告を振り切ってでも行くのではと思っていたが、やはりそのようになってしまうようだ」

「許可していただき、ありがとうございます」

聖はヘルンケンに礼を言った。

「ミスターヒジリ、行くなら万全の準備をしてください。ゴールデン夫人、ジャクソン君にも私から話しておきます。後で彼等のところに行き、食糧や探検用具をもらいなさい。特に武器のピストルを携行できるように話しておきます。それから、言わなくても分かっていると思うが、私が君に特に言っておきたいことは、必ず生還を期して欲しいということです。行方不明者の消息や彼方の国に関して何らの収穫がなくても良い。危険になりそうだったら、絶対に避けて帰ってくるように。まず無事に君が帰ってくることが、私にとって一番大切なことなんですよ」

ヘルンケンは聖の手を両手で握り締めながら、聖が最初に見た時の印象と大分異なってきたのに気がついた。なんと野性的、魅力的な男になったのだろうか。このような環境が、人間をどんどん変身させて、今まで隠れていた本来の姿をあらわにさせるのだろうかと思った。


 翌日の夜、多くの人に見送られ、聖五郎は原住民から手に入れた丸太のボートで川を渡った。一週間分の食糧と、それに武器としてピストルより弓と矢を、さらにモノレールのサスペンションから作った鉈(なた)を選んだ。

ジャクソンはさかんにピストルの携行を勧めたが、聖は行方不明の探検隊が銃一丁持っていった、さらに私がピストルを持ち、彼らと同様行方不明になれば、残った人たちの安全に大きなマイナスになる可能性があると言って断った。

 聖は川を渡るとボートを木陰に入れ、草や木で覆い隠した。それが終ると来た対岸を眺めた。かすかな月明かりと川の水の反射で周囲は割合明るかった。しかし見送ってくれた人々の姿は、はっきりとは見えなかった。

聖は対岸の人々が見送ってくれていると思われる地点、それに村のある方向に向かって「さようなら、さらば希望の村よ」と小さい声でつぶやき手を振った。

 聖は昨日午後、半日かけて、ジャクソンやヘルンケン、トーマスらと話し合った。その結果、行方不明になった西行探検隊がとった海岸沿いのコース、さらに狼煙の上がった山の周辺を避けて、川沿いを西北に60キロくらい上流に上り、そこから狼煙の上がった山々にほぼ平行して西へ連なっている1500メートルから2000メートルくらいあると思われる高い山々を踏破しながら偵察し、帰りは同じルートを戻るか、または情勢を見て危険がないようであったら、狼煙が上がった山々にできる限り近づき、調査しながら帰ると決まった。

今回は4人の救助より、彼方の地を知る調査に重点目標がおかれた。

 聖は歩きやすい河川敷を選び、夜明けまでにできる限り上流をさかのぼり、朝になったらすぐ山に入ってしまえば、誰からも見つけられないだろうと思い、歩みを速めた。


 聖が出立してから二日後の夕方、ヘルンケンは各班の委員を招集し定例委員会を開いた。

各班の活動は急ピッチで進んでいた。やらねばならない仕事、さまざまな要請に人員、器材など限界はあるが、それぞれの全知全能を傾け、少しでも住みやすい生活、現代文明に近づこうと努力をそそいだ。

 医療班より、原住民に対しての医療活動の開始、薬草から胃腸薬、傷薬、鎮痛剤などの開発、特にチョウセンアサガオより麻酔薬を製造することができ、手術などの外科療法に多大な効果を与えてくれるだろうと報告があった。

 食料調達班より、捕まえたカモシカと山キジを人工飼育し、数を増やして行こうという計画、それに現在週二回一日二食の日を作り実施しているが、来週より最初は量は少ないかもしれないが、なんとか毎日3回の食事ができるよう計画を立てていると言うと、全員の拍手をあび歓迎された。

 料理被服班より蜂蜜の採取と養蜂の研究、それに麻と山繭より布地を作ることができたと、木製の機織の機械で製作したばかりの、30センチメートル四方の白い布を見せた。

 調査探検班からは、陶器製作に必要な良質の粘土を近くの山で発見、穴窯で1000度くらいの温度で焼き上げたばかりの褐色や緑色がかった壺や茶碗、コップ、皿などの食器をテーブルの上に並べ公開した。さらにもっと品質の良い硬いものを作るため、1300度くらいまで耐えられ、温度を上げることのできる窯や釉薬の研究も始めていると述べた。

 次に最大の人員で一番活動している施設班の成果、活動方針がトーマス上院議員より発表された。住居、作業小屋の増設作業ペースが速く能率よく進むようになったこと、また全員収容できる集会と雨天の作業に利用できる大型建物の建築開始、上下水道、トイレの増設工事など全員アイデアを出しながら、安全第一を前提に着実に進めていた。

それに横倒しになっているモノレールの車輌一台を解体して、座席は集会所へ、ガラス、プラスチックの利用、鉄、アルミ、パイプなどの金属部分はノコギリ、ペンチ、カンナ、釘などの大工道具、包丁、ナイフ、様々な農機具、斧、弓の矢じり等等のあらゆる必要な用具に作り変えようと作業を開始していた。そして鉄などの金属をさらによく利用は図るため、調査班と協力して「鞴(フイゴ)」を造り、金属を溶かし、良い金属器具、道具などを少しずつ研究しながら造り始めたと述べた。また同じく調査班と合同で木炭の製造、水車と自動車のバッテリーなどを利用して発電装置を作ろうという案もあると数々の新しい計画を語った。船も何回も討議した結果、大型の「イカダ」形式のものを二隻つくると決定、ミニチュアを作りテストをし結果がよければ、2週間後くらいより作業開始に入りたいと語った。

最後にトーマスはみんなに提案した。

「現在、各班の活動は非常な勢いで進んでいます。おかげさまで、私はどうにか最低限の生活は維持できるという自信がでてきました。しかしながらわれわれはたった105人しかいないのです。どうしてもこれからの活動に人員不足が起きてくるし、施設班含めて現在マンパワー不足を訴えている班、グループがあります。したがってその解決方法として、どうしても原住民を雇うか、それとも協力してもらうことが必要になってきたと思います。

最初は簡単な労働力の提供、樹木の伐採、運搬,住居作業小屋の建設などの補助的肉体的な作業が考えられます。そのような活動は、結局はわれわれだけの利益、生活水準を上げるだけでなく、徐々に彼等の生活、文化水準も上がり、彼等の利益にも充分合致すると思います。彼らも最近は良くわれわれの村を訪れ、われわれの生活や,持っているものに非常に興味を持ち、交流を求めているように思えます。みなさんどうでしょうか、彼らに積極的に働きかけ協力してもらおうではありませんか」

 トーマスの意見は直ぐに全員一致で拍手をもって賛成された。

 続いて、ヘルンケンが立ち上がった。

「みなさんの活動により私たちの生活は着実に前進しており、私は大変満足しております。私がきょう提案したいことは、至急教育制度を確立し、学校を作ることです。現在私たちの村には十五歳未満の者が六人、十五歳から十八歳までの者が三人います。これら九人だけでなく、これから生まれてくる人達や、次代の人々にも、私たちの持っている全知全能、全技術を伝え育てて行かなければなりません。それとともにもう一つの学習制度を作らなければならない。私たちの中にはこれからの生活上必要欠くべからざる優れた技術、知識を持っている人が多くいます。たとえば、医学、科学、化学、数学、薬学、手工芸、建築鉱物学などであります。その能力を持っている人が、もし万が一倒れた場合、私たちの生活はその時から、直ちに非常な不便、不利益をこうむります。二十一世紀の技術、知識から断絶してしまうのです。したがって、私は思うに、そのような、これからの生活上欠くことのできない特殊な分野の知識、技術を持つ者が、次代だけでなく、他の人々にもそれを教え合う制度を作らなければならないと思うのです。しかし、私たちは教える者も、教えられる者も、日々の生活で大変忙しいし、苦労しており、そのような余裕も時間もありません。しかしそういう時間も私たちは無理を承知で作らなければ、割かなければいけないと思うのです。週の二日か三日でも良い、一時間でも二時間でも、そのような学校、いや学習会と呼んだほうが良いかもしれませんが、そのような制度を創設したいと思います。是非みなさん賛成していただきたい」

 このヘルンケンの提案に対して、委員や傍聴人などから二,三、質問があり討議され、その結果、十五歳未満の子供に対する教育は直ちに始まることになり、そのために2人、希望者を募り教師としてアサインすることとなった。また、十五歳以上の二人は医師に、残りの一人は漢方薬師の田について、見習助手として働き薬学を勉強することとなった。

学習会の方も、週に三回(月、水、金)と一時間半ずつ、建設中の集会所が完成したら、出席自由、誰でも参加できることとして開くことが承認され決定した。

最後にヘルンケンは、「まだ決まっていないのですが将来のことを考えて、皆さんに重要なお願いがあります」と提案があった。

それは、ほとんどの人が所有しているスマートフォンと意外にお多くの人が所持しているノートパソコンの件であった。

「皆さんは現在スマートホンとパソコンを多くの人が持っています。そしてほとんど人がバッテリー切れで動かなくなり悩んでいます。それについて私は提案したいのです。現在、施設班が水力か風力で発電できないか工事が進んでいます。電力は我々にとって大変必要なもので私は大いに期待しています。水車とモノレールにあるモーターを使って発電できないかと提案で施設班も大賛成で活動しています。勿論大変な時間と設計作業が必要です。皆さんの知識ある人を求めています。どんどん立候補して参加してください。発電できれば悩みのバッテリー切れは解決です。電気が使えるようになれば非常に明るい未来が開けます。

しかし私は皆さんに提案です。これら21世紀の遺産、スマートホン、パソコンは個人の手から離し、センターのような機構を作り、そこで全てを管理したいのです。パソコンやスマートホンはハードデスクなどの記憶装置、小さなモーター、バッテリー、ディスプレー、CPUなどを細かい配線でつなげて組み立てられているのです。したがって、どこかのユニットが不調なら他の使用していない携帯やパソコンから持ってくれば再度使えるのです。そのために一か所に全てを置き、古い機器はバラシて部品化して保存しておくのです。交換するパーツが大きくて収まらないなら外形を木で作りその中に全てを入れて作り直せばよいのです。そのようなセンターを作りたいと思っています。そして必要なグループにだけパソコンを配置したいと思います。夢は電話用の高いアンテナを立てスマホで話せるようにすることですが、それは難しいでしよう。パーツが寿命でどんどん使えなくなっていくのですから」

聞いていた、大多数の人は、あきらめの表情で反対意見は出なかった。







驚異の大帝国


聖は草むらの中で、荒い息づかいをしながら仰向けになり休んでいた。北側の斜面や沢ぞい、日陰には雪がまだたくさん残っていた。

山は意外に深く、高い樹木におおわれ展望はほとんどなかった。しかし、驚いたことに、尾根沿いには狭かったがところどころ熊笹やブッシュが鋭い刃物で伐採され、明らかに獣道と異なる、人間によって手入れをされ、踏み固められた道が続いていた。聖はこの道を三日間、西へ西へとたどった。幸い誰とも一度も会わなかった。

聖はふとこの山は以前見たことがある、いや登ったことがあるような気がしてきた。

この前の東方面探検で歩きまわった時も、このような不思議な感じがしたが、今回もいくつかの山々を登り続けている間、時々「来たことがある」という感覚わきあがった。しかし、それがどこだったのか、何度も考えたが思い出せなかった。

 十分くらい横になり、さあ、そろそろ行こうかと起きあがろうとした時、ふと、少し地面が揺れたような感じがした。聖は、不審に思いながら体を起こした。地震かな、それとも疲労で目まいでもしたのだろうかと思い、頭を振ったり、あたりを見回した。

そして、すぐに「あっ」と思わず声をあげた。

今まで気がつかなかったが、樹々の茂りが少し薄くなったところから、狼煙、いや狼煙よりも、もっと激しい煙、火山の噴煙が上がっている山が見えた。聖は急いで立ち上がり、さらに良い展望を得ようと山道から離れ、ブッシュをかき分け二百メートルほど行くと、樹木があまり生えていない熊笹に覆われた草原に出た。

そこからは遠くに噴煙を上げている火山をはっきりと見ることができた。

噴煙を上げている火山は二ヵ所あり、手前の火山は、標高千二、三百メートルくらいあるだろうか、しかし、その少し右側の奥に聳える山は標高も高く、頂上は荒々しく付近を威圧するような形をしており、噴煙は左前の山より強く高く上がっていた。

 それを見ているうちに、聖は今までの、もやもやしていたものが、一瞬に晴れ、背筋がぞくぞくしてくるのを感じた。

「ああ- - - - -、やはりここは日本だったのだ。東京だったのだ」

「ああ、運命よ- - - - -」

聖は思わず声をあげ、全身の力が抜けたようになり膝をついた。

「あれは、一万数千年前の富士山の姿なのだ- - - - -。そして手前の火山が箱根なのか- - - - -、なんということだ」

聖は足もとの土を一握りつかみあげた。

「この山は一万数千年前の丹沢なのだ。学生の頃、何回も登ったことのある丹沢の山なのだ。尾根歩き、沢登り、岩登りの練習と、ホームグランドのように親しんできたあの山の過去の姿なのだ。以前来たことがある感じがしたのは、ここには確かに登ってきたことがあるからなのだ- - - - -。沢や谷が少し異なるが、大山、丹沢山、蛭ヶ岳、檜洞丸、鍋割山、すべて位置が一致している。やはりそうなのだ。この前の東方面探検の時は、一万数千年前の東京をあちらこちら、私は探検したことになるだ。どこえ行っても、以前来たことがあるような気がしたのも東京だったからだ- - - - 。あの東にあり、一時は皆で登ろうと検討した独立峰は筑波山だったのだ」

 聖は涙で、目の前がボーッと霞んでくるのを感じた。


どのくらい、時がたっただろうか。聖はやっと立ち上がり、フラフラともとの山道に戻った。これから私はどうしたらよいのだろうかと、迷いながら力なく立ちすくんだ。食糧も一週間分しか持ってきていないため、そろそろ帰途をも考えねばならなくなっていた。

しかし、聖は帰途よりも、いっそう人里に降り、少しでも行方不明の四人の消息、それにどんな人間がそこに住み、どんな生活をしているかを知ることの興味が、むらむらと心の中にわきあがり、優ってきていた。

「よし、ここが丹沢ならば、たとえ一万数千年間におよぶ、地形の変化があっても大勢は同じだ。秦野か大井松田へ出て小田原あたりまで行ってみよう。食糧もなるたけ食い延ばし、時々、魚を釣ったり、狩猟などをすれば、なんとか食いつなげるだろう」と、ヘルンケン等から止められている、危険な、山を下りる決意をした。

 そこから直ちに下りる山道はなかったが、聖は先ほどの草原に再び戻った。付近の山々を眺め回し、一番大きく、下へ人里のほうへ伸びている尾根を選び下山することにした。熊笹を分け、ブッシュをナタで切りながら足場を作り、木の枝、草の根につかまりながら一気に下山を開始した。顔や手の皮膚が草の葉、木の枝、岩などでの引っかき傷,打ち傷、それに汗でヒリヒリするのを感じながら、聖は三時間ほど、休まず、ただひたすら、下へ下へと下山し続けた。

すると下の彼方の樹木の間から、時々、青々と光る池か湖と思われる水面が見えてきた。聖はそれを目指して、さらに一時間歩き続けた。何度も滑ったり、転がったりして全身汗みどろになりながら、やっとの思いで湖の水辺に辿り着いた。

 それはあまり大きくない湖であった。聖は景色を見るまもなく、湖の水の中に荒い息ずかいをしながら、顔、頭を突っ込み汗をぬぐった。そして、手で水をすくい何度も何度も腹が一杯になるまで飲み続けた。それが終ると、そのまま後方にドット仰向けに倒れ目を閉じた。聖は疲労の極に達していた。

 三十分ほどウトウトとしていただろうか、聖は寒気を感じ目がさめた。急いで起き上がり、ぬれたタオルで体を拭き、体が赤くなり、ほてってくるまで強く冷水摩擦をし、汗でぬれた衣類を着替えた。

息も通常にもどり体はだいぶ回復したようである。聖は乾し肉をかじりながら、今日はここで泊まることにした。明日のことを考えると、ここで休んだほうが、疲労もそんなに蓄積せず良いと判断したからである。

聖は汗でぬれた衣類を洗い乾かしておこうと、水際へ歩んだ。魚がたくさんいるらしく、時々水面から大きな魚が飛び上がり、波紋を描いた。聖はそれを見て、洗濯が終ったら、早速釣りをし、夕食は焼き魚を食べようと思った。

ところが突然、近くで馬の悲鳴のような鳴き声が聞こえてきた。聖は反射的に飛びつくように、ザックの側へ行き、ナタをつかみ身構えた。再び高い声の悲鳴が、今度は人間の悲鳴が聞こえてきた。それも女の声である。聖は急いで、声の聞こえた方向へ、背丈ほどある熊笹の中を、体をぶっけるようにして走った。近づくにつれ、動物のほえる声と樹木が激しく折れる音、男の争う声が聞こえてきた。

さらに声と音をたよりに突き進んで行くと、熊笹がなくなり、見通しの良い潅木帯に出た。速度をゆるめ、警戒しながら近づいていくと、一人の男が二メートルほどある大きな熊とにらみ合っていた。

さらにそこから5メートルくらい離れたところに、一人の女性が横たわっているのが見えた。熊と対峙しているその男は、顔中血だらけになっており、骨が折れたのか、それとも筋を噛み切られたのか、右腕はダラーンと下げていた。それでもその男は、左手で必死に槍を構え、かろうじて立っていたが、傷と出血のせいか体をフラフラさせ、今にも倒れそうになっていた。

熊は勝ち誇ったように立ち上がり、両手をあげ一声大きく吠えると、覆い被さるように跳びかかり、その男を巨体でつつんだ。聖は右手でナタを握り返し、体を低くして、熊の後ろに音を立てないようにして近づいた。そして熊の大きな背中に強力な一撃を加えようと、両手で大きくナタを振り上げた。その瞬間、熊は他の人間の気配を感じたのか、突然振り向いた。聖は熊の大きな口の周りが血だらけで、血が滴り落ちている姿に戦慄したが、ためらわず熊の顔に向け、ナタを全身の力をこめて振り下ろした。

熊は断末魔のような大きな声を上げながら、聖をはね飛ばすと、額にナタを深々と刺したまま転げ回り、猛烈なうなり声を周囲にこだませながら、木々の茂みの中に消えていった。

 聖は起き上がりながら、一瞬でもナタを振り下ろすのが遅れたら、自分がやられたと思った。

すぐさま男のそばへ行ってのぞいて見ると体はところどころ無残に引き裂かれ、すでに息はなかった。

 女の方を見ると、どうやら無傷で気を失っただけのようである。水を飲まし、気をつけさせようと思ったが、水筒はザックに入れたまま、湖に置いてきたのを思い出し、少し上体を起こし、手で頬を軽く二、三回たたいてみた。「美しい」と聖は思わず声をあげた。

その女は紫色の絹のような肌触りの繊維でできた、ゆったりとしたサーリーのような服装を着ており、顔は西洋系より東洋系に近いが、皮膚は白く、きめ細かく、年齢は二十前後と思われた。しかし、不思議に耳が異常に長かった。耳たぶが、人工的に長くしたのか、それとも先天的なものなのか、普通の人間よりも三倍ほど長かった。死んだ男はと見ると、やはり耳が、耳たぶが異常に長かった。

聖はもう一度、軽く頬をたたいた。その若い女は少し首を動かし、うっすらと静かに目をあけた。しかし、目の前に見知らぬ聖の顔があったのに驚き、聖を手で撥ね退けようとした。聖は驚かしてはいけないと思い、それに逆らわず、静かに「安心しなさい、もう熊はいないから」と言いながら、そうっと彼女から手を離した。そして少し離れ、彼女には私の言葉はわかるはずは無いと思いながら、もう一度「安心しなさい」と言った。

彼女は聖をじっとみつめていたが、自分が何故気絶したのか思い出したのだろうか、同行者の姿を探すように、周りを見回した。

直ぐに五メートルほど先に死んでいる無残な男の姿を見た。

すると「アーッ」と言って、また気失いそうになった。聖は体で倒れている男の姿を女の目から隠しながら、また彼女の上体を支え、体を強くゆすった。そして、ゆっくりと語りかけた。

「安心しなさい。あなたは助かったのです」

女性はしばらく無言で聖を見続けた。どうやら聖に敵意がないことを感じたのか、少し震えるような声で「ニー、セシコン、シン」と言った。

聖には何を言っているのか分からなかった。無言でいると、さらに彼女は「シェホー、ニン、セシコン。シン、シュハァー、リハイ」とゆっくりと話し掛けてきた。

聖は女性の美しい黒い瞳を見続けながら、多分この私に「助けてくれてありがとう、あなたは誰ですか」と言っているのではないだろうかと思えた。

聖は日本語でゆっくりと答えた。

「私の名前は聖五郎、ヒジリ- - - - -」そして山の方を指し「あの山々を越えてやって来た」

女性はまたさらに、じっと聖の目を見続けた。

そして「シ・ジ・リ- - - -、シジリ」と繰り返した。聖はうなずきながら、発音が少しおかしいが、自分の名前を呼んでくれたので、喜びがわきあがってくるのを感じた。

今度は「あなたの名前は」と女性を指差しながら言った。女性は少し考えていたが、微笑みながら「パティア、パティア」と答えた。聖が「パティア」と彼女の胸のほうを指しながら言うと「シー、シー」といっそう微笑みながら、首を振った。聖も思わず微笑み「どこから来たの、あっち、こっち」と指差しながら聞いてみた。

 その時、何か数頭の馬が走ってくるような音が聞こえてきた。聖は振り返ると、4騎こちらに向かって疾駆して来るのが見えた。どうやらこの女性の仲間のようである。聖は直ぐに、もと来た湖の方向へ逃げようと思ったが、今からでは遅い無駄だと悟った。

相手が馬に乗っているので簡単に捕まえられるだろう。こうなっては相手がどうでるか、成り行きにまかせようと聖は思った。そこで何も持たず、身構えることもせず、無抵抗であることを示しながら、立ち上がり、その女性から数歩離れたところで、馬上の四人が来るのを待った。

 馬上の四人の男たちは聖の近くへ来ると、直ぐにその中の一人が馬から下り。倒れている男の側へ走りよっていった。もう一人の男は馬上より聖に弓を向け、動けば撃つという構えを示した。聖の横にいたパティアは、急いで首領格らしい馬上から聖を傲然と睨みつけているようにして見ている男の側にかけ寄った。

 そして聖の方を時々見やりながら話し始めた。どうやら事情を話してくれているようである。首領格らしい男は、他の男と異なり、美しい赤と紫、それに金色に輝く炎の形をした角をつけた兜をしていた。彼ら四人もやはり耳が長かった。武器は赤い柄の矛のような槍と両刃と思われる細い剣、それに弓矢を携行していた。弓は普通見慣れた形と異なり、中国や中世ヨーロッパで使用された石弓(クロス・ボー)と同じ形式であるのに驚かされた。

形勢はどうやら聖に不利な方向に進んでいるようであった。だんだんパティアとその首領格の男と、なにやら言い争っているように見えてきたからである。やがてそこにもう一騎、空馬を二頭連れてこちらへ走ってくるのが見えた。パティアと死んだ男の持ち馬のようである。

 彼らはパティアたちの馬が、熊に驚き、乗っている人を振り落とし、空のまま猛烈な勢いで逃げて来るのを見て、何かあったと判断し、一人にその空馬を追わせるとともに、直ちに駆けつけてきたのであった。

 やがて聖は縄で、両手首を前で縛られ馬に乗せられた。パティアは申し訳なさそうに,さかんに言葉をかけ弁解した。聖は無言でパティアに、分かった、分かった、そんなに気にしなくても良いと言うように、何回も首を大きく縦に振りうなずいた。

 一行は湖より派生している小さな川沿いの道を、首領が先頭を進み、聖は三番目に、パティアがいたわるように直ぐ後を続いた。最後尾は熊に殺された男を乗せ、ゆっくりと進んでいった。

道は意外に良くできており、ところどころには頑丈な大きな橋が架けてあった。四十分ほど行くと、山から抜け平原地帯に出た。いくつかの部落を通り、さらに四十分ほど行くと、大きな集落に到着した。戸数は約三百戸余りあり、すでに連絡が届いていたのか、数百人の群集が、騒然としながら馬上の聖を、奇異のものを見ようとするかのようにして、群がり集まっていた。彼らもすべて長い耳をもっていた。

 その中を馬でかき分け少し行くと、回りの家々とまったく異なった寺院のような大きな建物の前に出た。部落は木造の家も多かったが、半分以上は茅のような植物で、屋根から壁まで、何もかも覆われ造られていた、聖は北海道に行ったとき見た観光用のアイヌ部落の家に似ていると思った。

寺院のような建物は中央に大木でできた、大きな三層の神殿らしいものがあり、その東西南北の四方には木造の、やはり寺院風の建物が四棟あり、各々は回廊で結ばれていた、

 その大きな建物の門の前で、一行は下馬し、聖も馬から下ろされ、縛られたまま門から中へ入れられた。ここで首領の男は、中にいた衛士に大きな声で何事か命令した。すると中の衛士が聖を連行し、神殿の前を通り、横の入り口から建物の中に入り、小さな六平方メートルほどの地下室に聖を押し込んだ。


 翌日、聖は朝早く起こされ、また馬に乗せられた。寺院の前には、二十人もの鎧を着け剣や長槍で完全武装した兵士が整列していた。

 聖は出発しようとする時、もう一度、パティアの姿を見たいと、馬上より見回し姿を探し求めたが、どこにも見当たらなかった。しかし、脇の少し離れた馬上より、昨日の首領がこちらを凝視しているのに気がついた。聖も彼に負けじと見返した。

だが、聖は何かパティアを探している自分の心を見透かされているような気がして、直ぐに目をそらした。彼はやがて一番先頭に行くと、大きな声で「チューパー」と叫び、一行の出発を命令、先導した。

 一行は馬で一日かかり、海岸にある街に出た。その町もやはり、神殿寺院風の建物を中心にして、前の集落より大きく賑わっていた。一泊後、その街から険しい溶岩や火山岩塊が冷え固まってできた奇怪な形をした岩山を、一日がかりで越えていくと。前方に噴煙を上げている山が見えた。高さは二千メートルほどだが、裾野が非常に広く、千五百メートル付近まで、緑に覆われていたが、それから上は黒褐色の世界で、頂上は少し雪に覆われ、恐ろしいほど、奇怪な鋸状の形をしていた。

 聖は、ああ、これが一万数千年前の富士山の姿なのだと思い、捕らわれ身も忘れ茫然と見続けた。その日は寺院のような建物はなかったが、大きな街に泊まった。聖は、まじかに見た富士山の姿,通行してきた道、地形から、山越えして来た岩山は箱根山あたりではないだろうか。昨日泊まった街は小田原あたりか、それとも熱海か- - - - -。あれやこれや、いろいろと考え、今まで見てきた景色を思い浮かべたりして、その日の夜は、なかなか寝つかれなかった。

 翌日、富士山の裾野を、手入れの良くできた広い道を通り、さらに西へ西へと進んだ。

部落の数も戸数もだんだん多くなり賑わってきた。

 昼過ぎ、遥か彼方から町、大きな異様な建物が無数に建っている町、いや都市と表現したほうが良いだろう。大きな家が多い町並みとともに、赤や青のパコダがある都市が見えてきた。とりわけ黄金に輝く巨大なパコダが、赤や青の小さなパコダの真ん中に一つ立っているのが際立って美しく見えていた。

 聖は尖塔のパコダはバンコックで見たそれに似ていると思ったが、全体の感じから、シュメールのアンコールワットのような感じを抱いた。しかし、パコダ以外の一つ一つの建物からは、古代バビロンなどのオリエント風にも似ていると思えた。ここが彼等の首府なのであろう。

 一万数千年前に、これだけの大きな建物を造ることができる文明が他にあっただろうか。エジプト文明、チグリス・ユーフラテス文明、メソポタミア、中国、インド、かってさまざまな古代文明が栄えたが、それも古くても、せいぜい紀元前三、四千年前である。ヨーロッパの失われた大陸として有名な、アトランティスと同様、太平洋のどこかに、かってムー大陸があり、ムー帝国が栄えていたという伝説がある。そのムー帝国とは、この国なのであろうか。聖は慣れぬ乗馬で尻や両足の太ももが張り、痛いのも忘れ眺め続けた。

 その都の後方には、白く静かに噴煙を上げている富士山があり、都の前方には、幅五十メートルほどの、流れている量は少ないが、水が美しく透きとおった川が流れ、大きな橋がかかっていた。

 その人々の往来が激しい橋を、聖を連れた一行が馬上のまま、あまりスピードを緩めず渡っていくと、渡っている人々は急いで左右に逃げるようにして欄干にかけ寄り、通るのを見上げた。

 橋は約十メートルの幅があり、石でできていたが、橋の中ほど、約二十メートルだけは、木造であった。床も木の板が張ってあるため、その上を馬上で行くと、いっそう良く足音が周囲に響き渡った。

聖は戦争、洪水などの非常時には、その橋板を取り去り、渡れなくしたり、橋の保護を図るように設計してあるのではと思った。

橋詰には十人ほどの完全武装した兵士がいたが、一行が近づくと、直ちに一列に整列、通過を見送った。橋からは、道はいくつかに分かれていたが、いずれの道も石畳でできていた。その石畳は、平らな石を互いに隙間ないように組み合わせ、石の種類が異なるのか、着色したのか、各々の道は色分けされていた。

 家は木や壁土のようなもので造った家が多いが、中心部に向かうにつれて、石やレンガのようなもので造られた大きな建物が多くなった。人々はさまざまな服装をしていたが、女性の大多数はショールを着けていた。人々やたくさんの物資を積んだ荷馬車の往来もはげしくなり、店や屋台で肉、野菜果物、穀物、魚を売っている人々、買い物をしている人々、忙しそうに荷車を引いている人、いずれの人々も注意して良く見ると、長い耳をしていた。しかし彼らは、聖や連行している兵士たちにはあまり気に止めていないようで、チラッと馬上の兵士を見るだけで、自分たちの仕事の手は休めず、関心を持って見ようとはしなかった。また聖の姿に気がつく人もほとんどいなかったようであった。

 いくつかの混雑している街路、市場を抜けて行くと、遠くからも一際目立って見える建物、王宮が目の前に大きく現れてきた。

その圧倒的な大きさ、規模、美しさに聖は目を見張った。エジプトのピラミッド、古代バビロニアの王宮、マヤ、アスティカ文明の巨大な神殿に匹敵する、いやそれ以上の建造物かもしれない、それはすべて石を積み上げて造られており、高さ八十メートルから九十メートルくらいあり、左右対称のどっしりとした重厚感ある建物で、いくつもの層を持っていた。第一層は四十メートルくらいの高さがあり、窓もなく城壁のように、緩やかな曲線を描きながら下へ広がっていた。第二層は二十メートルほどあり、小さな窓がいくつも見えるので、部屋がたくさんあると思われた。第三層は、三つの二,三十メートルほどの建物が別々に建っており、真ん中の建物が一番高く、空に向かって聳えていた。おそらく、その場所に、この国の主、統治者が住んでいると思われた。そしてこの建物の中央に、幅二十メートルほどの広い階段が、下から第二層の途中まで真っ直ぐに伸びていた。

 聖はこの建物の二百メートルほど手前で馬から下ろされた。

捕らわれたときから同行している首領、相当の地位にいると思われるこの男と、王宮の兵士三人に連れられ、その階段に向かった。階段までに、左右大きな石柱が十メートルおきに回廊のように立っており、各石柱の側には衛兵が一人ずつ立っていた。聖はだんだん心細く不安になってきた。

そして、この時代の日本に、こんな偉大な文明があったとは、もし万が一、現代にもどれ、このことを報告しても、誰も信用してくれないであろうと思った。

 戦争の図や狩猟の図などが彫刻してある、左右の壁を見ながら聖たちはゆっくりと階段を上った。上り詰めると、目の前に大きな光り輝く扉があった。その扉は鉄のような金属で作られていたが、彫刻がされており、金や銀がふんだんに使われ、美しく輝いていた。そこには衛兵が三十人くらい警備についていた。扉が開けられるのを待つ間、聖はこの扉の彫刻などを見ていたが、ここまで連れてきた衛兵三人が号令をかけ、階段を下りて行こうとする声に、ふと後ろを振り返ってみた。

そこには、登ってきた急な階段、それに続く石柱の回廊は、もう遥か下に小さく見え、その回廊の向こうには、あの賑やかな街が、そしてさらに向こうには、川の所で見えたパコダと、さらにこの王宮に匹敵するくらいある大きな建物、あきらかに神殿と思われる建物が見えた。神殿の後ろには富士山が、少し離れた右側には箱根山が、かすかに小さな噴煙を上げていた。

聖は雲ひとつない青空を見上げた。

そして自分の今おかれている境遇をも忘れたかのように「素晴らしい、なんと美しいのだ」と小さい声をあげつぶやいた。

 扉が開けられると、そこには大きな広間があった。奥行五十メートルはあるだろうか、天井までの高さも二十メートルほどあり、太い丸い石柱が二列に七メートル間隔で天井を支えていた。そしてここにいる兵士は、外の兵士と異なり、銀色に輝く鎧、兜をつけていた。そして兜の上には大きな青い鳥の毛がフサフサと揺れていた。近衛兵なのであろうか。

 聖を連行した首領の男は、よほど身分の高いものなのであろう。ここにいる近衛兵の将校らしい二人は、この男に対して挙手の敬礼をした。するとこの男は大きな声で二人に命令するかのように、一、二分話をすると、そのまま一人で、この広間を通り奥の部屋へ入っていった。

将校は側にいた三人の兵士になにごとか命令すると、命令された兵士は各々別々の方向へ去っていった。

聖はこの広間を見渡した。広間の両側には石像が4体ずつ置かれていた。剣を抜いて立っている像、椅子に座り、前の空間を睨んでいる像、槍をまさに投げようとしている像、鷹のような鳥を肩にのせている像など。さらに両側の壁にさまざまな美しい色の、モザイクで戦争や狩をしている図が描かれていた。

聖はその壁画の中の一つに注目した。それは大きな動物の上に兵士が二人乗り、弓を射っている場面である。その動物は明らかに象であった。日本のこの時代には象はいないはずである。どこから来た象であろう。

確かにかって、日本には象はいた。東京都内の地下からも、時々象の骨や牙、臼歯などが発見され、新聞やテレビのニュースで騒がれたこともあった。それはナウマン象と呼ばれていたが、それも洪積世中期から後期に、約四十万年前から二万年前くらいまでに多くいたらしい。だがこの時代には死滅して絶対にいないはずである。この図の象は一体どういうこのなのだろうか、聖はこの時代でも、彼らは飼いならし、狩猟や戦争に使っているのだろうと判断した。

 しばらくすると、聖は兵士三人に、広間の横を通り、割合広い通路をくねくね曲がりながらある部屋に連行された。通路の左右は石やレンガの壁になっていたが、ところどころ油のようなものを燃やしたり、空気穴を兼ねた外の光がさす、小さな穴があって比較的明るかった。部屋は無数あったが、重そうな青銅や厚く頑丈な木の扉がしてあった。

聖が連れられてきた部屋は、外に面し両開きの窓が大きく開かれ、長く薄暗い廊下を通ってきた後の聖には、非常に明るい室だと感じさせた。窓の外にはあの大きな神殿が正面に光り輝き見えた。その室は六十平方メートルほどの広さがあり、床には美しい模様の絨毯が敷いてあり、中央に大きなテーブルと椅子が四個、少し離れたところに長椅子が一個置いてあった。また左側には三段の棚があり、そこにはいろいろな美しい装飾品が飾ってあった。特に金や銀で作ったと思われる大きな船の模型、それに大きな鷲のような鳥の剥製が目をひいた。それらを興味深げに見ていると、棚の横の扉が開き、三人の男たちが静かに現れ、聖を見ながらテーブル側の椅子に座った。

三人は、いずれも武器は身につけず、真っ白な裾が床につくほどのゆったりした服装をしていた。そして正面の席に座ると、しばし無言で聖をみつめた。

微動だもせず聖を見つめる三人の聡明な顔は、はっきりとこの国の重要な地位にある人たちであることを教えた。

 中でも中央に座った一番年長の、七十歳くらいの老人に、聖は一目見て、体がしびれるような感覚がしてきた。

白く長い髭をのばしていたが、頭の髪の毛は薄く禿げかかっており、額が異常に大きく、穏やかな顔と、幼い子のような透き通った目は、何もかも心の底までをも見通すような感じがした。






   丞 相  サ ロ モ ン


 その老人は、にこやかに微笑みながら、テーブルから少し離れた椅子を指しながら「プリーズ・シット・ダウン」と聖に声をかけた。

聖はまさか英語で話し掛けてくるとは思っていなかったため、驚き困惑し、立ったまま目をパチクリ瞬きそのままでいると、今度は「どうぞ、お座りください」と日本語で話し掛けてきた。

聖は椅子に腰掛けたが、ますます頭が混乱してきた。なぜこの人は英語、日本語の両国語を話すことができるのであろうか。今まで見た長耳の人たちの言葉は、われわれと言語を異にし、彼らが話す言葉はまったく理解できなかった。

なぜだ。この老人はどうして話すことができるのだろうか。

 また、老人はにこやかに、日本語で声をかけた。

「あなたは不思議に思っている。私があなたたちの言葉、話すことを」

聖は率直にうなずいた。

「まだ、完全に、すべてに、上手に話すことできません。しかし、だいぶ話せるようになりました。あなたたちは、二つの言葉をもっている。とても不思議な人々だ。ひとつは日本語という、ひとつはイングリッシュという。ふたつの言葉、一度に記憶すること、この年寄りの身で、大変です」

 聖はこれを聞いたとたん、やはり西方面探検隊は彼らに捕らわれたのだと思った。

その老人は聖の心を見透かすかのように、さらに言葉を続けた。

「そうです。あなたの今思ったように、わたしたち彼らを保護しています。私、あなた捕まえたと聞いた時、思いました。彼らと同じ国、同じところから来たと。その考え当たったようですね。エ、エーと、ところで、あなたの名前は何といいますか」

「聖五郎と言います」

「シ・ジ・リ・ゴロウ」

聖は思わず笑いがこぼれ、パティアもこのような発音をしたことを思い出した。

「いや、ヒジリ、ヒジリゴロウです」

老人は二、三回「シジリ、シヒィジリ」と発音したが、発音しずらいのにあきらめ「その発音難しい。それで私、これからあなたに対してゴロウと呼びます。私の名前はサロモンといいます。エンペラーの- - - - -。日本語で何というのか- - - - -、ミスター・ニコリスは、ザ・プレミィアーと呼んでいましたが、エンペラーの政治の補佐やアドバイスをする職務をしています。日本語では、この職務をなんと言いますか、教えてくれますか」

聖はニコリスがプレミィアーと言ったと聞いたので「日本語では首相、または総理大臣とか言います」と答えた。

「シュショウ、ソウリダイジン」とサロモンは一回、しっかりと頭の中に、刻み込むように、また半分聖にその発音が誤りなかったか、正すように、問いかけるようにして、小さい声で発音した。

 サロモンは少し座りなおすと、聖の目をしっかりと見据え「私たち、あなたにいくつかの質問をします。素直に、うそをつかないで答えてください」と言った。

そして聖の後ろに立っている三人の兵士に、聖の縄を解くように命令した。

「最初の質問は、あなたはどんな理由で私たちの領域に侵入してきたのか、それにどうしてあの山にいたのか、あなた一人で来たのか、それとも他に仲間がいるのか答えてください」

聖は隠せるところは、できる限り隠し、質問された以上のことは言わないでおこうと思った。もし不用意な発言で、村に危害が与えられるような事態になったら、取り返しのつかないことになると慎重に言葉を選んだ。

「私は私の仲間が行方不明になったので、一人で探しに来たのです。山にいたのは、仲間が行方不明になった時、現れた狼煙が上がった地域や海岸を避け、展望がきき、万が一発見されても逃げやすい山沿いを選んできたためです。私はあくまで行方不明の仲間を探しに来たのであって、決してあなた達の国の平和を乱すとか、何か物を盗むとか、危害を加えようとか、何らかの悪意ある目的のために来たのではありません」と言った。

「あなた達の国、全員で何人くらいいますか、エンペラーの名前、年齢を言ってください」

「私たちは君主制度をとっていないから、エンペラーはいない。エンペラーの代わりに全員によって指導者が投票で選ばれる。そして現在われわれはカール・ヘルンケンという人を指導者としている。年齢は五十歳過ぎと思います」

聖はあえて人数に触れないで答えた。

サイモンは「あなた、もう一つの重要な質問に答えていないですね、しかしわたし、あなた達の人数、少ないこと分かっています。仲間が行方不明になったというのに、あなた一人しか救助にこない。これ、あなた達の人数、大変少ないからだと思います。それに捕らえたあなた達の仲間も、今の質問に対しあなたと同様答えなかったり、ミスター・ニコリスのように、三千人もいると答えた人もいるが、彼らと話し合っているうちに、私、あなた達の人数、非常に少ないのではないかと思うようになりました。まあいいでしょう。あなた達の人数に触れる質問は止めましょう」

 聖はこれに対して、沈黙をせざるを得なかった。

サロモンは次々と質問を続けた。

「あなた達の指導者、カール・ヘルンケンという人,みんなから信頼されていますか」

「みんな信頼しています。優れた指導者だと思います」

「その人が選ばれたということはなぜですか、王族の一族なのか、それとも神官とか、何か選ばれるような力を持っていたのですか」

「いや、彼は王族の一員でも神官でもありません。大学で哲学を研究していた学者です。彼が選ばれたのは、みんなが彼は豊富な人生経験と全員を掌握する能力があると思ったからだと思います」

「その指導者は学者ということですが、その研究している哲学とは何ですか」

「私はあまりその分野は詳しくないので、簡単に言うのは難しいですが、個人的な見解では、人間が生きるための世界観や人生観などの原理を追求する観念的な学問だと思います。たとえば人間は何のためにあるのか、自分とは何か、なぜいるのか、いかに生きるべきか- - - - -」

サロモンは少し考えていたが「それは宗教と同じようなものではないですか」と問いかけた。

「ある意味では宗教に近いかもしれない。汎神論といって神を認める哲学もあります。また明確に否定する説もある。そして宗教にもいろいろあるように、哲学にも自然主義、汎神論、実存主義などなど、さまざまな思想が歴史とともに生まれてきています。あなたから個々にもっと詳しくと言われると、私は、はっきりとそれぞれ説明するほどの知識は持っていない。しかし宗教と決定的に異なるのは、ただ、各々人間の心の内面の思想ということで、宗教のようにそれが、他の人間を排他的に、強制的なカリスマ的支配に発展するようなことになることはない」

聖は思わぬ質問に、少し、しどろもどろになりながら答えた。

しかしサロモンは「ふむー」と少し首をかしげたが、それ以上この問題に追求してこず、話題を変えた。

「ところで、私はいつも不思議に思っているのだが、あなた達はどこから来たのですか。私たち、あなた達が来た地域、以前数回、兵を派遣し、調査したことがありました。しかし私たちが興味を起こすものはなかった。あの地域にいる人間はそんなに多くはいない。おくびょうで猿などの生き物と異ならない生活をしていた。また、私たちの危険な存在になるものもなかった。しかし、あなた達は、彼らと異なっている。入れ墨もしていない。複雑で手のこんだ服装、鉄の道具、それに私たちには理解できない、作ることのできない鉄以上の硬い丈夫な、不思議な金属で作った道具もある。あなた達、持っている物すべて、私たちにはたいへん奇妙で興味を与えるものだらけである。おそらく部分的には,私たち以上の発達した技術水準を持っているところがあるようだ。一体あなた達は、どこから、なぜ来たのですか」

聖はしばらく考えていたが、やがて間をおきながらゆっくりと答えた。

「われわれは遠い世界からやってきた。例えて言えば、漂流してきたと思ってもらいたい」

「ショウリュウ- - - - -、シ、ヒョウリュウ- - - - -、それはどういう意味ですか」とサロモンはたたみかけるように聞いてきた。

聖はまた少し沈黙した。不思議に率直な気持ちになっていた。事実を隠そうという気も起こらなかった。天井を少し見上げながら目を閉じたが、直ぐに見開きサロモンの目を凝視し語った。

「ヒョウリュウ、それは、遥かかなたより漂い流れ着いたというか、この世界に迷い流れ着いたというか- - - - -、遥か遠い未来より、われわれはなぜか分からない。われわれの想像を越えた何か、事故か、異変か、この世界に迷い送られてきた。われわれは、われわれの意志で来たのではない。みんなそれぞれ元の世界に、そこに喜びが、悲しみ、笑い、愛、家庭、希望があった。しかしわれわれは突然、何の前触れもなくもそこから引き離され、この時代、この世界に送られてきたのです。われわれは元の世界に戻りたい。しかし今のところ戻るすべはない。この世界で生きてゆくほかないのです。その理由から、われわれは、この世界を少しでもよく知るために、周囲を調査する探検隊を派遣したのです。その探検隊が途中であなた達に捕らえられてしまったのです。あなた達には、われわれが未来より来たという、この話は信じられないと思います。私も今もって信じられない。しかしこれは事実なのです- - - - -」

 聖は熱ぽく、一気にここまで話しているうちに、好きではない町であつたが、今では懐かしく思う、あの車や人で混雑していた東京のビル街や、住んでいた下町の町並み、楽しかった生活などが、閉じている瞼に浮かび上がり、涙でボーッとなるのを感じ、話すのを止めた。

 サロモンは上を向き、涙をこらえている聖を、しばらく無言で見守っていた。

サロモンには彼らが未来から来たという話は驚きであった。サロモンや今まで取り調べに当たった人々は、多分、サロモンの先祖たちが大洪水で生き残り、この地に流れ着いたように、彼らもどこか遠い文明の発達した国より、船の難破か、革命、反乱暴動などの戦争に追われ、または避けるため、この地へ渡って来たと思っていた。

聖の話でサロモンは合点がいった。ミスター・ニコリスらの四人は、どこからなぜ来たのかの質問に、各々みな異なり、奇妙なことを言ったり、話された文化、化学、歴史が信じられない神話伝説のような架空のもののようであったが、これで判然としてきたように思えた。

しかし本当の話なのであろうか。だが彼の話す姿に、われわれを欺くようなところは見えなかった。

またサロモンは別の意味で納得する理由があった。それは若い時に見た夢であった。

それは遠い未来より使者がサロモンの前に現れるという夢を、かって何度か続けて見た。

それが今、現実化したという確信であった。

 サロモンは傍の二人に、どのように話してよいのか分からなかった。

この二人はミスター・ニコリスたちの取調べのときから立ち会ったが、サロモンに比べ会話は全く上手にならなかった、また覚えようともしなかった。

多分、今、聖が語った話の内容はまったく分かっていないであろう。またおそらくこの二人は聖たちが未来から来たと言っても信じないだろうし、場合によっては、われわれを欺いていると言い、聖を非難するだろう。

さらに、聖の後ろには兵士が三人いる。彼らもサロモンが聖たちが未来の世界から来たといっていると通訳するのを聞いたら、彼らを通じて国中に変な噂が広まるに違いない。今はこのことを伏せておこう。

 サロモンが沈思黙考しているのを、傍らの一人は、もうサロモンに質問がなくなったと思い、サロモンに聖のデジタル時計を渡し、これは何かと聞いてみてくださいと言った。

それは聖が山で捕らわれ縛られた時、奪われたものであった。

サロモンはさらに聖より、未来の世界を良く聞いてみたいと思ったが、そのために話題を変えざるを得なかった。

 サロモンは聖にデジタル時計を示し「この小さな美しい機械も、やはり時を刻む機械のようですね」と尋ねた。

聖はうなずいて同意の意思を示した。

「ミスター・ニコリスたち、持っていた時を刻む機械と異なっていますね。あれは針が動き時を示す。しかしこれは文字が直接時を示す。彼等が持っていた、いろいろな機械は私たちの技術者、学者が今共同で研究しています。特に時を教えてくれる機械は素晴らしい。あの小さな容器に収めてある複雑な機構は、私たちには驚異です。しかもあの機械には、あなたたちの技術力を示すだけでなく、あなたたちの思想も入っていると私は思います。一日を二十四時間と分け、半分の数十二時間で一日を前半後半に分けている。そして分、秒という単位,七日間を一週間として考えたり、一ヶ月を三十日、三十一日間として、一年を十二に分けている。さらに重要なことは一年間を三百六十五日と数えていることです。一年の総日数は私たちの暦と同じだということです。一日を二十四時間、それに週,月という単位であなたたちが生活していることは、わたしたちに非常に興味を起こさせる。

この機械も早速、バラバラに分解して、ひとつひとつ慎重に調査させてみたい。しかし私、不思議に思うのは、中の構造もあるが、他にも理解できないことがある。あなたはこの数字が直接表示される機械を、ミスター・ニコリスら四人は、針が動く機械。両方とも時を示す機械なのに、なぜあなただけ文字で時を示す機械を持っているのですか。私思うに、この機械のほうが、針で動く機械よりも技術的な進歩があり、それに貴重なもののような感じがする。あなただけが持っているということは、そこに何か、身分的な差か何かあるのですか」

 聖は少し感情的になりすぎたと思い、ちょっと座り直し、両手をしっかりと握り締めた。

「確かに時計の技術では、われわれはそれを時計と呼んでいるが、針の時計よりもこのデジタル時計の方が歴史的には新しいが、必ずしもデジタル時計が貴重ということはない。針時計でも、その時計より高価で正確に良くできているものもある。だからあなたの言うように、そこに所持、不所持で身分差か何かあるのではないないかということはない。針の時計かデジタル時計かは個人の好みの問題で、誰でも自由に選び買うことができる」

 聖は話しながら、一体彼らの科学力、技術力はどの程度なのか知りたいと思った。確かに建造物や彫刻も絵画などは技術的にも美術的にも素晴らしいものを持っているが、科学などの面では、はたしてどのくらい進んでいるのだろうか。時計を分解するといっても、デジタル時計は液晶やIC、リチューム電池などでできている。はたして分解しても、それが何でできているのか、どんな機能があるのか、解析能力があるのだろうか。

 聖に対して二時間あまり、さまざまな質問がなされた。

窓の外はすでに真っ暗になっていた。聖は不思議にサロモンという人物に惹きつけられている自分を発見した。

サロモンは時には、鋭い質問を浴びせたが、決して相手に不快感を与えなかった。終始にこやかに、いたわるように聖を遇し、聖の目を見ていた。

聖に疲労の色を感じて、最後にサロモンは、一層柔和に「今日はこれで止めましょう。長旅の後で大変疲れているでしょう。これから睡眠をとり充分に休養とってください」

 聖はその一言を聞いて、今までの疲れが一度に、どっと出てきたような感じがしてきた。

確かに三日間の山行、それに捕らわれた後、ここまでの四日間の慣れない馬での旅は、体中だるく、節々を痛め、物事を思考する気力も減退していた。ただ、どこでも良いから横になり眠りたいと思った。しかし、目的の四人の消息は、まだはっきりとはしていなかった。サロモンの話で、この地に来て無事らしいことは確かだが、今、彼らはどうしているのかと、聖は眠気を少しでも払拭しようと、肩を少しすくめるようにして、首をまわした後、サロモンに思い切って聞いてみた。

サロモンは微笑しながら「待ちなさい」と言い、しばらく両脇の二人と話し合った後、立ち上がり、聖について来るように言った。

入ってきた扉から、聖はサロモンの後に続き廊下に出た。

後には三人の兵士が付き従った。今まで居た室より、少し戻り螺旋状の階段を三十段ほど上がったところに、兵士が二人見張りに立っている室があった。

サロモンはそのドアを軽くノックして開け、微笑しながら聖に入るように言った。聖は言われるままに、そうっとドアから顔を出し中をのぞいた。

 そこには木でできた大きなテーブルを真ん中に、ミスター・ニコリスたち四人が椅子に座り食事をしているところであった。

ミスター・ニコリスら四人は聖の姿を見ると「オオー」と驚きの声をあげた。そして直ぐに驚いている聖のところへ駆け寄ってきた。「聖」「ニコリス、松延、中尾、ジミー」と五人はお互いに呼び合いながら抱き合い、頬ずりし突然の再会を喜び合った。

サロモンはそれを見てから、そうっとドアを閉め、そこを去って行った。


 お互いに話すことは山ほどあった。最初に聖から、ニコリスたち探検隊か出発した後の、村や人々の状態、経過、それにどんな方向に各班が活動しているか、ニコリスたちの行方不明後、聖が追い、なぜ来たのか、なぜどこで捕まったのか、先ほどまでの疲れも忘れ語り続けた。特にわれわれは一万年前から一万二,三千年前くらいの時代にいるらしいと言い、ハインリッヒ氏の研究結果や、聖が途中で火山を見て悟った、みながいる村は東京、それに、ここは富士山の近くではないかという意見は、四人に大きな衝撃を与えた。ニコリスやジミー、中尾はその大きな衝撃で、だんだん沈黙するようになり、考え込んでいった。

英語を話せない松延だけは聖が英語で語っていたため、聖の話はあまりよく理解できなかった。そのせいで、そういうこともなく、他の三人の代わりに日本語で聖に、どうしてわれわれが捕らえられ、ここに連れてこられたか、それにここでの生活を話してくれた。

それによると、彼ら西行探検隊は村を出発してから二日たった早朝、まだ熟睡しているところを,槍や弓で武装した十五人ほどの長耳の兵士に、抵抗する間もなく叩き起こされ捕縛され、ここに連れてこられてきたこと、ここでの生活はサロモンの部屋か、この場所で取調べを受ける他は、何もせず、外にも出られない、食べて寝るだけの単調な生活で、もう飽き飽きしているということであった。


その間沈黙していたミスター・ニコリスらも、いまだ半信半疑のまま、再び話に参加してきた。さらに詳しくハインリッヒ氏や聖の意見、村のことを質問したり、長耳族についてお互いに見聞きしたことを話し合った。サロモンについて話題が及んだ、特にニコリスがサロモンについて語った中に、聖が驚いたことは、サロモンは聖が認めるように語学の天才であるだけでなく、並外れた記憶力の持ち主であるということであった。例えば彼はわれわれと一週間前に話し合った内容をそっくり、テープレコーダーにセーブしてあったかのように、そのまま記憶していて話すことができるという。サロモンの話では、最近は年のせいか、だいぶ記憶力が落ちてきたそうだが、半年くらいの前の重要なことは、いまだ記憶でき、大体そっくり対話や会議などの内容はそのまま話せるということであった。

そしてわれわれが時々、口を滑らし話してしまう、文化、科学、歴史など非常に興味を持ち、鋭く質問をし、どんどん吸収しているということであった。


 その日、聖がやっと眠りについた時は、もう夜は明けかかっていた。





  防衛計画


「防衛は全く無理だと言うのかね------」

ヘルンケンはジャクソンに念を押すようにつぶやいた。ヘルンケンとトーマスは、聖が未帰還になった後、村の将来、安全を懸念し、NATO中佐のジャクソンに村の防衛について研究させていた。

ジャクソンはテーブルの上にのせた右手を、ギュウと強く握りながら「現在の人員では全く不可能です。対抗できないでしょう。私は防衛計画についての研究調査が、まさかこんな大きな問題に発展するとは思わなかった。私自身も驚いているのです。最初に私は、対岸にあると思われる国の兵力、武力、どのくらいの文明をもっているのか、それに原住民がなぜ、対岸をタブー視しているのかなどなどを、できる限り詳しく調べてみたのです。もちろん対岸に行って直接調査すれば一番明瞭に分かりますが、われわれはすでに二回失敗しており、もうこれ以上の人的損失は許されません。それで長年住んでいる原住民から情報を得ようと、原住民の言葉が一番良く分かる太田氏の協力を得て、村に働きに来ている原住民や、近くの部落へ、おさや長老を訪ね歩き回りました。その結果,おぼろげながら、かの国の軍事力が分かってきました。あの国はわれわれが想像していた以上の国力、文明があるようです」

ジャクソンはそこで話を止め、コップのお茶を飲んだ。ヘルンケンとトーマスは身動きせず次の言葉を待った。

「原住民の話によると、それ以来左手の指全部と右手の指三本の雪の季節があったといいますから、ちょうど八年前の意味になりますが、その年の雪の季節が終ると、対岸より大勢の武装した兵が渡って来た。そして三日間、多くの部落を襲撃し家々に火を放ち、子供や老人は殺し、女は犯し殺し、力ある若い男は捕虜にし、抵抗するものはことごとく残忍な手段で殺し、大勢の者を連れ去っていった。そのため、全滅し無人になった部落も多数あったと言います。かつて、このような事件が数え切れないくらい昔にも二、三度あったそうです。そのためここの原住民は、彼らが再び来襲したら、まず直ちに部落を捨て全力で逃げ、山奥へ彼らが去るまで避難することにして、そのための洞くつなどの隠れ家を、私たちには教えてくれなかったが、いくつか各部落は持っているようです。私は彼等の兵力や武器などの軍事力はどの程度なのか、さらにいろいろと聞いてみました。その結果、どうやら彼らは馬を使っているのではないかと私は判断します。というのは、原住民は彼らは顔や尾が異常に長く、熊より大きく、鹿より速く走る四足の動物に乗っているといいます。私は多分、それは馬だと思います。武器は弓矢と槍、両刃の剣のようですが、ある長老が私に八年前の襲撃の時、彼らが去っていったあと残っていた、木に刺さっていたり、焼け跡から出てきた矢と矢じりを見せてくれました。それを詳細に調べたところ、矢は大変短く、普通の弓矢では撃つことはできません。なにか特別の形の弓矢、もしかするとクロスボーのような弓矢かもしれません。大変鋭い良質の鉄でできた矢じりが付いており、強力な弓矢のようです。原住民は石の矢じりの弓矢しか使っていませんから、これだけで判断しても、彼らはこの時代に、一万数千年前のこの旧石器時代に、大変進んだ文明を持っていることが充分に感じられます。その八年前に、どのくらい人数の兵員が来たのかと、さらに調べまわったところ、八年前の来襲の時、兵があの川を渡ってくるのを丁度目撃、監視していたという者が、偶然、造船グループで働いている原住民の中にいたのです。その者の話によると、その奇妙な動物に乗った兵、私は一応騎兵と呼びたいと思いますが、その騎兵が二列縦隊で浅瀬を渡り、先頭が川を渡り切ったとき、まだ後続は対岸にその倍くらい残っており、また徒歩の兵は丸太で作った五隻のイカダのような船で、川を何回も往復し兵員を渡していたそうです。その数も騎兵と同数くらいいたと言っていました。私は早速、その兵員が渡渉した場所へ行き調べましたが、その情報が正しければ、私の想定では、大体彼らの部隊は騎兵約三百人、歩兵約二百五十人から三百人、総員五百五十人から六百人の兵員ではなかったかと推測しました。これらの事実を前提にして、私が今一番恐れているのは、もし西行探検隊と聖君が彼らに捕まえられたならば、それが切っ掛けになり近いうちに再び彼らが来襲してくるのではないか。それに西行探検隊が持っていった銃の機能や、捕らえられた彼らの話から、われわれの特異な存在を知ったとなると、前回以上の軍勢で押し寄せてくる恐れがあるということです」

 トーマスは聞いている内に、心臓が高鳴ってくるのを感じた。そしてヘルンケンはと思ってちょっと彼の顔を見た。しかしヘルンケンの表情は全く変わらず、ただ、ジャクソンを無言で見続けていた。

 トーマスは、この男は私をはるかに凌駕していると、最近ますます思うようになっていた。村の村長を選ぶ時、最初に私が指名されようとしたが、私は七十歳に近いので、去年の夏、上院議員も辞めている。それにこのような非常の時には、もっと若い行動力と指導力のある者を選んだほうが良いとして辞退したが、あの時、みんなが、それでもと、もう一押し、私を推薦し押してくれたら、私はその職を受けようとしていた。ところが、それがあっさりと受け入れられ、投票によって彼が代わって選ばれてしまった。それが心の中に少し蟠りと彼への嫉妬として残っていたが、やはり私は辞退し、この男が代わりに選ばれて良かった。最初はただの哲学者という行動力もない学者馬鹿の一人だと思っていたが、どうしてどうして統率力があり、行動力はすぐれ、ややもすると悲観的になるわれわれに、将来の企画というか、目的、展望というものを、はっきりとつかませ、希望をみなに与えている。そしてみんながこの男に尊敬と信頼を寄せている。この尊敬と信頼を得、強い指導力と物事を的確に処理していく能力を持って、その者を中心に進んでいくのが、今のわれわれに一番必要なのだ。ヘルンケンはその点合格している。しかし運命は、いろいろとわれわれに苛酷な試練を与えてくる。せっかくこの地で何とか最低限の生活が、めどついてきたばかりなのに、われわれはもうこの地を去らねばならないのか。別の地を探さねばならないのか。それとも彼の国と戦い、死か捕虜にならなければならないのだろうか。これは現在のわれわれが当面する最大の問題となってくるのではないだろうか。

 トーマスはヘルンケンが黙って考えているので、代わりにジャクソンに対し質問をした。

「われわれが持っている銃やピストルで彼らに対抗できないのですか。銃を二,三回撃てば、その音で驚き彼らは蜘蛛の子を散らすように逃げてしまうのではないのかね」

それに対してジャクソンは直ぐに答えた。

「現在、われわれが所有している武器はM16ライフル銃が八丁、日本の自衛隊の98式歩兵銃一丁、弾薬のNATO弾が約五百五十発、モーゼルとブローニングのピストルが各5丁、その弾が約三〇〇発です。残念ながら、これだけの武器では、騎兵を主体とした五百人を越す兵に対して、正面から戦ったら簡単に破られてしまうでしょう。また、相手が銃の音で逃げるのではという甘い考えは、私はとても持てません。相手はある高い水準の文明をもった国家です。十分に訓練のできた正規兵と見なければならない。それに気になる点は、もしかすると西行探検隊が持って行った銃で、われわれの武器の存在、能力を知られている可能性も考えねばなりません」

トーマスはさらにジャクソンに質問をした。

「あなたは軍人として、さまざまな教育を受け、いくつかの作戦、計画にたずさわってきた。それでもし、あなたが指揮官,将軍の立場に立ったとして、われわれはこれからどうしたら良いと思いますか」

ジャクソンは少し間をおき考えながら、ちょっとヘルンケンの顔を見た。

「指揮官としてどうしても戦えというなら、私は自己の最大限の力をそそぎ戦います。作戦を立てうまく戦うならば、一、二回くらい、戦術的、局部的な勝利を得ることもできるかもしれません。しかし長くは続かないでしょう。最終的には完全にわれわれは敗れます。今、われわれに重要なことは、戦略的な観点から見ることです。われわれは常に彼ら危険な国と接してわれわれの国------、いや村の存在を不安にしておくことは良くありません。そのような危険状態を破るには、彼らの国を攻めた戦い勝利を得るか、われわれが退くかの二つしかありません。しかし前者の彼の国を破ることは不可能です。したがって後者しかありません。退くこと、もっと防御しやすい、または完全に隠れることのできる峻嶮な地を見つけるか、それとも彼らの力の及ばない、もっと遥か北の地へ移るかしなければ、いつかわれわれは滅ぼされてしまうでしょう」

 トーマスは腕組みして考え込んだ。そして横を向き、ヘルンケンの顔を見、発言を待った。

 ヘルンケンは依然として表情を変えず沈黙していた。しかし、ヘルンケンの方針は最初から決まっていた。それは、この地に、今はできる限り留まっているべきだということであった。しかし理由はなぜかと考えると、ヘルンケンには、はっきりと言うことができなかった。それは靄が山々にたちこめるように、薄っすらと見えてきたかと思うと、深い霧がまた下からわきあがり覆ってくるように、それをはっきりと捉えることができなかった。ヘルンケンはジャクソンの話を聞きながら、その間中、それは何かと心の中で模索し続けた。直感的な感情なのであろうか。ただ、この地に留まるべきだという念は常に心の中より発生し、わきあがり続けた。

トーマスはヘルンケンの発言を待ったが、沈黙し続けているので耐えきれなくなり、ヘルンケンに声をかけた。

「あなたの意見はどうですか。われわれはどうすべきだと思います」

 その声をかけられた時、ヘルンケンは靄の中から一瞬に光明が、ぼうっと見えてきたような気がした。われわれはなぜこの世界へ送られてきたのだろうか。そこには単なる偶然ではない万物を超えた意思、いやそれは神かもしれない。何らかの目的があってわれわれをここへ派遣したのではないだろうか。われわれは、ただ、単純に逃げまわってはならないのだ。この世界で生活し、戦い、われわれの持っている知識技術で文明を開き、他の人々に、それを広めてゆく責任、義務があるのではないだろうか。

 「私は思う------」しかし、ヘルンケンはその後の言葉を続けるのを中断した。

そうだ、それが正しいのだ。そのように生きることが意に適っているのだ。この先、私たちにさまざまな試練が待ち受けているだろう。だが、その中を私たちは全員の叡知を出し解決し、戦い生き抜き、超えていかねばならないのだと、心の中でヘルンケンは自分に言い聞かせた。

「私は思う。今、私たちが当面している問題は、私たちのこれから将来超えて行かなければならない苦難、試練の一つにしか過ぎない。私はトーマスさんと、これからの村の短期計画、長期計画をたてるため、その一環として不可解な対岸への防衛についてジャクソンさんに諮問した。確かに対岸の国は私たちにとって、今まで不安な存在であったが、このような重大な脅威があるとは誰しも思わなかった。しかし私たちはそれを超えて生きてゆかねばならないと思う。その意味で峻嶮な地、または北方への移住は,その脅威からだけでなく、私たちがこれから直面する苦難に対しての逃避であると私は思う。また移住によって、直ちにモノレール、バス、乗用車などの二十一世紀の、私たちにとって重要なプレゼントを失うだけでなく、私たちの心にも大きな傷を残すでしょう。私たちはまだ村の建設途上にあります。その途上での挫折は他の地に移っても後悔と不信、不安を、最後には憎悪までも呼び、ますます私たちのこの一万数千年前の世界に埋没し、亡んでいってしまうでしょう。私たちはこの地で、私たちの心をどのような試練にも対抗できるよう鍛えねばなりません。私はもう一度言いますが、これは将来起こる多くの困難の一つにしか過ぎないということを知らねばなりません。私たちはこの地に留まり、戦いは好みませんが、もし侵略があるようなら、その一つの困難に立ち向かい戦うのです。確かに彼らの兵員の数は私たちをはるかに超え優勢ですし、私たちの若干の武器だけでは圧倒されてしまうでしょう。しかし私たちには銃やピストル以外の武器があるのです。それは二十一世紀の科学技術です。人類が何千年もの血と汗で築き、結晶となった知識、歴史です。私たちはそれで対抗するのです。私たちには各分野に優れた大勢の人々がいます。私たち全員の知識、技術を合わせれば、絶対彼らに対して十分に対抗でき、さらにこれからさまざまに、私たちの前に立ちふさがる壁も破って行けると私は思うのです。私たちはそれらの知識、手段を二十一世紀より持ってきている。それを私たちはみんなで活用し対抗処置を考えようではありませんか」

 トーマスは首を大きく上下に振り、同意の意思を示した。トーマス自身も、口には出さなかったが、この地より移動することは望んでいなかった。しかし、彼はこの地にこだわるのは、新しい土地に移動するのを好まないという年寄りの性が原因ではないかと思い、口には出さなかった。トーマスはヘルンケンをさらに見直さなければならないと思った。彼はわれわれを悲劇の主人公としてでなく、大きく未来を考え、人類の将来の礎になろうと考えている。彼はわれわれを人類全体の開拓者、創始者としての役割、位置づけをしている。それに比し、この私は最近はどうも目先のことしか考えず、小さな人間になってきたようだ。これからは私だけでなく、村の者全員、彼の考えのように大きい考え方、目的をはっきりつかませないと、われわれの将来の道を誤ってしまうかもしれない。

 ヘルンケンはジャクソンに尋ねた。

「もし私たちがこの地に残ると決定し、彼らと対戦しなければならなくなった場合、私たちには現在、少ない人員と武器しかないが、それでも防衛し、勝利を得よと言ったら、私たちに何があれば、あなたは防衛は可能と認めてくれますか」

 ジャクソンはヘルンケンの意見には不満であった。これから苦難の道を歩まなければならないということは理解するが、当面する防衛について考えた場合に、彼は長年の軍人としての経験から不満をもった。例えば戦略は戦闘の行われる場所、その時刻、これに参加する戦闘力の三要素を考えねばならない。しかし、大戦後の核兵器や、その他の大量殺戮兵器などの新兵器があれば別だが、通常の戦争においては、兵員が重要である。兵員に著しい差があれば、いかに他に有利な要件があっても、それを圧倒してしまうものである。戦術上でも、戦略上でも、兵数の優越は勝利の女神を呼び寄せる第一原則なのだ。

それでも勝たねばならないとしたら、あとは奇襲か詭計しかない。しかし、われわれはそれもできない。やはりわれわれはどこかに移住し戦いを回避するのが、生きのびるための最善の策ではないだろうか。

 ジャクソンはしかしそれを言わず、少し不満の表情を浮かべながら、ゆっくりと考えながら発言した。

「もし核兵器やミサイル、航空機、戦車、大砲は無理としても、せめて機関銃の四、五丁と弾薬が一万発くらいあれば勝てるでしょう。しかし今のわれわれには機関銃無いし、作ることもできない。相手が弓矢を使うから、われわれも弓矢で対抗すればと思うかもしれないが、兵員の数を少しでも補う意味で、それ以上の武器を作らなければならない。やはり最低限、全員にわたる銃が欲しい--------。待てよ--------」

ジャクソンは突然ある考えが湧いてきた。

「火縄式の銃ならば、われわれの今の器材で作れるかもしれない-------。そうだ--------」

ジャクソンは突然大きな声をあげた。

「火薬だ、火薬を作るのだ、火薬さえあれば勝てるかもしれない」

しかしまた、直ぐに沈んだ声になった。

「われわれが火薬や武器を作り完成するまでに、彼らが侵略を開始したらおしまいだ。火薬と火縄銃さえできていれば、われわれは十分に対抗できるかもしれない。だが問題は侵略前までに、それを作らなければならない。しかも彼らはいつ、なんどき侵略してくるか分からない。一ヵ月後、半年後あるいは一年、数年後かもしれない。または最悪の場合、明日か、明後日襲ってくるかもしれない。その場合どうすれば良いのか--------」

 それに対して、ヘルンケンは少し沈黙した後「彼らの侵略の時期は私たちには問題ではない。もしみんなが、この地に残ることを同意してくれたら、直ちに防御方法、作戦をたて、それとともに防御陣地の構築、それに火縄銃や火薬の研究、製造、原料の調達などを開始しなければいけない。来襲時期はもちろん完全に準備体制が完成した後に来てくれれば良いが、それはアジア人がよく言うように、運を天にまかせる他はない。二十一世紀より一万数千年前の世界に来たのも運命なら、それも運命にまかせてみよう。そのうちまた、新たな情報や良い展望が出てくるかもしれない。しかし、ただ単に運命にまかせるわけにはいかない、運命をわれわれに味方させるためには努力が必要だ。直ちに準備態勢を明日から整え始めなければいけない。今から全員召集して委員会を開き、私たちの総力をそれに結集しようではありませんか」と、ジャクソンとトーマスの顔を交互に見ながら言った。

 トーマスはヘルンケンの意見に俄然勇気づき、体中に活気がみなぎってきた。

「私もヘルンケン村長の意見に賛成だ。そこで私にも少しアイディアを出させてほしい。まず、ジャクソン君が一番案じている人員だが、われわれだけで陣地の構築などの防衛作業をするのでは限度がある。それにわれわれの生活水準、文化を少しでも二十一世紀に近づけようという近代化計画にも支障が出てくる。家屋の建築や船の建造、食料の調達、簡易発電所の設置、それに教育、どれをとってもわれわれには重要で、その作業を止めることも、遅らせることもできない。それで私はもっと原住民の人に協力してもらおうと思うのだ。今、造船や家屋建築、窯業部門などで約三十名ほどの原住民の人々に働いてもらっているが、さらに増やし、今の作業計画にあまり影響を与えない方法で、防衛準備を進めてゆこうではないだろうか。そのためにもっと広い範囲の原住民の各部落へ積極的に働きかけて協力を依頼し、合わせて、できたら彼らも戦闘員としての訓練をもする。また非常時には彼らの部落から援軍の派遣をもしてもらうとか、できる限り多くの奥地の部落をも訪ね、われわれと共同の防衛協力体制を結び、お互いに助け合うよう依頼しょうではないか。できたらわれわれの村にも彼らが安心してきて住みつくことができるよう、住居や食糧も確保支給する。働く所があり、食糧も十分あれば、自然にわれわれの村に集まる人々も増え、賑やかになり、将来は徐々に村から町に、町から市へ発展させ、最後にはこの地域の中心的な役割と国家への形成をする。そうすることによって人口も増え、やがて、ジャクソン君が心配する兵員の数の問題も自然に解消するようになるであろう」

 ジャクソンとヘルンケンはトーマスがだんだん政治家の本領を発揮して調子づき、話をどんどん大きくしていくので、口元から笑いがこぼれてきた。トーマスは二人の顔から深刻な表情が消え、微笑しているのを見ながら、さらに話を続けた。

「それからジャクソン君は先ほど航空機と言ったので、チョッと気がついたのだが、われわれは空軍を持とうと思えば持てるのだよ」

そしてトーマスはニヤリと笑い、ジャクソンの顔を見た。ジャクソンは何でわれわれが空軍なんかもてるものかと思ったが、トーマスは時々途方もないようなことを話しみんなを笑わすが、その話を良く考えてみると、まとを外れたものでなく、物事の本質をついていることが多い。それでジャクソンはトーマスがますます得意になって話し続けるよう、驚くような顔をして見せた。

「私のアイディアを馬鹿にしてはいけないよ。その空軍で彼らがもし攻めて来たら空から偵察や攻撃をすれば、相手に大きな脅威を与えるのではないだろうか。われわれはその空軍をつくることができるのだよ」

ヘルケンも半信半疑でトーマスの顔を見た。

「その空軍とは、私には考えもつかないが--------。なんですか、早く焦らさずに教えてください」とヘルンケンはトーマスに期待を持って尋ねた。

ジャクソンは思い当たったのか「それは多分、グライダーではないですか。グライダーはいくらわれわれに航空機の操縦や整備できる者がいるといっても無理ですよ。器材も足りないし、たとえできるとしても手数がかかり過ぎて、短期間ではできないでしょう。さらに重大な欠点は、それを牽引する車がバッテリーや他の部品を発電所計画や造船班などに使われて、もう動かせないことをあなたは知っていますよね」

トーマスは大きな声で笑いながら「残念ですな。それはグライダーではないです。ちょっと違うんだな。グライダーに比べればもっとシンプルでハンディーかつ部品も少なく、現在われわれが持っている物の中から容易に作ることができる」

「--------」ジャクソンはさらに頭をひねった。

「それでも考えつきませんか--------、では教えましょう。それはハング・グライダーです」

ヘルンケンは思わず聞き返した。

「ハング・グライダー--------、あの凧を大きくしたような三角翼のものですか」

トーマスは顎鬚をさすりながら「そう、一人乗りで多少スピードは遅いが、なかなかどうして馬鹿にする代物ではないよ。あのNASA(米航空宇宙局)が宇宙船の回収用に設計したのが始まりで、動力は使わず牽引も必要とせず、空中を自由に滑空し、腕と体の操作で旋回、上昇、下降、人間の思うがままに大空を飛びまわることができ、上手な人は風の状態もあるが十時間くらい飛行できるそうだ。実はこの考えは、食糧調達班にいるミルフォード君が、レクリェーション用に作りたいから、モノレールにある網棚の鉄パイプを使わせてくれないかと、私に相談しに来たのを思い出したんだ。これをレクリェーションにだけでなく、軍事用として新兵器の一つとして利用したら面白いとひらめいたのだが、ジャクソン君どうだろうか、空軍として使えないかな」

ジャクソンは笑いながら、しかし、対岸の兵を戦闘している時、上空からハング・グライダーが音も無く静かに降下して、突然銃を敵に向けて乱射しまくる場面を想像していた。

「大変奇想天外な思いつきだが、意外に現実的な良いアイディアかもしれない。強力な兵器にはならないが、人が自由に空を飛びまわっているのを見れば、対岸の敵だけでなく、原住民も驚いて目を見張り、われわれに良い結果をもたらすかもしれない。しかし、ミルフォード氏は本当にハング・グライダーを作ることができますかね。最初に彼を見たとき,髪はボサボサに長く伸ばし、それに若いのに髭を生やす、昔のヒッピーの姿を見ているようだ。軍人の私から見れば、ああいう変な人間こそ、一年か二年軍隊に入れ、体や精神を鍛え直さなければいけない典型的な人間だと思っていたが、信頼できますかね、それに本当にそんな能力があるのですか」

「いやその点は大丈夫。私が保証する。人間は格好で判断してはいけないな。彼は、この一万数千年前の生活というより自然の中の生活があっているのだろう。生活をとても楽しんでいるよ。食糧調達ということで班の者と良く協力し、魚や貝を採ったり、山へ罠を仕掛けに行ったり、なかなか良く働きますよ。特に弓が上手だ。一週間前に君も聞いていると思うけど、大鹿をたった一本の矢で仕留めたのも彼だ。原住民の人もあれには大変驚いていたよ。彼はハング・グライダーを自分一人で今までに十数機研究と改造をしながら製作し、昨年のハング・グライダーのハワイ大会で九時間の滞空時間記録で、三位に入賞したそうです。ハング・グライダーは風が無いと飛べないが、この地はほど良い風が常時あり、村の西側の丘は邪魔になる木を数本切れば、角度三十度くらいで、飛ぶのにちょうど良い斜面だと言っています。どうです、彼に一機製作させてみたら、あなたはそれでも不安ですか」

「いやいや、それを聞いて安心しました。しかしあなたは空軍と言いましたね。空軍というならば一機だけでなく多数作ってもらわないと、それにミルフォード氏以外にも操縦する人を早く人選訓練しなくては、さらにその訓練はただ、単なる操縦ではなく、飛行しながら武器を使う訓練もしなくてはいけない。それからさらに-------」

「いや、分かった、分かった」トーマスはますますにこやかになりながら、ジャクソンの話をさえぎり「それ以上はミルフォード君に言ってくれよ。私に言っても専門的なことは分からないし、それに直ちに全員を召集して、非常事態の報告をし、討議しなければならないからからね」と言って立ち上がった。

ジャクソンもトーマスが立ち上がったのにつられて立ち上がり、立ったままの状態でヘルンケンに言った。

「最後にお願いがあるのですが、私以外にも行方不明のニコリスら二人を除いて、NATO軍に属する者が数人います。それで彼らとも協力して軍事委員会のような組織を作ってみたいのですが、戦闘状態になった場合、彼らには戦争の指揮をとってもらわなくてはならないし、ともに武器の製造や陣地の構築、戦略などの基本計画、詳細計画を立案してみたいのです。よろしいでしょうか」

「よろしいでしょう。私からも彼らにお願いし、参加してもらいましょう」

トーマスもうなずきながら、室のドアを開けた。









   はるかな故郷


「きょうは大変だったでしょう」

力武美智子はアンドレー・アスターノフに、村から少しはなれた海岸の砂浜に横になり、美しく輝く満天の星を仰ぎながら言った。

「本当に今日は疲れた。この手を見てごらん。如何に働いたかわかるでしょう。竹矢来の柵を作るため、太い竹を八十本くらい切り倒しただろうか。手袋をして作業をしたのだけれども、ほら、こんなに血豆ができ皮がむけ、もう手を握るのも痛くてできないよ」

アンドレーは両手を空に上げ美智子に見せた。

美智子は暗がりなので良く確認できなかったが、手の平が少し腫れているように見えた。そして心配そうにアンドレーを見て言った。

「あなたは明日また探検に行くことになっているのに、そんな疲れた体で大丈夫かしら、今度は相当長期間になるのでしょう、無理をしないでください」

「大丈夫、このくらいの疲れなんか直ぐに回復するでしょう。今度の探検は村で働いていた原住民の人が五人同行してくれるから、私はあまり荷物を持たないですみそうだ。その点大変楽になる」と明るく答えた。

「西行探検隊の二の舞になるようなことはないでしょうね」

「それは安心して良いと思う。私は石器時代の人々はあまり他の部落と交渉は無いと思っていたが、意外に交流範囲が広いのに驚いているのだ。狩猟や採取で生活をしているせいか、だいぶ奥地の、ほかの部落や山々などの自然環境を良く知っている。文字で記録できないから記憶と口伝えで、彼らの二,三世代前が、どこどこの地から獲物が少なくなったのでどこどこの地へ移動したとか、部落の人口が増え、その部落の全員の食を満たすことができなくなり、一部分の家族が他へ移転したとかで、お互いに知り合い、血縁関係がある部落も多くあるらしい。それにあの対岸の恐怖から、ここから奥地へ移動して行った部落もあるとかで、比較的部落間で知人、血縁関係があって、敵対関係とか部落間の闘争状態になるということはあまりないらしい、危険はほとんどないようだ。それに今回は原住民の道案内してもらい、部落から部落へ渡り歩き、寝泊りもその部落でさせてもらい、奥地へ奥地へと調査、重要な資源の発見に努めることになっているのだ。長期間になるので、その間の村への連絡と補給、発見資源の本部への運搬などの役割をもった原住民の連絡係を三人同行するので、私たちの行動や進行状況は村に逐次報告されるでしょう」

 美智子はまだ不安そうにアンドレーを見ていた。そして何かを言いかけようとしたが、それを止めた。

ロシア人のアンドレーと中国人の田は二日前、ヘルンケン、トーマス、ジャクソンそれにハインリッヒ氏の前に呼ばれ、奥地を探検し村の生活、生存に必要な資源、それに火薬の原料などの調査、村への資源の運搬方法などの相談を受けた。

村には岩石鉱物資源に明るい者はアンドレーと田、それにハインリッヒ、金属工学者フランス人のボナードの四人しかいなかった。

その結果、アンドレーと田、助手として和田という日本人が探検隊員に選ばれ、途中から二方面に分かれ資源調査に行き、ハインリッヒとボナード、他の数人の化学者がアンドレーと田が送ってくる資源を実用に供し、村で火薬や鉄,銅その他の必要な生活物資を作ることが出来るか研究することになった。

 しばらくの沈黙の後、美智子は再び明るい調子で声をあげた。

「星が本当にきれいだわ。まるで私たちの方へ覆いかぶさってくるみたい。私、天の川というもの、ここへ来てはじめて見たの。天の川というものは中国からの七夕の伝説を幼いとき絵本などで聞いたり見たりした時、牽牛と織女の星の間に、川のように無数の星が一本だけ光り輝いているものかと思っていたわ。でも、このように大空に星がたくさんあり、美しい天の川がいくつもあるとは知らなかった。-------。いつまでも見ていても見飽きないです」

「本当に美しい。まるで体ごと吸い込まれそうになる気がするよ。私はこのような美しい星空を以前一度見たことがあります。カフカスのエルブールズ山を登った時、ふもとの山小屋から見た夜空も、この美しい星空と同じようだった気がする。あの時の,登頂後、疲労と空腹に耐えながら三日ぶりに小屋に戻り、食事をした後、小屋の外から夜空を仰ぎ見たときの感激はいつまでも忘れない。あの時まず感じたことは、空気がおいしかったことだった。空気に味があるということはあの時初めて知った。甘くさわやかな味に私は何十回と、あくことなく空気を吸うというより、食べると言った表現が正しいほど、深呼吸しながら夜遅くまで小屋の外で、隊のみんなと、いつまでも星空を見上げていたことがありました。あなたは、ここの空気も、おいしいと思いませんか。エルブールズ山の時は、標高が高く空気の薄いところから濃い空気の麓へ降りたため、そのように感じるのだとみんなは言っていたが、私にはその理由だけではないと思ったが。ここの空気は、なにしろ非常においしい。深呼吸をしているとそのエルブールズ山の思い出が懐かしくよみがえってくる」

美智子もうなずき言った。

「そう言われればそのような気がします。きっと緑が多いのと海岸のオゾンなどの自然環境が、空気を浄化して美味しくしてくれるのではないのかしら。この時代には公害とかの環境汚染の問題は存在しないでしょう-------」

「ハハハハ-------」とアンドレーは笑ったが、公害と聞いて、直ぐにあることを思い出し、まじめな表情になり言った。

「われわれ探検隊が明日出発した後、夕刻から定例の村の委員会が開かれますが、その時にまたハインリッヒさんからある重要な発表があるはずです。ミッチ-、あなたは、この地は地球上のどこだと思いますか」

「-------、そうするとハインリッヒさんは、私たちが現在地球上のどの地点にいるか判明したと言うのですか」

「そう、それがはっきりと判明したため、われわれの生存に必要な石炭、石油、硫黄、金銀銅鉄、マンガン、天然ガスなどの資源がどの場所にあるのか、われわれ探検隊が、どの地点、場所を重点的に調査すればよいのか決めることができたのです」

「それで私たちは地球上のどこにいるのです。ここは一体どこなのですか」

美智子は上体を起こし、真剣な表情でアンドレーの顔を見た。アンドレーはしばらく沈黙し美智子を見ていたが、そうっと視線を空にむけ言った。

「日本だったのです。しかも東京です。ここは一万二,三千年前の東京なのです」

「東京-------」

「そう。そしてわれわれがいる場所は、東京の羽田空港付近と判断したほうが妥当ではないだろうかといっている。つまりわれわれはあの異変で、一万二,三千年前の羽田空港の付近に時間と空間を越えて連れてこられたことになる」

東京-------、本当にここは東京なの-------。私には信じられないわ。こんな大きな砂浜もあるし、それに海、これが東京湾ならもっと大きいはずです。それに羽田付近は確か昔は海だったと聞いています。羽田空港も海を埋め立てて作ったのでから-------、ここが羽田空港だなんて-------」

「あなたもハインリッヒさんから聞いたことがあるでしょう。われわれがいる一万二,三千年前の世界は、六、七万年間続いているヴェルム氷河期の末期か、それともやっと後期になった直後ぐらいの時代だということを。ということは、この地球の高緯度地域は氷河に覆われており、その氷河の量だけ水が海から奪われ、海面がその分低くなっている。だから氷河期が終り氷がとければ、われわれが今いるこの羽田の地も海面下になる。しかし、その変化も急激に海が浸水してくるのではなく、徐々に静かに、ゆっくりと、十年、二十年という単位でなく何百年という単位で変化し、われわれが二十一世紀に住んでいたような海面になったのは五、六千年前だったそうです」

「でも羽田の近くには三、四キロメートル離れた大森や大井という地名の辺りまでいかないと、村の周囲にあるような大きな山や丘はなかったはずです。羽田にあのような大きな山があれば、たとえ氷河がとけ海面が上がっても島として残ったのではないでしょうか。でも私は昔、羽田に島があったということは聞いていません。それに東にある北から流れてくる大きな川、深い谷、東京にはあのような美しい渓谷を持った川はありません。東京に長年住んでいた私には、ハインリッヒさんの説を、にわかに信じることはできませんが、本当なのでしょうか-------」

「ミッチ-、あなたは一万二、三千年の時間の変化、自然の力を過少に評価しているのではないかな。海面が上昇すれば当然海の浸食がある。陸地や海底の隆起、沈降もあるし、また日本は環太平洋地震帯に属し、地震が多い国という。少なくとも百年に一度くらいの確率で大きな地震が東京の周辺で起きていると私は聞いている。その地震が東京の地質や地形に相当の影響を与えていることも考えられる。いろいろな自然変異の、ゆっくりとした変化と急激な地殻変動が一万二、三千年という年代を経れば、あなたが住んでいた東京の姿と全く異なっていても不思議ではないのです」

 美智子はうつむき、膝もとにあった名も知れぬピンク色の貝殻を見た。目には涙を浮かべていた。

「何かはっきりとした、東京の地だという証明するものがあったのですか」と小さい声でアンドレーに聞いた。

 アンドレーにも美智子の悲しみ、彼女がなぜ東京ということを否定したがるのか、分かるような気がした。この私も、もし一万二、三千年前のモスクワを見たらどう感じ、どう行動するだろうか。ただ茫洋として歩きまわるのだけではないだろうか。しかし、これも現実なのだ。早く彼女もこの現実を悟らなくてはいけない。

アンドレーはゆっくりと腕を伸ばし美智子の手を、アンドレーの血豆と皮がすりむけた手で握った。

「私は東京の地形は全く知らないが、ハインリッヒさんが太陽と月、他の星の位置を観測して緯度や経度を計算した結果、ほぼ東京だと分かった。そしてその計算結果が正しいのかどうか調べるため、東京に住み、付近の山々も登った経験があり、地形に詳しい日本人のミスター、キタムラとウエハラの二人の協力を得て、何日も歩きまわり、地形や地勢を調べた結果、やはり、ここは東京に違いないと結論づけた。われわれがいるこの辺りは丘陵のような山が多いけれども、少し東北へいくと低地になる。そこにあなたが先ほど言った大きな川が流れている。彼らはこの川はトネ・リバーだろうといっている。さらに今は夜だから見えないけれど、小さな島々の沖にあり比較的高い山がある対岸を思い出してごらん。あれは方向からボウソウ・ペニィシュラー(房総半島)だと言っている。今は私たちがいる湾は小さいけれども、海面が上昇すれば大体東京湾に近い形になるのではないかと、現在の海岸線からも想像できるといっている。さらに遠くに見える周囲の高い山々から判断すると、東京の近郊にある山々と位置的に一致するそうです。彼らの知っている山の姿と多少異なっているそうですが、山の大きさ、位置から推測していくと、ここから西の川の対岸側に良く見える山々はタンザワ、さらにその北側の奥に見えるのがオクタマの山々。ここからは見えないが東にある低地からは北東の方向に二つの瘤のある山が見えます。彼らは確かマウント・ツクバと言っていました。われわれには百パーセント確実に直ちに証明するものはないが、ほぼ、ここは東京だと断定しても誤りは無いのではないかと、彼らは言っていました」

 美智子は今までこらえ、そして耐えて胸の奥にたまっていたものが一度に堰を切ったように、「ワーッ」と大きな声をあげ、アンドレーの胸に顔をつけ、すがりつき泣いた。

アンドレーはどう美智子を慰めれば良いのか分からなかった。ただ強く美智子を抱きしめ激情が納まるのを待った。

アンドレーの胸に顔をうずめ美智子は泣き続けた。

しばらくすると、恥じらいと感情が少しおさまってきたせいか、アンドレーに泣きじゃくりながら自己の胸のうちを語りはじめた。

「ごめんなさい、とりみだして-------。久しく東京という言葉を忘れていたのに、ここが一万二、三千年前の愛着ある東京だと言われ、急に耐え切れなくなったのです。今、ただ、本当に蜃気楼のように心の中にボーッと浮かんでいる、あの賑やかな東京の姿を再び見たい。一瞬でも良いから再びあの住み慣れた車と人で混雑する東京を見せてほしい。そして叫びたい-------。美智子はここにいると-------。ここの砂の一粒一粒、岩や石の一個一個にも私は触れておきたい-------。そうすれば一万二、三千年後の私たちが来た世界の誰かが、私の知っている人が、もしかすると私の母や父が、私の触れた砂や石にさわってくれるかもしれない-------。あなたには私が子供じみていると思うかもしれない。けれど私にはなんでも良いから一万二,三千年後の東京と絆がほしい。ああ東京よ-------、おかあさん-------、おとうさん-------」

そう言うと美智子は再び激しく泣き出した。

 アンドレーはますます美智子を、いとおしくなり、抱きしめながら、右手を美智子の黒いふさふさとした髪の毛を上から、そおっと抱きしめ頬をあてた。

「私にもあなたの苦衷はわかりすぎるほどわかる。しかし、私たちにはこれはどうすることもできない。運命としてあきらめるか、それとも今はもう楽しい思い出として記憶しておくほかはない。今、それよりも私たちに重要なことは、二十一世紀の世界が過去で私たちが今いるこの時代、一万二,三千年前の世界が現在と思わなくてはいけない。そして現在を一生懸命生き抜いてゆくことを考えなくてはいけない。私たちに過去を忘れろと言っても無理だが、しかし、絶望しては、過去を背負い将来へ、将来の人間たちへ果たさなければならないわれわれの役割、責任、義務の放棄になる-------。一週間ほど前、みんなで仕事の合間に、未来について話していた時、ヘルンケンさんが、ふとわれわれに、あくまで私の仮定だがと言って話してくれた言葉を私は時々思い出します。ヘルンケンさんは、もしかすると私たちが、私たちの子孫が、エジプト、エーゲ海、ギリシャ、メソポタミア、中国、インド、さらに中南米などの文明を築いていくか、または何らかの重要なかかわりを担っていくようになるではないだろうかと、しみじみとした表情で語っていたが、もしそれが事実になるとしたら、未来の全世界の運命は、われわれ百五名の活動にかかっていることになるのだよ」

「そうすると私たちは人類の歴史の礎石なのね」と美智子はか細い声で言った。

「そう礎石、文明の先遣隊なのだ」とアンドレーは言いながら、本当に礎石になるかどうかは、ヘルンケン氏の言うとおり、私たち百五名のこれからの働き次第だと思った。

 アンドレーはそうっと美智子の顔をあげ、涙で頬がぬれている顔、目を見た。

見ているうちアンドレーはいいしれぬ暖かい感情が湧き上がってくるのを感じた。そして

「こんどの探検から帰ったら結婚しょう」と言うなり、いきなり美智子を強く抱きしめ唇を合わせた。








   長耳族の国家


三列縦隊の歩兵が足を大きく上げながら早足で行進して来た。キラキラと光り輝くサーベルのような、抜き放された細身の剣を右胸の前に掲げ、左手は丸い盾を持ち、背中にはあの中世のクロスボーの弓と矢をつるし、全員大声で叫びながら歩調をそろえ、およそ六百人いるだろうか、最後部の五十人くらいは剣の替りに槍を持っていた。

その歩兵の後に騎兵隊が二列縦隊で続いた。全員大きな真っ赤な美しい盾を持ち、紫色の皮製の帷子(かたびら)や甲冑をつけ、やはり歩兵と同じように右胸前で剣を構えていた。やがてその後に、槍の上部に紫色の小さな旗のようなものをたなびかせた騎兵の一団が続いた。騎兵隊は前方を行く歩兵の歩調に合わせ、ゆっくりと行進をして来た。

松延は騎兵の列を五十まで数えたが、あまりにも続いて来るので数えるのを止めた。聖とニコリスは騎兵の数、約千と推測した。

聖たち五人はその日、初めて城外へ出された。ちょうど聖が王宮へ連行されてから四日たっていた。前日の夜、サロモンが明日は戸外へ出て、よい空気を吸いながら、気分転換でもしてくださいと、サロモン自身は来なかったが、十人の完全武装した衛兵をつけ王宮外へ出ることを許した。聖たちは二時間ほど馬に乗せられ、一時どこに連れて行かれるか危ぶんだが、広々とした草原に着き、この軍隊に演習を見せられることになった。演習場には数万人の群集が集まり、その行進を誇らしげに見ていた。

聖はふと百メートルほど離れた中央の壇上で観兵している煌びやかに着飾った二十数人の中にあの男、聖を連行した、あの男がいるのに気がついた。あの壇上にいるということは、やはり彼は高い地位にいると聖は思わざるを得なかった。その男の後ろには少し高く壇があり小さな天幕が設営してあった。多分この国の統治者皇帝がいるものと思われる。しかし外部から内側をのぞくことはできなかった。

ジミー・スタインが突然「あれはなんだ」と叫んだ。その声で聖たちは皆、騎兵隊の後方を六頭の馬に引かれてゆく、今までに見たことのない大型の武器に注目した。それは全部で四台あった。ニコリスはしばらくそれを詳しく観察していたが「多分、あれはカタパルト(弩弓) ではないか」と言った。

聖はカタパルトの意味がわからなかったのでニコリスに聞き返した。

「カタパルト、カタパルトとはなんですか」

「私も本物は今まで見たことがないが、絵や本で見たものにたいへん似ている。主として城攻めの武器として使用し、大きな石や投げ槍を発射し、木、レンガ、石でできた城や砦を崩すのだ」

「どのくらいの威力があるのですか」

「どのくらいの破壊力があるのか分からんが、十字軍の戦いなど、中世のヨーロッパ、イスラムなどで大砲が出てくるまで戦で良く使われたようだ。でも外見から判断すると、比較的小さいので射程距離は、せいぜい飛んでも、百メートルから二、三百メートルぐらいではないだろうか」

歩兵と騎兵の行進が終ると、突然、中央の壇上の脇より静かに鳴らしていた数十個の太鼓の音が急に大きく鳴りわたり辺りを圧倒した。

すると整列している歩兵隊と騎兵隊から数人、数十人と次々と太鼓が大きく鳴り渡るたびに入れ替わり立ち代り壇上の前に出て、剣舞、弓の試技、騎兵の曲乗り、馬上から人間の形をしたダミーへの弓や槍、剣での技を見せ始めた。

それを見て群集は、技がうまく決まるたびに声を上げ、手をたたき褒め称えた。

三十分ほどそれが続いた後、また突然、数十個の太鼓が前と異なったリズムで大きく鳴り渡った。すると今度は縦列の歩兵、騎兵がめまぐるしく動いたかと思うと、長い二列の横列になった。各列の中央部に歩兵が、右翼には槍を持った騎兵の集団、左翼は剣の騎兵集団が占めていた。

整列ができると太鼓が今度は静かに哀調を帯びて響いてきた。すると演習場の右隅より二百五十人から三百人くらいの毛皮の服、麻の服、半裸体など、さまざまな服装をした集団が、数十人の乗馬した兵に逃げ出されないように周囲を囲まれながら、のろのろと出てきた。彼らはほとんど全員、顔や体の部分部分に入れ墨をしており、耳は長くなく、明らかに長耳族と人種を異にしていた。全員おどおどと哀しそうな顔をして歩き、前を見ず左側に整列している兵隊や、右側のはるか彼方にある赤い旗を見ながら絶望的な表情を浮かべていた。力なく前の人の足を踏んだり、つまずいたりして倒れる者も多く、そうすると周りを囲んでいた馬に乗った兵士が、あたりかまわず頭や体にムチを打ち、立ち上がらせ前へ進ませた。そして二列に整列した歩兵、騎兵の二百メートルくらい前方に連れて行くと囲んでいた馬上の兵士は左右にサッと散った。

 取り囲んだ兵がいなくなると、その集団は、左側の二列に並んでいる長耳族の兵から反対側の約千メートル先に赤い旗が二本並んでいる場所へ、われ先にと必死になって走って行った。

同時に太鼓が今までのどれよりも激しく強く鳴り渡った。整列していた歩兵、騎兵は、どうっと、ときの声をあげ最初の一列が、続いて少し間をおいて次の一列が、怒涛のように前方に逃げていく無防備の集団へ向かっておしよせた。

 目も当てられない悲惨な殺戮が始まった。槍と剣で逃げまわる無抵抗の人間の後ろから、頭や顔、首,肩、背中など、体中を突き、切りつけ、または馬の蹄でけちちらし、あっという間に付近は血に染まった。一列目の兵隊が去ったとき、まだ命のあった少数の者も続いて来た二列目の兵団に完全にとどめを刺された。

 二列目の兵団が去り、空中に舞う埃が消えたとき、そこには累々と無数の死体が、旗のはるか手前まで続き、赤い旗のところまで達した者は一人もいなかった。

 群集たちは手を上げ大声を出し、まるで何かのゲームを見ているかのように喜び声援していたが、聖たち五人は全く正反対の表情で、息を飲み蒼白になっていた。

ジミー・スタインはふるえる声で「あの旗まで逃げきれば命を助けるというのか-------、まるで人間狩りだ-------」と言いながら怒りで肩を震わせ、両手の拳を強く握り締めていた。

中尾、松延も「ひどい、ひどい-------、虐殺だ。同じ人間同士が、ここまでやるなんて絶対許されない-------」と涙を流しながら遠くに、ひらめく赤い旗を見続けていた。


ここへ来る時たきは冗談を言い合っていた五人も、帰途はみな終始無言であった。

王宮の自分たちの室に戻ってから、やっと少し生きた心地がしてきたのか、お互いに今日見聞した惨劇について少しずつ話し合いが始まった。ローマの皇帝ネロが行ったキリスト教徒への虐殺、コロシアムで大勢の見物人の前で飢えたライオンにキリスト教徒を襲わせた事例をあげ、それに劣らない大虐殺だと非難したが、ニコリスが「純軍事面から言うと」と言った言葉は、ますますみんなを不安と沈黙におとらせた。

それは「この国の軍隊は歩兵、騎兵共に非常に良く訓練されている。武器も近代兵器にはもちろん及びもつかないが、この時代のどれよりも優れているし、はるかに超えている。十四世紀くらいまでの、どの国の軍隊にも十分に対抗できるであろう。したがって私が恐れるのは、もし今この軍隊がわれわれの村を襲ったら、ひとたまりもなく全員殺されるか捕虜になってしまうだろう」と言った言葉である。

「誰か、ここから一刻も早く抜け出し、村に戻り、見たこと聞いたことを伝えることができたらよいのだが。なんとか早くみんなを避難させなくてはいけない」と中尾はつぶやくように言った。

 しかし、それは誰しもが不可能と分かっていた。この王宮の厳重な警備体制、それにたとえこの王宮から抜け出ても村にたどり着くことはさらに難事であるし、すぐに再び捕らわれてしまうであろう。

「サロモン氏に聞いてみたらどうだろうか。サロモン氏は時々、軍やこの国の宗教に対して批判的な言葉を言うことがある。意外に何かを話してくれるかもしれない。あの軍隊が、果たして,ただの演習をしただけなのか、これから軍をどこかに派遣する予定があるのか、それにできたらこの国の兵力はどのくらいあるのかも、われわれの将来のためにも知りたいな」とジミー・スタインはニコリスに、ささやくように言った。

 その時ドアが軽くノックされ、サロモンが一人で少し顔を紅潮させ入ってきた。

五人は、いつもは笑顔で入ってくるサロモンが、少し表情が違うのに気がつき、緊張してサロモンを見た。

サロモンは聖の座っている椅子に近づくと、さらに顔を紅潮させながら聖の両手をとった。そして「ありがとう、ありがとう、聖さん、ありがとう」と少し涙声で言った。

 他の四人は理由がわからず唖然としていたが、聖はもっと驚いていた。

やっと少しかすれた声で、聖はサロモンに言った。

「どういうことなのでしょうか、私はあなたに感謝されるようなことをした覚えはありませんが-------」

その言葉で、サロモンは、やっと気がついたように「そうだった。あなたは知らなかったのだ」と言った。

「ミスター・ヒジリ、あなたは私の大事な,たった一人の孫娘を助けてくれたのです」

聖はハッとして気がつき、思わず少し大きな声で「パティア-------、パティアさんですか」

と叫んだ。

「そうです。パティアです。少し前にパティアが帰ってきて、熊に襲われたことや、あなたに助けられたことなど、一部始終話してくれました。パティアはあなたに、たいへん感謝していました。ありがとう。大変ありがとう。パティアも数日後、落ち着いたら、あなたにお礼を言いに来たいと言っていますが、私からも心から本当に感謝したい」

 聖は他の4人には、ただ、山で捕まったということしか話していなかった。ニコリスは理由がわからず「どういうことなんだ」と聖に尋ねた。

そこで聖は初めてみんなに、触れていなかった山での出来事を話して聞かせた。

 サロモンは聖の話にひき続いて「私が行くのを反対したのに、パティアは物珍しさから知人と鹿狩りに行ってあのようなことになった。でも助かって良かった。私はあの娘の両親が事故で死んでから親代わりになり、かわいがってきた。私に残った、たった一人の身内なのですから」

聖は、別れてからパティアさんが、どうなったか、知りたく思い続けていたので顔を自然にほころばせながらサロモンに言った。

「サロモンさんの孫娘さんとは想像もつかなかった。でも良かった。それを聞いて私には、あの娘さんはその後どうなったか気がかりだったのです。何事もなく戻れたなら大変よかった。本当に安心しました。残念なのは熊と闘って亡くなった人です。もう少し騒いで熊の注意を私に向ければ助けることができたかもしれないと、いまだ時々、他に手段方法はなかったのかと考えたりするのですが、しかしながら彼は大変勇敢な男だった。あの大きな熊に、ひるまず正面から相対していたのですから」と聖は言った。

「彼はパティアの婚約者だったのです。私の国ではほとんど大多数の人々は、子供の時に親が婚約者を決めることになっています。亡くなった婚約者はパティアの両親が、彼の両親に懇願されて決めたのですが、近衛兵の勇敢な士官だった」

 聖はパティアがこの王宮か、それとも近くにいると知り、胸が少し高鳴ってきたが、ふとある男が気になりサロモンに尋ねた。

「私は今日の軍の演習で私が山で捕まった時見た男が、壇上にいるのに気がつきました。彼は軍の中でも相当の地位にあると思われますが、あの人は、あなたか、それとも亡くなった婚約者の何か関連ある人なのですか」

「そう、彼の名はアビランといって、婚約者の叔父に当たる男です。軍の中で二番目の地位にいますが、実質的には軍の最高責任者です」

「聖さんには、私はいつか、何らかの形で、お礼をしなくてはなりません。聖さん、ありがとう。大変ありがとう」とサロモンは聖の手をとり、もう一度頭を下げた。


「ところでみなさん、今日の軍の演習はどうでしたか。みなさんはどのような感じを受けましたか」サロモンはジミーの横に空いた椅子に座りながら言った。もういつもの穏やかな表情に変わっていた。

そういわれて五人はお互いに顔を見合わせた。

ジミーが最初に隣に座っているサロモンに発言した。

「率直に言うと、あれは軍隊の演習ではない。殺人だ。大量虐殺だ。殺された人々は多分あなた達と人種服装が異なるから、全員近隣か占領支配地区から捕られた捕虜ではないかと思うが、罪のない無抵抗の人間を狐狩りか鹿狩りのように追いまわし殺すなんて、われわれには、とうてい思いもつかないやり方だ。あなたたちはこれだけの偉大な文明をもっていながら、行動は野蛮人と全く変わりないではないか」と痛烈に非難した。

しかし、それに対しサロモンは怒るどころか逆に、にこやかに聞いていた。そしてニコリスに意見を求めるかのように目を向けた。

ニコリスは少し沈黙していたが、サロモンに鋭い目を向け「あなたは気分転換にと言って、われわれを王宮外に出させ、あの残酷な軍隊の演習を見させた。しかし、私には何か、それ以外にあなたは重要な意図があったのではないかと思うのですが-------」サロモンの胸の内を探るように言った。

サロモンはさらに、にこやかに、それに同意するかのようにうなずいた。

「さすがにニコリスさんは鋭い見方をする。それで私は安心して、あなた達を皇帝陛下に謁見させることができる」

「皇帝陛下に謁見-------」とジミーは声をあげた。

「そうです。あなた達は明日、私たちの国の皇帝陛下と会うことになるでしょう。それについて私は一つの危惧があったのです。それは私の国の内情と、あなた達の立場を良く理解して謁見してもらいたいからです。その一つとして、たまたま軍の演習があったので見てもらったのです」

ここまで言うとサロモンの顔は深刻な表情に変わった。

「私には私たちの帝国は今、没落期にさしかかっているのではないかと思っています。どんなに繁栄した文明、国家も、いつか衰退するか滅びる時が来る。人間で例えれば幼年期、青年期、中年期と過ぎ、いつか老年期になり、死期に近づく。私たちの民族が創始者アルゼノンに引き入れられ、大洪水から逃れ、南から、はるばるこの地に渡ってきた時は、たった千五百人しかいなかった。それが一千年に渡る多くの人間の血と汗、努力により、このような偉大な文明を築きあげることができた。それが今、この帝国のあらゆるところに矛盾が出てきている。あの建国当時の、自己を犠牲にしてまでも立派な国を造ろう、お互いに協力し知恵を出し合って危機に当たろうという、本来の人間の美しい姿はもうこの国には見当たらない。腐敗と堕落、暴力と猜疑心が、この帝国の人間の心に宿り、大きく人々の上に覆い被さっている。この国を現実に支配しているのは、今日あなた達が見た軍と、この窓からも眺めることができる、あの神殿にいる僧侶達なのです」

サロモンが、ここでため息をして一息入れたのを見て聖は尋ねた。

「あなたは明日われわれを皇帝陛下に会見させるといいましたが、軍、僧侶が本当の支配者で皇帝陛下は、今はもう名目上の支配者にすぎないと言うことですか」

「そうです。実質上の権限は軍と僧侶が握っています。皇帝は長年の世襲による地位相続のために、徐々に名目上の権限のない昔からの儀式を行い、形式的に承認する役割しかありません。過去に何回かのすぐれた皇帝が誕生して多少の揺り戻しもありましたが、現在はほとんど何も権限がないのです。残念ながら国政は国民の利益、道理ではかるのでなく、ただ、軍、僧侶の私利、私欲、組織に有利、不利によってはかられ、自分達一族の栄達のみに汲々としています。私は軍と僧侶の力は拮抗しているが、いつか両者の間で主導権争い、権力闘争が始まるのではないかと恐れています。現在の皇帝陛下は、まだお年がお若いので、私は補佐役に就任いらい長年、軍と僧侶を仲たがいさせないよう、なんとか協力して国政にあたらせようと試みてきました。しかし、私の能力の限界と、軍と僧侶たちは増長で、最近、国政はますます混乱し、もう私の手には、おえないところまでにきています」

しかし、二コリスには理解できなかった。

「私には、この国の内部的なことは分かりませんが、この王宮を含め、建造物や、賑やかな街、それに生活をしている人々を見ると、滅びるとか、衰退期にあるとかいうことは、とても信じられません。あなた達の文明はわれわれが知っている歴史上のどの文明にも劣らない、いや、どれよりも優っているように思える。ましてこの文明が、われわれがいた時代よりさかのぼること一万二,三千年前であるということは、われわれには驚異として映ります。私はいまだに時々、夢の中にいるのではないかと自分を疑うことがあります」とニコリスはサロモンに言った。

「あなた達の目には、そう映るかもしれない。しかし、花は散る前に一番絢爛と咲きほこる。私たちの文明も、ちょうど高い山の頂にたどりつき、あとは下りるしかない状態に立ち至ったのではないか。わたしは決して悲観的に私の国を見ているのではないが、そのように思わざるを得ないのです。経済の面から見ても、はじめは鉱山や石切り場、その運搬だけに使っていた奴隷を、一部の人たちは近年農業や工業の部門にも、どんどん使用してきた。そのために多くの奴隷を抱えた者はそれだけ豊かになり、貧富の差が拡がりだし、個人所有の農地はどんどん、その一部の豊かな人間に吸収され、農民が大土地所有者に隷属化され始めている。持てるものはますます富み,貧しき者は、ますます奪われ、中には農業を捨て、都市へ流れてくる者もいて、最近ますますそれが激しくなってきた。その都市では、その賑わい栄えている裏で、道徳は失われ腐敗し、普通の人は夜、外出できない最悪の治安状態になってしまった。人々の政治的関心も薄らぎ、今日あなた達がご覧になったような軍や僧侶などが行うショウなどの一時の娯楽や賭け事に一喜一憂し、人々は怠惰な生活に堕落し始めている。恥ずかしいことであるが、それが私たちの国の状態なのです。そこであなた達に皇帝陛下に謁見する前に忠告しておきたいのは、このような国の内部情勢のもとにあなた達が出現したことは、あなた達に非常な危険が及ぼされる恐れがあるということです」

ニコリスは分かったというようにうなずいた。しかし、なぜサロモン氏は、われわれの味方をするような発言するのであろうかと疑問をもった。

サロモンはニコリスがうなずいたのを見たが、他の四人はまだ理解していないようだと思った。

「あなた達が来た地域を今、私たちの軍が攻めたらどうなりますか。おそらくひとたまりもなく一瞬にして全員、殺されるか捕虜になるでしょう。私はそうさせたくないのです。だから明日おこなわれる皇帝陛下の謁見の場では言葉に注意していただきたいのです。私も通訳としてうまく将軍や僧侶たちに話し、彼らに大きな興味を起こさせ、調査をしてみようというような考えを、持たせないように話しますが、あなた達も十分に言動に注意していただきたい。私は今まで、あなた達は遠い西の国から船が難破して、この地にたどり着き、人数も十人くらいしかいないと陛下や軍、僧侶達に報告してありますので、その点も考慮して会見してもらいたいのです」

 聖もサロモンの忠告の意味が分かってきたような気がしてきた。確かに軍や僧侶の勢力争いに利用されたり、国の混乱期には人々の目を国内でなく、国外や他にそらさせるため、時にはあえて戦争さえ起こすこともある。サロモンは、そのような意味で忠告しているのではないかと思った。







   皇帝との会見


 翌日の会見は理由も知らされず延期された。二日後の昼過ぎ、ニコリスら五人はいくつもの大きな部屋や廊下を通り、階段を何回も上り下りして、大きな黄金色に輝く扉の前に案内された。聖は王宮の大きさもあるが、われわれの眼を眩ますために故意に、このように歩きまわらせたのではないかと疑念を持ったが、階段の上り下りから判断して、ここは王宮の最上階ではないだろうかと推測した。

 その大きな黄金の扉を衛兵が四人がかりで開けると、中から非常に明るい光が五人をおおった。暗い城内からいきなり明るい光がさしてきたので、聖たち五人は目をしばたきながら、しばらく中に何があるのか分からなかった。

少しずつ目が慣れてくるにつれて、そこは大きな広間になっており、大勢の人たちが聖ら五人の方を向いているのに気がついた。光がさしてきた上のほうを見ると、広間の天井は、ところどころ大きな丸い穴があけられ、そこから太陽の光が直接この広間に射すようになっていた。中央には赤いふさふさした絨毯が敷かれ、左右に五十人くらいの人々が立っていた。中央の絨毯の通路が四十メートル続いた前方に五段の壇があり、そこに座っているのが皇帝だと思われた。その後ろの壁には大きな焔をあげている太陽が描かれており。しかも何か特別な工夫がされているらしく、赤く燃えさかるように輝いていた。この長耳族の国は太陽に宗教的、または特別な感情があるようだ。

皇帝は五角形、見方によっては三角形のように見える大きな王冠をかぶっていた。その王冠は上から太陽の光と後壁の赤い光をあびて黄金色と青、赤と怪しく輝いていた。

十代かそれとも二十二,三歳くらいの若い皇帝は入ってきた五人を真っ直ぐ興味を持って凝視していた。聖ら五人は、この皇帝は何か病気を持っているか、それとも病み上がりではないかと思った。それは若い皇帝が痩せ細り、顔は青白く、太陽の光でまるで皮膚が透き通って見えるようであった。しかし、目に大変特徴があり、人々をひきつけるような憂いに満ち、高貴な表情をしていた。

聖ら五人は前もってサロモンに教えられたとおり、ニコリスを先頭に体が沈み込むような感覚がするふさふさとした赤い絨毯を踏みしめて中ほどまで進み、膝まずき、まず前方の皇帝に、そして左右の人々に敬意を表した。続いてニコリスのみ立ち上がり、五人を代表して謝辞を述べた。


「偉大なる国、偉大なる皇帝陛下、私たちは今までこのような美しい国、繁栄している国、広大なる国を見たことはありません。壮大なる建造物、豊かな物資、すぐれた国民、勇敢なる兵士、どれをとっても私たちには驚異で、目新しく今まで見たことも経験したこともありません。私たちはこの国に来てみて、もし地上に楽園が、天国があるならば、まさにここが楽園その天国であると感ぜざるをえません。私たち五人はこの偉大なる国に無断で侵入したため捕らわれましたが、私たちが侵入したのは決して貴国に危害を加えるためとか、特別の悪意ある意図を持って来たのではありません。私たちは漁師で、海で難破し一ヶ月あまりの漂流の後、やっと陸地を見つけ、この地にたどり着くことができました。そして食糧を求めたり、この地は一体どんな所なのか、島なのか大陸なのかなどを調べるために、あちらこちらさまよっているときに、たまたま貴国に侵入したこととなり捕らわれたのです。しかし処罰されることなく、かえって皇帝陛下をはじめ、みなみなさまのご好意とご慈悲により丁重なる待遇と保護に、私たちは非常に感謝しております。しかしながら私たちは一人を除き、みな結婚をして家族があり、われわれの帰国を待っていると思います。一刻も早く貴国のご協力と援助により、船を作り帰国できますよう、ご配慮お願いいたします。もし無事に帰国できましたならば、この国の偉大さ、素晴らしさを私たちの国中に伝え、また私たちは天国を見てきたと自慢したいと思います」

ニコリスが話し終わると、皇帝がいる壇の左側中ほどにいるサロモンによって通訳された。サロモンの声はニコリスたちを驚かすほどの大きな張りのある声で、皇帝とこの広間にいる人々に伝わっていった。ニコリスの、へつらいと誇張した話は意外に効果があり、好感を与えたようであった。ニコリスが入ってきた時、険しい警戒した顔で見ていた人々の表情も、ニコリスの話で和らいできたようであった。しかしその後に、続々と質問がサロモンを通してなされてきた。中でも両側にいる人々の先頭にいる二人の者、一目で彼ら二人は他の人々の中でも、高い地位にいる者と思われたが、その二人が厳しい質問をニコリスに浴びせかけてきた。

ニコリスは質問に答えながら、サロモンが軍と僧侶がこの国の主導権を握っていると言ったが、服装から左側の人々が軍、右側にいる人々が僧侶たちだと判断できた。

「お前たちの国の文明はどの程度か、国の政治組織はどうなっているのか、人口はどのくらいいるのか」

「漂流してきたお前たちはあと何人くらいいるのか」

「お前たちの容貌はなぜそんなに異なっているのか、赤い顔、黄色い顔、黒い髪、金色の髪、褐色の髪、同一の国から来たというのに、そのように著しく人種が異なっているのはどういうことなのか」

「お前たちの国はどんな神を信じているのか」

質問はどんどん続いたが、ニコリスは落ち着きはらい、ひとつひとつ丁寧に答えていった。しかし、次の質問にはニコリスがどのように答えるのか、聖は緊張して耳をそばだてた。その質問は聖を捕らえたアビランからなされた。彼は人々の後ろからあのM16ライフル銃と、腕時計二個を持ちながら、正面までゆっくり進むと、皇帝や左右の人々にそれを高く掲げ見せながら、自身ありげにニコリスらに挑みかかるようにして質問してきた。

「彼らはわれわれの国を地上の楽園だとか、偉大な国だとか、文明が進んだ、優れた国だとかいって称えているが、みんなそんな言葉に騙され、惑わされてはいけない。私は彼らは意外にわれわれの国以上の文明、技術水準を持っている国から来たのではないかと思う。その証拠にすでに聞いたりして、知っている者もいると思うが、これを見てほしい。これらの物は彼らを捕まえたときに携帯していた物の一部だが、このキラキラと光る腕輪のような物と、この鉄の棒のような物を。これがはたして文明の遅れた国で作れるだろうか。これがわれわれの知っているわが国の周辺の野蛮人たちに作れるだろうか。わが国の技術者など専門家はこれを今も研究しているが、残念ながら現在のわれわれの技術ではこれを完全に解明することは困難である。まして同じ物を作ることは不可能だろうとさえ言っている。皆さん。これが野蛮な国の者が持てる物だろうか。このような物を、たかが漁師の身分で持つものだろうか。普通の人がこのような物を手に入れることができるでしょうか。私は思うに、彼らはわれわれが未知の、われわれ以上の文明を持った国から、何らかの意図をもって、わが国へ派遣されたのではないかと私は思うが-------」

長耳族の人々は、アビランの言葉になるほどと、うなずきどよめいた。

「そこで私は彼らに第一に質問したい、一体、これらは何なのか、何の道具なのか。どんな秘密がこの物に隠されているのか知りたい。彼らに答えを言う前に忠告しておきたいことは、真実を語るように、われわれは,これらは大体どのような機能役割をもっているか分かっている。ゆえに絶対真実を語るように。サロモン氏よ、あなたもこの点、念を押して彼らに言ってもらいたい」

左右にいる軍、僧侶たちはざわめきながら、アビランやニコリスたちの顔、それに銃と時計に目を注いだ。

サロモンは少し危惧の念をもったが、アビランの言った内容をそのままそっくり、しかし、わざと考える余裕を与えるため、ゆっくりと通訳し伝えた。

しかし、ニコリスは表情を全く変えず、躊躇せず即座に答えた。

「その小さな物は私たちは時計と呼んでいる時を示す機械です。私たちは時間を時、分、秒と分け表示することにしています。一日を二十四時間、一時間を六十分、一分を六十秒と分け、現在の時間、時分秒を示す機械がそれです。その機械を良く見ていただくと分かると思いますが、短い針が時を、長い針が分を、そして細く長い針で小刻みに良く動いているのが秒を表すのです。また私たち漁師には、その時計をもう一つ別の目的に利用しています。それは方角を知ろうとする場合で、短い針を太陽の方向に向けると長針と短針の中間がだいたい南という方向になるからです。もちろん、常に北を指す磁石も持っていますが、この時計も私たち漁師にはなくてはならない物なのです。それがあるため、方向を知り、星の見えない夜間や霧の中でも迷わずして時を知り、港へ、陸地へ戻ることができるのです。われわれ漁師にとって、その時計は、われわれの命の次に大切な物なのです。それから、もう一つの大きな鉄で作られた物は、実はわれわれの武器なのです」

短針を太陽に向け、うなずいていたアビランは、サロモンが武器と通訳したので少し驚き、その銃を持ち上げ良く見直した。ジミーと聖たちは、ニコリスが銃を武器と言ったので、ハッとして訝しげにニコリスの顔を見上げた。彼は銃の機能を率直に打ち明けてしまうのか、これは少し都合の悪い展開になると思った。

しかし、ニコリスは何ら躊躇することなく、すらすらと発言し続けた。

ニコリスはサロモンから皇帝との会見があると聞いてから二日間、彼はさまざまな場面、質問を想定し、その答えを考えていた。銃についても質問されてくることが十分に考えられていたので、なんと答えるか、轟音を発して、一瞬に大きな動物をも殺傷することができる武器だと、ありのままに言うか、それともうまく欺くか。ニコリスはこの問題を一番時間かけ熟慮した。

救いはあるにはあった。それは捕らわれたとき、二十連の弾倉は銃から外されていたため、銃に銃弾が装填それていなかったのである。ニコリスは非常に危険な場合以外は銃を使用したくなかったのと、暴力団である日本人の中尾、松延の二人を完全には信頼をしていなかった。そのため銃は中尾に携行させたが、弾倉はニコリス自身携行していたのである。結果的にはそれがよかったようである。彼らが銃に弾倉を装填し、安全装置を外し、引き金をひかない限り、銃の秘密を知ることはないであろう。しかし、はたして期待通り彼らはその秘密に気がつかないだろうか。ニコリスは賭けてみた。

「あなた達には一見してそれは武器には思えないかもしれない。確かにあなた達の武器と全く異なっているが、私たちはそれを銃と呼び、特殊な武器として闘いに使っている。その先端の穴に一目で武器と分かるある重要な部品が付くのですが、現物は船が遭難するとき失ってしまいました。それは細身の鋭い金属で作られた十二インチの長さ、と言っても分からないかもしれませんが、腕の肘から指先ぐらいの長さがある槍のような物を、その穴に入れ装着し、それで突き刺すのです。先端が特殊な金属でできているため錆びることはほとんどありません。また台尻と呼んでいる手で持つ硬い部分で殴打し敵を倒します。あなた達が剣と槍で闘うように私たちはその鋭い槍のようなものの武器で闘うのです。さらにその銃の中央部に薬室があり、そこに私たちは薬を入れておきます。主として消毒薬や傷薬、胃腸薬を混ざらないように別々に、水に浸かっても内部に浸透しないような完全に密閉した金属の筒に入れて、それらをまとめて一つに束ねた物なのですが、私たちが捕らわれたとき没収されたのですが、今日はここに持参していないようですね。銃と同じ色の金属で作られた薬入れで、銃の薬室に付けて携帯することもできます。負傷したり病気になった時、直ちにそこから出し、傷につけたり、飲んだりして治療に使います。しかし、重要なことは、今あなたが持っている二つの品物は私たちにとって大変貴重なものであることです。残念ながら私たちの国ではそれらを作ることができないのです。作る技術も知識もありません。これは信じていただけないかもしれませんが、私たちが住んでいる国より、もっと西の国、それは私たちにとって地の果てのように思えるようなはるか遠い国、馬やラクダという砂漠の生活に適した動物などに背負われ、いくつもの大きな山々や谷、湖、砂漠などを越え、十数カ国の国々を通り、最後に船で,半年、いや一年もかけて、われわれの地へ伝わってきたものなのです。その地の果ての国の名前はパラダイスと言います。伝え聞くと建物は全部黄金でできているそうで、人々は裕福で文明が非常に進んでいます。私たちは最初捕らわれ、この地に連れてこられた時、その地の果ての国、パラダイス国に来たのかと思いましたが、考えてみると私たちの船は東へ、北へと流されたので、ここは別の国だと判断したのですが、私たちはその地の果ての国より、それらの品物を購入するために何年も働き、お金を貯えます。そしてやっと手に入れることができる高価で貴重な品物なのです」

ニコリスの話は彼らに大きな反響を与えた。

アビランをはじめ会見の場にいる長耳族の軍、僧侶らの貴族たちは、ニコリスが思いつきのままに言った実在しない架空の国、パラダイスに異常に関心をもたれたようで、時計や銃についての質問はそれっきりになり、そのパラダイスの国について続々と質問を浴びせてきた。

 ニコリスは昔、中国とイスラム、西洋を結んだシルクロードを思い浮かべながら、それらの質問に答えていった。ニコリスは質問を答えている内に、どうやらこの国には西方、遥か彼方に彼ら以上の文明をもった国があるという伝説、言い伝えがあるようだと気がついた。これは幸運だと思い、さらに火に油を注ぐようにマルコ・ポーロの「東方見聞録」のような内容を思い出しながら、彼らが興味をさらに持つように面白く、さらに誇張して答えていった。

あとでサロモンが教えてくれたので分かったが、長耳族の神話や伝説の中にそれに近い国がうたわれ、過去、実際に何人かの名のある人々がその国を求めて旅立って行ったが、誰も戻って来なかった。しかし、長耳族の人々は誰しも、その国に行きたいと夢見ていると聞かされた。


 しかし、彼らの質問はそう長くは続かなかった。突然皇帝の体がブルブル小刻みに震えたかと思うと、青白い顔に汗を浮かべ、荒い息づかいになり今にも倒れそうになった。

大騒ぎのうちに急遽、皇帝との謁見は中断され、ニコリスら五人は皇帝の広間から再びもとの部屋に戻された。





   創始者アルゼノンの予言


 日がさす日中はまだ暖かいが、朝晩はだんだん冷え込むようになり、毛布が五人に一枚ずつ余計に支給されるようになった。しかし、壁の中にスチームか温水の暖房装置のようなものがあるらしく、壁や部屋の中は暖かかった。皇帝との謁見はあのようなことで終ったが、サロモンの話によると、今まで二回皇帝陛下は同じような発作に襲われたという。あの後以来、病床から立ち上がれないでいるが、少しずつ経過は良い方向に向かっているという。


謁見から数ヶ月たったある日、その日も暮れかかり、黄金のパコダは夕焼けの中に美しく輝いていた。五人は寒い冷えた空気が部屋に入ってくるのも気にせず、窓を開けたまま魅入られたように夕暮れの美しい景色を見続けていると、突然ノックもされずにサロモンがあわただしく手に大きな箱を重そうに抱えながら入ってきた。テーブルの上にその箱を置くと「みなさん、着席してください。時間があまりないが重要なことを皆さんに打ち明けなければなりません。あなた達の命だけでなく、あなた達の村の存亡、さらに私たち民族の命運も、あなた達の決断にかかっています。あなた達は直ちに行動しなければならない」

と早口で言った。

 

額に薄っすらと汗を浮かべ、顔を紅潮させたサロモンに、ただならぬ気配を感じた五人は、急いでテーブルの周りに集まり座った。

 そしてあの常に落ち着き冷静でいたサロモンが、目に涙さえ浮かべている姿に、驚きと異常な事態が到来したことを感じさせた。サロモンは、五人を見まわした後、かみしめるように言った。

「人間は明日があるから生きていけるのかもしれない。明日は喜びがくるだろうか、悲しみがひかえているだろうか、明日は怒り、明日は笑うだろうか、明日は新たな人間との出会い、新たな知識が得られるだろうか、期待と失望、生と死、明日はいつも異なった表情で人間を迎えてきた。ところがその明日が私たちに、私たちの国にもう来ることがないことになった。あなた達は私が奇妙なことを突然言い出したので、変に思うでしょう。しかし、私の言葉を黙って聞いてください。私たちの国には古い昔から神々や英雄それに建国者たちの物語「創始録」が伝承され、国民のみなに読まれ、愛され、広く詩や歌や劇にも演じられ親しまれています。

ところが、その物語の中にある創始者アルゼノンの部分の末章が理解不可能のまま現在に伝えられている。大洪水後この地へ移り建国し、今の私たちの国を築いた創始者、予言者であるアルゼノンが亡くなる時に遺言し、それをそのまま書いた章であることは分かっているが、その末章の文は奇々怪々、全く意味が分からない。

昔からさまざまな研究者や学者が調べ研究したが解き明かすことができなかった。私たちの国を称えた、あまり意味のない歌だとか、他国の言語でかかれた文章だ。何か秘密の隠された暗号だ、呪文のようなものだ等々、諸説入り乱れ、物語の不可解な章として、最近では追求し伝えるのは無意味だとして、末章は切り捨てられ出版されている。ところが私は一年前、この王宮の中にある図書館で、その物語が書かれてある古い本を偶然に発見した。

何気なくその本のアルゼノンの末章を見ると、現在伝えられている末章の文と、大分異なっているのに気がついた。多分、現在伝わっている末章は、長い間、人から人へと伝わり書き写されていくうちに、誤り伝えられ変化し、さらにますます意味不明になっていったと思われる。私はこの図書館にある古い本は原本か、非常に古い時代にオリジナルに近い本から書き写されたものだと、紙質、文字、文句、筆の色などから判断した。私は非常に興味をもって研究しているうちに、これは絶対に暗号で書かれた文章だと思った。しかし、なかなか解くことができなかった。解くことができないでいるうちに一年経ち、いつしかあきらめの気持ちになり、近頃は忙しさもあり、全く顧みることもしないでいたが、昨日の昼、私の頭にふと、ひらめくものが沸きあがった。あなた達が教えてくれた、この宇宙の理論、天体の運行と考え方が鍵だったのです。それを利用して少し解きはじめると、みるみるうちに、その暗号が、末章の全容が明らかになってきた。

しかし、私はその内容、意味に愕然とした。驚き茫然として、夜、衛兵がまわってくるまで気づかずに、暗い図書館の中で灯りもつけずに我を忘れていた-------。その暗号で書かれた「創始録」アルゼノンの末章は、創始者であるアルゼノンがわれわれに与えてくれたわれわれの未来に対する予言であった。一千年後の現在の私たち民族に対する予言であった。私は決断した。この予言どおりに行動しなければいけない。それが最善で神とこの国の創始者の意思だからだと。

なぜ、私が愕然としたか、あなた達も、これからとらねばならない行動を起こすために、私が解いた秘密の予言を知ったほうが良いでしょう。少し長い文になりますが、よく聞いてください」

サロモンは、ところどころ声を震わせ、涙が頬に伝わり落ちるのもふき取ろうともせず、不思議な予言を語り始めた。


  アルゼノンの予言


全能なる神

ギルガゼノウスは言った

生あるものは死ね

死せるものは生きよ

わが子よ わが孫よ

死ぬときが来た

わが国土 わが民よ わが家族よ

滅びるときが来た


神々は怒り憎んだ

お前たちの栄光は終った

勝利におごり 民は享楽にひたり

神を忘れ 邪教を信じ

神の意に叛いた


堕落せし僧は

正しき教えをまげ 異教を広め

快楽を追い求め

多くの罪なき民の命を邪教にささげ

わが聖地は荒廃し 汚された


わが民は

神の教えに反し

多くの罪をおかした


その罪は あがなわなければならない

みずからの命によって

築き上げたすべてによって


その時がきた

 空よ 山よ 海よ 地よ

これがお前の正体か

仮面はとかれ

 火の神ゼナスは言う

 すべてをわれにささげよ

 地の神オプテリアは言う

 すべてをわが下僕に

地はさけ 口を大きく開き

 すべてを飲みつくすだろう

山は吠え 体を大きく震わせ

 すべてをなぎ倒すだろう

海は叫び 波は高く大きくひろがり

 すべてをおおうであろう


しかし火の神ゼナスの怒りが一番大きい

 火の雨 火の川 地は燃え 水は燃え

 五日五晩 すべてを燃やし尽くすだろう

 五日五晩 火の川がすべてをおおうであろう

 七日七晩 暗黒がすべてを支配するだろう


お前たちの栄光は終った

 その地は

 二十年は草木は生えぬ

 四十年は飛ぶ鳥も落ちる

 六十年は人を拒む

 永遠にお前たちの栄光は忘れ去られた


しかし息子たちよ

 私は全能なる神

 ギルガゼノウスに願った

 わが命とひきかえに

 全能なる神ギルガゼノウスに乞うた


全能なる神ギルガゼノウスは言った

 一人だけその罪を許すと

 一人だけ汝の血を伝えることを許すと


聖なる民よ

 東に赤い光が輝くとき

 それは始まる

 東に雷鳴輝くとき

 それは始まる

 北より使者が現れた時

 それは始まる


選ばれし民よ

 その光は選ばれし民のみ見ることができる

選ばれしわが息子よ

 その時はわが息子のみ知ることができる

それを見たならば

その時を知ったならば

 準備しなければならない

わが命を伝えるために

わが栄光を伝えるために

わが命は北より新たに生まれる

わが命は北より新たに出発する


われらが血は再び復活する

われらが血は再び栄光に

つつまれるであろう


出発せよ

 わが民族のために

 わが命のために

出発せよ

 苦難を乗り越え

 新たな地を求めよ


未来は再び栄光につつまれる

未来は待っている

わが息子たちが来たらんことを


ニコリスら五人はサロモンが話したアルゼノンの予言に驚き、息をのみ声を出すこともできなかった。サロモンは大きく二,三回深く息をして胸の高鳴りを抑え、さらに話しつづけた。

「私はちょうど今日から百六十日前のことだったが、早朝、執務中にかすかな雷鳴のような音が聞こえたような気がしたので、きょうは晴れているのにおかしいことだと窓から外を眺めた。空は真っ青に晴れ渡り、雲ひとつない天気に、気のせいかなと不思議に思いながら、あちらこちら眺めていると、遥か北東の彼方の海沿いにある山の上空に雲が湧き上がり、激しく渦巻いているのが見えた。奇妙な光景だったのでしばらく見ていたが、部下にも見せようと思い、振り返り、ちょっと外を見てみなさいと一言いって再びそこを見ると、さっきまで激しく動きまわっていた雲はゆっくりとなびいていて異常を示すものは消えていた。私は部下を呼んだ手前、空が大変きれいだ、透きとおるような青さだと言って、部下は少し怪訝な顔をしていたが、その場をつくろった。

私はその後、どうも気になり度々窓際へ行き、そこを眺め続けたが、しばらくすると再び雲が活発に動きはじめ、確かに何か異常な事態が起きているようである。よく見ていると山から陽炎のようなものが上がっているようにも見える。

その日はたまたま先帝が崩御してから七年目にあたり、先帝をしのぶ祭儀が神殿で行われるので、忙しさに取り紛れ、そのままそのことは忘れていたが、祭儀が終った後、私は七日後に皇帝陛下に破綻している財政を一刻も早く健全に戻そうと提議するため、原案作成のため夜中まで私の執務室で一人残っていた。

すると、また雷鳴のような音がするのを感じた。そこで昼見た異常現象を思い出し、夜で暗いが、また何かが見えるかと思い、その方向を急いで眺めてみると、驚くべきことに、山火事が発生したかのように、その山々の周辺が赤く輝いていたのです。私は何が起きたのかと目を凝らしてよく見ると、それは山火事のような焔でなく、夕焼けや、朝焼けの時に見られるような美しい真っ赤な輝きで、断続的に半円状の光の波紋を夜空に上げているのです。さらに雷鳴のような光が、上空からその山々に降りそそいでいるのも見え、私は驚きとともに、そのあまりにも美しい光景に魅せられていましたが、今度の光景も昼の時と同様、あまり長くは続きませんでした。私は体が冷えてくるのも我慢し、眺め続けましたが、それはほんの数刻で終わり、あとは再び闇が支配し、二度と再びそのような現象が起こることはありませんでした。

 私は翌日、誰か私以外にもこの光景を見た者がいるか、それとなく聞いたり調べてみましたが、誰もあの異常現象を見ていないようだし、王宮外の街の人々も見たり、騒いだりした者もいないようだった。昨日の光景は全く私だけしか見なかったのだろうか、それとも目の錯覚だったのだろうかと、幾度も私は考えたが、忙しさに取り紛れ、それ以上は追求せず、私の胸の内にしまっておいた。


 それが偶然にあの古書を発見し秘密を知り、あれがアルゼノンの予言した前兆であったのだと気がついた時、私はどんなに驚愕したことだろうか。しかしなお驚かされたのは、あの現象が起きた日と、あなた達が未来からこの世界に来た日が一致すると知った時です。あなた達がこの世界に来たためにあの現象が起きたのか、あの現象があったからあなた達が来る羽目になったのか、私には理解できませんが、日時だけでなく赤い発光現象があった、場所もあなた達の村がある付近に一致か、ごく近い地点から発生したのではないかと思うのです。

私は断定しました。すなわち私がこの予言の選ばれた人で、あなた達は予言で言う東方の使者なのです。私たち民族の命を伝へ、決起をうながす使者なのです。私は考えめぐらしていく内に予言が次々と当てはまっていくのに、なかば戦慄を覚えました。ただの偶然なのか、予言は誰かのいたずらなのだろうかと一時悩みましたが、しかし私にはアルゼノンの予言、私たちの国の状態、それにいろいろな現象や、あなた達の出現を考え合わせると、否定できない真実と、緊迫感を感じるのです。それで私は決意したのです。一刻も早くアルゼノンの予言に従って行動せねばと、昨晩から直ちに準備にとりかかったのです」

 そう言うとサロモンはテーブルの上に置いた箱をあわただしく開け始めた。

するとその箱の中から没収されたM16ライフル銃と二十連の弾倉二個、それに美しく装飾された長耳族の剣が三刀、弓が一張り、それ矢が二十本ほど入っていた。

ニコリスら五人はサロモンの話と言い、アルゼノンの予言、それにこの武器を見せられ全く半信半疑でお互いに顔を見合わせた。

「これで私たちは何をせよと言うのですか」と中尾は思い切って尋ねた。

「あなた達はこの王宮を抜け出しあなた達の村に帰り、できる限り早く、この地で起きる大惨事、驕った民族の滅亡と悲劇の余波から逃れるようにしなければならない。予言の通り神が怒り、大きな天変地異が起きたならば、当然、あなた達の村がある地も大きな影響と被害を受けるでしょう。しかし、あなた達はそう不安がることはない。これから逃れることにより、あなた達の未来は約束されている。あなた達は生き残り、人類の歴史に大きな遺産と足跡を残すことになるでしょう。

だが、私はあなた達に予言で言うように一人だけ同行させることを義務づける-------。いや、お願いいたします。私はアルゼノンによって選ばれたが、残念ながら私はもうこのように若くはない。これからあなた達やあなた達の村の人々が会う困難や試練に立ち向かうほどの体力もない。それで私は決意したのです。私の代わりに、私の孫娘のパティアを連れて行ってもらいたいのです」

 聖はパティアの名を聞いて驚き、サロモンの目を見た。サロモンは聖を見ながら頭を祈るように数回さげながら言った。

「アルゼノンや神々もパティアなら私の代わりに行くことを許してくれると思います。パティアにはここ三十日ばかり、あなた達の言葉を教えていたのが幸いして、十分ではないが意思疎通には困らないほどに話せるようになっています。是非、私の代わりに連れて行ってほしい。私たちの民族の血はパティアによって永遠に未来に伝えられることになる。それが創始者アルゼノンの意思、われわれ民族の願いなのです」


しかし、ジミー・スタインは直ぐに従えなかった。疑問だらけで問題が多すぎ理解を超えていた。心中まだサロモンに疑いを持っていた。何か罠をわれわれに仕掛けているのではないだろうか。これだけの武器で、この警戒の厳しい王宮から抜け出し、村へ帰れて言われても不可能だ。それになぜ、銃を返してくれたのだろうか-------。弾丸も一緒に持ってきてある。銃の秘密を知っているのではないだろうか。

「ミスター・サロモン、この武器だけでわれわれはこの厳重な王宮から抜け出すことはできませんよ。それでも、あなたはわれわれに行けというのですか」と率直に疑惑を浮かべ、暗に行くことを好まないという表情で、ジミー・スタインはサロモンに言った。

「その点は大丈夫です。この王宮には私と、皇帝陛下しか知らない秘密の抜け道があるのです。この王宮を設計した人は、万が一、敵などに包囲され、この王宮への侵入を食い止められなくなった場合、無事に王宮外へ出られるよう抜け道を造っておいた。歴代の皇帝は皇位が継承される時に、その秘密の通路が口伝されます。その通路を通れば誰の目にも触れずに王宮外へ安全に出られます。通路は迷路のようになっていますが、パティアに教えてありますので無事あなた達を案内してくれるでしょう。さあ急いでください」

 

 サロモンは直ちに五人が行動に移るよう促した。ニコリスが最初に席を立ち上がった。それにつられ他の四人も、いまだ半信半疑のまま立ち上がった。

ニコリスはサロモンに普通以上の感情を最近はいだいていた。このサロモンという老人と知り合ってから期間は短かったが、その人柄、知識の底知れぬほど奥深く、知れば知るほど尊敬と敬愛の感情が湧いてきていた。

「あなたにひとつ尋ねたいことがあります。私たちをこの王宮より逃した後、あなたはどうなるのですか、私には無事にすむようには思えませんが。できたら私たちと共に行動したらどうでしょうか。私はむざむざあなたをこの地で失いたくない。まだまだ、これからあなたには活躍の舞台があると思いますが」と真摯な表情で尋ねた。

「ありがとう。しかし、私のことは心配する必要はありません。私は私の命は自分で処します。人間は生きれば生きるほど欲を持ってしまう。あなた達と行動すれば私はますます生への執着をもってしまうでしょう。それに私があなた達を逃したとしても、直ちに殺されることはないと思う。たとえ捕らわれ獄舎に入れられても、ただ静かに民族滅亡の日を待ち、その日まであなた達の無事と安全を祈っていますよ。私は私の国、民族と共に死のうと思っています」

 そしてサロモンは5人の側に静かに歩み、一人づつ手を握り体を抱擁した。

「もう時間がない。直ちに行動してください。そうそう、もう一つ重要なことをあなた達に言うことがありました。いや、しかし、もうそれを話している余裕はない。あなた達は夜のうちにできる限り王宮から遠く離れた場所に行かなければならない。その重要な話はパティアに教えてあります。この地から無事逃れたらパティアからそれを聞いてください。この部屋から出ましょう。急いでください」

 サロモンは五人に各々武器を持たせると追い立てるように室の外へ出させようとした。しかし、五人はためらった。室の外には衛兵がいることを知っているからである。このような武器を持って室の外へ出れば、衛兵に騒がれたちまち捕らわれるだろう。サロモンはみなが躊躇しているのに気がつき「大丈夫、扉を開けて見てごらんなさい」と言った。

ニコリスがそうっと扉を開け外を見ると、衛兵が二人大きないびきをかき、うずくまっているのが見えた。

「私は彼らに睡眠薬を飲ませておきましたから、彼らは一晩中そのまま眠っているでしょう」と微笑みながら言った。

 サロモンは音を出さないように注意しながら階段を上り下りして、五人をサロモンの執務室に招きいれた。中の石像の裏にある扉を開け、狭く天井が低い回廊に出た。サロモンはこの回廊は皇帝の部屋にも通じていると言った。ジミーは「これが秘密の通路ですか」と尋ねると「いや、これは秘密の通路ではありません。もうすぐ行くとあります」と言いながら、さらに歩調を速め先を急いだ。

五十メートルほど行くと、左右に五体ずつ等身大の石像が並んでいた。サロモンは右側の中央で盾と剣を持っている石像の剣を像より外し、その剣を無言で聖に預けると、その像の後ろの壁に行き、右手で二,三回壁の石をあちらこちら軽くたたいた。

そうすると二十センチメートル四方の石で造られた壁のうち,一個だけ他の石と異なる音を発する石があった。サロモンはその石を両手で強く引っ張ると、その石はスッポリ抜け、そこに鍵穴のような穴がのぞかれた。サロモンは聖から預けてあった剣をもらい、その穴に差し込んでいくと、剣は意外に深くどんどん入っていき、剣の鍔元でやっと刺さるのが止まった。

刺し込み終わると、サロモンは剣の大きな鍔を両手でつかみ、左へ捻った。

 しかし、ビクともしなかった。もう一度さらに力を入れて捻ったが、やはり微動だもしなかった。そこで聖がすぐ代わり、全身の力を入れ捻ると、少しずつ左に剣が回り始め、半回転した所で、それ以上動かすことができなくなった。

サロモンは「それでもう十分のはずです。さあ秘密の抜け道の鍵は開けられました」と言うと、そこから一メートルくらい離れた壁の前に立ち、両手で壁を押した。

すると壁はゆっくりと回転し始め、高さ約1.2メートル、幅約一メートルの入り口が開いた。ところが入り口が開いたやいなや、突然、中から一人の薄紫の衣を着た何者かが松明を持って出てきた。

聖たち五人は驚き、一歩下がり身構えたが、サロモンは全く驚かず、静かにその者を抱き寄せた。聖はサロモンの胸の中に顔をうずめている者の横顔を見てハッとした。

パティアだ。パティアがわれわれを案内するために秘密の通路の出口より入り、ここで待っていたようだ。パティアはなりふりかまわずサロモンの胸の中で激しく嗚咽し、サロモンも力強く抱きしめ、あふれ出る涙を拭こうともしなかった。

その二人の姿に聖ら五人も思わず涙を浮かべざるを得なかった。ジミー・スタインのサロモンに対する疑惑は瞬く間に雲散し、半信半疑であった者も、そのような気持ちを持ったことを恥じた。

サロモンはパティアにやさしく、いくつかの言葉をかけた後、抱いたまま聖を呼び、パティアの右手をとり、その上に聖手をのせた。

「ミスター・聖、パティアを頼みます。パティアは私にとって一番の宝なのです。いや、今や私たち民族の希望なのです。私には今、心残りがあるとすれば、それはパティアだけなのです。頼みますよ」と涙で目をはらしながら言った。

パティアはますます声を震わせ泣き続けた。

聖は声を出そうとしたが喉がつまり、その代わりに両手でパティアの手をしっかり握り、サロモンにうなずいた。

 サロモンはそれを見てますます顔をくしゃくしゃさせ「ありがとう。ありがとう。聖さん。みなさん、お願いいたします-------。お願いいたします」と繰り返し繰り返し言った。

 そしてパティアの肩をたたき「さあ、時間はないのだよ。みなさんを無事秘密の通路から抜け出させなさい。苦しいことがあっても、私が言った言葉を思い出し生き抜くのだよ。聖さんと決して離れるのではないよ」と言った。

 パティアはそれにうなずき、涙でぬれた顔をあげ、サロモンの顔をどんな小さな所でも記憶に入れておこうと思うかのように見続けた。

そしてその後に、聖の顔を見、小さい声で「どうぞお頼みいたします」と言った。





   長耳族の国よりの脱出


 王宮の中の抜け道は狭く、人一人がやっと通れるくらいの幅しかなかった。右、左と曲がりくねった通路をとった後、急な階段を下へ下へと降りていく構造になっていた。ところによっては螺旋式の階段もあり、ぐるぐる回りながら、みな無言でパティアの後に従い降りて行った。

王宮の基部に降りていくにつれて温度と湿度は上がり、壁からは温かい水が滴り落ち、床はぬるぬるして歩きづらかった。だがそれもほんの数分で通り過ぎ、やがて石の壁の通路から、岩を掘って造ったと思われる道に変わり、それにつれて涼しくヒャットした新鮮な空気が流れてきた。

そこからの道は広い広間のような場所に出たかと思うと、急に天井が非常に低く,屈みこむようにして歩かざるを得ない道に変わったり、広い道から外れて、注意しないと気がつかないような高い所にある小さな穴に向かうなど、完全に迷路になっていた。

ニコリスは最後尾を、ゆっくりとみんなに続いて歩いていたが、この辺りの秘密の通路は明らかに何らかの自然の作用でできた洞くつを利用して造った抜け道だと思った。

 やがて、今までのどれよりも広い洞窟の中の大きな空間に出た。五メートルくらいの幅がある川が勢いよく大きな音をこだましながら流れ、正面にはその川に十メートルばかりの高さから湯の滝が湯気を上げながら注ぎ込んでいた。パティアはみなを止め、ここで小休止すると言った。

 捕らわれてから、ほとんど毎日小さな室に入れられたままで、運動不足気味の五人にとって、このように体を動かすことは久しぶりのことなので、荒い息ずかいをしながら、ドカッと岩の上に腰を下ろした。

 みなは疲れからしばらく、ただ黙り込み松明とパティアが持ってきたローソクのランタンで照らされた、美しい鍾乳洞のような地下の状態を、しばし何もかも忘れ見とれているだけであった。

「あと、どのくらいで地上に出られますか」と聖は隣に座っているパティアに尋ねた。

「もう少し、あと、あなた達の時間でいう-------、三十分、約三十分行けば地上に出られます」

少し恥じらいの表情をしながら聖に答えた。

「たいへん上手に私たちの言葉話しますね、覚えるのは大変だったでしょう」と聖は尋ねた。

「まったく異なる言語を覚えるのは始めてのことなので、最初は変な感じでしたが、勉強していくうちに面白くなり、祖父は、わが家系は記憶力だけでなく語学も得意なのかもしれないと驚いていました。でも、あくまで頭で考えながらの会話です。どうしてもゆっくりとした発音になってしまいます。皆さんと話し合いながら、もっともっと勉強して上手になりたいと思います-------。聖さん。それにもう一つ、英語に一生懸命になった理由があります。それはあなたに助けていただいたお礼を言いたかったからです」

とパティアは言いながら少し顔を赤らめた。

パティアは聖が捕らわれて以来、全く聖に会っていなかったし、会うこともできなかった。それでなんとか助けてもらったお礼と感謝の気持ちを言わなくてはと思っていた。

「お礼だなんて、決してそんなに気にかけないでください。あのような場合誰しもそのようにしたでしょう。それよりも私はあなたに再び会えてうれしいのです。もう二度と会えないと思っていました」

「本当はもっと前にお会いしたかったのですが、ある人と再び婚約せよと迫られ難しい問題が発生し、また無理してお会いすると、かえったあなた達に不利なことになりかねないので、祖父とも相談し会うのをひかえていたのです。本当に命を助けていただきありがとうございました」

さらにパティアは話を続けようとした時、ニコリスやジミー・スタインら、他の四人が水を飲んだりして再び元気を取り戻すと、パティアの周りに自然と集まってきた。

パティアにはみなが、この先どのように行動するのか聞きたいと思って集まって来たのだと分かった。そのため、パティアが先に疑問に答えるように話しはじめた。

「あと少し行くと地上に出られます。そこに変装用の衣服や食糧、さらに馬を用意しておきましたから、もう歩かなくてもすみます。しかし、陸を行けば必ず途中で捕まってしまうので、私の祖父サロモンと相談した結果、船で行くことに決めました。海岸に出て船を見つけ、それであなた達の住んでいる所へ向かうという計画です」

「大分危険な旅になるようだな-------」とニコリスは質問というより呟くように言った。

「そうです。大変危険な旅です。旅というより賭けになりそうです。人里を離れた道を選んで海岸に向かうので、馬で九時間くらいかかります。人里を離れたといっても、その間に見つけられる恐れもありますし、いざ海岸に無事でられたとしても、船がそこにあるかどうか全く分かりません。船までは時間がないため準備することができませんでした。ですから海岸に出たら私たちは一刻も早く船を見つけなければなりません。見つけたらすぐに、ひそかに乗り込むようにしたいのですが、もし船の付近に誰かがいたら、力ずくで奪うよりほかないでしょう」

「船で行くとしても、われわれの村がどの辺の地点にあるのか海上から判断できるだろうか、それに船を奪ったら、彼らも船で追ってくる恐れがあるのでは」とジミー・スタインは尋ねた。

パティアは少し考えていたが「私には海上からあなた達の村がどこにあるのか、どうやっていけば良いのか全くわかりません。海上から陸地、山などを見ながら判断するしかないと思うのですが」と困った表情で言った。

聖がその時、口をはさんだ。

「その点なら私がなんとか判断できると思います。ここが一万数千年前の日本である以上、確かに私たち日本人が知っている地形と大分異なっている所もありますが、ここから村までの距離は絶対変わっていないはずです。直線にして百二、三十キロメートル足らずだと思う。だから、なるべく沖に出ないで、陸づたいに北上して行けば、うまく自然にわれわれの村がある海岸にたどり着くのではないかと思います」

パティアは少しほっとした表情で聖を見ながら「海上で船が追跡されないかという問題については、私たちは順調に行けば夕暮れまでには海岸に出られるはずです。ですから、もし追われるようになっても夜になり、私たちを発見できないでしょう。それに幸い今日は月が隠れる新月の日です。船に乗る漁師たちは昔から、この日の夜は海に出るのを嫌がります。ですから追っ手は朝まで待たざるを得ないか、たとえ船を出し追跡してきても、月明かりもないので追うのは無理だと思いますが」

ジミー・スタインはさらに質問をしようとしたが、ニコリスがさえぎるように立ち上がった。

「さあ、出発しよう。質問は船の中でいくらでもできる。今は急ぎ海岸に一刻も早く出なければならない」とジミー・スタインの肩をたたき、出発を促した。



 空はどこまでも青く澄みわたり、秋がだんだん深まりつつある高原は、草木はもう緑から赤や黄色と色づき始めていた。その中を六騎、兵士が疾駆していくのが見える。馬が疲れてきたらしく、疾駆から並足に戻し、そのまましばらく行くと立ち止まり、休憩するためか馬から降りはじめた。

各々、長耳族の騎兵の服装をしているが紛れもなく、パティア、二コリス、ジミー、聖、中尾、松延の一行六人であった。

中尾はうっすらと汗をかいた額を手でぬぐい微笑みながら「天気も良く、景色も素晴らしい、全くわれわれが一万数千年前にいて、脱出行をしているとは思えないよなあ、まるでみんなで一緒に乗馬でピクニックか何かしているような気がするよ」と言った。

松延もそれを聞き、笑いながら足元の草を食んでいる馬の首筋を軽くなぜ「俺も馬に乗ることが、こんなに楽しいことは知らなかったよ。もっと早く知っていたら、きっと競馬の騎手になっていたのではないかな。俺はなかなか筋がよいだろう。この俺の乗馬姿から、馬に乗るのが二回目だと思えるかい。ハハハハ-------。今まで本当の馬は競馬場でしかお目にかかったことがないから言うのだけれども、競馬場のサラブレッド馬に比べたら、この馬は小さいし格好良くないし、汚いよな。しかし、この馬は俺の言うことを本当に素直にきいてくれて、たいへん気にいったよ。もうサラブレッドは糞くらえだよなあ」と言いながら、松延は自分の頬を馬の首筋につけ頬ずりした。

「お前は競馬でだいぶ損をしたからサラブレッド非難するけど、サラブレッドには罪はないよ。でも、お前が捕まって最初に馬に乗せられた時、手を前で縛られていたせいもあるが、よく落馬したよなあ、長耳の兵もあきれた顔をしていたぜ、よく馬に蹴られなかったよな」と中尾が笑いながら言い返した。

 それを聞いていた聖が「パティアが言っていたけれども、みな馬に乗るのが下手だと聞いていたので、素直でおとなしい馬を集めるのが大変だったと言っていたよ」と言うと、三人は声高く大笑いした。

パティアはしきりに時間を気にし、そわそわ周りの山々をあちらこちら目を配らせていたが、他の五人は久しぶりの戸外に、和らいだ気分で逃避行であることも忘れ、楽しんでいた。

 聖とジミー・スタインは大の字に仰向けして横になり、何回も大きく息を吸いながら、いっときの幸せな気分にひたっていた。

ニコリスは横にはならなかったが、微笑みながら草の上に腰を下ろし、二、三本の草をむしり「この草のにおい、土の匂い、たまらない、とてもいい匂いだ」と呟きながら、何度も鼻をくすぐるようにして臭いをかいでいた。

 少し茶色がかった固形状の食べ物、パティアは乾燥した芋を主に、肉、それにいろいろな植物を混ぜて作った兵士用の携帯食糧だと言ったが、それとチーズで昼食を済ませた。水も各自の馬の皮袋に十分に用意されていた。

簡単な昼食であったが、みな朗かになり、冗談を言い合ったりして談笑し、これほどまで五人が打ち解け話し合ったことは,五人が知り合って以来、一度もなかったのではないかと二コリスは思った。

一人の女性パティアがいることも原因かもしれない。彼女のたどたどしく面白い発音とアクセントで話す英語は、みなを余計なごやかにさせた。

松延も最初は全く英語はわからなかったが、最近は少しずつ言葉が分かるようになってきた。しかし、ほとんど話すことはなかった。それがパティアの片言の英語でも、少しも卑屈にならず話す態度を見て、自分も自信をもって積極的に話すようになってきた。

 ニコリスとジミーは、松延は無口な男だと思っていたが、今までは言葉の壁が彼をそうさせたのか、根は朗らかないい奴だと、彼が身振り手振り談笑している姿を見て、彼の異なった一面にはじめて気がつき、笑いながら見詰め合った。

 しかし、そのわずかな楽しい時間も長くは続かなかった。再び馬に乗りしばらく進んだ所で、突然「あっ」とパティアが声をあげた。

五人はその声で驚きパティアを見ると、パティアは十キロメートルばかり北にある山を指差した。

そこには、白い煙のかたまりが三個いつの間にか漂っていた。続いてひとかたまり、さらにもうひとかたまりと昇ってきた。

「狼煙だ」と聖は叫んだ。

その山に続いてさらに北側の遥か彼方の山、それに聖たちのいる場所から東側二十キロメートルくらい離れた山からも、続いてさらに二ヵ所、遠方の山々から狼煙が昇ってきた。

ニコリスはすぐに「あの狼煙は何をいっているのですか、われわれと関係ありそうですか」とパティアの横に行き不安そうに尋ねた。

パティアはしばらく狼煙を見ていたが「王宮より脱走したのが分かってしまいました。異人五人、王宮より脱走、注意、捕らえよ。と言っています」

そしてさらにパティアは狼煙を観察し続けた。

「でも、まだ安全のようです。なぜなら狼煙が一方向にだけに特定しておらず、全方向、全地域に、特に北、東を中心に向けられているようです。ですから、私たちが南東の海岸に向かっているのは悟られていないようです。それに煙の色から判断できるのですが、まだ狼煙は注意警報で、警備の厳しくなる警戒警報ではありません。しかし、私たちはこれからますます注意して進まなければなりませんね」と言った。

五人は再び全員緊張した表情になり、馬を急がせ始めた。

ところが、昼食した所から三キロメートルほど進んだ時、先頭を行くパティアが急に馬を止めた。

その後ろにいた聖は、すぐにパティアの横に行き、無言でどうしたのかという顔でパティアを見た。パティアは手で全員馬を止めるように合図すると、耳をじっとそばだてた。

五人も何が聞こえるのかと思い耳をそばだてたが、何の音も聞こえてこなかった。

しかし、パティアは「馬が走ってくる音がする」と呟くように言った。

続いて「それは一騎だけのようです」と少し安心した表情でみなに告げた。

「隠れたほうがよいのでは」と聖はパティアに言った。

パティアは首を振り「もう遅いです。あちらにも、こちらの馬の足音が聞こえていたはずです。ここで急に隠れたりすると、かえって奇妙に思われ警戒されるでしょう」

 聖はニコリスに「どうします」と聞いた。

馬が一騎走ってくる音がもう五人にも、はっきりと聞こえてきた。松延は銃を取り出し弾倉を装填し、いつでも発射できるようにした。

ニコリスはそれを止め「まあ待て、もう少し様子を見よう。ただの通りすがりの人かもしれないし、万一、相手が向かってきても一人ならば、それを使わなくても、われわれは五人もいるのだから十分に対抗できるだろう」と言って再び銃を隠させた。

 やがて丘の上から一騎姿を現し、少したち止ったあと、六人の姿を認めると、馬の歩みをゆっくりとさせ近づいてきた。

ニコリスはほっとした。よく見ると馬上にいるのは、まだ十歳前後の子供のようである。これならわれわれに危害は無いし、もしわれわれの正体を見破ったようだったら、捕まえてしまえば良いと思った。

 ところがニコリスの期待に反して、その子供は一行より百メートルほど手前で急に立ち止まった。そして突然、向きを変えると猛烈な勢いでもと来た道へひきかえし始めた。

ニコリスはしまったと思い、すぐパティア、聖と三騎で後を追い始めた。

だが、その子供の馬は非常に早く、みるみるうちにどんどん引き離し、三人は丘の上まで追跡してみたが、あきらめざるを得なかった。

 すこし間をおいて、ジミー、中尾、松延と丘に駆け上がってきて、追いつくことができずに残念がっている三人のところに来た。中尾はニコリスに「なぜ、あの子供は急にひきかえしたのだろうか」と尋ねた。

「よく分からんが、われわれ六人連れのどこかに、変な感じを受けて逃げたのだろう-------。しかし、困ったことになった」とニコリスは言いながらパティアの顔を見た。

「私たちは兵士の仮装をしていますが、やはり何か不自然なところがあるようですね。私もあなた達五人を見ていると、何かおかしく感じるくらいですから。街に住んでいる私たちと違って山や野に住んでいる人々は、普通以上に目が良いですから注意しなくては。でも、もう注意しても遅いようですわ。あの子供はすぐに、あのまま村か近くの役所に私たちのことを知らせに行くでしょう」とパティアは沈んだ表情で言った。

ニコリスは中尾と松延の兜を斜めにかぶり、腕や足を露出し外れかかった鎧姿を見て、うなずき、少し微笑みながらパティアに聞いた。

「まだ大丈夫ですよね、それとも、もう逃げられないと思いますか ?」

パティアはしばらく考えていたが、やがて小さい声で言った。

「私たちにはまだ逃げられる可能性が残っています。あの子供が私たちのことを告げるとしても、ここから一番近い村には多分馬で三十分はかかると思います。そしてさらに確かウルタという所の行政支所と軍の駐屯所が、この辺りを管轄しているはずですが、そこは村からさらに三十分くらい離れていると思います。それで計算すると私たちを追うとしても、連絡するのに一時間、ここまで来るのに一時間はかかります。ここからは海岸まで急げばなんとか三時間くらいで行けますから、まだまだなんとかなります」

「しかし、彼らには狼煙という通信手段がある。それでわれわれより先回りするようなことも考慮しなければならないのではないかな」と聖はパティアに言った。

「そうです。子供が村の役人に告げ、それを狼煙でウルタの行政支所、駐屯所に伝えた場合、すぐさまこの地区に集中して警備体制、監視体制が整えられるでしょう。もし私たちの進路が海岸に向かっていると彼らが的確に判断すれば、無理して山を通って私たちの後を追わず、時間が余りかからず、馬が走り易い平地の道を取り先回りし、私たちが来るのを途中で、または直接海岸で捕らえようと待ち伏せするかもしれません。その危険性は十分にあります」

 ニコリスは聖とパティアの説明を聞きながら無言で見つめていたが、終るとお互いに分かったというようにうなずいた。

もうここまで来たら、たった一つの道、前進しかないと二人の意見は暗黙のうちに一致した。

「われわれの今おかれている状態は分かりました。ここでどうするか話し合っていると、時間が経つだけで、ますます、それだけ危険になってくる。今はただ、のるかそるか運を天にまかせ全速力で海岸まで駆け抜けよう」とニコリスはみなに言い渡した。

ジミー、中尾、松延、パティア、聖の五人は大きくうなずいた。

 すぐさまパティアは「ヤアッ」と大きな声をあげ、馬の腹を蹴り全速力で馬を走らせた。続いて五人もそれぞれ声をあげ、馬を走らせ後を追った。



 広さはそんなにないが、周囲より数段高い小さい山の頂に達した時、パティアは馬を止めた。馬も人間も汗みどろになり激しい息ずかいをしていた。

すぐ近くでウグイスが突然の侵入者に警告するかのように一声、続いてもう一声鳴いた。その美しい声はあたり一帯に響き渡っていた。パティアは振り返り後ろを見た。

五人は出発する時着けていた変装用の兜、鎧など、もうとうに暑さと息苦しさに耐えきれず、途中で投げ捨ててしまっていた。その格好を見て、少し笑いながら山の彼方を指差した。

終始、パティアのすぐ後方につき保護するかのように馬を走らせていた聖が、パティアの横に来て指さした方向を見た。

そしてすぐ「海だ」と叫び、パティアを感激した表示で見た。パティアも少し安心した顔つきで静かにうなずいた。

「おおい、海だ、海が見えるぞ-------。早く来い-------」と聖は登ってくる四人に叫んだ。

海岸は山に隠れて直接には見えないが、海は大きくどこまでも青く、水平線の彼方まで島影は全く認められなかった。聖はこの広い海は明らかに太平洋だと思った。

ニコリス、ジミー、中尾、松延とみな疲れた表情で登ってきたが、海を見るとすぐに生気をとり戻した。

ニコリスは「ああ、これこそ太平洋だ。わが海だ。この海の遥かな彼方に私の国アメリカがあるのだ-------」と叫びながらため息をついた。そして絶対に見ることができないと知っていても、無言でじっと水平線の彼方にアメリカ大陸を探すかのように目をそそいだ。

「美しい景色だ。素晴らしい眺めだ。一日中見ていても飽きないのでは」とジミー・スタインは馬から下り、ニコリスの側に行き言ったが、無言でいるニコリスの心情を知ってか、それ以上語りかけなかった。

 中尾は汗をぬぐいながらそうっと聖に尋ねた「ここは一体、日本のどの辺にあたるのだろうか」

聖は首をかしげながら「多分、駿河湾に面したどこかだと思うけれど-------。あの左手にある大きな半島が伊豆半島と位置的には合うが-------。しかし、私の記憶しているのと少し違うのだ-------」

「あの半島が伊豆半島としても、あの向こうにある大きな島は何だ。伊豆大島としては大きく、近すぎるぜ-------」と中尾はさらに問いかけた。

聖は少し考えていたが「私もあの島が分からない。戸惑いを感じているのだ。もしかすると、大きな島が半島に衝突して半島をつくる造山運動形勢途中の姿なのか、それとも、この時代は海面低下期にあるので陸地がそれだけ海面に出ているためなのか-------、全く見当がつかない。一万数千年の歴史、変化というのは大変大きい-------、本当に恐ろしいものだ」と呟いた。

中尾は「ウムー------」と低くうなるように言うと、突き出た半島と海を見続け、それ以上さらに尋ねようとはしなかった。

 みなが一息をいれたあと、パティアは「あの前方の峠を越えればすぐに海岸に出られます。そこには小さな漁村がありますから、なんとか船を手に入れることができると思います」と言った。

その小さな漁村は山に囲まれており、村への出入り口はその峠しかないということであった。幸い山の上から見ると峠には人の姿も見えず、不審なようすもなかった。

 途中何度も狼煙が上がったのが見えたが、パティアは錯乱させるため、二度ばかりユーターンしたり、突然左折して、しばらくして急に元の道に戻り、今度は右折したりして、巧みにコースを取ったため、追っ手はどうやら、一行が海岸の方向に向かっているのは分かったが、どの海岸に向かっているのか、目的地を絞ることができないでいた。

パティアは狼煙が大分混乱しているようで、追手も戸惑っているのではないかと、みんなに説明した。


 一行六人が小休止して再び馬に乗り、山の頂から峠に向かおうとした時であった。

「ホッ、ホホホオィー」と言う声と馬の足音、いななきが、意外に近くから聞こえてきた。驚いて音のする方向を振り返って見ると,三百メートルくらい離れ、こちらの頂より低いが、山の上に十人ばかりの馬に乗り武装した兵士がいるのが見えた。

 彼らはすぐには、こちら側に向かってこようとはせず、彼らの後ろからさらに続いて十五,六人が上がってくるのを待ち、そろうと一気に聖一行がいる山へ目指し駆けてきた。

パティア一行ら六人はすぐさま前方の峠へ向けて馬にムチをあて急がせた。

 追手の騎兵隊は山での訓練が良くできているらしく、非常に素早く馬を乗りこなし、みるみるうちに近づいてきた。

峠への鞍部に六人が達した時、すでに百メートル近くに追いつかれていた。ニコリスは追いつかれるのは必至なので、こちらに有利な場所で戦おうと考え、遅れている中尾、松延に「あの峠で戦う、頑張れ」と叫んだ。

中尾、松延は必至に馬にムチをあたえた。

しかし、あせればあせるほど、追っ手との距離は狭まってきた。朝から走りずくめの馬は、口から泡を吹き出し,息苦しそうに荒い激しい息づかいとなりながら、それでも懸命に走った。

だが、特に六人の中でも馬に不慣れの中尾、松延の二人は他の四人から遅れ、ますます離れていった。

追っ手は中尾、松延に五十メートルほど近づくと馬を走らせたまま弓を射始めた。二本,三本と中尾、松延の馬の左右を矢が掠め前方へ飛んでいった。

 パティア、聖、ニコリス、ジミーの順で四人が峠に着き、すぐに坂の上の有利な地形を生かし戦おうと馬から下り、剣や弓をかまえながら峠から下を見ると、中尾と松延の二人はまだ峠の下、五十メートル位の所におり、大きな石や岩があるため、少しスピードを緩め、注意しながら登ってくるところであった。

 突然、松延の馬は大きな鳴き声をあげ、後足から崩れるようにドオッと倒れ、松延は「ウアー」と声をあげ振り落とされた。

中尾は悲鳴に驚き振り返ると、急いで自分の馬から下り、倒れている松延の側に駆け寄った。松延は落馬した時に、岩か何かに体を強く打ちつけたらしく、息はしていたが気を失い身動きもしなかった。

馬は尻に一本深々と矢が刺さり、弱々しくあえいでいた。

追手の先頭はもう三十メートル近くにせまり剣を抜きはなつと、大きく振り上げ突進してきた。中尾は「ちくしょう」と声あげると、松延の馬から銃を取り外し、すぐ安全装置を兼ねたセレクタースイッチを単発発射にセットすると、右膝を折り左足を立て、膝内の射撃体勢をとった。

中尾自身も内心驚くほど落ち着きはらい、一番先頭を来る隊長らしき者の頭を狙い照準を合わせた。そしてゆっくりと引き金を引いた。

轟音とともに空の薬きょうが飛び上がり、中尾の右肩に軽く発射の反動がきた。

先頭の男は一瞬、目を大きく開け全身を硬直させ、そして馬の右側に剣を振りかざしたまま落ちていった。馬はその男を置いたまま、中尾の横を通りすぎ峠の方へなおも駆け上っていった。続いて二発目の発射で二番目の兵士も馬ごと前のめりになりながら倒れていった。

三番目に疾駆してきた兵士は、二回大きな音がしたと思ったら二人の味方が倒されたのに驚き、本能的に危険を感じ、すぐ馬を立ち止め逃げようとしたが、中尾はその一瞬胸元を狙いまた一発発射した。

 あっという間に三騎倒されたので、後に続いていた二十騎余りの兵は大急ぎで、元きた道を蜘蛛の子を散らすようにひきかえし始めた。あまりにも恐ろしくなり慌てて馬を走らせたため、長耳族の兵二騎は岩につまずき、馬ごと大きくひっくり返った。馬の乗り手は二度と立ち上がることはなかった。

 それを見てから中尾は松延を背負い、時々振り返りながら追手の様子を確かめ、ゆっくりと峠を登ってきた。聖とジミーは急いで峠より駆け下り、中尾を手助けしながら松延を峠に担ぎ上げた。

 松延は意外に重傷を負っていた。口もとに少し血をにじませ全く動かなかった。パティアが急いで布に水を含ませ顔をそっと拭いてやると、やっとうっすらと目をあけ気がついた。しかし、すぐ苦痛に顔をゆがめ、うめき声をあげた。

松延の体を押したり触れたりして傷の程度を調べていた後、ニコリスはどうやら肋骨の何本かが折れ内臓もどこか傷ついていると、心配そうに見ている皆に、松延には聞かれないようにそうっと小さい声で言った。

 松延は再び目に視点がなくなり、ぼんやりし目を閉じ気を失いかけた。中尾は急いで軽く松延の頬をたたき、大声で「松延、目を覚ませ。これくらいの傷なんか、たいしたことないぞ------。元気を出せ------」と叫んだ。

松延はその声で再び目を開け、目の前の中尾の顔を見た。そして「水を------、水をくれ------」と小さい声で言った。

中尾は飲ませて良いかどうかニコリスの顔を見上げた。

ニコリスは中尾の目を見つめ、もうどうしょうもない。彼が望むようにしてやったほうが良いと言うように、沈痛な表情でうなずいた。

松延は中尾から水を飲ませてもらうと、少し楽になったのか、あえぎあえぎ声を出した。

「兄貴、すまない------。どうやら今度はもうだめのようだ------。体に力が全然入らない。どうか俺にかまわず先へ行ってくれ。このままだとみんな、全員捕まってしまう------。みんな------。先へ行ってくれ------」

とそこまで言うと、再び苦痛がおそってきたのか、顔をゆがめ、急に血をどっと吐いた。

中尾は半分泣きそうになりながら、松延の血で汚れた顔を布で拭いてやった。

 その時、追手を警戒していたジミー・スタインが「来たぞう」と叫んだ。

中尾は松延を水袋を枕にして、そっと置くと、傍らに置いてある銃を取り、すくっと立ち上がった。

「みんな先へ行ってくれ、俺はここで追手を防ぐ。その間に一刻も早く海岸へ出て船を見つけ、逃げてくれ」と決意の表情で四人に言った。

ニコリス、聖、ジミー・スタインは驚き中尾の顔を見た。

「俺と松延は義兄弟の盃をかわした仲だ。その弟をここに置いて俺は逃げることはできない。だからといって、このまま松延を連れて行こうとすると、われわれみんなの行動が制約され、追手に捕まってしまうだろう。どうせ俺たち二人は、まともに死ぬことができない運命だったのだ。どうか俺たち二人にかまわず逃げてくれ。俺たち二人にも、この世で少しは役立つことをさせてくれ------」

「そんなことはとてもできない。みんな今まで行動を共にしてきたのに、お前たち二人を置いていけるか。二人を置いていくならわれわれ全員ここで捕まったほうがましだ。たとえ捕まっても、また新たな展望が開けてくるに違いない」と聖は言った。

「われわれは村へ、仲間へ重大なことを告げる使命を持っている。いいかい、このままだと、それもできなくなるのだぞ。おれたち二人がここで犠牲になり、追手を防げば、後はお前たちでそれを成し遂げることができるのだ」

中尾は涙を流し目を真っ赤にしながら、さらに腹にしみとおるような大きな声で叫んだ。「聖、行ってくれ------。頼む、俺たち二人にかまわず行ってくれ------」

聖は涙で目をうるませながら、中尾の両手を握った。

「わかった------------」それ以上は声にならなかった。

ニコリスも中尾を無言で横から強く抱きしめた。ジミー・スタインは左手に弓を持ったまま、右腕で涙をはらい「畜生------、バカヤロウ------」と言いながら、峠から追手のいる下の方をにらんでいた。

パティアもこれらの光景にこらえきれず、背を向け涙をふいていた。

中尾は「さあ、みんな行ってくれ」と言うと聖やニコリスを振り払い、ジミー・スタインのそばに行き、立ったまま一発、追手へ向け発射した。

弾は当たらなかったが、近づいていた追手は急いで退却し始めた。中尾はそれを見ると松延の側に行き、引きずるようにして抱きかかえ、追手が良く見渡せる岩の側に松延を横たえた。

そして松延のポケットからもう一個の二十連の弾倉を取り出しながら松延に言った。

「おい、ここで俺たちは死のう。いいな------」

松延はあえぎあえぎ「兄貴、俺にかまわず行ってくれ、俺はもうだめだ。こんな俺に兄貴が付き合うことはない。そんなことをされると俺は兄貴に申し訳なさすぎる.行ってくれ------」と涙を浮かべて言った。

「そんなことを二度と言うな。俺とお前は今まで一緒に、いくつも危険な橋を渡ってきた仲ではないか。それに、われわれは一万数千年前の世界にいるという。もう帰れない、われわれは死んだと同じだ。どうせ死ぬなら華々しく行こうぜ。最後のために俺とお前の二発だけ弾を残しておくからな。もしかするとわれわれは死ぬことにより、再びわれわれが居た時代を見ることができるかもしれないぜ------。ハハハハ------」

「兄貴は本当に悪人になりきれない男だなあ------。俺は、兄貴のそういうところが好きなんだ。兄貴とならどこへ行っても、こわくないぜ。安心して死ねる。兄貴すまない。本当にすまない------」

 聖、パティア、ニコリス、ジミー・スタインの四人は馬に乗り、彼ら二人の後ろ姿を見た。

中尾はふり向き手を振りながら「さらば------、成功を祈る------」と言いながら、さらに何かを言おうとしたが、やめ、しばらく無言でじっと四人の姿を見つめていた。

そして「ヴォン・ヴォイヤージ(航海の安全を祈る)」と叫ぶように言うと背を向け、もう二度と振り返ろうとしなかった。

聖はたまらず声をあげ泣き出した。ニコリスは軽く聖の馬の尻をたたき、四人を前進させた。


 聖らが海岸に着くと銃声が二発ほど聞こえてきた。あまり広くない海岸には十数軒の民家と小さな埠頭があり、船が三隻横づけしてあった。そしてそこには五,六人の長耳族の漁師たちがいて、銃声のした峠と現れた馬に乗った異様な四人連れを不安そうに眺めていた。

すぐにニコリスとジミー・スタインは大声を上げ、剣を振りかざし威嚇しながら船にめがけ突進して行った。聖も剣を抜きその後に続いた。

漁師たちは無防備で突然のことだったので、驚き一目散に山の方へ逃げ出した。

埠頭に着くとニコリスは聖とパティアに埠頭の先端にある一番大きい船を指差し乗るように言った。ニコリスとジミー・スタインは残りの二隻に分かれて飛び乗り、剣で帆をズタズタに切り裂き、帆綱も断ち切り、舵も壊し始めた。さらに船底に剣を突き刺し穴をあけようと試み始めた。

 その間に聖とパティアは馬から水と食糧を船に移し帆を上げ、船出の準備に取り掛かった。

ニコリスとジミー・スタインは船に水が浸入し始めると、聖とパティアが乗っている船に飛び乗り,とも綱を切り離しすぐに出航させた。

 岸から三百メートルくらい離れた時、峠の方で再び激しい銃声が轟きはじめた。おりしも夕焼けが山々を真っ赤に輝かせ、波はキラキラと赤く光り、さらに船に乗っている四人の顔も赤く染めた。

だが、銃声が聞こえる度に四人の胸に、それが強く刺さるように響き、四人は脱出の成功を祝うどころか、祈るような気持ちで無言で峠の方に目をそそいだ。

 

 追手が海岸に着いた時、もうあたりは薄暗くなり、船は沖に点のようにしか見えなくなり、遠く海岸から離れていた。






   二つの大きな計画


 マジノ線計画とアポロ計画は順調に進んでいた。

マジノ線計画は第二次世界大戦のフランスが対ドイツ防衛線として国境に構築した要塞線、マジノ線に因んで命名され、長耳族に対する防衛対策計画である。

侵入を防ぐため木や竹で柵や矢来を組み、ところどころに監視所と砦を設置した防衛線である。村側から見ると、まだまだ未完成だが、それはまるで万里の長城のようにえんえんと丘を走り山を越え谷を塞ぎ続いていた。しかし、長耳族側の川から見ると、木や草などで覆われ防衛網はカムフラージュされ、存在を気がつかれないように、細心の注意で工事が進められていた。音の発生や多数の人が工事で働いている様子を川側から観察されないように、時にはひそかに深夜に大規模な工事がなされた。

さらに防御能力を充実させ、また地の利を得た抵抗、攻撃ができるよう、馬防ぎ、落とし穴、弱い個所にはさらに二重、三重の柵を設置しようと検討されていた。

ジャクソンはヘルンケンに、冬が来るまでに一次計画のすべてを完成させたいと述べた。

もう一つの計画、アポロ計画は船の建造である。アメリカNASAのアポロ計画は月探査を目的にアポロ宇宙船が造られたが、村のアポロ計画は移住目的の外洋航行能力がある大型船の建造計画である。

この計画は、非常に困難な問題が次々と起こり、施設班の造船担当者の頭を悩ました。

道具や技術、人員の不足、それ以上に建造を始める前の基本設計で相当の時間を費やさざるを得なかった。最初、もっとも簡単で短期間に製作できるイカダ方式の船を造ることが決まり、小型のイカダを製作、テストしたところ重大な欠陥があることに気がついた。

喫水が深く、甲板が水面に少し出ているだけで、波が高いと甲板上も洗うようになり、非常に居住性が悪く、さらにその上にキャビンを設置すれば、重さで甲板が水面すれすれか、最悪の場合は海面下になり、外洋には全く危険で適さないことが分かったからである。

 そこでやはり本格的な船を造らなければならないと、ワトソン氏らが中心になり夜を徹して何度も基本設計を練り直した。

クルーザーヨット、中国のジャンク、バイキングの船、葦舟、様々な形の帆船、日本の千石船等々、東洋西洋のいろいろな船が検討の対象になり、設計目標の全員搭乗出来ること、外洋航行能力があること、しかも短期間で現在の技術力、資材で建造できることなどの要件で各船の長所短所を研究、しぼっていった。

 大変無理な設計目標であったが、小さな二隻の模型を作り、水に浮かべ波や風を起こして浮力、復元力、安定性など調べ、やっとどうにか、五十人乗り、長さ三十五メートル、幅十五メートル弱、マストを入れて全高二十五メートルの船を三隻建造の基本設計がまとまったのは一ヵ月半前であった。

全員収容の大型船一隻という案は強度、能力、大型ドックを作るのに時間が掛かるため、最初にプランから消えていた。

設計が出来上がると直ちに三台の船台の工事が始まり、並行して木材の切り出し、乾燥、各部分の詳細設計と船の建造が始められた。

 危惧していた労働力は意外に豊富にあった。原住民は伝え聞いたり、資源調査探検隊に教えられ働きに来たり、物珍しさから村に訪れたりしているうちに、希望村の人々の友好的で危険な存在でないことがわかると、積極的に集まるようになってきた。

特に対岸の半島、日本人は房総半島と呼んでいる地域には、想像した以上に多くの人が住んでいた。彼らは完全に未開で、小さな部落単位の集団生活を営み、いまだ部落を越えたそれ以上の組織には至っておらず、狩猟と漁猟、採取などで生活をしており、純朴で危険な住民、部落ではなかった。

 彼らは希望の村の道具、特に鉄などの金属、ガラス、プラスチック、陶器、服装、村の住民の人たち、ありとあらゆるものに驚きと興味を示し、さらに進んだ科学技術、医療を持つ村の人々全員に畏敬の念をもって接し、少しでもそれらの便利なもの、特に鉄などの金属製品を手に入れることを望んだ。

ほんの小さな鉄のナイフ一個で彼らはそれを手に入れるため、一週間から十日くらい一生懸命に働いた。どんな力仕事や単純な仕事でも拒まず喜んで働いてくれた。

その内、中には二百人前後の大きな集団をもつ部落が、部落ごと希望の村近くに移り住み、積極的に希望村と交流をはかろうとしてきた。


 ヘルンケンは毎日忙しく過ごした。各班の進捗状況をつかみ、新たな計画や問題について討議やアドバイスをし、時には個人的な人間関係についてまでも相談にのることもあった。

また、さらに友好を深めるため、原住民の部落を訪ね、部落の長などと歓談し、贈り物を持参し援助を求め交流を進めた。

しかし、ヘルンケンは多忙で悩むより、毎日が充実した気持ちで、かえってそれを楽しんでいた。

 今日は午前中、一隻だけテストをするために、船舷が他よりも早く張られ、進水式が行われた。進水式といっても船はキャビンもつけられておらず、喫水の程度,漏水の有無、復元力、傾斜などの状態を調べテストするために行われたのである。無事予想以上に順調に行われ、終ると船は再び陸の船台に引き上げられた。マスト一本の大きな船がまだまだ完成にはほど遠いが、三隻浜辺の船台の上に並べられているのを見ながら、トーマスは喜びを顔に浮かべ、ヘルンケンに言った。

「どうだね、われわれの技術、能力は、素晴らしいものだろう」

「いや、みんな驚いているよ。これほどの船を造ることができるなんて信じられない。良く乏しい器材でここまできましたね」

「まだまだこれからですよ.甲板が張られ、船室や船倉ができてくると、もっともっと立派な船に見えてくるようになる。これも皆、わが大英帝国が誇る逸材ワトソン君が居るからこそできるのだよ」と言いながらトーマスは横にいるワトソンに微笑みかけた。

ワトソンは苦笑しながら「私は最初、これほどまでの船を造ろうとは思っていませんでした。ところが設計しているうちに、船やその他に関していろいろな方面の能力、技術を持っている人々が多く、教えられることが多く、またアドバイスを受け、討論し、補い合って設計を発展させ、だんだんに大きな確信ができてきたのです。これなら絶対に良い船ができるという確信ができてきたのです。それでこのような、当初は夢で、現在のわれわれの力では無理かもしれないと思われるような船を安心して設計したのです。今までのところ、無事予定通りうまく進行しています。これは私の力や、われわれ造船担当者だけの功績ではあるません。村の人々全員の力によって、ここまで持ってくることができたと私は断言します」

ヘルンケンはトーマスと同じように微笑みながらワトソンに言った。

「ありがとう、ワトソン君。私たちの船はもう周辺の部落では非常に話題になっているのだよ。こんな大きなものが本当に海に浮かぶのか、船でなくて住居でないのかと言っている原住民の長もいる。ハング・グライダーで空を飛ぶ鳥人とともに、驚異と畏敬の的になっていて、周辺部落に対しての政治、外交工作にもたいへん役立っている。私たちの船は漁猟や冒険のためにだけでなく、私たちが何らかの理由でここを去らなければならなくなる時にも必要になる。まあ仮定の話だが、対岸からの攻撃に耐えられなくなれば、この船に全員乗って逃げなければならない。そういう緊急事態のためにも、できる限り早く造ってもらいたい。必要なもの、足りないものがあれば、どんどん言ってきてほしい。私はあなた達のために最優先で、希望にそうようにします」

「マンパワーは一隻あたり十五人割り当てていますが、まあ、これ以上作業人員を増やしても、かえって能率が上がらないでしょう。問題があるとしたら、それは今のところ設計のほうにあります。安全の面から船底を二重構造にして、ついでに水タンクをそこに追加設置し、安全性と居住性の面から、基本設計にとらわれずに良いアイディアがあれば途中でもどんどん取り入れ変更しやっています。しかし、やりだすといろいろと欲が出てきて、お互いの意見、希望を調整するのに苦労しています。そのために作業の進行状況はスケジュールより少し遅れていますが、なんとか頑張り期限どおりに完成させたいと思います」

「ありがとう、ワトソン君。本当に私たちは君や君たちの班の人々に感謝しています。みんな仕事の合間や、一日が終ると船の周りに集まってくるのは、みんな君たちの仕事に注目し、仕事の出来具合に驚き興味を持っているからですよ。今日は無事テストの進水式が終って良かった。ありがとう。これからも健康に気をつけて頑張ってほしい」

ヘルンケンはワトソンの両手をしっかりと握った。


 ワトソンが再び仕事場に戻って行った後、ヘルンケンはトーマスと連れ立ち、集会所の建物の中にある一室に急いだ。そこには進水式の後、ジャクソンとジャン・ギラドが一足先に行き待っているはずであった。その室のドアを開けると、会議用の大きなテーブルが一個おかれていたが、二人はそこ座っていなかった。

ジャクソンとジャン・ギラドの二人は隣の部屋へ通じるドアを少し開け、子供たちに行われている学校の授業風景をニヤニヤ微笑みながらのぞいていた。ヘルンケンとトーマスが近づいてくると、ジャン・ギラドは「子供たちがどんな風に勉強しているかなと思って、ちょっとのぞいたのですが、懐かしいですね、自分の子供のころを思い出しますよ」と微笑みながら言った。

 ジャクソンも笑いながらうなずいた。トーマスもそのドアへ行き、そぅっと子供たちの姿をのぞいた。ヘルンケンは椅子に座ると「私も時々、そこからのぞくことがありますよ」と笑いながらうなずいた。

 四人がテーブルの周りに座ると、最初にトーマスが口を開いた。

「その中に、今日試射に成功したという銃があるのですか」とテーブルの上の大きな箱を見ながら言った。

「そうです。まあ質問する前に現物を見てください」

そういうとギラド氏は立ち上がり、木のフタを開け中から大きな長さ1.5メートルくらいの銃を重そうに取り出した。ヘルンケンとトーマスは息をのんでその大きな銃を見た。

しかし、トーマスはすぐに笑い出した。

「本当に大きな銃だ。銃と言うより砲、バズーカ砲みたいだな。これと同じような形の銃を私はどこかの城の壁に飾ってあるのを見たことがあるような気がするぞ。確か十六世紀頃の銃だったと思うが、それと非常に良く似ているな」

[そうでしょう。私たちは早急に武器を造らなければならないため、機構が簡単な火縄銃をモデルにして造ったのですから]とジャクソンは言った。

「それで試射に成功したと言うけれど、本当に実用に耐えられるのかね、どのくらいの有効射程距離があるのかね」とトーマスは少し失望したような表情で尋ねた。

ヘルンケンは、手で隣にいるトーマスの腿を制するように、ちょっと突っつくと「私とトーマスさんは、銃についてあまりよく知らないので、この銃の特徴などについて説明していただけませんか」と穏やかに尋ねた。

 ギラド氏はトーマスの顔を見ながら、火縄銃が出現したことによって中世のそれまでの弓矢、槍の戦争形態が、いかに変わったかの前置きを、静かに説得するように少し述べた後「火縄銃は確かに、われわれが知っている現代の銃、いや今や未来の銃というか、それらと比べると非常に劣っていることは確かです。しかし中世に置いて、その出現で戦争形態が変わったように、この一万数千年前の世界ならばなおさら、火縄銃は最高の武器であり、これに対抗できるものは、この世界には存在していないことになります」

トーマスはなるほどという感じでうなずき「火縄銃について、私の認識不足のようであったな」と言った。

 さらにギラド氏は話を続け「朝、山で私とジャクソンさん、それに製作にかかわった他の二人で火縄銃のテストをしました。何回も二十メートルから始めて最長六百メートルまでの離れた標的に向けて発射したところ、弾は五、六百メートルは十分に飛びますが、二百メートルくらいまでが有効射程距離で、二百メートル先の厚さ約二センチある木の板を打ち抜くことができました。命中精度は五十メートル離れたところから照準とおり合わせれば直径十センチの円に集中させられるほどの機能があります。これは私たちにとっては予想していた以上の結果なのです。このくらいの精度があるなら十分に実用に供せられるでしょう。まだ一部分改善するところもありますが、すぐにこれから最低三十丁、これと同じ銃を全力で作りたいと思っています」

「この銃の取り扱い方法は難しいのですか」とヘルンケンは尋ねた。

「特に難しいということはないですが、先込式の銃なので、銃口から黒色火薬を入れ、ついでにこの丸い弾を入れます。そして棒で弾と火薬を突き固めます。次にこの火皿に点火薬を注ぎ、火縄を火縄ばさみにはさんで構え、撃つ時は、このように安全装置を外し引き金を引き発射するのです。これで分かるように、この銃のまあ、重大な欠点でありますが、弾込めから引き金を引くまで一分から一分半くらいかかるのです。それに銃の重量が重いこともあり、慣れるまで何回も試射して訓練しないと、この銃の機能を十分に発揮させることができないでしょう。それでわれわれは火縄銃の射撃訓練も銃の生産と同時に始めていかなければならないと思っています」

「最低三十丁生産すると言ったが、それで十分敵に対抗できるのですか」とトーマスが尋ねた。これに対してジャクソンが代わりに答えた。

「対抗するためには少なくても四百丁くらいいるでしょう。しかしそんなに多くの銃をこれから作ろうとしたら、村の全員をそれにかからせても完成するまでに一、二年はかかってしまうでしょう。私は前に言ったように、兵力などから判断すると戦略的には彼らに敗れるという意見に変わりありませんが、ただ、一回、一回の戦術的勝利を積み重ねれば、その時期を多少でも遅らせることができ、また、異なった展望が出てくるかもしれないという希望が若干ある点に賭けているのです。部分部分の戦術的勝利を得るには、ぎりぎり最低三十丁はいると思うのです。われわれマジノ線計画のスタッフは十人編成の鉄砲隊を三隊作り、各一隊は隊長一人、それに三人、三人、三人の三組に分け、交替で射撃,弾込めをさせ、敵側に弾込めに必要な一分から一分半の間隔を突かれないようにしようと訓練するつもりです。さらに各隊の隊長にはM16ライフル銃を与え、止むをえない時や、防ぎきれないような状態になったら発砲するというように鉄砲隊を編成しようと考えています。そして三隊の内、二隊は防衛線の重要な地点に配備し、一隊は予備兵力にしておき、防衛線が破れられそうになったら至急そこへ派遣するという構想です」

「なるほど、さすがにNATOの優秀な武官だ。良く計画を練られていますね」

とトーマスは感心したように言った。



 時刻はもう昼になり、隣で授業を受けていた子供たちは、昼食をとりに村の食堂へ、大きな声で、騒ぎながら向かい始めていたが、ヘルンケンら四人はさらに火縄銃だけでなく、火薬、マジノ線計画などの防衛計画全体について話を続けていた。

 村の人々は昼食持参の狩猟などの山仕事や砦作りなどの遠方へ行く人々を除いて、村の食堂に集まり食事をとることになっていた。

ちょうど、村の半数くらいの人々が食事を終え、車座になり談笑したり、休憩のため木の下で横になり,一時の睡眠をとったり、手製のボールでサッカーやバレーボールで遊び始めた時であった。

 突然、警笛が三回断続的に鳴り始めた。バスとモノレール、乗用車よりはずされたクラクションと各種警笛が集会所の屋根の上と丘の監視所、山の防衛線にある砦に一個づつ付けられ、砦、丘の監視所や集会所の本部から、何か異常が発見された場合や、緊急時にスイッチが押され、それぞれに通報しあうシステムである。

三回断続的に鳴るということは少数の侵入者発見という警報であった。急いで話し合っていた四人は集会所の上のバルコニーにかけ登った。

そのバルコニーからは西側に長耳族の国がある山や丘、左側の目の前には海岸が見渡せるようになっていた。

ジャクソンは急いでバルコニーの横に設置してある丘の監視所からの電話を取った。

この電話はモノレールから外され、丘の監視所と砦の三ヵ所がつながれていた。ジャクソンが電話をとると、すぐに監視所からの声が聞こえてきた。

「村の海岸前方、約三キロメートル沖に、原住民の船と全く異なる船が一隻見えます。人が乗っているかどうか不明ですが、こちらの海岸へ向かって来るようです」

 ジャクソンは電話を耳にあてたまま急いで海を見渡した。ヘルンケンら三人はジャクソンが海を見ているので、すぐに海から何か侵入してくるのだと理解し、バルコニーの手摺にのめるように体を支えながら、目を凝らし侵入者の姿を探した。

ジャクソンは砦にも電話をかけたが、砦からは長耳族との境界の川は異常ないと報告があった。

 ギラド氏が「あれだ」と叫び指をさした。そこには、湾の入り口近くであったが、船が小さな点のように浮かんでいるのが見えた。

ジャクソンは「本当に一隻だけか、他に何か見えないか、何人くらい乗っているのか良く見てくれ」と丘の監視所に言った。

監視所はしばらく双眼鏡で良く観察した後「一隻だけです。その後に続く船は見えません。無いようです------。人影はまだ良く------、はっきりはしませんが、十人乗り程度の小型ヨットくらいの船です------。しかし真っ直ぐこちらの方向へ進路をとっているようです」

「よし分かった。なお注意して監視してくれ、それに川の対岸のほうも一応注意してくれ、不穏な気配があったらすぐ連絡するよう。それから砦とも連絡を密にして警戒態勢をとり続けるように言っておいてくれ」

とジャクソンはてきぱきと命令し電話を置いた。

すでにバルコニーの下には大勢の人が昼食を中断して駆けつけ、バレーボール、サッカーで遊んでいた人はボールを放り投げたまま集まって来ていた。ジャクソンはそれらの人々に向かって叫んだ。

「正体不明の小型船がこちらに向かって進んでいる。緊急体制フェーズBを適応する。防衛隊員は至急武器を携帯し、第一、第四隊はここに集合、残りの隊は村の全員を裏山へ避難させるよう直ちに行動してください。船が来るまでまだ時間は十分にあるので全員あわてずに行動するよう」

ジャクソンはヘルンケンに「緊急体制フェーズBを適応します。よろしいでしょうか」と言い承認を求めた。

ヘルンケンは静かにうなずき「よろしく頼みます」と言った。

緊急体制はフェーズA,B,C,Dとあり、Aの軽度の警戒注意体制から、Dの厳戒戦争体制と局面に応じた対応処置をとるように防衛体制が決められ、村の住人全員に対岸の脅威の存在と防衛委員会の対策が討議され、さらに掲示板と回覧で全員に周知されていた。

 緊急時の訓練を過去に二回実施されていたので、全員命令が伝えられると、蜘蛛の子を散らすように去り、五分後には第一、第四の防衛隊員二十名が全員バルコニー下に、様々な武器を携え整列した。

裏山への道には女性、子供を先頭に村の人々が残りの防衛隊員と共に、時々振り返り、近づきつつある船と、集会所の建物の方を不安げに見やりながら登り始めていた。

ジャクソンはヘルンケンとトーマスも山へ避難させようとしたが、二人はどうしても一緒に海岸へ行き、船の正体を見ると言いはるため、やむなく防衛隊員と共に海岸へ連れだった。

 海岸へ出るとヘルンケンは「私たちが全員武装して、ここであの船を待ち受けるということは、船に乗っている者たちに、かえって警戒心を抱かせ、無用な戦いを起こさせることになりかねない」とジャクソンに言った。

「そうですね、どうやらあまり大勢乗っていないようだし、すんなりとこの海岸に船を着けさせ、はっきりと船に乗っている者の正体を見きわめたほうが良いかもしれませんね。もし敵対行動をとるような者達だったとしても、われわれには二十人もいるのだから、十分に余裕を持って対抗できるでしょう」とジャクソンはうなずいた。

 早速、ジャクソンは自分とヘルンケン、トーマス、それにピストルを隠し持った防衛隊員三人を残し、他の十七人の隊員を海から見えないような近くの木陰や砂丘の後ろに伏せさせた。M16ライフルを持った三人は特に、ジャクソンは海岸にいる六人が良く見渡せ、いざという時、すぐに援護し狙撃できる位置に伏せさせた。


 今まで一日中、働く人々の声、樹木を切る音、削る音、釘を打つ音、石を叩く音など、村の建設のために絶えることのなかった音が止み、ただ静かに波の寄せては返る音だけがあたりに響いていた。

 六人は無言で静かに近づきつつある船を待った。伏せている隊員だけでなく、裏山から隠れながら海岸を見ている村の人々、それに丘の監視所から刻々と伝わってくる情報に、警戒についている砦や防衛線にいる人々も、全員がその怪しい船の動向に注目した。

 皆、どんな顔のどんな人たちが何人乗っているのだろうか。川の対岸の国の人たちなのだろうか。戦うようなことになるのでは。誰か傷つくようなことにならなければ。と不安な表情であれやこれやと思いやった。

 船は静かに近づいてきた。一本マストに大きな太陽をかたどった図柄のある帆は、強い風を受け大きくふくらみ、緊張して待ち受けている六人の立っている海岸へ向かってきた。

今まで見たことのない不思議な形の船はますますはっきりと、村へ真っ直ぐに向かって近づいてきた。

 突然、監視所からまた警笛が押された。

「ブゥ-」「ブゥ-、ブゥ-------」

長い断続的な音が村中に鳴り響き続けた。突然のことに海岸にいた六人は動揺した。そして監視所の方を振り返って見た。

丘の監視所では二人ほど立ち上がり船に向かって大きく手を振っていた。ジャクソンはなぜ彼らは手を振っているのだろうか、この警笛はどういう意味なのであろうかと船を見ながら考えた。こんな警笛の鳴らし方はなかったはずだがと------、しかし直ぐにジャクソンは満面笑顔になり、大声を上げ、手を振り波打ち際に走り始めた。

 鳴り渡る警笛がどういう意味なのか、それにジャクソンが突然、気が狂ったように騒ぎ海の中に濡れるのもかまわず入っていく姿に、残りの五人は、唖然としてジャクソンと船、それに監視所などを見ていたが、船からも手を振っている姿を見とれるようになって、直ぐにその意味がわかった。

「ニコリスだ、聖だ。ジミー・スタインもいる」とヘルンケンは叫んだ。

 そうか、監視所は双眼鏡で見ているから、船に乗っている者が誰か、われわれよりも早く知り、皆に知らせるために祝砲代わりに警笛を鳴らし続けているのだ。

 六人は全員喜びの声をあげ、手を振りながら波打ち際に走りよった。

船が海岸に五十メートルほどに近づくと、もう誰しもがその見慣れぬ船の乗組員が誰かはっきりと分かり、伏せていた防衛隊員も起き上がり歓声をあげながら後に続いた。それを見て裏山に潜んでいた村の人々も手を振り、何人かはもう山から下り、海岸に向かって走り始めていた。

 聖、ニコリス、ジミー・スタインらは、元気に船から盛んに手を振り、みんなの歓迎に答えていた。村の何人かは船が着くのを待ちきれず、海に飛び込み胸までつかりながら、船の進行を手伝ったり、船縁につかまり、お互いに声をかけながら握手をし、喜び合ったりしていた。

船が海岸に着き、船底が砂につっかへ、それ以上進めなくなると、皆、船の周りに駆け寄り、四人が船から下りるのを手伝い、陸に上げた。

 舟が着いた海岸の周りは人々の歓迎の渦で埋まった。

「良く無事に帰ってきたなあ、良かった、良かった」

「ありがとう。ありがとう」

「ハ-イ、ジミ-、ハハハ-----、やっぱりお前だ。日に焼けているから誰かと思ったぜ。やっぱりお前だ。ハハハ-----、おめでとう。良く帰ってこれたな」

「無事の帰還おめでとう。毎日、無事帰ってくるのを祈っていましたよ」

「ありがとう、ありがとう。心配させてすみませんでした」

「ああ、やっぱり帰ってきたなあ。俺は信じていたんだ。お前たちなら無事帰るとね。良かった、良かった」

「ありがとう、ありがとう。村の姿も変わったなあ。見違えるほどだよ。余り変わったので本当にわれわれの村なのか、一時、躊躇して船を止めたよ。ハハハ-----、みんな良く頑張っているなあ、驚いたよ」

ジャクソンはニコリスを握手と抱擁し喜んだ。ジャクソンとニコリスは、湾岸戦争の「砂漠の嵐」作戦の時、共に作戦計画をNATO軍の一員として参加、ニコリスはイラクにも行き実戦経験もあった。マジノ線計画を考えていた時、ジャクソンは問題があるとニコリスならどう考えるかと、たびたび思っていたので、喜びは大きかった。大きな信頼できる援軍が突然現れたかのようなうれしさであった。

 ヘルンケンは喜びながらも、中尾と松延の二人の姿が見えないのに気づき、ニコリスに二人の安否を尋ねた。その周りにいた人々も静かに聞き耳を立てた。

 ニコリスはしばらく沈黙した後、目を潤ませながら「彼ら二人はわれわれを逃すために犠牲になり、英雄的な最後をとげました」と言って船を奪う時の戦いをヘルンケンに簡単に説明した。

ヘルンケンとトーマスはそれを聞き「惜しい立派な男を死なせてしまった」と一言いって目を潤ませた。今のヘルンケンとトーマスには村の人は一人でも失いたくなかった。生きていれば、もっと活躍し働く場がたくさんあるのにと残念がった。

 聖は歓迎の渦から抜け出すと、ひとり不安な表情でいるパティアの側に行き「あなたを一人にしてすまなかった。でも、ご覧のとおり、村の人々は皆、良い人ばかりです。そんなに不安がることは無いですよ。さあ行きましょう。みんなにあなたを紹介します。一緒に行きましょう」と聖は言いながらパティアを保護するかのように、パティアの右肩に軽く手をおき肩を並べて、ヘルンケンやトーマスがいる方へ、人々をかき分けるようにして進んだ。

 村の人々は聖の横にいるパティアの美しさと高貴な容姿にしばし呆然と魅入った。

その姿は西洋人には東洋的な美しさを、東洋人には西洋的な美しさを感じさせ、不思議で神秘的なあやしいような魅力を村の人々に与えた。

ヘルンケンとトーマスの前に進んでいく二人を見て、大勢の人々は興味を持ち、自然にその周りに集まり、後に続いた。

手をつなぎ時々目と目を合わせ微笑む二人は、誰から見てもたいへん仲の良い恋人同士の姿である。

 パティアはヘルンケンとトーマスの前に立ち、この人がミスター聖がよく言っている村の代表者だと分かると、今まで日差しを避けるため頭と顔の一部を、おおっていたショールをゆっくりとはずした。

それを見た村人たちは、長耳族のことは話では聞いていたが、初めて目の前に接して、その耳の長さに驚き、どよめきの声をあげた。しかしパティアは周りの騒ぎや、人々の目を全く動ずることがなかった。聖はパティアの態度に感心するとともに、意外に強い心を持っているという印象をその時に感じた。


聖はヘルンケンとトーマスに長耳族の国ラ・ミュー帝国の丞相サロモン氏の孫娘で名前をパティアといいますと言って紹介するとともに「彼女のおかげで無事に私たちは、長耳族の国から抜け出すことができたのです」とつけ加えた。

 ヘルンケンはニコリスからもサロモンとパティアの援助で無事逃げることが出来たと、簡単に概略を聞いたので、喜んで自分の名とトーマスを紹介しながら「よく来てくださいました。あなたを村の一員として喜んで迎えます」と微笑みながら暖かく歓迎した。

同時に村の人々も拍手でパティアが村の一員になることに同意し、歓迎の声をあげた。

 再び賑やかな歓迎の渦ができた。パティアの周りにも村の人々が、特に女性が集まり話し合い、なごやかな笑いがあがった。

ヘルンケンはしばらくたった後、大きい声を上げて「皆さん、ミスター・ニコリス、ミスター・ジミースタイン、ミスター・ヒジリ、そしてミス・パティアさんたちは、私たちの村にたどり着くのに、三日以上かけての困難な船旅をして来ました。たいへんお疲れだと思います。みなさんにはいろいろと聞きたいことが、山ほどたくさんあると思いますが、今日はこのくらいにして休ませてやりましょう。そして明日の夜は、長い間待ち望んだ西行探検隊の帰還、それに新しい村の一員に加わってくれたパティアさんの歓迎を祝い、パーティを開きましょう」と叫んだ。

 彼ら四人の疲労が激しいということは、誰の目からもはっきりと分かったので、人々は「そうだ、そうだ」と言ってヘルンケンの意見に同意し、また、パーティが開かれると聞いて喜びの声を上げた。



 翌日の昼過ぎ、集会所の会議室に長耳族の国から帰って来た三人、それにパティアとヘルンケン、トーマス、ジャクソン、ギラド、ハインリッヒ、防衛隊の隊長四人、さらに各班のチーフが加わり、ニコリスたち西行探検隊一行と聖の捕虜になった時の状況から、長耳族のラ・ミュー帝国、王宮、軍の演習などで見聞きした事柄や、脱走についての経緯などの報告を聞いた。

ヘルンケンとトーマスら、聞く者にとって、長耳族の帝国は予想以上の驚きと衝撃を与えた。また、脱走の時死んだ中尾、松延の最後は,話す者、聞く者、みんなの涙をさそった。

 さらにパティアからサロモンから伝えるようにと言われた重要なメッセージが語られた。

皆、それを聞いている内に緊張した表情になり耳を傾けた。

 それは来年の夏の初めか、遅くとも秋までに長耳族の軍が、こちら側に派遣されるであろうということであった。

本来は今年中に派遣される予定であったが、西の国境近くで反乱が起こり、大規模に野蛮人たちが長耳族の部落,町を襲撃して来たという騒ぎがあり、ニコリスたちが演習で目撃した軍もそのために派遣されるという。その結果、東への派遣は来年に延ばされ、冬は雪、春は農牧畜で忙しくなり、特に来春は皇帝が病弱のため、皇太子が新たに選ばれ、即位式を繰り上げて行うため、軍隊は夏以降に派遣されるであろうというのである。

 そして続いてパティアはアルゼノンの予言を、サロモンがニコリスらに語った一字一句そっくりそのまま、緊張し息をのむようにして聞いているみんなに、ゆっくりと話し、サロモンが長耳族の滅亡が迫っていると悟った経緯を語った。

「私の祖父、サロモンは私にさらに伝えるようにと言いました。アルゼノンの予言で言う神の怒り、または私たちの軍団のいずれかにより、あなた達がこの地にとどまっている限り、大きな禍と不幸があなた達に及ぼされることになるでしょう。できる限り早く、あなた達はこの地を去り、新たな新天地を求めるよう望みますと言われました」

 パティアからアルゼノンの予言、サロモンのメッセージが伝えられると、皆、大きな衝撃を受け、暗澹たる気持ちと共に、それに対する疑惑をも起こり、しばし皆、沈黙をしていた。

もし、それが本当なら容易ならざる事態になると、トーマスがいつものように先に口を開き質問をした。

「忌憚の無い率直な質問をしますが、パティアさんには気を悪くして失礼になるかもしれませんが、パティアさん悪くとらないでください。ジミー・スタインさん、私はサロモンという人、実際に会っていないので、どういう人物だか知らないから疑うように聞くが、サロモンという人物は本当に信頼できる人なのですか、あなた達全員、騙されているというようなことは無いでしょうね、この話は本当に真実だと、われわれは信じても大丈夫なのかね。君の率直な意見を聞かせてほしい」

「私はサロモン氏は絶対にわれわれを欺くような人物で無いと、確信して断言します。もし、われわれを欺くために予言を作り、このようなメッセージをパティア嬢に頼んだとして、彼に何の利益があるのでしょうか。われわれをこの地より去らせずに、村の人全員を捕らえたほうが、かえって長耳族の国には利益が生ずるのに,そうはせず、自分の命を犠牲にしてでも、われわれを逃がそうと計ったのです。私はサロモン氏を全面的に信用します」

とジミー・スタインは強い口調で言った。

「私もジミー・スタインと同意見です。サロモン氏を信じます」とニコリスは言い、さらに話をつけ加えた。

「彼と直接話した者ならば、彼は非常に誠実で優れた人格者だと誰しも認めることでしょう。会えば誰しもが惹き付けられてしまう、みなさんにも本当に合わせたい人物です。彼は時代を越えた素晴らしい頭脳の持ち主だけでなく、われわれ以上に将来を見通すことのできる者だと思います。国が滅びようとしている、愛国者なら、なんとか救う手立てを考えるのが普通だと、ある人は言うかもしれません。しかし、私は彼の心を推測するに、彼は絶望したのです。予言でいう神と同様に、むしろ今のような長耳族の国だったら滅んだほうが良いと考えたのです。しかしただ、完全に滅びるのではなく、たった一人の人間、パティアさんによって民族の血は永遠に伝えられていくという希望がある。そういう一つの手立てが残っていると分かり、彼は決断したのだと思います。私は彼のメッセージの言うように、それに従いできる限り早くこの地を去るべきだと思います」

トーマスはそれに対して、黙ってうなずいたが、まだ納得できないでいた。

ヘルンケンはそれらのやり取りに対して何も言わず、ハインリッヒ氏の方を向き言った。

「あなたはどう思うのでしようか。私たちはこの時代のことはほとんど無知に等しいので、あなたの専門的な立場からどのように、予言やサロモン氏のメッセージに対して考えるか聞きたいのですが。この時代にアルゼノンの予言でいうような大きな出来事があったのでしょうか」と尋ねた。

「私もこの時代の知識は、無いに等しく、ほとんど持ち合わせません。紀元後ならいざしらず、それ以前の歴史、地質地形などの自然変化は、数万年単位、少なくても数千年単位の長期的な観点でしか研究されないし、わからないのです。ある年代に大きな天変地異、ある現象が現実にあったとしても、遥か後世の人からは、起きたその年、日時などはたいした意味無いのです。はるか何千年、何万年前の昔に大きな異変、変化があったようだで良いのです。まして私の専門のヨーロッパならまだしも、アジアの局部的な一地域、日本のこの時代に何が起こったか、どのような事件があったか、私には分かりませんし、言うことはできません。ただ、日本は環太平洋火山帯、地震帯に属し、地震や火山の噴火などの多い国です。私はアルゼノンの予言を聞いている内に、予言いう神々が怒り起こす大異変は、火山の噴火、地震、津波などでもたらされる自然災害に表現がたいへん似ていると思いました。もし、予言が正しいとすると、多分そのような自然がもたらす災禍が長耳族の国を滅ぼすことになるのではないかと解釈したいが------、日本はそのような地震や大きな火山の噴火などがたいへん多い国です。大きな天災がいつ起きても不思議ではない国だと思っているのですが------、しかし残念ながら、この時代の日本についてはっきりと断定できる知識を持ち合わせていないのです」

「聖書で言う、ノアの大洪水はどうなんですか、この辺の時代に起きたのでは------」

とトーマスはハインリッヒの自然の災害説になるほどと思いながら尋ねた。

「箱舟は別として、ノアの大洪水が過去の歴史にあったことは通説になっています。しかし過去の歴史において大洪水は何回もあったようです。したがってどの大洪水を、もってノアの大洪水と呼ぶか、まだ研究者間で定まった説はありません。しかし強いて言うならば、聖書で言うノアの大洪水は、B・C四千年の後期ぐらいにあった大洪水を指すのではないかというのが、まあ学界で現在のところ多数説です。われわれはそれよりも、およそ六千年以上も過去にいるのです。決してノアの箱舟の主人公にはなれません」

「実は------」と聖がためらいがちに、ハインリッヒの方を見ながら発言した。

「私がなぜこの地が日本だと気づいたかというと、ミスター・ニコリスたちの西行探検隊の行方を探すため、山々を歩きまわっている時、偶然、木陰から煙をあげている火山、富士山を発見したからです。長耳族に捕まり、長耳族の都へ行けば行くほど、その火山に近づき、ますます、あの山は昔の富士山だと確信したからです。それで今、ハインリッヒさんがアルゼノンの予言は火山の噴火、地震、津波などの災害と表現が似ていると言われた時、私はある重要なことを思い出したのです。それはわれわれが住んでいた現代は確かにもう富士山は噴火の無い休火山になっていたが、昔は、特に何万年か前、私には、はっきりとそれが何年頃と指摘することはできませんが、日本の歴史における旧石器時代、その前後に富士山は大きな大噴火を何回も繰り返し、日本全体、特に今われわれがいる関東平野は火山灰に厚く覆われ、所によっては十メートル近く堆積したといいます。その火山灰の赤い地層を関東ローム層と呼ぶと、私は学校で教わり、本で読んだ記憶があります。それで私は、予言の大異変はその富士山や近くの浅間山、箱根山も、ひょっとすると、これから有史以来最大の大噴火、大爆発をするのではないかと思うのですが、どうでしょうか------」

 皆、日本の代表的な山で世界的にも有名な富士山という言葉がでてきたかと思うと、突然それが大爆発するのではないかと言うのを聞き、驚きと緊張した表情で、聖とハインリッヒの顔を見た。

「実は私も、うすうす富士山が大爆発するのではないかと考えていたのですが、日本の火山の歴史などは良く知らないため、あえて富士山と断定せずに言わなかったが、聖さんの言うように富士山や周辺の火山が古くから噴火を繰り返していたならば、その可能性は非常に強い。そおすると、われわれは近々、富士山や周辺の火山が大噴火すると断定し対策を講じなければいけないことになる。それが一番アルゼノンの予言に対する正しい解釈かもしれません。聖さんに言われて私も何か昔、関東ローム層などについて、私の国の誰かが書いた古い研究論文を読んだような記憶がある。そのような大量な火山灰がもし一時に降りそそいできたならば、全ての動物植物は無論、そこで生活をしているわれわれも全滅してしまうでしよう。イタリアのヴェスヴィアス火山の大爆発でポンペイやヘルクラネウムの都市が埋没したように、全てを火山灰などが覆い尽くしてしまうでしょう」

そう言うとハインリッヒはため息をつき、腕を組みながら下を向き考え込んでしまった。

他の者も沈痛な表情を浮かべながら口をとざしてしまった。

聖は隣に座っているパティアに尋ねた。

「王宮の後ろの山で、白い煙を吐いている山を知っているでしょう。あの山は過去に噴火したことは無かったのですか」

「ああ、あの山をみなさんは富士山と呼んでいるのですね。私たち民族は約一千年近くあの地に住み生活をしていますが、白い煙は昔から時々のぼります。でも、大きく爆発したという記録はここ、二百年くらいの間ありません。しかし、あの山の頂上付近は昔から硫黄鉱山になっていましたが、最近になって白い煙が多く発生するようになり、その煙をすったのか、それとも何か別のせいか、鉱山で働いていた奴隷の何人かが死にました。それ以来、採掘を止め、あの山の頂上付近は近づくことを禁じられています」

「白い煙が最近多くなったと言いましたが、いつ頃からですか------、他に何か変わったことは起きていませんか」とハインリッヒはパティアをにらむようにして尋ねた。

「あの山の噴煙が、下から見ても多くなったと感じるようになったのは、確か半年くらい前からだと思います。それ以外には別に変わったことは無いようですが------、強いて言えば、小さな軽い地震が最近二,三回あったくらいです。しかし、私の国では百年に一度くらい大きな地震があり被害を受けますが、あの程度の小さな地震はよくあることなので、取り立てて言うことは無いかもしれませんが------、他には何も異変は聞いていませんし------、ないと思います」

 ハインリッヒは半年くらい前から噴煙が大きくなったと聞き、ギクッとした顔つきに変わった。パティアの話が終ると「ますます富士山や周辺の火山の噴火の可能性が大になった。大噴火が近づきつつあるかも知れない」と呟くと、また腕を組んで考え込んでしまった。

「ハインリッヒさん、そんなに悲壮な顔をしないでください。私たちは一体どうしたらよいのですか」とトーマスは叱りつけるように、また皆を勇気づけるように大きい声を出して言った。

それに対して代わりにヘルンケンが静かに考えながら答えた。

「どうやら私たちはこの地から去らねばならないようだ。長耳族の国の戦いにたとえ勝ったとしても、遅かれ早かれ富士山の大爆発が私たちを襲う。この地にいる限りサロモン氏が忠告してくれたように、私たちは滅ぶことになる。したがって、この地から脱出し、どこかに永住に適した新天地へ移り住まなければならないという結論になると思う。しかし、ここより北の日本の地は寒いし雪が多い。とても永住に適さない。南は長耳族の地、とすると私たちは新天地への移住は船で遥か遠方へ求めるしかない。私たちの生きる道はそれしかないようだ。トーマスさん、船の建造はますます急務になりますよ。村の施設などの造営は全てこのさい中止し、船の建造に力を結集しなければいけないようですね」

「そういうことになるな------。船の建造を第一に考えて、もう一度マンパワーのアサインを組み直さなければいけないようだ。造船チームは完工期限を来年の秋に目標をおいているが、至急チーム全員で相談して、もっと早く建造させる方法を考えてみよう。ワトソン君、われわれ存亡の危機だ頼みますよ」トーマスは少し離れたところに座っていたワトソンに言った。

ワトソンは「分かりました。至急検討します」と答えたが、頭の中は少し混乱していた。

この集会所に集まったのは、長耳族の国の情勢、脱出した方法などの話を聞く報告だけの会合と思って来たのに、思わぬ成り行きに驚いた。

常日頃ヘルンケンやトーマスに船の建造を急げ急げと言われていたので、多少反発と疑問を感じていたのが、ヘルンケンとトーマスはこの地を早く去らねばならないと早くから考えを持っていた理由と不安はこれだったのかと、これで少し理解できたような感じをした。

ヘルンケンはワトソンにトーマスの言葉につけ加えるように言った。

「私たちの命を預ける大きな船を三隻造るのですから、手を抜くことはできないし、作業をする人の安全と健康も考えねばなりませんが、ワトソンさん、よろしく頼みます。村の最大の危機が近づいています。全てはワトソンさんのチームに掛かっています。人員、器材,何でも不足するものがあれば、私かトーマスさんに言ってください。最大限の協力をいたします」

ワトソンは「分かりました------」と答えたが、それ以上は無言であった。何をすべきか、どのステップでどのくらいの人員、器材が必要かなど、もう考え始めていたのである。

トーマスがそこで質問をヘルケンにしてきた。

「その前に私はあなたの考え方に一つの危惧があるのだが、それはもし、船の完成前に長耳族の襲撃や富士山の噴火が起きたら、全てが無に帰してしまうのだが。その点、あなたはどのように考えているのですか」

その質問にヘルンケンは直接答えず「ジャクソンさん、あなたはこの前、私に小型の大砲を鉄砲に一応の目途ができたら、次に作ろうと考えていると言いましたね」とジャクソンに質問した。

「ええ、言いましたが------」とジャクソンは急な質問だったので少し戸惑い答えた。

「その大砲ができれば、長耳族の襲撃に対して、私たちの防御陣地は長期間戦い抜けるのではないでしょうか」

「まあ、大砲が有る無しで、戦いの方法が多少変わってきます。大砲が多数あれば鉄砲だけの戦いより、より有利になることは確かで、防御網に格段の差をつけます。しかし、ニコリスの報告による長耳族の軍事力から判断すると、ますます長期間防衛ラインを維持できると約束できないようになりました。それに銃、大砲の製造には越えなければならない問題がたくさんあります。人員、鉄の増産、一番の問題は火薬です。原料の硫黄、木炭はなんとかなるのですが、硝石の製造が間に合わないのです。もっと効率的に製造する方法がないか、石炭などから科学的に硝酸を合成できないかなど含めて、その分野の詳しい数人でチームを作り、作業をしています。しかし、本当にたいへんです。なにしろ器具が全くないのです。すべて自作になるのです。例えば単純な温度計さえも無いので自作しなくてはならないのです。こちらの方にも人員増を計ることをお願いしたいのですが」

「わかりました。マジノ線計画にも総力を結集しましょう。ではこれで決まりました。直ちに鉄砲と大砲をできる限り多数製造、研究してください。長耳族との戦いに対してだけでなく、これから移住する場合においても、これらの武器は必要になってくるでしょう。次にハインリッヒさん、私は以前、火山に関する本を読んだことがあります。その中で火山は煙を吐いたから、また地震があったからと、直ちに噴火するとはいえないし、そのままおさまる場合もある。各々の火山は、火山特有のさまざまな活動形態があり、噴火予知はまだまだ完全にできるところまで行っていないと、そのような意味で書かれてあったのを覚えていますが、確かでしょうか」

「事実です。地震があったとか、白い煙を上げたということは、噴火の可能性は非常に強くなったと言えますが、それが直ぐ今日、明日噴火するということには結びつきません。半年後、一年後に噴火することもあるし、火山性の群発地震が激しくなり、噴火が起こるかと待っていると、予想が外れて、そのまま穏やかにおさまっていく場合もあります。ボンペイの都市を埋没させたヴェスヴィアス火山が大噴火する時には、十六年間も断続的に地震があったといわれています、しかし、最近は予知に成功している例もあり、だいぶ研究は前進しています。それにはさまざまな地震計などの精密計器と共に、その火山特有の傾向や溶岩の性質、地形、地磁気、地下水などの複雑な変化などを詳細に調べる必要がありますが、もっとも多額な費用、設備をかけて、それでも予知に失敗することもあります。しかし今の私たちには何もありません。予知は不可能です」

「みなさん」とヘルンケンはいつもより大きな声をあげ、皆の顔を一人一人みわたした。

ヘルンケンの顔には決意がみなぎっていた。

「私たちの村は今、二つの嵐が襲おうとしています。一つは富士山の大噴火という恐るべき嵐、一つは最強の軍団を持つ長耳族の国からの襲撃による嵐。前者には私たちは対すべき手段はありません。ただ、噴火時期が遅れ、私たちの船が完成するまで待ってくれるよう祈り、もし完成前に噴火したら、北へ北へと逃げるしかありません。しかし、後者にはなんとかジャクソンさんたちの鉄砲、大砲と、マジノ線計画が予定とおり完成すれば、ある程度の期間は対抗できるかもしれません。その場合も戦いは長期にわたり、私たちは全精力をそれに、そそがざるを得なくなり、村の生活は毎日毎日戦争に明け暮れるでしょうし、常に不安な状態でいることになります。しかも防衛委員会は戦略的に見て、長期間にわたる戦いは、私たちの不利、最後には敗北に終ると結論を出しています。そうすると後者の嵐に対しても、私たちはやはり逃げ出す必要がある。結局、私たちはいずれの嵐に対しても逃げ出さなければなりません。しかし、逃げ出さなければならないのなら、私たちはできる限り最善の手段、船で逃げ出す方法をとりたいのです。そこで、船ができるか、できないか、何時それが完成するか否かに、私たちの全ての運命がかかわって来ることになります。しかも今から完成した時のことを考え、私たちは船での移住計画をたて、準備しておかねばなりません。航海中の水、食糧は勿論,二十一世紀文明の遺産たる、バス、自動車、モノレールも出来る限り解体し、船に積み込まなければなりません。それらと共に船出しないと、私たちの生活は新天地に着いても、原始的な暗い生活になってしまうでしょう。しかし、ここに大きな問題があります。それはトーマスさんが指摘したように、船が未完成で移住開始前に富士山が爆発したらという問題です。その問題の答えは、たった一つしかありません。北へ北へ、徒歩で逃げるほかありません。万一、船が完成する前に長耳族の襲撃があり、マジノ線の防衛網が破られた場合もそうです。北へ逃げるしかありません。だが、いずれの理由でも、北へ逃げることは、みなさんご承知のように、氷河期末期にいる私たちにとって、悲劇的な運命をもたらす可能性がたいへん強いのです。そこで私が提案したいのは、折衷案として、船を建造し永住する新天地を求めるアポロ計画を最優先に進める。次に、もしも船の完成前に北へ移住しなければならない場合を考え、北方の移住に適した地を探し、緊急の場合、迅速かつ安全に移動できるよう調査や研究しておく数人の委員を任命し、作業を進ませておこうという案です。私たちにとって、これからの運命を左右する、最初の大きな試練がいよいよやってくる重大な局面に立たされつつあります。みなさん、どうでしょうか、率直に私の提案に意見を言ってください。確かに船に乗り、新天地を求めることになっても、途中での難破など行き着くことが出来ないかもしれません。また、無事新たな地にたどり着いたとしても、やはり、さまざまな困難が待ち受けているでしょう。しかし、私たちにはもう前進しかないのです。私たちの前に立ちふさがる壁を一つ一つ越えて行く道しかないのです。出来る限り、長耳族のサロモンさんが一刻も早くこの地より去るように忠告してくれたように、私たちは一刻も早く船を造り、完成したら直ちに全員乗り込み、新天地へ移動しましょう。昔、多くのヨーロッパの国からアメリカへ新天地と自由を求め移住して行ったように、私たちもどこかへ、希望をもって船出しましょう」




   絆


 大きな焚き火が時々、ポーンと音を立てながら,いきよいよく燃え上がり、そばの人々はその度に首や肩をすくめながら、それでも焚き火のそばから離れようとせず、賑やかに談笑し続けた。

 希望の村があるムーン・ビーチ(月が美しく見える浜として、誰ともなく言うようになった)を、晩秋の満月が冷ややかな光を照らし、ムーン・ビーチの賑やかさと、そぐわぬ風情を示していた。

 村では夕方から六組の結婚式が合同で行われた。その六組の中には、聖とパティア、美智子とアンドレーも含まれていた。トーマスが司祭となり、村で初めて行われた結婚式に村の人々は皆、なごやかな気分となり、続いて開かれた祝いの宴は楽しい陽気な笑いと祝福の声で満ち溢れていた。

 焚き火のかたわらでは、ギターや手製の楽器で奏でる音楽に合わせ、日ごろの疲れや悲しみも忘れ、いつまでもダンスに興じる人々もいた。


 聖とパティアの周辺も賑やかであった。

パティアは額の真ん中に、今までは水晶のビンディーを付けていたが、既婚者になったということで赤い色に変えた。長耳族では額の真ん中は大切なところで、幸せが宿る、役払い、清めとか、いろいろな昔からのいわれがあり、女性は地方によって多少異なるが全員このような大きなホクロのようなものをつけるという。

聖は調査探検班に属していたが、施設班と造船チームのために電気関係の技術を生かし、モノレールから電線や電機部品を外し、施設に配線し、電動工具、電動機械を作った。また各種の蓄電池を作り、ノートパソコン、電気分解やメッキ、特殊な化学物質を作る用に供したりして忙しかった。

聖には電気技術についてさまざまな要望がきていた。一番の大きな問題は発電機であった。車のエンジンをどのように役立てるかは、施設班内でも意見がまとまらなかった。発電機でという意見と造船チームからは船につけてスクリューを回させようという意見で対立していた。聖はみなの意見を聞いている内に、やはり大量に長時間使用できる発電機の方が切実な必要性があると思うようになってきた。

エンジンの燃料にもなる原油は遥か北西の長岡の地より二日おきに約五十リッター、原住民50人が班を組み運ばれてきていた。

パティアは医療班に属した。薬草に詳しいことと、長耳族の針治療の知識が決め手となった。パティアの針治療は小さな手術では麻酔代わりとなった。パティアが患者に針をさすと、手術中の痛みを感じさせないか、または大幅に和らげたため、植物の朝鮮朝顔から抽出した麻酔薬の量がまだ少ない時だけにたいへん役立った。

パティアの周りには、結婚のお祝いのだけでなく、治療のお礼や、中国人の田氏やその助手たちと、薬草や針治療などについて専門的な、こみ入った話をしていた。


 最初は一緒に並んでいたパティアと聖の二人は、いつしかバラバラとなり皆と話していたが、ふと気がつき少し焚き火から離れたところで、並んで再び二人だけの時間を持つことができた。

聖がパティアに「どうですか、疲れたでしょう」といたわるように尋ねた。

「少し------、でもたいへん楽しいです。私が、皆さんのために役立っていると思うとうれしいのです。私の国では女性はこんなに自由に他の人と話し合える機会、雰囲気はありません。皆さんからいろいろと新しい知識を得ることができ、楽しいのです」

「良かった。私にはあなたが村の人と解け合うことができるか、一番の気がかりだったのです。本当に良かった。さあ、いよいよ私たち二人だけの生活が、あの小さい家族棟の家ですが、私たちの我が家として始まります。不安はないですか」

「不安なんかありません。十年ほど前から誰かと結婚するこの日を夢見ていたのですから、本当に夢かなって幸せです。あなたは私が思っていたとおりの人です。私のこの今の気持ちをどう表現したらよいのか、言葉ではなかなか言いあらわせません」と言いながら微笑み、聖の両手を握り、目を見つめた。

聖は驚き「十年ほど前------」と聞き返した。

「はい、おかしいことを言うと思うかもしれませんが、実は、私は十年ほど前から二度、異国の人が私を救い、その人と結婚するという夢を見たのです。私には親が決めた婚約者がいたのですが、その思いがあり、結婚までに至らなかったのです。夢を見た時期は、一度目は10年程前に、二度目はあとで計算すると、あなた達がこの時代にタイムスリップした翌日ではないかと思います。あなたに熊の襲撃から救われた時は、気が動転していて直ぐに気がつかなかったのですが、しばらくして、この人が私の未来の夫となる人だと悟った時は、もうあなたは王宮へ連れ去られた後でした。私の夢は不思議に当たるのです。これに気がついたのは父母が亡くなった時です。そのときも七日ほど前に父母が事故で亡くなる夢を見たのです。本当に父母が亡くなった時、それを祖父サロモンに言ったのです。そうしたら私の家系にはよく当たる予言や占いをする人が何人もいるそうです。ただ、これからも未来に関して夢を見るだろうが、時と場合を考え、あまり他の人々にその内容を話すことは避けたほうが良いと注意されました」

聖は私たちの将来に関して何か夢を見ましたかと聞こうと思ったが、聞くのをこらえた。今は毎日毎日を一生懸命働き、大事に充実して過ごすことが第一で、それが自分たちの、よりよい将来、運命を変えていくと思ったからである。

「パティア、あなたは本当に美しい。私が今まで会った女性の中で一番美しい。私はあなたを熊の襲撃から救った時から、あなたに何かひきつけられるものを感じていた。私はこの運命を喜んでいる。あなたと会えたのだから。もし、一万数千年前のこの時代に来なかった、あなたと会い、結婚することもなかった。私たちは、この絆を大切に育てていかなければいけないと思う。お互いになんでも言える素晴らしい家庭を作りあげていきましよう」

聖はそう言いながらパティアを抱擁した。


 トーマスは水割りのスコッチウィスキーが、まだ少し残っているコップを片手に、こぼれないようにゆっくりと微笑みながら美智子とアンドレーのそばへ歩んだ。

「今日はたいへんな役割をやっていただきまして、ありがとうございました」とアンドレーはトーマスに声をかけた。美智子も微笑みながら軽く頭を下げた。

「いや、私もこの年になるまで、結婚式の司祭をやらされようとは思ってもみなかった。初めての体験なので、今まで結婚式に出席した時の情景を思い浮かべながら、適当に自己流をも混ぜてやったけれど、無事大きな失敗もしないで司祭の役を終えて、ホッとしたよ。だが、もう頼まれてもいやだね。ことわるよ。ハハハ----」

「でも、みんなにたいへん好評だったのですよ。威厳と厳粛、それに適度なユーモアがあり、これからの結婚式の司祭はロード・トーマスさんをおいて、他に人はいないだろうと、みなさんそう言っていますよ」

「そうですね。スーザンおばさんや、マリアンヌおばさんも、たいへん感激して涙を流しながら、こんな素晴らしい結婚式は見たことはないと言っていましたわ」と美智子もつけ加えた。

「いや、そう言われると余計に恥ずかしい気持ちがするよ。冷や汗のかきどおしだったからな。ハハハ----」

トーマスは笑いながらコップの酒に少し口をつけた後、二人に言った。

「ところで、結婚式の時にも言ったのだが、みんなはその時、笑っていたけれども、早く子供を作りなさいよ。それもたくさんだなあ。私は真剣にまじめに言っているのだよ。単に村の人口を増やし、人手不足の解消や、村をより発展させようという考えから言っているのではないよ。君たちが子供をつくり、その子供がまた子供をつくる。子が子をつくり子孫が続々と生まれ育っていくことによって、君たちの血と命は子孫に次々と流れ伝えられていく、それはもしかすると、われわれが来た二十一世紀の世界の人々にもつながることが出来るかもしれない。私はヘルンケン氏とこのことについて、よく話し合うけれども、われわれはこの時代を、ただ単に生き抜いてゆくのではなく、未開の人々を教化指導し優れた文明を創り、それをできるだけ多く人々に伝える。言い換えると人類繁栄の基礎作りをする使命を与えられ、二十一世紀の世界からこの時代に派遣されたのではないかと思う。その使命を君たちや君たちの子供が果たさなければならないと思うのです。われわれは二十一世紀の世界から全く隔絶させられたのではない。戻ることはできないが、それでも二十一世紀と絆が残っている。それを君たちと君たちの子孫が果たしてくれるのだよ」

「そう言われると、私たちは何か希望がわいてくるような気がしてきますわ。この時代に突然追いやられてから、私たちは悲劇の主人公のように考えていましたが、人類の歴史では私たちがこの時代にいて、足跡を残し文明などの遺産を子孫に伝えていき、歴史の伝道者になる。こういうことを考えると、これからの人々だけでなく、二十一世紀の人々にも私たちが必要な存在なのかもしれませんわね」と美智子は言った。

「そう、希望の村の希望を常に持ち続け、みんなで一致協力してゆけば、どんな困難もわれわれは克服していけると常に思わねば」とアンドレーは美智子の肩を強く自分の方へ引き寄せながら言った。

「ところで美智子さん。すでにアンドレー君から聞いていると思いますが、私はあなたに、またお詫びを言わなければなりませんね」とトーマスは言った。

ところが一瞬、美智子の顔が曇り、アンドレーの顔をのぞいたのを見て、トーマスはアンドレーがまだそのことを美智子に告げていないのだと気がついた。

後悔したが、アンドレーの言いそびれている気持ちを察し、トーマスは代わりに言ってやらねばと思った。

「実は結婚式をあげたばかりの君たちには悪いのだが、アンドレー君にまたすぐ調査に行ってもらわなければならないのです」

「長期間ですか」と美智子は恨めし気にアンドレーとトーマスを見た。

「多分、今度もアンドレー君の調査行は長期間になるでしょう。しかし本格的な冬が来るまでに調査は終らせておかなければならないから、長くとも一ヶ月から一ヵ月半くらいであろうと思います。今回の調査目的は、もしわれわれが北方の地へ移住しなければならない場合、長耳族の侵略や富士山の噴火などの被害から避けられ、少しでも住むに適した地を探すという重要な調査です。アンドレー君はこれまで何回も北方の探検調査に行って、その地方の知識や経験が豊富にある。それに北の部落の人々に顔見知りが多い。われわれにはアンドレー君以外に、その任務を遂行できる者が全くいないのです。美智子さん、すまないが、また彼を少し貸して欲しい。頼みます」

 美智子は無言で涙をこらえながらうつむいていた。

そんな美智子をアンドレーは強く抱きしめ「ミッチー、君に隠しておいてすまなかった。何度も言おう言おうとしたが、君の顔をみていると、どうしても言いそびれてしまった。すまない。私は今回行くように言われた時、最初は断ったが、トーマスさんが言うように、われわれの将来の存在にかかわる重要な調査なので、断りきれなかった。わかって欲しい。わかってくれるね------。今回もそんなに危険なことはないし、必ず無事に帰るから」

 そこへ、スーザン・ゴールデン夫人が近づいてきた。トーマスは彼女を見て、コップの残り少ない酒を一気に飲みほした。

ロード・トーマスは彼女が大の苦手であった。彼女と話し合うと常にやり込められた。誰が聞いても自分の意見が正論だと思われる場合でも、彼女と話し合うと、はぐらかされたり、話をすりかえられたりして、知らず知らずのうちに、ひっくり返されてしまい、最後にはトーマスを、どうでもよいという気にさえさせてしまうのである。

 つい二,三日前にも、食糧の保存備蓄計画について話し合っているうちに、たまたま酒の話になり、最後にはそれがトーマスにとって重要な関心事であった酒造りが、強く反対したにもかかわらず、とうとう医療用の限定された少量生産の決定に同意するはめになってしまった。トーマスは出来たら皆が毎日飲める量を製造して欲しかったのである。

しかし、トーマスは彼女にやり込められるが、悪い気はしなかった。かえってそれが楽しい気分にしてくれた。

そのゴールデン夫人が、しかし、二十一世紀の世界に夫をおいてきた今は、未亡人と呼んだほうが良いかもしれないが「二人の大の男が、何故、私のミッチ-を泣かせているのですか。結婚式が終ったばかりなのにどうしたのですか。彼女をいじめることは私が承知しませんからね」と顔色を変えて言った。

「違うのです、スーザンおばさん。アンドレーが、また調査に行かなければならないと言うので、それで哀しくなり泣いてしまったのです」

「また、なんで結婚式が終ったばかりのアンドレーを調査に出さなければいけないのですか。二人に可愛そうでしょう。それにもう直ぐ冬が来るというのに」

「おばさん、責めないでください。村の人々みんなのため、重要な任務をおびて行くのです。私は我慢しますわ」とハンカチで目をふくと顔を上げ、しっかりとした口調で言った。そして少しためらった後、ささやくような小さい声で言った。

「アンドレー、私だけでなく、私たちの子供のためにも必ず無事に帰って来てください」

美智子はそう言いながら、アンドレーの両手を強く握りアンドレーをしっかり見つめた。

「ミッチ-、本当か。今、私たちの子供と言ったね」とアンドレーは驚きの表情で美智子を見つめた。

「ええ、本当です。一週間前くらいから体調が少し変なのに気づき、ドクター・ワタナベに診てもらったのです。そうしたら妊娠二ヶ月だと言われました」

「おお、素晴らしい。今日は私にとって本当に最良の日だ------。ミッチ-------」

とアンドレーは大喜びで美智子の体を軽々と高く持ち上げた。

しかし、ゴールデン夫人から、直ぐに妊娠初期は無理させてはいけませんよと注意され、急いで、そうっと下におろし、今度は美智子に雨あられのようにキスをした。


ゴールデン夫人とトーマスは微笑みながら、お互いに顔を見合わせ、その場からそうっと焚き火の方へ並んで去って行った。


 予定時間が過ぎても村人はダンスや話に興じ、焚き火の周りから去ろうとしなかった。

それどころか、焚き火の火が弱まってきたので、さらに大きな木が何本もくべられた。

しばらくして楽器を奏でている近くで、二、三人の拍手する音が聞こえ、人々がそちらの方を見ると、村でたいへん人気のあるコーラス・グループが歌おうと、会場の正面に姿を現した。

女二人、男三人で編成されているグループで、人々はどっと歌を良く聞こうと側に集まってきた。グループの中には、一流ではないが、音楽好きの人なら世界的に、少しは知られている歌手が二人おり、非常に上手であった。

 各国の民謡やポピュラーな歌が唄われると、一回ごとに人々は大きな拍手と歓声をあげ、口笛を吹いたりして、それを楽しみ、次の曲を求めた。中には共に歌い、陶酔したように思いふける人もいた。

十曲ほど、彼らが予定した以上の歌が唄われた後、この日最後の歌として、彼らが作詞、作曲した歌が唄われることとなった。

ところがその歌が唄われていくにつれ、意外な結果となってきた。

悲しい詞だったからであろうか。その唱が歌われていくと、皆、ひとことも、もらすまいとして耳をそばだてた。その哀調ある歌は静かに、心を揺さぶり、しみわたるように人々へ伝わっていった。


    星よ聞いておくれ

      わがなげきを

    星よ見てくれ

      われらが運命を

    その降りそそぐ星の光は

      永遠の時、宿す

    けれど、わが命、はかなく短し

      われらは、二度といとしい人に会えない

    光り輝く星よ

      あなた達は見ることができる

      一万年後の世界を

      われらが来た世界を

    妻よ、夫よ、恋人よ

      一度でもよいから会いたい

      一度でもよいから抱きよせたい

    ああ、われらが命短し

    果てしなく永遠に輝く星よ、伝えておくれ

      わが嘆きを

    一万年後の世界へ、わが愛する人々へ


    海よ聞いておくれ

      わが歌を

    海よ見てくれ

      われらが涙を

    その静かに寄せくる波は

      永遠の命、宿す

    けれど、わが命、はかなく短し

      われらは、二度と愛する人に会えない

    美しき海よ

      あなた達は見ることができる

      一万年後の世界を

      われらが来た世界を

    われらがいとしい人々よ

      夢でもよいから会いたい

      夢でもよいから抱きよせたい

    ああ、われらが思いせつなし

    果てしなき美しく広き海よ、伝えておくれ

      わが思いを

    一万年後の世界へ、わが愛する人々へ


    時の風に流され

    いつかふたたび、帰える日をいのり

    いつかふたたび、会える日をいのり

    われらは生きる。この一万年前の世界に

    夢見る。ふたたび帰れる日を



 その悲しい歌はひしひしと聞く者の胸をうった。別れ別れとなった夫や妻、子供、それに親や、いとしき人々を、それとともに住み慣れた故郷が心に浮かび、人々は戻りえぬ二十一世紀の世界を、心がかきむしられるように思いやり、歌う者、聞く者、村の人々は皆、悲嘆にくれ、天を仰ぎ、地に伏し涙にむせんだ。

 今まであれほど楽しく笑い声や歓声があがり、賑やかであった結婚披露の夜は、一変してしまった。この歌が、人々の心の片隅に無理やり押し込んでいた人々の苦悩や哀歓を、いっぺんに吹出させてしまったようであった。

 ヘルンケンは石のように棒立ちになったまま、人々の悲嘆にくれる姿を眺めていた。人間は本当に弱いものだ。全く孤立した私たちに、何か勇気づける何かが無ければ、私たちはその内、まいってしまうであろう。私たちは今まで口には出さなかったが、これほどの深い哀しみを胸に秘めていたのだ。なんとかして少しでもそれを救ってやらなければならない。場合によっては、みんなの過去の思い出を断ち切るような、完全にあきらめるような、何かを考える必要がある。

何か------、二十一世紀との絆、二十一世紀の世界と連絡できるものはないだろうか------。

彼らの苦しみを救い、軽減するようなものがなければ、いつかそれが噴出し、恐ろしい事態になるような気がする。

何か良い方法を見出さなければ------。

私たちの存在を、私たちがこの一万数千年前に流され生き抜いていることを、二十一世紀の人々に伝える手立てはないのだろうか。

ヘルンケンは目の前の月を仰ぎながら考え込んだ。

ふと、ヘルンケンの心の中に、パッと花火のように大きく開き、浮かんできたものがあった------。

そうだ、それならば二十一世紀の人々に私たちの存在を、二十一世紀から行方不明になった私たち全員が、一万数千年前の世界に生きているのだということを知らせることができる。そうだ、それだ。

 ヘルンケンはゆっくりとみなの前に歩んだ。

「みなさんの哀しみは私も同じです。何度も夢を見、うなされ、哀しく涙を流したことでしょう。みなさん、この今、思う存分泣きたいだけ泣くのも良いでしょう。世界に六十億近くの人口があるのに、何故私たちだけ、遥かなこの過去に流されたのかと、神や運命を呪う人もいるでしょう。しかし、私たちはどうすることもできないのです。神や運命を呪い恨んでも、もう変えることはもうできないのです。私たちが私たちのいた世界の誰よりも愛着をもち、どんなに懐郷の念にかられても、もうあの世界には戻れません。私たちはもう、あきらめる他ないのです。しかし、私は考えました。せめて私たちは何とか二十一世紀の人々に、私たちの存在を伝えることはできないのでしょうか。何とか私たちがこの時代に生きているということを二十一世紀の人々に証明し、教えてやることはできないのでしょうか。大多数のみなさんも、それは望んでいることと思います。たった今、私は思いついたのですが、私たちにはたった一つの方法があると思うのです」

人々は皆、ヘルンケンの次の言葉を固唾を呑んで待った。


「それは、タイム・カプセルです」


その言葉がヘルンケンから告げられるやいなや、最初は「タイム・カプセル------、タイム・カプセル------」とあちらこちらから、ささやくような声がしていたが、だんだんその声は「作ろう------、作ろう------、タイム・カプセルを是非作ってみよう」という声と共に、大きなどよめきとなっていった。

 トーマスはヘルンケンのところへ微笑みながら行き、握手を求めた。トーマス自身も非常にうれしかったからである。

「この仕事は是非われわれ施設班にやらせてくれ、必ず立派なタイム・カプセルを作ってみせる------」と言った後「施設班のみんな、同じ意見だろう」と叫ぶと、施設班の班員はあちらこちらから、大きな声で同意の声をあげた。

人々はますます喜び、拍手と歓声をあげた。

「しかし、タイム・カプセルを作るには、大変困難な問題がいくつもあると思うが、本当にできるだろうか。例えば、カプセルは一万数千年の時間に耐えられなくてならない。天変地異や腐食、それにたとえ外側が耐えられても、内にあるものが消失したり、なにが書いてあるのか分からなくなるようではいけない。それに二十一世紀の私たちが来た年代以降のできるだけ近い年に発見されるようにしなければ、目的を完全に達したことにならない。私たちの身近な人々が、まだ生きている時代にマトを合わせなければ、私たちにとって無意味なタイム・カプセルになる。このような問題は今の私たちにとって解決可能だろうか」とヘルンケンはトーマスや施設班の人々に言った。

「まあ、任せておきなさい。施設班には有能な学者、技術者が大勢いる。絶対希望にそえるような完全なものを作ってみせる」とトーマスは自信有り気に言った。

 村の人々はますます喜び、お互いにタイム・カプセルに何を入れよう。夫や妻に手紙を書き送ろう。私は自分の何か形見のしるしになるものを入れてもらおう。親、子供や友人たちに遺言や別れの言葉を書き送ろう。などなど------。みんなは話がはずみ大変な騒ぎとなってきた。


「一つ質問があるのですけれども」とゴールデン夫人が突然、大きな声をあげて言った。

人々は皆、騒ぐのをやめ、ゴールデン夫人に注目し、彼女が何を言おうとしているのか、興味をもって見まもった。

「先ほど、ヘルンケンさんはタイム・カプセルを二十一世紀の私たちが来た年代以降のできるだけ近い年に発見されるようにしなければ、目的を完全に達したことにならないと言いました。以降という意味は、私たちが来た時からそんなにかけ離れない、できれば私たちが二十一世紀から消失してから二、三年内に発見されることを望むという意味で分かりますが、その点に私は少し疑問があるのです。私は、かえって私たちが二十一世紀から引き裂れた年代以前に発見されたほうが良いのではないかと思うのです。と言うのは、もしタイム・カプセルが私たちがこの世界にくる前までに発見されたならば、それは二十一世紀の始めでも、もっとさかのぼった二十世紀のいつの年代でも良いですが、私たちがこの世界に追いやられる前までに発見されたならば、私たちの悲劇は防げたのではないかと思います。前もってこのような事件が起こると分かっていれば、私たちはあの日、モノレールやバスに乗らないし、私なら決して日本に近づかなかったでしょう。どうでしようか。かえってタイム・カプセルは早めに発見されるように設計し設置したほうが良いと思うのですが、何か私の考え、おかしいでしょうか」

ゴールデン夫人の話に人々はどよめいた。ヘルンケンは少し間をおいた後、口を開いた。

「ゴールデン夫人、それに皆さん。失望させるようですが、残念ながら私たちのタイム・カプセルは二十一世紀から引き裂かれた年代以降に、狙い定め設置させなければなりません。なぜならば、それは歴史がそう語っているからです。私たちは二十一世紀の世界にいました。その時、過去に私たちのタイム・カプセルを発見したということを聞いたことがありますか。新聞、テレビなどのニュースで騒がれたことがありましたか。二十一世紀以前の過去で、変な遺物、つまりタイム・カプセルですが、日本で発見されたということがありましたか。そのような事実をどこかで聞いた事がありましたか------。残念ながら、そういった話はまったくありません。さらに私たちがこのように、ここに存在しているということが、そもそもその証明なのです。しかし、私たちがこの時代に流された後の二十一世紀の歴史は、私たちは知りません。私たちは知ることができません。タイム・カプセル発見は過去にはなかった。しかし、もしかすると後の年代であるかもしれない。それ故に私たちは、それに賭けるのです。私たちが消滅した後のできるだけ近い年代に発見されるよう、タイム・カプセルをセットするのです。たとえ、私たちが、タイム・カプセルを消滅以前に狙いを定めセットしても、歴史はその発見を拒絶しているのです。歴史がそれを許さないのです」

 ゴールデン夫人はため息をしながら、うなずいた。

他の人々も少し失望の色を示したが、タイム・カプセルは人々の心に明るい光明を投げかけたことは確かであった。








    春望


 長い冬が終わり、フキノトウが,あちらこちらの雪の融けた地肌から、かわいい芽をのぞかせた。やがてそれも他の驚くほど日に日に大きく育っていく柔らかな新緑の草や木に覆われた。

短い春、草花は黄色、白、橙の美しい花を咲かせ始めた。

西側の丘の斜面は可憐な高山植物のような美しい花が群生し、それはまるで花の絨毯のように見え、人々の目を楽しませた。

空から、ふと、人の声がするので見上げると、ハング・グライダーが三機、二百メートルほど上空を海の方向へ飛行していた。

厳しい訓練と機体の数度にわたる改良整備の結果、今は大空を自由に長時間飛行できるようになり、最近は時々、弓や銃の武器を携帯し、空よりの射撃訓練も開始するようになった。

 海を見ると、桟橋に三本マストの大きな船が二隻停留されていた。中心に大きなマスト、前後に少し低いマストが二本あり、帆はまだ張られていなかった。

完成にだいぶ近づいていたが、まだ盛んに人々が動き回り、工事の音が付近にこだましていた。

 ヘルンケンは五月に入ると、七月一日を期して、この地より出航すると決定した。

そのために連日、夜は委員会が開かれ、船積み計画、必要物資と不要物資の区分け、二隻の船に分かれて乗船するため、どのように人を振り分けて配船するか、目的地はどこに、多数乗船させるほどの余裕がない協力してくれている原住民の扱いはどうするか、などなど問題は山積みしていた。

「各船に七十五人づつ乗るとして、船の予想許容搭載重量は三万二千ポンド。人間の重量は一人当たり平均百六十五ポンド、合計一万二千三百七十五ポンド。それに飲料水の重量も引かなければなりません。飲料水の重量は一人一日あたり、料理や飲み水として多くみて、二リットル使うとして、三十日分貯蔵することを前提に計算すると、それだけで九千九百ポンドの重量になります。残は九千七百二十五ポンド、キロに直すと、約四千四百二十キログラムの純搭載可能重量しかないのです。ということは二隻合わせて、われわれが運べるのは一万九千四百五十ポンド、八千八百四十キログラム。トン換算で8.8トンということです------。昨年秋の台風のような大嵐で一隻、流され破壊されなければ、各船五十人の乗船人員で、許容搭載重量、搭載スペースに余裕ができ、こんなに悩まされなくてすむのに、本当に残念です」とワトソンは顔に失望をかくさずに言った。

 ヘルンケンはそれらの数字を書いた紙を見ながら「食糧班は三十日分の食糧を一隻あたり、四トンから五トンくらい持っていきたいと言っている。ということは水と食糧だけしか私たちは持っていけないことになる。それでは私たちは新天地に着いても非常に困難な生活をすることになる。何か良い考えはないだろうか。私たちはモノレールの車輌、バス、自動車の全部は無理としても、できるだけ必要な部分を解体して新天地に運びたいのだ。それに医薬品、武器、弾薬も運ばなければならない」

トーマスも深刻な顔をして、ヘルンケンに続いて言った。

「私もそう思う。場合によっては水と食糧を減らしてでも、新天地に着いてから必要になる貴重な農機具、大工道具や武器などの物資は必ず積み込まなければいけない。この重量計算は水と食料を全てここから搭載することにしているが、途中での調達、雨水や魚釣りで得られる水、食糧も多少は考慮して、減らせないだろうか。途中、どこかの島を見つけ、水と食糧を補給するとか、水も一日一人二リットルと計算しているが、少し多いような気がする。もっと減らしても良いと思うが------。しかし、常に最悪のことを考え計画しなければと反駁されると、私は返す言葉がないが、こういう考えはいけないことなのですかな。もう少しわれわれは、これらを検討する余地が十分にあるように思いますが------」

トーマスはヘルンケンの話を引き継ぎ、発展させるようにして言った。

最近はますますヘルンケンとトーマスは意気が合い、めったにお互いの意見が別れるようなことはなかった。

続いてジャクソンが発言した。

「ワトソンさん、私は船について余り知識がないので変な意見と思うかもしれませんが、一つの思いつきがあるのです。それは絶対に不可欠なものは船に乗せ、その他の予備食糧や物資はタグボートを作り、それに載せる。そしてタグボートを各々の船が一隻づつ引っ張るという考えはどうでしょうか。私たちには幸い長耳族から、ニコリスや聖君たちが持ってきた船が一隻あります。あれをタグボート代わりにすれば、けっこう物資を載せられるのではないでしょうか。あとの一隻はイカダか何かで作ったらよいかと思うが。誰しも水と食糧だけで、それ以外は船に積めないのでは、到着した先でのことを考えると不安を感じ、反対すると思います。どうでしょうか」

「なるほど、良い思いつきです。あの長耳族の船なら二トン以上の物資を積載できるでしょう。それにもう一隻イカダをタグボート代わりにする。面白い非常に具体性のある考えです。イカダも今の船を造るために研究したのがある。あれを少し改良、補強すれば使えるかもしれない。早速われわれのグループで検討してみましょう。ただ、タグボートは嵐などの荒天の時、波が非常に荒くなると困難な面がでてきます。牽引不能になり、親船とタグボートが衝突しあったりして、危険になることも考えられます。最悪の場合、親船を助けるため引き綱を切り、放棄しなければならない事も予想しなければなりません。しかし、われわれの積載許容量に限界があるなら、それも検討する価値は十分にあります」

「では、タグボートについては早速検討してみてください、場合によっては、トーマスさんから言われたように、水、食糧の積載を減らすことも食料調達班、料理被服班と共に協議して、至急結論を、できたら次の会議の時までに決定するよう頼みます。問題は山ほどありますので、次の問題に移らしてもらいます」

ヘルンケンは次の議題へと話を進ませた。

「ゴールデン夫人、船に積む食糧がまだ十分にそろっていないと、一ヶ月ほど前の会議で言いましたが、その後の食糧備蓄の進捗状況を教えてください。食糧は何と言っても長期間にわたる航海と新天地で落ち着くまで絶対に必要なものです。マンパワーや何か不足するものがあれば遠慮なく言って下さい」

「食糧については、みなさん安心してください。皆さんご承知のように一週間前に、突然大きな鯨が二匹、海岸の浅瀬に迷い込んできたので、全て問題は解決しました。航海中はワトソンさんより船の積載許容量が減らされない限り、食べ物について皆さんの不満が出るということは無いと思いますわ。ただ、私には食糧とは全く関係ないのですが、今、一つ不安があるのです------。それは、ここのところ食糧調達に行っている人たちが言うのですが、山や海で何か起きているというか、起きつつあるというか------、何か普通でない、不気味な気配を感じると言うのです」

ゴールデン夫人の話に、会議に出ていた者はみな体をこわばらせた。「どういうことですか------。どのように感じると言うのですか---」とヘルンケンは尋ねた。

 ゴールデン夫人は少し言うのをためらった後、小さい、ささやくような声で言った。

「山では最近ほとんど、動物を見かけないのです。あれほどたくさんいた猪、鹿、狐、狸が全く姿を見せないのです。ほんの時たまウサギが罠にかかる程度で、今は山での収穫は野草などの植物を除いて皆無に近いのです。ある人は無数の野ネズミ、蛇やガマガエルが群れをなして北へ北へと移動して行くのを目撃し、またある人は数万、数億のアリが、やはりいくつもの列をなして、北へ北へ移動して行くのを見たと言います。班の中にはもう恐ろしくなり、山へ入るのはいやだと言う人もいます。みなさんも山へ入るとわかると思うのですが、山は今、気味の悪いほど、何の音もしない静寂の世界なのです。海ではこの前の私たちには大変恩恵を受けましたが、鯨二匹迷い込んだ事件。海岸が一時足の踏み場もなかったほど鰯の大群が押し寄せた事件。その他にもまだまだありますが、私も確かに山や海では何か、異常な事態になっているように思えるのです」

「そういえば最近、鳥の鳴き声を余り聞かなくなったようだな」

とトーマスは静寂な夜の中に、何か音を探す求めるかのように耳をそばだてた。他の人々も深夜で何の音も聞こえるはずがないのに耳をそばだてた。

ただ、静かに打ち寄せる波の音が、聞こえるだけであった。

「前兆ですな」

ハインリッヒが一言いった。

「噴火のですか」とゴールデン夫人がおそるおそる尋ねた。

「そう、ますます大噴火が近づきつつあると思いますね」

「動物や鳥が火山の噴火を予知して逃げ出したというのですか」とトーマスが聞いた。

「あなたの住んでいたイギリスは火山の噴火や大地震の経験がほとんどないから、そのようなことを聞いた事がないかもしれませんが、大地震や火山の噴火の前には良くそういう例があるのです。動物や鳥は地震や噴火などの自然の異変には敏感ですから、北へ北へと避難しているということは、いよいよ噴火が近づいてきたと判断したほうが良いですね。さらに、ここ二、三ヶ月の私の調べた地震の記録を見ると、弱いですが地震が徐々に多くなってきているのです。人間が感じない無感地震を入れたら、相当の回数になっているのではないでしょうか。出航の日は七月一日に予定していますが、私はその日にこだわらず、一刻も早く、この地から脱出しなければいけないと思います。異変は必ず来ます。もうわれわれの直ぐ目の前に迫っているのです。ヘルンケン議長、出航を是非できる限り、もっと急がせてください」ハインリッヒは沈痛な表情で言った。

 ヘルンケンはハインリッヒの話に静かにうなずき、しばらく考えていた後、ハインリッヒに声をかけた。

「君も知っているとおり、私たちの船は、まだ未完成です。私たちはもう少し時間が欲しいのだが、その少しの時間も残されていないほど切迫していると思いますか」

 ヘルンケンの心の中には少しの楽観があった。船は完成まじかになってきた。長耳族はまだ攻めてこない。食糧が不足であると憂慮していたら鯨や魚の大群が、まるで神が私たちの困難を察し、贈り物をしてくれたかのように解決してくれた。運は私たちに味方してくれているという期待と楽観、しかし、不安も混ざった複雑な心境であった。

ハインリッヒは直ぐに答えず、胸の内ポケットより手帳をゆっくりと取り出し言った。

「私は思わずゴールデン夫人の話で興奮し、今にも大噴火が来るように言いましたが、訂正します。差し迫っているのは事実ですが、まだ少しは時間があるという感じはするのです。しかし、当たらないかもしれません。その理由は昨年からの有感地震の記録を検討してみますと------」

ハインリッヒは、そこで手帳を見ながらゆっくりと話を続けた。

「昨年の夏から冬にかけて地震は、月に平均四.五回から五回、二、三月は六回、四月は八回、今月はまだ四回しか起きていませんが、このままのペースだと多分、四月並みだと思います。これから判断すると、確かに少しずつ地震の回数が多くなってきていますが、比較的弱い安定した回数の増加なのです。私は大噴火が起きる時は、もっと地下のマグマが活発に動き始めるため、地震は、もっと飛躍的に増加し、強い地震も何回か起きるはずだと思うのです。それ故、私はもう少し時間があると判断したいのですが------。しかし、あとどのくらいの時間があるのかは、分かりません。強い地震が急激に増えたら別ですが、今のままの地震回数なら一ヶ月くらいはまだ大丈夫なような気もするが、七月一日出航では遅いような気もします------。でも誤っているかもしれない、あくまで断定はできません」

ハインリッヒは充血した目でヘルンケンを見た。その姿はいかにこの問題に日夜、心血を注いでいるかがうかがえた。

「ありがとう、ハインリッヒさん。みなさんにはこれで私たちが今どのような差し迫った状態の中にいるか、理解できたと思います。ワトソン君、船の工事はますます急がねばなりません。七月一日出航では遅いようです。私はまたワトソン君や造船クループの人々に無理な注文を言わねばなりませんが、最大限急いで、あとどのくらいかかるのでしようか」

しかし、ワトソンは直ぐには返答しなかった。またできなかった。沈黙したまま、しばらく考えていたが、やがてはっきりとした声で、やや自暴自棄気味で言った。

「一ヶ月、難しいが------、あと一ヶ月あれば必ず完成させましょう」

「急いでくれと言ったけれども、船は安全で長い期間航海に耐えられるものでなくてはならない。手を抜くようなことは絶対にしてもらいたくないのですよ」とヘルンケンが言った。

その時ワトソンは、ふとある考えがわいてきた。

「航海中に修理なんか誰しもやりたくないです、その点は十分に認識しています。今思いついたのですけれども、三交替制くらいにして夜間作業もできれば、相当はかどると思います。聖さんに協力してもらい、バスと乗用車のエンジンから転用した発電機を造船グループにまわしてもらい、バスと車やモノレールについていた照明を点灯して明るくすれば夜間作業は十分可能と思います。作業時間が二倍近くに増やせるのだから、何とか可能なると思います。早速、聖さん、班の全員と相談して決定します」とワトソンは少し明るい表情になり答えた。

「船倉はもうできているのだから、食糧などの積み込みは開始して良いのではないかな」トーマスは口をはさんだ。

「そうですね------、船倉に物が入っていても、一部の場所を除いて工事の障害には特別ならないでしょう。搭載作業始めても良いと思います」

「では、明日からでも積み込みを開始しましょう。食糧班はそれでよろしいですか」とヘルンケンはワトソンより了解を得ると、直ちにゴールデン夫人に尋ねた。

「食糧班はいつでも積み込みを開始できる状態にあります。かえって倉庫が備蓄食糧などで一杯になってきたので好都合ですわ」

「では、積み込み作業を明日から開始します」


 その日の委員会はこの後も、なお他の問題について話し合いが続けられた。

ヘルンケンがこれ以上続けると明日の仕事に差しさわりが出てくるとして、会議を打ち切った時、もう時計は零時半をまわっていた。









   せまる危機


 それから十日ほどたった朝、ジャクソン、ニコリス、ギラドの三人は、ヘルンケンがいる集会所の裏にある室に、あわただしく入ってきた。ヘルンケンは彼らを一目見て、何かあったと感じた。

 ギラドは手に茶色の紙のような物を持っていた。

「実は今朝早く、川岸に目立つように白い布地に包まれ、これが吊るしてあるのを発見したのです。何か文章が、楔形文字のような、われわれの知らない文字で書かれてあるのです。多分、長耳族の書いたものと思われるので、急いで持って来ました」

「いかにもわれわれに見つけやすいように置かれていたので、おそらく、長耳族がわれわれに警告か何か連絡するために置いた手紙だと思いますが」とジャクソンは言った。

ニコリスは「この文字は明らかに長耳族の文字です」と断言した。

ヘルンケンはギラドからそれを受け取り、しばらく観察していたが「すぐにパティアさんと聖君を呼んできて下さい------。それに桟橋にトーマスさんがいるはずですから、彼にも至急ここへ来るよう連絡してください」

ギラドとニコリスは、すぐさま呼びに室から出て行った。

最初にトーマスが、続いて聖とパティアが急いで室に入ってきた。


 パティアはヘルンケンから、その手紙を渡され、一目見た瞬間、顔色が変わった。

「祖父の字です」と一言いうと、そのまま手紙にくいいるように見入った。

読んでいるうちに涙が一雫、二雫、ゆっくりとパティアの頬をつたわっていった。

そして読み終わると激しく泣き声をあげ、聖の胸に顔をうずめた。

聖は彼女をやさしく抱きしめ、彼女の感情の高まりがおさまるのを待った。

「サロモンさんからの手紙だね」とそっと尋ねると、彼女は聖の胸の中で泣きじゃくりながら二,三回うなずいた。

聖は落ち着かせるために、彼女を椅子に座らせ、涙をふくようにとハンカチを渡した。

しばらくの後、彼女は手紙をテーブルの上に置くと、目を伏せたまま、とぎれとぎれ手紙の内容を訳しみんなに語り始めた。

 サロモンは牢獄に繋がれていたが、いまだに彼を尊敬し慕う者が多く、その中の一人に、この手紙を託したのであった。

サロモンは手紙の中で、大異変の危機が迫っている、一刻も早く、この地を去るように訴えると共に、重大な情報を伝えてくれた。

それは長耳族の国では最近の地震や、具体的には書かれていなかったが、異変が続発し、人心が乱れ、恐慌状態に近い様子であると言う。しかもその原因が東の地に突然出現し、存在している不思議な異人たちが関係していると一部では扇動し騒ぎ始めている。

特に神官たちは邪教を信仰している異人の存在を神が怒り、地震などの異変を起こしているのだといって、至急異人たちを滅ぼすよう主張、また神の怒りを静めるために新たに神殿を作る必要があり、奴隷を千人集めるよう軍に要請したそうである。

軍の上層部もニコリスや聖たちが脱走した時、兵士を数十人死傷させたので、非常に怒り報復せよとか、また他の部族と結び大きな脅威にならない早いうちに芽を摘む必要があるということで意見が一致したという。

神官たちと軍は協議して、前年に夏に東方に軍団を派遣することと決定していたのを、急遽、直ちに派遣されることになり、この手紙が届く頃には、第一陣が出発するだろうと書いてあった。

 聖は他にもサロモンはパティア個人に宛て、いろいろと書いてあるようだと思ったが、パティアはそれについては何も語らなかった。


「いよいよ戦いになるのか、最悪の事態を迎えることになるな」とトーマスが最初に口を開いた。みんな緊張した表情でお互いの顔を見合わせた。

「直ぐにワトソン君を呼んできてくれ、船を大至急完成しなければならない」とヘルンケンは言った。聖は直ちにワトソンを呼びに室を出て行った。

ジャクソンはその間にバルコニーの側の電話を取り、砦と監視所に緊急監視体制をとるように指令した。


 ワトソンは聖と顔を紅潮させて入ってきた。髪の毛や服は鋸クズがつき、それが時々ぱらぱらと床に落ちてきた。左手の人差し指はうす汚れた包帯をしていた。

ワトソンは聖からその話をきいた時、仲が良かったので、冗談を言っているのだろうと信じなかったが、室の緊張した空気を感じて、室に入ってくる時の笑顔は失せて、真剣な表情になった。

「ワトソン君、船を是非大至急造り上げて欲しいのだ。長耳族の第一陣はきょうか明日にも攻めてくるらしい。省けるところは省き、必要不可欠なところ以外の工事は止め、完成したら直ちに残りの食糧などの物資を積み、出航できる体制に直ぐもっていって欲しいのだ。私たち全員の存亡が長耳族の軍がおしよせてくる今、船の完成に全てがかかっているのだ。そのためにまず、出航できるまでにあと何日在れば良いの教えてほしい。私たちはその日数によって長耳族との戦略戦術を考えなければならない。最悪の場合、戦いを避けて、直ちに北へ逃げることも決定しなければならない。急に言われ、直ぐには回答できないかもしれないが、私たちには時間がない。二つの選択肢を同時並行に進めることも出来ない。私たちは今、直ちに進路を決定しなければならないのです。大体の日数でよいから、今、教えて欲しい」

ヘルンケンの言葉にワトソンはため息をついた。せめて、あと二十日あれば素晴らしい船が出来るという思いがあった。

四月末頃には七月一日出航の予定で、二ヶ月ぐらいあった期間が、ついこの十日前、一ヶ月以内にしてくれと言われ、それが今、さらに早く完成させよ、もう一刻の猶予も無いと言う。

 甲板も完全に張り終わっていないし、モノレールの乗客椅子の布地を利用して作る帆も、もう直ぐ完成するがまだ完全には縫いあがっていない。舵もまだつけていなかった。食糧は積み込みを始めているが、まだ予定の三分の一程度しか終っていない。飲料水も大至急、船倉のタンクに入れ始める必要がある。食糧以外の積荷もあり、タグボートへの搭載も一部始まったばかりである。考えれば考えるほどワトソンの頭は重くなった。

トーマスはワトソンの苦慮している姿に同情し、逆にジャクソンに質問した。

「ジャクソン君、われわれは戦争になったら何日ぐらいなら現状を維持できるのかな。それによって逆にワトソン君に、それ以内に出航できるよう準備せよと言ったほうが良いのではないだろうか」

ヘルンケンはなるほどと、うなずいた。

ジャクソンは少し苦笑した。

「何日対抗できるか、直ちに言うことは不可能です。戦争とは相手の人数、攻撃方法、攻撃能力、作戦などによって変化するからです。相手の戦闘方法、兵力など、ニコリスやジミースタイン、聖君、それにパティアさんたちからだいぶ知識を得て、大変役に立っていますが、それでも彼らの未知な部分が大変多いのです。第二次世界大戦の難攻不落と思われたマジノ線やノルマンディの攻防の例で分かるとおり、破れるときは、あっという間に破られる。ましてわれわれの竹と木の要塞は、それ以上に軟弱で簡単に破られる恐れが強いのです。やはりワトソンさん、あなたから何日欲しいと言ってもらいたい。そうすればわれわれはその日数を全力尽くし戦い抜きますから」

 しかし、ワトソンは沈黙したままであった。腕を組んだり、外に目をやり、海岸を眺めたり、時々ため息をつき考え続けた。

五分くらいたったであろうか、やおら自信なさそうに小さい声で「四日------、いや、五日------」と呟くように言ったが、直ぐまた黙り込んでしまった。そしてさらに二、三分考えていたが、急に「六日ください。今日を入れて六日あれば、なんとかします------」とやっと決意が着いたのか、今度は毅然とした態度で言った。

「六日か------、正直言ってわれわれには四日くらいの抵抗能力しか無いと思うが------」とジャクソンが言った。

しかし、直ぐにニコリスが腕を組み、考え込んでいるジャクソンの肩をポンとたたいた。

「大丈夫、われわれは六日間守りとおしてみせる。ジャクソン、速やかに計画とおり全員を戦闘体制に入れよう。みなさん、安心してください。必ず守ってみせます。われわれはまだ長耳族より有利な立場にあると思います。なぜならば彼らにとって、われわれはほとんど未知の敵に等しいのです。われわれはそれを利用すれば、思った以上に彼らに対抗できると期待できます。つまり、うまくすれば彼らのわれわれに対する未知からもたらせる疑惑、誤認、恐怖、誤解、先入観、怠慢などが全てわれわれの利益になるからです。それに地形上の有利もあり、銃や大砲もある。ワトソン君、われわれは六日間絶対に守りぬきます。ですから安心して六日間で必ず出航できるよう準備してください。われわれはその間、必ず防御してみせる」

 ジャクソンはニコリスの顔を見ながら、自分を恥じた。そうだ指揮官は常に皆を、気力と行動を呼び起こさせ、希望の光を燃え上がらせておかねばと思った。

「そうでした。われわれには火力があるのだ。ニコリスたちが長耳族の国から脱出するときも、それは大きな脅威を相手に与え非常に役立った。長耳族の軍団の兵力だけに私は目を奪われていたが、効果的に使えば、勝算は十分にある」

 ジャクソンはそう言いながら、ニコリスと目と目を合わせた。そして無言で、お互いに命のある限り、最後の最後まで戦い努力しようとうなずきあった。

 ヘルンケンは目頭をそうっとおさえた。

「私は人生において君たちのような素晴らしい人たちに会えて大変良かったと思っている。またこのような機会を与えてくれたことを非常に感謝しています。君たちならこの不利な戦争でも、きっと守りとおしてくれるでしょう。でも戦争は何が起こるか予想できない偶然の世界です。絶対勝てると思われた戦いも、ある予想もしない小さな破綻が大きな破綻につながり戦い破れることはよくあります。いくらマキャベリが運命は女と同じようなもので若者の友達だ。用心深くなく勇猛果敢に運ぶほうが運命を支配し征服できるようだと言っても、君たちは決して無理をしないでほしい。君たちのような優れた人を失うことは、私にとって自分の子が死ぬ以上に大きな哀しみになる。私たちが行く、これからの新天地では君たちが中心にならなければならないのです。その時のために必ず生き抜いてほしい。私たちには最悪の場合は北の地へ移るという道も、まだ残されているのを知っておいてください。決して無理しないでください」

 ヘルンケンがそういい終わると、ジャクソンとニコリスの二人は直立不動の姿勢をとり、挙手敬礼し、大きな声で「イエッサー」と答えた。

その勇猛で隙のない二人の姿に、部屋に居た者、全員誰からともなく立ち上がり、少しぎこちなかったが同じように挙手敬礼し返礼した。

ニコリスは、直ちにバルコニーに行き、村の人全員を集合させ、戦時体制に入るための警笛ボタンを押した。

 警笛が村中に鳴り響いている時、ちょうどそこへ、さわやかな一陣の風にのり、一匹の蝶が入り込んできた。みんなの見ている前で、ヒラヒラと室のテーブルの上や人々の間を、あちらこちらしばらく飛びまわっていたが、室に花や蜜になるようなものが何もないので、再びヒラヒラと外へ出ていった。

そのために室の内で緊張していた人々も、何かなごやかな気分になり、笑いさえこぼれてきた。

トーマスが少し笑いながらジャクソンに言った。

「ところでジャクソン君、私も前線に出て銃を取らせてくれないか。私はこれでも戦場で直接銃を発射することはなかったが、何回か戦争に参加しているし、銃を撃つ訓練は受けている。何か役立つことがあると思うが」

「それなら私も頼む。銃を握ったことはないが、弾込めぐらいなら手助けはできるはずだ。私も前線に行かせてほしい」ヘルンケンもジャクソンにそう言った。

「少ない兵員なので、そう言っていただけるのは非常にありがたいですが、どんな危険が待ち受けているか分からないので、それは避けていただいたほうが良いと思います」

「君の年寄りをいたわるという気持ちは感謝するが、この老人二人にもぜひ参加させてほしい。こちらでの船の工事、船積みなどの出航準備は、ワトソン君が全て計画通りやってくれるはずです。私は私たちの運命を決定する長耳族との戦いを、この目で見ておきたいのだ。是非戦場に立たせてほしい」

ヘルンケンはそう言って、さらにジャクソンに頼み込んだ。

ジャクソンはしばらく考えていた。

「わかりました。そうしていただければ本当は大変うれしいのです。造船従事者から動員できないので、われわれの兵員は四十名、原住民から動員できる兵が三百五十人から四〇〇人くらいしかいない。そのために一人でも多くの手助けがほしいのです。ありがとうございます。喜んでご協力を受けさせていただきます」

 その間に続々と人々は集会所の前に集まってきた。近くの原住民の人たちも弓矢を持ち駆けつけてきた。

全員集合し終わると、ヘルンケンはベランダに立ち、村の人々にサロモン氏からの手紙を説明し、これから村はジャクソンが立案した緊急体制フェーズDに基づき、臨戦態勢に入ると宣告した。

 十二歳以上の男は造船作業に従事する者と食糧、水やその他の物資を搭載する少数の者を除いて、全員兵として動員されることになった。十二歳以上の女性も全員、医療班、補給班、給食班、船への搭載班などに分けられた。村内の原住民は勿論、友好を深めていた近郊、遠隔の部落にも、かねての手配どおり、すぐさま長耳族の襲撃があることを知らせ、戦うための兵の援助を求めた。

その結果、兵を送るどころか、返って全員が逃亡して行った部落もあったが、概して原住民は、今度こそ長耳族に対する積年の恨みを晴らそうと、屈強な若者たちを続々と派遣してきた。その人数は予想以上の五百五十名に達した。

 ジャクソンは派遣してきた各部落の長に感謝すると共に、今度の戦いは非常に大きな戦いになるので、もし敗戦となった時の用心のために、各部落の女子供、老人などの非戦闘員はできる限り遠く、特に北へ避難するように告げた。しかし、富士山の噴火が近づいているということは伏せておいた。


 ジャクソンとニコリスら軍事委員会で立案したマジノ線計画の基本戦略は、勝利を得るには決定的な地点で強大な兵力を集結しなければならないということであった。

そのために、いかに敵の兵の主力を一ヶ所に集中して攻めてこさせるかに主眼をおいた。

というのは味方の兵員が少ないため、敵が分散して攻めてくると、味方も少数の兵員を対応して分散せざるをえず、どこかに必ず破れるところが発生し簡単に防衛網を突破されてしまうからである。もし長耳族の軍を一ヶ所に集中して攻めて来させることに成功すれば、味方の兵員は少ないが、その中の大多数の兵、銃、それに大砲をそこに集中させれば効果的に戦え、勝利できる可能性があるということであった。

 またマジノ線計画は二重の防御ラインを持っていた。一つは砦を中心に、川沿いのなだらかな山の尾根や自然を利用したライン。それがもし破られたら、今度はそこから約五百メートル離れた西の丘の監視所を中心にした防御ライン。その二つの防御ラインが守りの全てであった。

 最前線となる砦を中心にした防御ラインは三重、四重の木と竹で堅固に矢来や柵が作られ、その前面には大小の落とし穴などの罠が無数に仕掛けられていた。

落とし穴の中には竹槍や竹くしが上に向けて刺してあるため、もし長耳族の兵が知らずに落ちたら最後、かなりの手傷、場合によっては命をも失うことになるであろうと予想された。柵のところどころに矢を防ぐ楯の板や丸太が置かれ、その陰からも銃や弓矢を射ることができるようになつていた。

 しかし、一ヶ所だけ柵も二重で、敵が攻めやすく感じられるように、前面の樹木も伐採し、敵味方の両方から見通しがきき、大勢の兵や騎兵が展開しやすいようにしてある、なだらかな坂の場所があった。

 ジャクソンやニコリスら軍事委員会のメンバーは、その場所を105地点と呼び、そこを長耳族の軍が決戦の場としてくれればと願った。

そしてそこに主力の一隊十人編成の火縄銃鉄砲隊を二隊おいた。あとの一隊は丘の監視所に置き、緊急事態に備えさせた。鉄砲隊の各隊には、女性が三人含まれていた。

 原住民の兵は二百五十人を105地点に、残りの三百人を第一ラインの他の場所に分散して配備することに決めた。原住民の兵全員に鉄製の矢尻が与えられ、石の矢尻から鉄の矢尻に変えるように求めた。原住民の兵は鉄の矢尻に変え試射してみて、その鋭い威力に驚き喜んだ。

さらに矢の製造や槍作りにも率先して参加した。先端が鉄製の槍は長耳族の長槍よりさらに一メートル長くして作成された。しかし数が少ないので竹槍も二百本作られ各防御陣地へ配られた。

大砲は105地点の砦に三門、丘の監視所に一門置かれ、防衛網のカムフラージュも次々と撤去された。もう長耳族から隠す必要もなく、防御にも障害になるからである。


 防衛本部は集会所から丘の監視所に移され、各々の部署に兵が展開し終わるのに夕方までかかったが、その日の夜になっても、弓矢などの武器を携えた原住民の人たちがあちらこちらから三人、五人、十人と長耳族との戦いに駆けつけてきて、村の人々を感激させた。

軍事委員会の中には、そういった原住民で予備軍を編成しようと主張した者もいたが、ジャクソンとニコリスは、戦争において兵力の小出し逐次的な使用は許されない。兵員数に圧倒的に不利が予想される今回の戦いは、決戦に予定されている兵力は同時的に集中して使用しなければならない。これは戦争の根本原則であると主張し猛烈に反対した。

そして後からきた原住民の兵も次々と、第一次防御ラインの前線へ派遣した。

 砦を中心にした第一次防衛ラインが突破されたら、もはや新鋭の予備軍を投入しても、敗戦の中に引きずり込まれるだけで、情勢を転換させる事もできないし、第二次防御ラインは、ほんの一時的な気休めの陣地で、どうしても第一次ラインを徹底的に守る必要があると二人は知っていたからである。






   長耳族との困難な戦い


翌日、午前中何も起こらなかった。

昼食を終えた後、見張りの番に当たっているものを除いて、人々はあちらこちら、強い日差しを避けながら、草陰や木の下などで静かに横になり昼寝をしたり、お互い身振り手振りで雑談し笑いころげたり、ふざけあったりして、これがこれから戦いに臨む兵士なのか疑問がもたれるような雰囲気であった。

特に105地点では不思議な光景を呈していた。兵士の大多数は柵の内側にいないで、外側に出て、そのゆるい草原の斜面で昼寝をしたり、レスリングをして笑い興じたり、武器も携行せず川まで行き、魚釣りをしている者までいた。一体どういうことなのであろうか。貧弱で訓練の全くできていない寄せ集めの兵のためだろうか。それとも兵の指揮官たちが彼らを完全に掌握し統制することができず。このような無秩序な様子になっているのだろうか。

しかし、これもジャクソンとニコリスにとって作戦で、この成否が来るべき戦闘に大きく影響する重要な戦略の一つであった。

 対岸側からは見ることができない第二次防御ラインでは、まだ柵の補強などで、兵士は忙しく動き回っているが、第一次ラインの兵士はできる限り、大げさに遊び騒いでいるようにと言われていた。

 時計がそろそろ三時をまわる頃であった。動員された兵士たちは、今日は何事も起きないで終るのではないだろうか、もしかすると、長耳族が来襲するというのも誤報で、われわれの動員も空振りに終るのではないだろうかと、心の中で疑問が持ち上がりかけて来た時であった。

 突然、対岸の林、藪の中から、赤い槍を持ち、紫色の甲冑をつけた長耳族の兵士が五人、馬に乗り姿を現した。ニコリスと聖たちが長耳族の国で見た騎兵であった。

その騎兵はそのまま、しばらく対岸の様子を見た後、ゆっくりと上流に向かって移動し、一〇五地点の対岸で立ち止まった。そこは川の深さ一メートルほどしかなく、八年前、そこから長耳族の兵が渡渉してきた地点である。

八年前は雪解けで増水していたが、春から夏に入ろうとするこの時期は、川の水量が少なかった。

柵外に出ていた人々は警笛で長耳族の兵が出現したことを知り、しばらく恐ろしさと興味、半々の気分で相手の動きを見ていたが、五人の騎兵が対岸に二.三十人の弓を持った兵がいるのを知りながら、無視するかのように悠々と川を渡り始めると、一斉に柵内に一目散と逃げ帰った。

 五人の騎兵は川を渡り終わると、柵内に逃げた者を追おうとはせず、立ち止ったまま、正面の防御陣地を頻りに指差しながら観察していた。

五,六分後、川沿いに上流に向かって馬を並足で進め、五百メートルほど行くと引き返し、今度は下流に向かって少し馬を急がせた。

目の前に展開している防御陣地を詳細に調べているようであった。時々立ち止まっては何か話し込んでいた。そして突然もっと良く調べようと決めたのか、それとも下からは見通しが余り良くないので、もっと視界が良いところまで入り観察しようとしたのか、一〇五地点より四百メートルほど下流の所から、藪をかき分け柵の方へゆっくりと進んできた。

 そこは聖と三十人の原住民の人々が守っていた。

一番外側の柵から五百メートルくらい離れた所に来た時、一番先頭を行く騎兵が大きな落とし穴にはまった。ズルズルと馬の前足からもぐり、馬と共に乗っていた騎兵は悲鳴をあげながら転落していった。残りの四人はすぐに馬を止め、辺りを警戒しながら落ちた同僚を助けようとした。ところが馬から下りて穴へ行こうとした一人が、またまた、今度は浅い小さな落とし穴に落ちてしまった。しかも落ちた時、竹ぐしが手足や体に刺さり、傷を負ったらしく、自分の力では這い上がることもできず、苦痛の声をあげながら弱々しく手をあげ、他の者に救いを求めた。

急いで半身埋まった男を助け上げて馬に乗せると、もう一人の大きな落とし穴に落ち、即死したのか、何の声も発しない同僚には目もくれず、他の落とし穴や、罠に注意するため、慎重に来た時ついた足跡をたどり、長耳族の四人はやっとのことで川原に戻ることができた。

 ここで柵内から一部始終見ていた聖たちは、全員で大きな鬨の声をあげた。

ホッとしていた四人の騎兵は、この声に大変驚き恐怖を覚え、馬を全速力で走らせると、馬ごと川に飛び込み泳がせ、対岸の林の中に後を振り返りもせず消えて行った。

 ジャクソンとニコリスは第一段階は成功に終わったと喜んだ。これで長耳族の兵は攻撃を105地点に絞るのではと期待した。

なぜならば、偵察にきた五人は、105地点で自分たちの姿を見て、柵内に敵が夢中に逃げて行くのを目撃した。真っ直ぐに逃げて柵内に入って行ったので、柵までは罠はないと判断し、他の地点では落とし穴などの罠が無数に隠され、防衛網は厚そうである。そこで攻めるとしたら見通しの良く、柵も二段しかない105地点を攻略地と選ぶだろうと芝居したのである。

 大きな落とし穴に落ちた騎兵と馬は、聖たちが側に寄った時には、竹槍と乱杭で体中に刺さり既に絶命していた。

その後、その日は何事も起こらずに日が暮れていった。

夜、長耳族が襲ってくるのではと言う者もいたが、ジャクソンは「われわれよりも不利ならいざ知らず、優勢な兵力がある彼らは絶対に夜襲はしない。必要もないからね」と言って否定した。


 次の日は早朝から霧がかかっていた。砦から見ていると、時々霧が流れ去り、川の対岸まで見えたかと思うと、また霧が出てきて視界が五十メートルほどになり、守るうえに不利な天気であったが、七時ごろからそれも薄れてきた。太陽も最初は霧で月のようにぼんやりしていたが、霧が晴れてくるにつれて、だんだんに強い初夏の日差しになってきた。

 八時半ごろであった。砦の警笛が鳴り渡り、再び来襲を知らせてきた。ヘルンケンとトーマス、ジャクソン、ニコリスの四人は105地点の二番目の柵内にいて、朝の食事が終ったばかりであった。急いで立ち上がり川を見た。

トーマスは「来た、来た、来たぞ----」と興奮した声で叫んだ。と同時に太鼓の音が「ドドドッ------」と響き、続いてラッパの音が高らかに鳴り渡ってきた。

 対岸の川原の左右に太鼓打ちとラッパ手が十五人ずつ一列の横列になり、力一杯、天にも届けと鳴らし続けているのである。その音は川を越え、砦や丘の監視所は勿論、工事中の船がある桟橋まで響き渡ってきた。

塹壕で銃を握る人、柵の後ろの木や楯に隠れ、弓矢や槍を構える人など、第一防衛ラインにいる人々は全員、何事が起こったのかと、伸びあがるようにして対岸を見つめた。その顔はみな、いずれも不安な表情をしていた。船の工事や積荷の作業をしている人々も仕事を止め、砦の方向を心配そうに見やった。

ニコリスは対岸を見つめたまま、顔を少し紅潮させているジャクソン、ヘルンケン、トーマスに言った。

「あの太鼓とラッパの兵士たちは私たちが捕らわれていた時、見せられた長耳族の軍事演習の時にも居ましたよ。あの時は、進軍や攻撃など、軍の指揮伝達や士気の鼓舞の方法として使用していると思ったが、相手をあの大きな音で威圧し恐怖心を起こさせる役割もあるのですね」

「本当にあの音を聞いていると、体中が一緒に震えてくるようだ」とヘルンケンは言った。

トーマスも両耳を手で覆いながら、あいづちをうった。そして「何とかあの音を止めさせてくれないかね。大砲を一発お見舞いして驚かしたらどうかね」と少し笑いながら言った。

「それは駄目です。大砲はわれわれの秘密兵器なのです。私は最後にどうしてもという時に、それを使用したい」とジャクソンはトーマスの提案を断った。

 太鼓とラッパの音がしばらく続いた後、その鳴り響く中、長耳族の大軍団が対岸の林の中から続々と姿を現してきた。

青い帷子のような服に赤い胸鎧を着け、赤い楯を持った歩兵と、昨日の偵察に来た時と同じ服装と甲冑を着けた騎兵が、木々の間から列をなし、わきあがるようにして出てきた。そして対岸の川原に、きびきびした動きで隊列を組み始めた。

その数は歩兵約2千人、騎兵約一千、合計約三千の軍団。そのくらいは十分にいるとニコリスは思った。

ジャクソンは「こんなに兵を一度に派遣してくるとは予想外だ。これでは監視所にいる鉄砲隊もこちらに投入しなくては簡単に第一防衛ラインは突破されてしまう」とニコリスに言った。ニコリスも深刻な表情にしてうなずいた。

すぐさまジャクソンは砦に戻り丘の監視所に電話をかけた。

第一防衛ラインで守備についている者は全員、長耳族の軍団を見て動揺していた。

太鼓とラッパの音が鳴り響く中を、赤、青、紫の美しく輝く完全武装した歩兵と騎兵が三列の横列を組み始め、こちら側を今にも押寄せようと軍構えをしていた。

顔や体中に入れ墨をした半裸体の原住民の兵は、われわれは本当に守ることができるのだろうか、弓矢は彼らの甲冑を射抜くことができるだろうか、と皆不安になっていた。眺めているうちに、喉がカラカラに渇き、水を頻りにほしがる者も出てきた。

 長耳族の兵の集結が終ると、太鼓とラッパの音は止んだ。しかし、また直ぐに鳴り始めた。太鼓は静かに二拍子の行進曲風に叩かれ、ラッパも太鼓にテンポを合わせ静かに吹き鳴らされた。

すると軍団の前列から、するすると歩み出て、三列縦隊になり川を渡り始めた。歩兵は腰まで水に浸かりながら上流側の浅瀬を、騎兵は少し離れた下流をゆっくりと渡ってきた。

しかし長耳族の兵全員は渡らず、三分の一の約一千人の兵は依然対岸に残ったままであった。太鼓打ちとラッパ手も川を渡らず、少し水際まで前進しただけであった。

どうやら長耳族の軍は、対岸の川原に本営を置き、そこから指揮命令を発しようという体制のようである。

 川を渡った二千の兵は、直ちに攻撃を開始するようなことはせず、105地点でまた体制を整え始めた。

前面に歩兵が四列、その後ろに騎兵が三列、105地点の柵を正面にして、横に隊列を組んだ。歩兵は左手に赤い楯を持ち、右手に鋭い両刃の剣を抜き放ち構えていた。騎兵は全員槍を持ち、歩兵と同じ剣を携帯していた。

 丘の監視所から増強の鉄砲隊が十人来ると、ジャクソンは直ちに全員を中央部分を増強させるために行かせた。各鉄砲隊には七十メートルくらいまで敵をひきつけてから発射するように指示をした。

ジャクソンはトーマスに「あなた達が前線に出ることを一度は了承しましたが、今は情勢が全く変わりました。私は長耳族の軍はせいぜい多くても千人ぐらいの部隊だろうと思っていた。こんなに大軍団を派遣して来るとは予想していなかった。是非、丘の監視所に戻って下さい。もし、この一〇五地点が破られたら、直ちに第一防衛ラインの左翼と右翼を守っている聖隊とアンドレー隊、ギラド隊は第一次ラインを撤退し、丘の監視所と第二次ラインで防御につくことになっています。私か、ニコリスか、どちらかが生き残っていれば指揮できますが、もし二人とも戻れなかったら、トーマスさん、ヘルンケンさん、あなた達が彼ら三人と監視所のジミー・スタインと共に指揮をとってください。しかし、第二次防衛ラインは時間がなかったため脆弱な作りです。私はそこでの防御は多少の時間稼ぎをするだけで、その間全てを捨てて、全員北の地へ逃げた方が良いと思います。お二人とも、これからわれわれの戦いを見ていてください。そして決して戦いが不利になったからといって、救援をおくったりするようなことはしないで下さい」と言った。

ヘルンケンとトーマスはあえて反駁はしなかった。そして二人は目を瞑り、涙をこらえるようにしてうなずいた。

ヘルンケンはゆっくりと砦の室のドアを開け外に出ようとしたが、立ち止まり振り向き、涙を流しながら二人に叫んだ。

「ジャクソン君、ニコリス君。君たちは必ず生き抜いてほしい。絶対死んではならない。君たちはこれから私たちにはなくてはならない人なのだ。頼む、必ず生きていてくれよ」

ジャクソンとニコリスの二人は目を赤くはらしながらうなずいた。


 午前十時半、長耳族の進軍のラッパと太鼓が鳴りわたった。長耳族の軍団は一斉に鬨の声をあげ105地点のゆるい坂を駆け登って来た。

しかし全員一斉には攻めてこなかった。歩兵の一列、二列、三列の約七百人ばかりが突進してきたが、他の歩兵と騎兵は下の川原に陣どったまま動かなかった。登ってくる歩兵は細身の剣をかざし声をあげ、時々弓矢を射掛けながら、猛烈な勢いで突進してきた。味方の原住民の兵は弓の届かない距離とわかっていても、その勢いに恐れをなし弓矢を射はじめた。しかし長耳族の兵が弓の射程内に入ってきても、ほとんどの矢は楯で防がれ、彼らの勢いを止めることはできなかった。

やがて長耳族の兵は柵に百メートルと近づいて来た。十人編成の三隊、計三十人の鉄砲隊の最前列は鉄砲を構えた。

ジャクソンは火縄銃の弾込めに時間がかかるため、各隊三人ずつ三班に分け交互に発射させることにした。そして隊長にはライフル銃を持たせ、応じきれず危険になった場合のみ、使用することを許した。

鉄砲隊の幾人かは、もう発射してよいのではないかと、促すようにニコリス、ジャクソンの顔をチラ、チラと見た。

七十メートルに近づき、足の速い先頭はもう四十メートルほどに近づいて来た時、ジャクソンとニコリスは「撃て」と大きな声で叫んだ。

「ズ・ズズーン」と大きな火縄銃の発射音と、銃口からもうもうと白い煙が湧きあがった。続いて九発、さらに九発、次々と交互に火縄銃は息せきつくひまなく発射された。あたりは黒色火薬特有の臭いと白い煙がもうもうと立ち込めた。

長耳族の兵は発射されるたびに悲鳴をあげ、倒れ傷ついた。木に皮を張った楯に頭や体を隠すようにして前進してきた兵も、楯をやすやすと射抜いた弾丸で殺られ、体に傷を受けた。

火縄銃の轟音と白煙があがる度に次々と倒されていくので、たちまち一気に柵を破ろうとして攻めてきた長耳族の兵は恐慌をきたし、総崩れになり遁走し始めた。逃げる兵の後ろからは,原住民の兵が思わぬ鉄砲の威力に驚くと共に喜び、歓声をあげながら、次々と弓矢を射掛け、さらに多くの長耳族の兵を倒し傷つけていった。

 戦いが終ると、柵の前方四十メートルから草原や川原にかけて、多くの長耳族の兵士が倒れていた。

第一戦は火縄銃で予想外の勝利を得た。長耳族の兵はこの敗北で、残った歩兵と全く戦いに参加しなかった騎兵も対岸まで撤退して行った。

 第一戦に勝った。しかし、ジャクソンとニコリスは喜び湧いているみんなを激しく叱り、気分を引き締めた。

まだまだ一回目の前哨戦にしかない。主力の歩兵と騎兵隊が今の戦いに参加していれば、困難な戦いになり、多分、大砲も発射されるような危険な状態になったと思われた。しかし、彼らは騎兵を一兵も参加させなかった。何かあるに違いないとジャクソンとニコリスは思った。

おそらくわれわれの兵器や兵の配置を調査するために、歩兵だけで、しかも七百人くらいしか動員しなかったのではないかと二人は結論づけた。

 午後になってから再び長耳族は川を渡って来た。しかし今度は攻めようとせず、対岸から荷馬車などで、変わった形をした道具や材木を運び込み、大きな不思議な物体を組み立て始めた。その間に長耳族の歩兵たちは竹を何十本もまとめて束ね始めた。

ニコリスは望遠鏡でそれらをしばらく観察していたが「彼らはカタパルトを組み立てているようだ」とジャクソンに告げた。

「やはり、君が長耳族の国で見たというカタパルトか。あれでわれわれの砦や柵などを破壊してしまおうというのか。ところで歩兵たちは竹束をいくつも作っているが、敵はあれで何を考えているだろうか」とジャクソンはニコリスに尋ねた。

「青竹だから火を点けてカタパルトで飛ばすわけにはいかないし、何に使うのだろうか。

どういう意図があるのだろうか----」

ニコリスはしばらく考えながら、さらに望遠鏡で見続けた。長耳族の歩兵は大きな竹束を作ると、それを横倒しにして回転させながら、彼らの前面に置いていった。

「そうか、わかった。彼らはあれを転がしながら攻めてくるのだ。火縄銃は楯ではどうしても防ぎきれないと知って、あの竹束の後ろに隠れながら弾を防ぎ、柵に近づいたら一挙に飛び出し突撃しょうという策だな」ニコリスは確信をもって言った。

「なるほど、彼らもなかなか考えているな。やはり容易ならぬ敵だ。今度は大砲をどうしても発射させなければならないな」

 そう言うとジャクソンは伝令を呼び、今度敵が攻めてきたら大砲はカタパルトと竹束を集中して狙うように命令した。

 長耳族はそれらを組み立て準備している間に、次々と兵を増強し川を渡って来た。その数は再び約三千人になった。

カタパルトが出来上がると、彼らはそれをゆっくりと柵に向かって前進させ、四百メートルほど手前の所で止めた。歩兵は竹束を作ると転がしながら、次々と三百五十メートルくらい手前まで近づけた。

その間、対岸の長耳族の太鼓は低くゆっくりと鳴り続けていた。長耳族の騎兵は、今度は動く気配を見せはじめ、大きく横に整列し長槍を構えはじめた。

これに対する第一次防衛ラインも全員緊張した雰囲気の中、いよいよ始まろうとする決戦に備え、人々は忙しく動きまわり、柵を補強し、大砲や鉄砲をいつでも撃てるように準備して待ち構えた。ジャクソンは鉄砲隊の位置を少し移動させ、長耳族との前哨戦で知られた鉄砲隊の位置の目算を狂わせようとした。

 午後三時半、空には雲ひとつなかった。

ピーンと張りつめた空気の中、長耳族の進軍ラッパが高らかに鳴り渡った。

同時に二機のカタパルトから、ゴーンという音がしたかと思うと、大きな石と丸太のような大きな木の槍が、まるでスローモーション映画を見ているかのように、ゆっくりと力強く飛んで来た。

そして石は柵の手前二十メートルくらいの所に地響きをたて落下、槍は二列目の柵や砦を越え、さらに五十メートルほど後方へ飛んで行った。

それを合図に長耳族の歩兵は一斉に鬨の声をあげ、竹束を転がしながら前進して来た。すぐさま砦から、三門の大砲が一斉に大きな音を発し火を吹いた。砲身1.5メートルの小さな前装砲で、原理的には火縄銃をそのまま大きくしたようなもので、火薬を入れた後、丸い砲弾を詰め、火薬に火をつけ発射させる大砲である。飛距離はそれほど無いが破壊力、殺傷力は大きかった。爆発すると鉄片が四方に飛散した。

効果は非常に大きかった。着弾するたびに、土煙を高く上げ爆発し、竹束と隠れ進行してくる兵を倒していった。

ジャクソンは二門をカタパルトに、残りの一門を竹束を転がしてくる歩兵に向けた。

幸運にも、カタパルトの照準がまだ良く合わず、柵が二ヵ所少し壊されただけの間に、大砲の弾が三発、あいついでカタパルトに命中し、操作員数人と共に破壊し倒すことができた。

ジャクソンはカタパルトを使用不能にさせると、大砲二門を待機している騎兵隊に狙いを定めて発射させた。

 長耳族の騎兵隊千五百騎は歩兵がまだ柵にとりついていないので、突撃を控え、ジリジリした気持ちでその機を待っていた。

ところが、最初の二発、三発の爆発は我慢し、こらえ忍んでいたが、大砲の弾が七発,八発と騎兵隊へめがけ飛んできて、列の中で爆発し、その度に数人が馬ごと倒れ傷ついていくので、とうとう耐えきれず、騎兵隊は柵を目がけて一斉に突撃を開始した。

 しかし、歩兵は大砲の弾が爆発し、弓矢が飛んでくる中を竹束を転がしながらの前進のため時間がかかり、まだ先頭は柵まで八十メートルほどの距離にしか達していなかった。中には竹束が破壊され傷つき、立ち往生したり、前進を止め引き下がってくる兵もいた。

そこへ無理やり騎兵隊が、矢が弓から放たれたようにして、長槍や剣をかざして突進して来たため、長耳族の歩兵隊と騎兵隊の間で一時大混乱となった。

歩兵は後ろから着た馬にけられ、踏みつけられたり、騎兵は歩兵や散落した竹束が障害となり落馬したり、まるで同士討ちのような格好になり、長耳族の兵の多数が傷つき、戦闘力を失っていった。

騎兵はそれでも無理やり歩兵を追い越すと、第一の柵へめがけて突進して来た。

鉄砲隊は騎兵が七十メートルに接近してくると、再び一斉に射撃を開始しはじめた。

大砲、鉄砲、弓矢と全総力をあげて殺到する長耳族の軍団に向けられた。

鉄砲隊の各隊長は「右、撃て」ズ・ズズーン、「左、撃て」ズ・ズズーン、と最初のうちは目標を定め命令するだけでよかったが、圧倒的な兵力によって一列目の柵は直ぐに壊され、乗り越えられ、倒れても倒れても、次々と押寄せてくる優勢な兵力に、自らも時々ライフル銃を撃つようになった。

大砲も休む間もなく次々と弾を込め発射したが、だんだん第二の柵の近くに向け発射せざるを得なくなっていった。

原住民の兵も良く戦っていた。五十メートル離れたウサギなどを射るほど弓矢が上手な彼らは、よく次々と長耳族の兵を射抜いていった。二列目の柵に取り付き、乗り越えようとする敵に対しても、長槍や竹槍で、中には騎兵から奪った槍で突き落としたりして必死に奮戦した。

長耳族の歩兵も騎兵の後から一列目の柵を越え、続々と二列目の柵へ殺到して来た。

鉄砲隊は一列目の柵を防衛する時は第二の柵より射撃をしていたが、第二列の柵が危険になったため、後方の高台に避難し、そこの作られた防衛線より第二柵を登ったり、破壊しようとている長耳族の兵に向かって撃つようになった。

大砲の爆発音、銃声、硝煙、悲鳴、鬨の声、怒声、105地点は大変な激戦になった。

しかし屍を越え、次から次と押寄せる長耳族の軍団に、いつしかカタパルトで少し壊れた中央部分で、抗しきれず柵が破れら、そこから長耳族の兵が少しずつ侵入し始めた。

 それを見て直ぐにニコリスとジャクソンは走りより、持っていたピストルを乱射し、進入してきた敵を倒し第二の柵を塞ごうとした。

「馬は絶対に柵内に入れるな」「騎兵は馬を狙って落馬させろ」「注意しろ、左から三騎来るぞ」「二,三人グループになって戦え」「鎧の無い部分を刺せ」ジャクソンとニクソンは大声を出して片言の原住民の言葉も使いながら叱咤、激励し戦った。

しかし、破られた柵からどんどん長耳族の新たな兵が進入してきた。ピストルを撃ち尽くすと、二人は長耳族の剣を奪い切り伏せていった。砦にいた者たちも全員そこに駆けつけ、付近一帯は肉弾戦もようの乱戦になった。

ジャクソンとニコリスは、ジリジリと追い詰められ、砦まで全員を撤退させ、そこで体制を整え戦おうとしたが、次々と長耳族の兵が襲ってきて、命令を発する余裕がなかった。他の味方の兵たちも前面の敵に釘づけとなり、破られた柵へ支援に行く余裕は全くなく、ジャクソンとニコリスは奮戦しながら、このままでは、はっきりと負けると思った。しかし、どうすることもできなかった。長耳族はどんどん進入し、ついには第二の柵から十五メートルほど高台の銃や弓で戦っている者に対して攻撃するようになった。

 その時であった。砦と左翼の方からも原住民の兵を中心とした兵が約三百人「ウオー」と鬨の声をあげ、駆けつけて来た。

そして第二の破れた柵から進入してきた長耳族に対して弓を射、槍で突き、次々と倒しながら、じょじょに圧迫し始めた。

激しい肉弾戦がしばらく続いた。

一時は狼狽していた鉄砲隊も救援の兵が直前に迫ってきた長耳族の兵を追い払ってくれたため、落ち着きを取り戻し、高台から再び的確に狙い撃ちし、銃で次々と倒して行った。


ジャクソンとニコリスは、ホッとした。そうすると疲れが一時に、ドォッと出てきたのか、長耳族の槍にもたれかかるようにして膝をついた。

二人は体中血しぶきをあび、傷だらけであった。それにしてもわれわれには救援に駆けつけてくるほどの予備兵力はなかったはずである。一体彼らはどこから来たのかと訝しく思った。しかし、もうこれ以上体を動かすことができないほど疲れ、ただ、彼らの活躍を見ているだけであった。

長耳族の兵の勢いは第二の柵から押し出されることによって止まり、流れは変わった。

それを機に少しずつ後退し始め、やがて生き残った者全員、敵に背を向け、算を乱すようにして逃げ始め、坂を転がるようにして対岸まで遁走して行った。

 聖とアンドレー、それにギラドがジャクソンとニコリスの二人の側に駆けつけ、声をかけた。

「大丈夫ですか。今、医療班に連絡しておきましたから、直ぐに来ると思います」

そうだったのか、左翼と右翼を守備していた聖隊、アンドレー隊、ギラド隊が救援に来たのか、とジャクソンはよろよろと立ち上がった。

「命令に違反して申し訳ありません。第一防衛ラインが破れたら、すみやかに監視所の第二ラインまで撤退しなければならないのですが、105地点の第二柵が破られ危険な状態になっているのを目撃し、ジリジリしているうちに、長耳族の後続が少なくなっているので、まだ早めに手をうてば破られた柵を塞ぐことができると思い、夢中で駆けつけてきてしまったのです」と聖は言った。

「私もです。聖隊が行くのを見て、われわれもと来てしまった」とアンドレー、ギラドの二人は聖の方を見ながら、少し笑い言った。

ジャクソンは三人の手を強く握った。

「ありがとう。君たちが来なかったら、われわれは完全に敗れていたであろう。しかし命令違反は命令違反だ。今回限りだぞ。再びこのようになったら、その時は絶対に監視所へ撤退するのだ」

少し怒るように言ったが、しかし顔は笑っていた。

ニコリスも声をあげ笑った。


 死者六人、原住民の死者十九人、重傷者合わせて三十一名。大きな戦いの割には味方の被害は少なかったのかもしれない。しかし、この数字にヘルンケンはしばし目をつむり沈黙したまま何も語ろうとしなかった。

相当の激戦となり、死傷者が多数出るであろうとは、前もって覚悟はしていたが、いざ実際に死傷者が多数出ると、ヘルンケンの確信はゆらいでくるような気がしてきた。

われわれは全てを捨て去り、直ちに北の地へ移動したほうが良かったのではなかったか。そうすれば、このような多くの死傷者も出なかったかもしれない。

「ジャン・ヘンダ-ソン、ワタナベ・ハチロー、ローラ・ジョンソン------」と死者の名前が次々と呼ばれ、その日の夜遅く、村や海がよく見渡せる丘の上で、全員見守る中で、一人ずつ掘られた穴に埋められていった。そしてその上に簡単な十字架が立てられた。

敵の長耳族兵士の死体も大きな穴が掘られ、次々と運ばれ埋められていった。

 敵の被害は甚大であった。無敵を誇っていた長耳族の軍団が、壊滅に近い損害を受けたのである。ニコリスは今度の戦いで彼らの軍は、立ち直るのに相当の時間を要するだろうと思った。ジャクソンも同意見で、うまくすれば二、三日戦わないですみ、その間に出航できるかもしれないと期待もしていた。

 翌日、期待どおり長耳族は全く攻めてこなかった。しかし依然、対岸の川原に三百人くらい天幕を張り陣をかまえており、さらに林などの木々の間から無数の炊事の煙が上っているので、まだ多数の兵士が野営しているようであった。

また、狼煙が早朝から不気味に、あちらこちらの山々から昇り、ジャクソンには長耳族はさかんに連絡しあい兵の増強をはかっているのではないかと思えた。

その間、味方は忙しく前日壊された柵などの補修と、長耳族の死体の埋葬、傷ついて動けない兵士は、タンカに載せ川原まで運び、長耳族が引き取れるようにした。

原住民の兵は死傷者が多かったが、勝利に気を良くしていた。長耳族の放棄していった弓矢、剣、槍を集め、各部落単位に保管し、戦いが終ったら部落に持って帰るつもりでいた。

鉄製品が大量に手に入ることは、彼らにとって大変な喜びであった。死亡した家族に優先的に与えるつもりであるという。

船の工事も、残り三日以内に完成させようと、みな大忙しに動きまわっていた。


 さらに一日たった。長耳族の軍団が現れてから丁度四日目、対岸の軍団は昨日と同様、兵の増強や新たな攻撃準備のためか、特別の動きもみせず、うまくすれば今日も攻撃をしてこないだろうと思われた。

そこでジャクソンはニコリスに後を任せ、ヘルンケン、トーマスそれにワトソンらと船の出航準備や撤収作業について打ち合わせるために、四日ぶりに村へ戻って行った。

 その日も空は晴れ渡り、ぽかぽかした一日になりそうであった。昼になり、そろそろ給食係が食事を配達に来る頃で、第一防衛ラインの人々の中には、もう調理を運んでくる者たちが見えても良い時間だと、空腹のため村の方を振り返る者もいた。

 突然「シュル・シュル・シュル・シュルーン」と奇妙な音がした。

皆「はて、なんだろう」と思い音のする方向を見ると、対岸の林の中から、三筋の白い煙を吐きながら、異様な物体が川を越え第一防衛ラインのこちらに向かって飛んで来た。それはまるで打ち上げ花火のように、白煙をはき、少し蛇行しながら、みなの見ている第二の柵の五十メートル前方に落ちて来た。

とたんに大爆発を起こし、土や岩を高くはね飛ばすとともに、それらがパラパラと柵から見ている人々のうえに降りかかってきた。

「ロケット砲だ」とニコリスは叫んだ。驚きの声をあげている中を続いて三発、大きな音をしながらまた飛んで来た。ニコリスは大声をあげ「伏せろ、伏せろ----、危ないぞ、伏せろ」と叫び警告を発し、困惑の表情を浮かべている味方の人々の中を走りまわった。

 伏せながら見ている中を、三発のうち二発は柵の手前で爆発したが、残りの一発が柵に命中し爆発、柵の木や竹を吹き飛ばすとともに、二メートルほどの大きな穴をあけた。

ニコリスは顔をあげ、対岸を見ると、今度はさらに多く七発、白煙をあげ打ち上げられて来た。ニコリスは咄嗟に、もうこの陣地は破壊され維持できないだろうと判断した。なぜならば、この陣地は騎兵や歩兵、弓矢などには良いが、砲撃には全く考慮されておらず無防備であったからである。塹壕も浅いのが一ヶ所あるだけである。

ニコリスは再び大声をあげて叫んだ。

「撤退、全員撤退しろ。第二防衛ラインまで撤退----。大砲、銃、槍などの武器、弾薬はできる限り運び出せ----、逃げろ----」

長耳族は約三十秒間隔でロケット弾のような筒弾を第一防衛ラインの柵や砦を中心に狙い、発射した。その硝煙の臭いから判断して黒色火薬のようである。ロケット弾は白煙を上げ「シュル・シュル・シュル・シュルーン」と気味悪いうなり声をあげながら、砦を中心にした第一防衛ラインに落下し爆発破壊していった。

その爆発の中を、味方は全員必死になって、丘の監視所や第二防衛ラインに向かって走った。

砦にも三発ほど命中し、あっという間に建物が粉々に飛び散ってしまった。幸いロケット砲は丘の監視所までの射程距離はないようで、監視所の前方三百五十メートルくらいの所までで、それ以上先には飛んでこなかった。

第一防衛ラインの砦周辺にいた人々は皆、息せき切って第二防衛ラインの柵の中へ、倒れるようにしてなだれ込んで来た。そして命がけで逃げてきた105地点や砦を振り返り、荒い息ずかいと恐怖で顔をこわばらせながら、破壊されてゆくのを見ていた。

 長耳族は砦や105地点の陣地を、徹底的に砲撃破壊し尽くすと、さらに目標を第一ラインの右翼と左翼に変え、発射し始めた。そこにいた聖、アンドレー、ギラドの各隊は直ちに監視所や第二ラインの拠点へ、やはり逃げるようにして撤退して来た。


 しばらくしてジャクソンと少し遅れてヘルンケンとトーマスが船の桟橋から、急いで監視所へ走り登って来た。

ニコリスはジャクソンに無言で、今までのぞいていた望遠鏡を手渡した。その顔はいまだ信じられないという表情であった。

「彼らにあのような破壊力のある兵器を所持しているとは、私は思いもよらなかった。確か火薬が発明されたのは十一世紀か十二世紀になってからのはずなのに、それより遥か昔の一万数千年前の彼らが火薬を知り、さらに兵器まで応用しているとは、私には驚異だ。

あの砲弾から判断すると、ミサイルというより無誘導のロケット砲のようだ。君はどう見る」とニコリスは望遠鏡で食い入るように見つめているジャクソンに言った。

「ウムー----、あれは確かに大砲から発射された弾丸ではないな。非常に細長く大きい。自ら噴射推進して飛んでくる----。そういうことからみれば、君の言うようにロケット弾のようだが、しかし思ったほど高度な兵器でないようだ。昔、中国に火箭とか矢箭といわれたロケット砲に似た兵器があった。それに近い火器のように思えるが----。それに、けなすのではないが、あの兵器の性能は、われわれの大砲より確かに飛距離や破壊力はあるが、まだまだ大変劣っていると思う----。たとえば飛んでくるスピードは非常に遅く、目で方向や落下地点を追い予想することができるし、照準装置などが無いのか飛距離、方向、着弾地点などの精度が一定しておらず、バラバラである。それにあの弾を良く見ると、木か竹筒で作成されているように思える。まだまだ遅れた兵器だと言える。しかし----、これで完全に第一防衛ラインは破壊されたな。あんなに激しい戦いでも第一ラインを維持できたのに、こんなに簡単に破られるとは思いもよらなかった----」

ジャクソンは冷静に観察しながら言うと、望遠鏡をニコリスに返した。その顔色は少し青ざめていた。

「ところで、今のロケット弾の攻撃で、われわれは大体どのくらいの損害を受けているのですか」とジャクソンはニコリスに聞いた。

「至急調査させているのだが、まだ大変混乱していて詳細までは分かっていないが----、逃げるのが早かったので、軽度の負傷者十五,六人程度ですんでいるようだ。いまのところ死者は出ていない。長耳族のロケット弾は破壊力はあるが、殺傷能力はそんなに無いので、破壊された割には人的な被害は軽度ですんでいると思う。大砲は一門、第一防衛ラインに放置されたままになっているから、おそらくもう破壊されていると思う。しかし、残りの二門は今、運んでいる最中だが無事だ。鉄砲弾薬も全部持ってこられたようだ」

「よかった。それなら第二防衛ラインでも、なんとか抵抗を維持できるだろう。ロケット弾の攻撃には塹壕を深く掘って対処しよう。あと一日、明日の昼過ぎぐらいまで頑張ればよいのだから、そうすれば船やイカダで全員、原住民の兵も含めて、この地から撤退、出航することになる。原住民も船で逃げられるように、原住民の小船も三十隻近く、もう浜には集めてある」とジャクソンは少し安堵した表情で言った。

「しかし、もう一つ重大な問題が起きているのだ」とニコリスは辺りを見まわして、ここにヘルンケンとトーマスの四人しかいないことを確認すると、そおっと小さい声で言った。

「なんですか、それは----」とヘルンケンが直ぐ横から心配そうに口を開いた。

「今の長耳族の攻撃で原住民の兵たちは非常に動揺しているのです。アンドレーや聖、ジミー・スタインたちがさかんに慰留しているが、彼らは長耳族との戦いで多くの死者、負傷者を出しているので、もうこれ以上、犠牲者を出したくないと言っているのです。こんな激しい戦争は今まで彼らは経験したことが無かったし、われわれが共に戦っていなかったら、彼らはもうとっくに逃げ出していただろうと私は思う。そういう意味で同情はするが----、最悪の場合、彼らはほとんど全員、引き上げるようなことになるかもしれないのだ」

「丘に登ってくるとき、アンドレー、聖、ジミー・スタイン、ギラドさんの周りに、たくさんの原住民の人々が集まって話し合っていたけれど、少し雰囲気はおかしいなと思っていたが、まさかそのようになっているとは知らなかった。私は原住民の人々は攻撃を受け撤退してきたので、気が立っているが、これからの防衛方法や防衛場所などを話し合っていると思っていた」とヘルンケンは言った。

「こんな重大な時に----。彼らに今、引き上げられたら大変なことになってしまう」とトーマスは大きな声をだし言ったが、しかし直ぐに小さい声に改め「何とかそればかりは止めなければ」とニコリスに言った。

耳をそばだてると監視所の外から時々、原住民の兵の激しい声が聞こえてきた。

「あのロケット弾の威力を見せつけられて、原住民の心は意気消沈してしまった。あれを叩くことができれば、まだみんなの気持ちを変えることができるのだが、われわれの大砲の弾はあそこまで届かない。何か良い方法を見つけなくては」ニコリスはため息をつくように言った。

まだ時々聞こえるロケット弾の爆発する音の中で、原住民の荒々しい声と、聖やアンドレーの宥めすかす声が聞こえて来た。

その騒ぎから判断すると非常に困難な状態になっているようである。

「明日の昼過ぎには船が完成し、船出することができる。それまでなんとか彼らに協力してもらわなければ、私たちの今までの努力は水泡にきしてしまう。何とか良い考えがないだろうか。私たちには、もう船や村、全てを捨てて北の地へ逃げるほか、道はないのだろうか。みんなよく考えてほしい。何とかこの急場を救う道を----」と言いながら、ヘルンケンはいよいよ最悪の選択、北の地への全員撤退の決断をしなければならないと思い始めた。

だが、それでも何か残されている方法があるのではないかと希望を、なお捨てずにいた。

トーマスは「何かあのロケット砲を叩く、よい手段はないだろうか----、でも今のわれわれには不可能に近いな。それをするには、なにしろ川を渡って攻めて行かなければならないのだから、ああ----、せっかくここまで築いてきたのに、みんな希望と意欲をもって、ここまで来たのに、全て放棄か----」半ばあきらめ、半ば嘆くように言った。

 四人は陰鬱な気持ちになり考え込んだ。


「まて、たった一つ方法がある」とニコリスが腕組みをしながら声をあげた。しかし顔は依然苦衷に満ちていた。ジャクソンはニコリスの顔をしばらく見ていたが、ハッとした表情で「あれを使うのか----」とニコリスに言った。

「そう、あれしかないだろう。彼らには非常に危険な任務だが、ロケット砲を破壊するには、それしかないだろう」

「なんですか、それは----」トーマスは少しいらいらした表情で、早く教えなさいという態度で尋ねた。

ジャクソンはそんなトーマスの顔を少し笑いながら言った。

「トーマスさん。あなたがアイディアを出した方法でやるのですよ」

「私が----、私が出したアイディアで----、なんだろう」トーマスは首をかしげた。

「ハング・グライダーです」

「ええ、ハング・グライダーで」とトーマスは大きな声をあげ叫んだ。

「そうです。ハング・グライダーです。いよいよわれわれの空軍の出動ですな。空からロケット砲の基地を攻撃するのです。対岸のどこにあるのか分からないロケット砲の基地を叩くには、それしかないでしょう」

「なるほど、それは面白い。早速、ミルフォード君を呼ばなくては、彼は今どこにいるのだ。私が呼んでくる」

トーマスは急に元気になり、ニコリスにたずねた。

「彼は第二鉄砲隊に属しているから、外にいるはずです」とニコリスは答えた。


 三分もたたない内に、トーマスはミルフォードと連れ立って室に戻って来た。しかし、トーマスは少し落胆した顔つきをしていた。

「今の風では、どうしても無理だというのだ」期待して待っている三人の顔を見渡しながらトーマスは言った。

ミルフォードは日に焼けた顔を、たいへんに申し訳ないというようような表情で、トーマスの言葉に続けて言った。

「私も何とかして、ハング・グライダーで空から攻撃し、この急場を救いたいと思っているのですが。今、いつもある風が不思議に無く、完全に無風状態なのです。この様子だと夜まで風は吹かないと思います。残念ながら、これでは飛べと言われても全く飛べないのです。本当にこの重大な時、役立たずに申し訳ないです。ただ、今までの経験からいうと、朝方、いつも海からよい風が吹くので、明日の朝なら必ず飛べるのではないかと思うのですが、明日ではもう遅いのでしょうか」

「もう一時(いっとき)も待てない状態になっている----、しかし風が無ければ、仕方がない----。さあ、たった一つの望みも絶たれてしまった。われわれはこれからどう行動するか----、明日の昼まで、是が非でも守り抜くか、それとも直ちに北へ全員退避するか--------」ジャクソンはそう言ったまま考え込んでしまった。

その時、アンドレーが顔を紅潮させ、室へ入って来た。

「もう私には彼らを抑えることはできません。みんな直ちに引き上げるといって、説得に応じてくれないのです。私の手には負えない状態に来ています。何とかしてください。もうどうすればよいのか、私にはわかりません」と原住民とのやりとりで喉をからしたのか、かすれた声で訴えた。

ヘルンケンは静かにアンドレーの側に寄った。

「あなた達だけを矢面に立たせてすいませんでした。無理だと思いますが、今度は私が代わりに説得してみましょう。通訳してくれますか」

ヘルンケンは穏やかな声で興奮しているアンドレーに言った。そしてアンドレーがうなずくと、ゆっくりと室を出て、大勢で待っている原住民の前に立った。

他の者たちもヘルンケンが、うまく説得してくれることを期待しながら、続いて室から出て、ヘルンケンの後ろに並んだ。

それを見て、聖、ギラド、ジミー・スタイン隊の原住民たちだけでなく、監視所の周辺にいる人々、二次防衛ラインにいる人々全員が、緊張した顔つきして集まって来た。

全員集まり終わるのを待ってから、ヘルンケンはアンドレーに通訳させながら、大声をあげて原住民の人々に訴えた。

「みなさん、私たちは確かに第一防衛ラインを破られました。だが、決して敗北したのではないということを知っていただきたい。あの長耳族の大きな音を立てて爆発する兵器に対し、あなた達は私たちがもうなすべき方法が、手段が無いと思っているかもしれません。しかし私たちはあの兵器を破壊することができます。きっと破壊して見せるでしょう。そしてなお十分に彼らに対抗し、彼ら以上の強さがあることを示すことができるでしょう。だがそれには、言い訳のように聞こえるかもしれませんが、多少の時間がかかるのです。ほんの少しの時間ですが、準備するために時間が要るのです。しかし明日の朝には、それを皆さんに見せることができるでしょう。ですから、みなさんが引き上げることを決めるのを、明日の朝の結果を待ってからにしてもらいたいのです。そして、もし私たちがあの兵器を破壊できなかったら、私たちはもう決して、あなた達が引き上げることに対し止めることはしないでしょう。ですから明日の朝まで待ってもらいたいのです。私たちには大砲も無事です。銃も全て無事です。あなた達には、これらの兵器の威力を十分に、二日間の戦いで知っていることと思います。この監視所を中心にした陣地も無事です。もし、あの長耳族の兵器を破壊できたら、これらの兵器と陣地で、十分に戦うことができるのです。ただ、それもあなた達が共に戦ってくれることが前提です。私たちはあなた達の援助が無ければ戦うことはできません。もしあなた達が戦わないで引き上げることになれば、私たちは少人数しかいません。明らかに敗北します。全員死ぬか、捕虜になるでしょう。しかし、あなた達も長耳族に長年にわたって侵略を受け、殺されたり、連れ去られた、あなた達の先祖、仲間たち、父母、子供たちの恨みを果たすことはできなくなるのです。そしてこれからも、何回と侵略を受け続けるでしょう。是非、一緒に共同の敵、長耳族と戦ってください。そうすれば昨日までの戦いのように絶対勝てるのです。二日間の戦いを思いだしてみて下さい。あの私たちの何倍もの長耳族の大軍を破ったことを思い出してください。みなさん、私たちと共に戦えば再び大きな勝利を得ることができるのです。この戦いに勝利すれば長耳族はこれから十年は戦うことができないほどの大きな痛手を負うでしょう。しばらくは長耳族の国から殺されたり、捕らわれ奴隷にされる恐怖がなくなり、平和が訪れるのです。是非残って私たちと協力し、共同して戦いましょう。私たちはあなた達を強制はできません。いつもと同じように協力をお願いしているのです。明日の朝、私たちはあの兵器を必ず破壊します。そうすればまた私たちは有利な立場になるのです。直ちにみなさん話し合って決めていただきたい。私たちはみなさんの勇気ある賢明な判断を期待しています」

 まだ時々ロケット砲の攻撃が続き、爆発の音がこだます中、みんなヘルンケンの話を静かに耳を傾けた。

そしてヘルンケンの話が終ると、原住民の人々はそれぞれ部族単位に別れかたまり、どのようにするか話し合いを始めた。

しかし、聖やアンドレーが説得していた頃の、興奮し殺気だった姿はもうなかった。村の人々にはヘルンケンの説得は成功したかのように見えた。

トーマスやニコリス、ジャクソンは「よかった、よかった。成功したようだ」とヘルンケンに握手を求めた。

 直ちに第二防衛ラインの陣地の補強作業が開始された。木や竹で新たな柵作りと、ロケット弾を避けるために、深い塹壕がいくつも掘られた。その間にニコリスはジャクソンと協議して、陽動作戦の指揮をとるため、鉄砲隊の一隊十人と共に、破壊された第一防衛ラインに向かった。

まだまだ第一防衛ラインは壊滅していないのだということを示し、長耳族の軍が第一防衛ラインに進出してくるのをできる限り遅らせ、第二防衛ラインの補強作業をその間に少しでも多くするのが目的であった。

時々飛んでくるロケット砲の目標は、左翼右翼の柵や落とし穴などの罠に向けられ、105地点にはもう飛んでこなかった。

 第一防衛ラインはやはり完全に破壊されていた。柵の木や竹の残骸があちらこちらに散らばり、砦の跡はそれらで足の踏み場もなかった。十人はたった一つある塹壕の中にもぐり込むと、直ぐに木や竹の残骸を除去し、深く広くするための作業を開始した。ニコリスはその間、残骸の間から対岸を偵察し、下を見張った。

ニコリスは長耳族軍がロケット砲の攻撃と同時か、直ちに攻めれば簡単に第一防衛ラインを破ることができるのに攻撃してこないのは、やはり二日前の戦闘で長耳族軍は相当の被害を受け、まだ兵員の補充回復を続けていると思えた。


 夕方四時半頃になった時、長耳族の歩兵と騎兵三百人くらいが、ゆっくりと物音を立てないようにして、対岸より川を渡り始めた。ニコリスは中尾と松延が持っていた銃の中で、たった一丁しかなかったが、日本製で自衛隊の主幹銃になっている九八式歩兵銃を持って来た。そして銃についている二脚を立て、伏せ撃ちの姿勢で構えた。

あまり大柄でないニコリスはこの銃を非常に気に入っていた。

軽量で発射時の反動や跳ね上がりが少なく、連射もでき、狙撃するには優れた機能を持つ銃である。

長耳族が全員川を渡ると、ニコリスは先頭を行く指揮官らしき者に狙いを定めた。

火縄銃と異なった、鈍い低い音がすると、その指揮官はゆっくりと体が崩れ、そのまま声をたてずに落馬していった。続いてその隣にいた騎兵と、さらに後ろの二人が連射で倒された。驚いて立ち止まった歩兵も、次々と歩兵の先頭を行く五人が、胸をおさえ空をつかむようにして倒れた。たった10発の射撃によって長耳族の兵たちは浮き足立ち、たちまち総崩れとなって対岸へ算を乱し逃げて行った。

長耳族の兵たちは第一防衛ラインは、ロケット砲によってほぼ完全に破壊され、もう抵抗はほとんど無いと思っていた。それなのに川を渡ったばかりの、第一防衛ラインの遥か離れた手前の場所で、九人があっという間に倒されたのに大変驚いたようだ。

再びロケット砲の攻撃が第一ラインの一〇五地点に集中して来た。ニコリスは銃の脚をたたむと急いで塹壕へ飛び込んだ。


 日が西に傾き、夕焼けの中を真っ赤な太陽が静かに没し始めると、長時間に渡った長耳族のロケット砲攻撃は止んだ。

パティアが言っていたが、長耳族は太陽神を信仰しているので、夜間はほとんど攻撃してこないと言っていたが、四日間の戦いで事実のようである。彼らは一度も夜は攻めてこなかった。しかし、ニコリスは三人をのぞき、他の七人を監視所に戻し、ここで夜間はニコリスを合わせ、四人で交代で見張りを続けることにした。

折り返しジャクソンがやって来た。そしてニコリスの隣に来て、体を伏せ対岸を眺めた。

二人はしばし無言であった。

「ここで長耳族の軍隊を見ていると、明日がいよいよ最大の決戦になるような気がひしひしとしてくる」とニコリスは対岸にある長耳族の露営のかがり火に目をそそいだまま静かに言った。

「君もそう思うか。私も明日が最大の山場になるのではないかと感じているんだよ。船は全員不眠不休で働き明日の朝、帆を張り、昼には必ず出航できるようにすると、ワトソン君は確約してくれた。何としても、それまでわれわれは守らなくては」

ジャクソンはそう言うと大きなため息をついた。眼を閉じると、そのまま深い眠りに引き込まれそうな気がした。

ニコリスはジャクソンはだいぶ疲れているなと気づき、月明かりの中、ジャクソンの顔を見た。目はくぼみも右頬には二日前の戦闘で受けた刀傷があり、ようやく固まりかかってきていたが凄惨な顔をしていた。

「今夜はここでわれわれ四人が見張っているから、君は安心して戻りなさい。みんなも疲れていると思うから、全員早く寝かせたほうがよいでしょう。何かあったら、われわれが鉄砲を撃ち警報を発するから、安心してみんなを休ませなさい。君も明日の戦いに備え、必ず眠るのだぞ」とニコリスは言った。

「ありがとう、その言葉に従わせてもらうよ。だが、何かあったら、直ぐ逃げてくれよ。私は君がいてくれて、どんなに心強かったか。士官学校時代から私は君の方が、作戦指揮能力が優れていると思っている。だから私が戦いの途中で傷つくか、死ぬような事になったら、今度は君が必ず戦いの指揮をとってくれよ」

ジャクソンはそう言うと、ゆっくりと立ち上がり、体を重そうにして、監視所へ戻って行った。


 翌日の明け方、ジャクソンはグッスリ寝ているところを聖とアンドレーに起こされた。

「どうしたのだ」

ジャクソンは少し寝過ごしたかと思い、時計を見ながら尋ねた。

時計は三時を指し、冷えた空気が辺りをおおっていた。

「大変です。原住民の兵が逃げたのです」

「ええ----、何、逃げた----」

ジャクソンは思わず驚きの声をあげて立ち上がった。

「私たちが寝ている間に、原住民のほとんどが居なくなっているのです。原住民の人で残っているのは、付近の部落の人々ばかり四十人くらいしかいません」

「これは大変なことになった」とジャクソンの隣で寝ていたヘルンケンとトーマスも立ち上がりながら言った。

「全員起こして、非常呼集してくれ。ニコリスにも至急ここへ来るよう連絡してください。直ちに作戦を全面的に立て直さなくては--------」ジャクソンは聖とアンドレーに命令し走らせた。

「この新たな事態をどう対処するか、夜が明けるまでに話し合い、決めなくてはいけない。直ちに北の地へ逃げるか、それとも長耳族とこのまま戦うか、戦うとしたらこの少人数でどうやって戦うか、早急に決断しなければなりません」

ジャクソンはそう言いながらヘルンケンとトーマスの顔を、青白い顔をして見つめた。

「もうここまで来たら長耳族と戦うしかないだろう。もう何もかも、食糧や生活物資、他の重要なものはだいたい、船に積み込んでしまっている。あれを全部放棄して逃げるよりは、あと半日、何としてでも全力で死守し、船出しようという意見が大多数だと思うが--------」

とトーマスは少し自暴自棄気味に言った。

「私もここまで来たら、どうにかして昼まで守り抜き、船を出航させる意見を取る。もし直ちに全てを放棄して全員北の地へ向かっても、彼らは馬で追いかけてくるだろう。その結果は目に見えている。戦おう。私たちの運命を、生か死かを、この半日に賭けて見るべきではないかな」ヘルンケンはトーマスに同調した。

「あと半日、あと半日、原住民の人が居てくれたら、何とかなるのに残念だ。鉄製品とか、彼らにもっと報酬を約束しておけば、このようにならなかったのかな--------」とトーマスは呟いた。

それに対して、ヘルンケンはゆっくりと首を振り、トーマスの意見を否定し言った。

「彼らを恨んではいけない。彼らにとって、われわれの考えに少し利己的で民族差別ような不平等があると感じたのかもしれない。私たちは半日後には出航してこの地から居なくなるが、彼らはこれからも長耳族の脅威が残るし、われわれに命かけて、いくら協力してもわれわれの船に乗り新天地に一緒に行くことはできない。ただ、利用されていると感じたのかもしれない。私たちのやり方は、彼らに命をかけて最後まで戦うほどの心を一致、同情させるに至らなかった。われわれも反省すべき点はたくさんあると思う」

「確かに、私たちはあまり自分たちのことしか考えなかったことは反省しなくてはいけないな。この問題はもし次の新天地に行けて、そこに住人が居たら、大きな課題になりますね」と言いながらトーマスはうなずいた。

 そこへ、ニコリスが荒い息ずかいをしながら、大急ぎで走って来た。

彼も北の地へ行くより長耳族との戦いを選んだ。

集まってきた村の人々、大多数の意見も戦うことを望んだ。


 そこで新たに防衛作戦を立てることになり、直ちに軍事委員が召集され、会議が持たれた。また残った原住民に対して、アンドレーと聖が、われわれの船は昼まで完成し、それで新天地を目指す。それに同船し同行するか、それともこの地に残るか、残るなら直ちに今、逃げ去った人々と同様、ここより去り、北へ北へ、できる限り遠くへ逃げるよう。さもないと長耳族の報復を受けるか、大噴火でこの辺りは死の世界になるだろうと説明がなされた。

四十名近く残っていた原住民の人々は、この話で十九名に減り、直ちに家族のある同行を選んだ原住民は家族を呼び寄せる手配をした。

ヘルンケンは去って行く原住民の人々に、今までの感謝の意味で、ナイフ、斧などの鉄器具を彼らに与え、できるだけ遠く遠く、北へ北へ行くよう、さらに念を押し忠告した。

同船する十九名の原住民の兵士とその家族は、これで完全に村の一員となり、生死を共にすることになった。


 ジャクソンとニコリスの防衛作戦構想は完全に一致した。少数の人員で第一、第二防衛ラインを守るのは不可能であった。そこで船の桟橋を中心に狭い範囲の陣地を作ることであった。

桟橋の前方五十メートルの半径に、木材や石、竹などでバリケードを作り、大砲は監視所に一門、桟橋の防衛線に二門、さらに船の大砲、各一隻に二門ずつある大砲を船尾に移動し、計七門の砲を中心に防衛線を作る。さらに、丘の監視所をトーチカのように要塞化して、その中に十人、M16ライフル銃を中心にして立てこもり、監視、前線基地にすると共に、監視所と桟橋の陣地で、長耳族の兵を挟撃分散させるという作戦であった。監視所は放棄したかったが、ハング・グライダーの攻撃が失敗か、一部ロケット砲が残った場合、船に直接ロケット砲が向けられ破壊される可能性があるため、監視所に大砲を置かざるを得なかった。長耳族は船をロケット砲で攻撃するためには第一防衛ライン近くまで移動させなければならない。その地点なら桟橋の大砲は無理だが、監視所の大砲はロケット砲破壊射撃する射程距離内になり攻撃できた。

 まだ暗い中をバリケード作りのために、慣れすんだ家や、それに集会所は壊され、その木材などを利用して堅固なバリケード作りが始まった。

監視所では要塞化するために、周囲に塹壕が掘られ、竹や木、柵でバリケードが作られ、建物には新たに、弓矢から守るために厚い板を張り、補強作業が進められ、女、子供たちも全員これらの作業に参加した。集会所の電話は桟橋に移され、監視所と直通電話になった。

村の人は全員一つの目的のために、一生懸命、必死に働いた。

目的は一つ、できる限り多くの人を、無事に船に乗せ、新天地へ出航させるために--------。






その日


 朝六時、丘からハング・グライダーが三機、するすると空中に浮かび上がった。

ロケット砲を破壊することが、あと残された半日の作戦に、大きな勝敗の分かれ目となり、重要なカギを握っていた。

ロケット砲が第一防衛ライン、または直ぐ丘の上から発射されれば、桟橋防御のバリケードは勿論、船まで破壊され、全滅するのが目に見えているからである。

ハング・グライダーには各機、三本ずつの火炎瓶がくくりつけられた。ロケット砲の発射基地上空で火をつけ落下させ、火災を起こし誘爆させようというのである。

 ハング・グライダーはミルフォードを先頭に、海からの強い風にのり飛び上がり、船の上空近くまで上昇すると反転し、今度は丘の監視所に方向を向け、さらにそれを越えて川に向かった。船の上や、バリケード内、監視所からも作業の手を休め、みんな彼らに手を振り成功を祈った。

ジャクソンとニコリスは、まだ長耳族の軍が進行してこないのを幸いに、第一防衛ラインの砦まで行き、そこで手を振り三機の編隊を見送った。

 しかし、長耳族の軍は直ぐに異様な物が飛んでくるのに気がつき、騒ぎ始めた。

川の上を越えると、その変な飛んでくる物体に、人間が乗っているのを知り、大声で叫びながら、直ぐに弓を射掛け始めた。だが、二百五十メートルほど上空を飛んでいるため、届かず、矢を無駄にするだけであった。

 ジャクソンが望遠鏡で見ていると、予想していたとおり、川から近い所に発射場があるらしく、三機のハング・グライダーは川を渡って直ぐに、二回ほど大きく円を描くように飛び回った。そして目標を確認すると、ライターで火炎瓶の一本に点火し一機ずつ、緩やかに下降し、火炎瓶を一本ずつ落下させて攻撃を開始した。

 ジャクソンは爆発が直ぐに起きることを期待して待ったが、一回目の爆撃は何の異変も起きなかった。

また、三機は一回大きく円を描いた後、ゆっくりと二回目の降下を開始した。しかし、少し煙が薄く上がり始めたのは感じられたが、なお、爆発は起こらなかった。

 ハング・グライダーはあと各機一本ずつ、三本の火炎瓶しかないはずである。

ジャクソンは今度こそ命中するよう祈るようにして、三回目の攻撃を仕掛けるのを待った。

ハング・グライダーは再び大きく円を描きながら上昇し、今度は先頭のハング・グライダーは思い切って大きく急降下した。

木々の間に隠れ見えなくなるほど低く降下し、ジャクソンは「低すぎる。危険だ」と望遠鏡をギューッと強く握りながら、思わず声をあげた。

しかし、そのハング・グライダーは火炎瓶を落下させると再び急上昇して行った。次の瞬間、大きな爆発が起こり、白煙がわきあがってきた。

ジャクソンとニコリスは「成功した」と喜びの声をあげた。

ところが、二番機も続いて火炎瓶を落下させ、三番機が一番、二番と同様に大きく急降下した時、激しいロケット弾の大爆発が起こった。

白い煙が大きくわきあがったその中に、三番機がちょうど突っ込むような格好になり、機は白煙に包まれていった。

 残った二機のハング・グライダーは、しばらくもうもうと白煙を上げ爆発している上空を高く舞い、三番機が再び上昇してくるよう様子を見ていた。しかし、三番機は二度と再び姿を現さなかった。

その間にロケット弾は次々と誘爆を起こし、あちらこちらに火を吹きながら無目的に飛んで行くので、残った二機のハング・グライダーは、それでもしばらく待っていたが危険になり、戻らざるを得なくなった。

また、ジャクソンとニコリスも直ちに戻るよう手を振った。


 二機のハング・グライダーが海岸の砂浜に着陸すると、みんな声をあげ、駆け寄って来た。

 海岸からも、ロケット砲の基地が爆発している音は大きく聞こえ、白煙がもくもくあがっているのが見え成功したことが分かった。

だが、ミルフォードは駆け寄ってきた人々に、成功したとも言わず、ただ一言「ミスター・ウルシがやられた」と言って、あとは何を聞いても終始無言であった。

 二人とも、硝煙のためか、それとも三番機の日本人、漆崎の死を悲しんでか、目を真っ赤にはらし黙々と機をたたんでいた。


 七時半、突然、強い地震があり人々を大いに驚かせた。ゴウ-ッと地鳴りが聞こえてきたかと思うと、激しい縦揺れ、横揺れが起こり、人々はほとんど立っていることもできず、木々やバリケードにつかまり支え、あるいは両手両膝を突き、ただ恐ろしい地震が一刻も早く無事におさまるのを待つだけであった。

その大きな地震の振動は約一分ほど続いた。

幸い、ほとんどの建物はバリケード造りなどのために壊されており、大多数の人々は屋外にいたので被害はなかった。

監視所も木造で構造は簡単だが、強固に造ってあるため無事であった。

 ジャクソンは起き上がると、直ぐに監視所から富士山がある方向に目をやった。

噴煙はまだ見えなかった。まだ大丈夫のようである。しかし、ハインリッヒ氏が言っている、これが噴火の前兆か関連性のある可能性が強い。もう、直ぐ寸前にまで来ていることになると、ジャクソンは思った。

 船は帆を張る準備が完了し、あともう少しで出航できると、ワトソンから報告があり、地震騒ぎがおさまると、直ちに、ヘルンケンとトーマスは三、四時間後に出航するために、ジャクソン、ワトソン、ニコリス、それにジミー・スタインたちを呼び、最後の打ち合わせをした。

ジミー・スタインは是非、丘の監視所の指揮は私にさせてほしいとニコリスとジャクソンに頼みこんだ。監視所は守備に置いて重要な拠点であるが、長耳族の軍から見れば、横、後方から攻撃される可能性のある目障りな前進基地である。そのため長耳族から最初に攻撃される可能性が強かった。ジミー・スタインは三日前の戦いの時は丘の監視所にいて実際の戦闘に参加していなかったため、一番戦闘の要になる場所で戦いたいと訴えるとともに、NATOの軍人で実戦経験のある私こそ、そこで戦う資格があるといって引き下がらなかった。そして十人では多すぎる、五人で立派に役割を果たしてみせると言って、半数を桟橋の守りに戻させた。


 八時近くに、長耳族の軍団は動き出した。

五十人あまりの兵士が第一防衛ライン105地点は避けて、五百メートルほど上流へ行き川を渡渉、そこから、おそるおそる登り、今度は全くの無傷で第一防衛ライン越えた。

しかしその後は、いきなり攻めず、前方の監視所や第二防衛ラインの柵などを偵察しながら第一防衛ラインの丘沿いに川の下流方向にある砦に向かって進行した。

監視所以外には全く人影を見ないため、最初は何かの罠が仕掛けられているのではないかと警戒しながら、ゆっくりとしていたが、第一防衛ラインは放棄して誰も居ないと確信すると、一気に105地点と砦跡に達した。

そしてそこから、長耳族軍は海岸に二隻の大きな船があり、その前面にバリケードを造り、戦う準備をしている姿を、初めて眺めとらえた。

三十分後、105地点を長耳族の主力の軍団が進軍を開始した。

砦跡を越え、その村側の第二防衛ライン近くの斜面に、甲冑を着けた兵士が、続々と集結し、兵力をどんどん増強していった。長耳族軍の太鼓とラッパ手も砦を越えて第二防衛ライン近くに整列し始めた。

 トーマスは「四千人くらい、いるのではないかな」と少しおびえるような声で言ったが、直ぐ恐怖心を打ち消そうとするかのように、ニヤッと笑いを浮かべた。

「黙って彼らが集結するのを待つのではなく、われわれの戦いは恐ろしいものだと相手に恐怖感を植え付け、脅かすことはできないかな」とニコリスとジャクソンに尋ねた。

「私もこのあたりで、完全に彼らが集結し陣立てしないうちに先制攻撃をかけたほうが良いと思いますね。船の大砲なら少し大型だし、火薬の量を少し増やせば、あの砦下近くにとどくかもしれない。やってみますか」と言いながら、ニコリスは隣にいる聖に望遠鏡を渡しながら言った。

「あの砦下の所にいる兵を、ちょっと覗いてごらん、見覚えのある者がいると思うが」

聖は渡された望遠鏡をのぞいた。

直ぐには砦下の付近に焦点を合わせることができなかったが「あっ、彼だ。アビランだ。私を捕まえた奴だ。軍の演習や王宮にいた軍の最高幹部の一人ですよ。絶対に彼です--------」と叫んだ。

「彼の周りにいる兵たちは、全員銀色の甲冑と青い毛をつけた兜をしている。王宮にいた近衛兵です。どうやら今度は近衛兵をも出動させ、彼が指揮するようですね。しかし少しおかしいですね。三日前の長耳族の軍は赤や紫の甲冑を着けた兵士で統一されていたが、今、陣立てをしている兵は何かバラバラで、いろいろな色の甲冑を着けているし、武装していない兵士もいる。何か前と異なるような感じがしますが」

そう言って望遠鏡を目から離し、ニコリスの顔を見た。ニコリスはそれに答えず、少し微笑みながら聖の顔とジャクソンを見た。

ジャクソンが「よく気がついた。どういうことか意味は分かるね」と同じく少し笑いながら聖に言った。側にいたトーマスが「そう言えば聖君の言うように長耳族の軍は不ぞろいだ。前回の長耳族の軍と少し異なり、何か雑然としているような気がする。そうか--------、そういうことか」と聖の代わりに答えた。

「そうです。長耳族軍は近衛兵さえ出兵させるほど、この戦いを重要視していることは確かだが、前回の戦いで大変な損害を受けので、各地から急いで兵をかき集め、あまり訓練の良くできていない兵も召集されたようだ」とニコリスが答えた。

ジャクソンはギラドを呼び、船の大砲で砦下を狙う準備をするように指示をした。


 長耳族の太鼓とラッパが静かに威嚇するように鳴り始めた。ジャクソンは監視所のジミー・スタインに船の大砲で先制攻撃をすると電話をすると、シミー・スタインはこちらの準備は完了している。何時でも砲撃して下さいと返事が返ってきた。

ジャクソンは振り返り、船の大砲のところにいるギラドを見ると、ギラドは親指で準備完了のサインを示した。

すぐさま、みんなに耳を塞ぐように注意してから、ジャクソンは手をゆっくりと上げ、一つ大きく深呼吸すると「撃て」と大きく声をあげ、手を振りおろした。

 轟音とともに、白い煙が船尾を覆い、船は軽く揺れた。ギラドはその煙のため、砲弾がうまく飛んだのか、どこへ着弾したのか、見ることはできなかった。

だが、白煙の中からジャクソンの大きな声で「成功だ。うまくとどいたぞ。その角度でそのまま撃ち続けろ」と叫んでいるのが聞こえ、成功したことを知った。

 二発の砲弾が砦下にいる指揮官アビランから三十メートル下方のところで爆発し、長耳族の近衛兵六、七人を一度に死傷させた。

アビランは舌打ちし、怒りで顔を紅潮させ「攻撃、攻撃開始、やつらを皆殺しにしろ」と絶叫し、指揮棒を振った。

 太鼓とラッパが大きく鳴り渡り、長耳族の兵は砦下の高台より、どっと進軍を開始した。

長耳族は丘の監視所には目もくれず、海岸のバリケードと船を攻撃目標に定め、一気に本陣を叩こうと、騎兵を中心に左右を歩兵で、船のある桟橋、バリケードを包囲するかのように、半円に広がりながら、無人の第二次防衛ラインを壊し、総攻撃を開始してきた。

 凄まじい激戦となった。三日前に105地点で戦った以上の激しい戦争となり、多くの人間が傷つき死んでいった。

 火縄銃、大砲、ピストル、長槍、長耳族の兵士が残していった弓矢を使い、さらに火炎瓶と、あらゆる武器で全員必死に応ずれば、長耳族の圧倒的に誇る軍も、バリケードになかなか近づけず、たとえ近づくことができても、バリケードを乗り越えようとするうちに倒され、傷ついていった。

バリケードの半分近くは火炎瓶のために木々が燃えさかり、熱で長耳族の騎兵や兵は近づくことができなかった。火柱が立っていないところへ押し寄せると、鉄砲隊が待ち構え、三日前の経験から、同じ標的に集中して発射しないように効率的に狙いを定め、射撃し倒していった。

さらに丘の監視所は長耳族の軍より無視されているかのように、まったく攻撃を受けていなかったので、ジミー・スタインら五人はM16ライフル銃などで、長耳族の背後から狙撃し、味方の危険な状態になった箇所を集中的に狙い援護し、大砲をも発射した。高台の有利性を効果的に活用して、長耳族の兵を倒し味方を支援した。

 長耳族の騎兵は幾度も体制を立て直すと、何度も殺到し、バリケードを突き破ろうとするが、そのたびに大砲が効果的に集中爆発し、バタバタ倒され、それでもバリケードに近づき、もうすぐ破れるかと思うと、火炎瓶がどこからか飛んできて、火の壁ができ邪魔され、たじろぎひるむうちに、弓矢や鉄砲で倒されていった。

ニコリスは長耳族の兵は三日前の兵とやはり少し劣っていると思った。

よく統制され訓練ができ、組織的に執拗に攻めて来た三日前の兵と異なり、バラバラで勢いを感じられなかった。

しかし、火縄銃の弾丸と火薬が残り少なくなってきた。急遽、船に積み込まれている弾、火薬を降ろさなければならなかった。ピストルの弾は既に使い果たし、M16ライフル銃の弾も残り少なくなり、ジャクソンはこれ以上使用を禁止せざるを得なかった。


 約四、五十分の戦いで、味方も死傷者が多数でたが、長耳族の軍はそれ以上に、手ひどい被害を受け、撤退のラッパが鳴り渡ると西側の丘や、105地点の砦跡に撤退して行った。

その時、大きな痛手を受けることになった。ジャクソンに矢が当たったのである。

長耳族の軍が撤退して行くのを見て、ジャクソンは長耳族の軍に背を向けて、鉄砲隊に「射撃止め」と指示をしている時であった。

長耳族の、ある歩兵が撤退して行くなか、たまたま最後の一本と放った矢が、ジャクソンの背中から胸を射抜いた。ジャクソンは空をつかむようにして静かにみなの前で倒れていった。

鉄砲隊員の驚き悲しみ悲鳴をあげている中、ニコリス、聖、ヘルンケンらが大声を上げながら駆け寄ってきた。ニコリスが抱き上げながら「ジャクソン、しっかりしろ--------、このくらいの傷なら大丈夫だ、しっかり意識を持っていろよ」と叫んだ。

ヘルンケンも涙を流しながら「ジャクソンさん、今、医者が来ます、がんばってください」と叫んだ。

ジャクソンは少し目を開け、みなの姿を見た。そしてささやくような小さい声で言った。

「ニコリス、後を頼む。ヘルンケンさん、すいません--------」それ以上は聞こえなかった。

ニコリスや聖、ヘルンケンが泣きながら大声をあげ、ジャクソンの目を覚まそうと叫んだ。

ジャクソンの意識はしっかりしていた。しかし全身に力が全く入らなかった。

みなの声はよく聞こえた。しかし口を動かすことができなかった。痛みも全くなかった。

やがて目の前がパッと黄色く光り輝いた。

もう、ニコリスたちの声は聞こえなくなった。誰の姿も見えなくなった。

ジャクソンの意識には別のものが見えてきた。

明るく光り輝き、まぶしくてジャクソンはその先に何があるのかと意識を集中しながら前へ進んだ。

それはだんだんにはっきりと見えてきた。ミズーリーの我が家だとジャクソンは思った。

だんだん我が家に近づいて行くと、家の前の芝生に誰かいるのが見えた。声も聞こえてきた。

子供たちだ。妻もいる。みんなで芝生の上で笑いながら遊んでいる。

「キャサリン、ケニー、トミー。今、私は帰ってきた--------。私は何故泣いているのだろう。何故涙が出るのだろう。再びみんなに会えたのに--------。私の長い旅は終わった--------。もうどこへも行かない」


 長耳族の指揮官アビランはなお、勝利を確信していた。

戦いが思わしくないため、二日前から近衛兵も数百名引き連れて加わり、指揮をとるようになったが、この敗北で、直ぐに今までの戦術、圧倒的な数の大軍を利して、無秩序に無理押しして攻撃する戦術を反省し、誤りを悟った。

そこで直ちに戦術転換をはかることにした。

今度こそ近衛兵をも動員し、歩兵の弓矢で矢衾のように射ち、できる限り敵の鉄砲、弓矢、火炎瓶の使用を防ぎながら、ゆっくりと攻めれば勝つことができると、弱気になっている幕僚を叱咤激励した。

その前に邪魔な存在である監視所を、ひと思いに潰し血祭りにあげ、それからもう一度敵の本陣、船を攻めようと、矛先をまず監視所に向け、戦闘体制の準備を整えさせ始めた。


 その時であった。再び、しかも前よりも大きな地震が起きた。おそらくマグニチュード7以上あるだろうと思われる大きな地震であった。

「ゴウォー」と不気味に大地が鳴動し、地面全体が大きく揺れ動き、人々は立っていることもできず、揺れる大地にしがみついた。

そのあまりにも激しい地震に、人々は全員驚き恐れ、呻いた。ところどころ地面が不気味な音とともに大きく口を開け裂けると、その中に長耳族の兵士は一度に何十人と悲鳴をあげながら落ちて行った。恐れおののき、大きく根を張っている樹の下へと逃げると、その樹は傾き、ドオーッと倒れていった。

騎兵の馬は狂ったように駆けだし、地面にしがみついている兵を踏みつけ、乗っている騎兵を振り落とし、ともに横転したり、長耳族の兵士たちは恐怖に顔をひきつらせ大混乱となった。

ニコリスは地震が起きると、バリケードが崩れてけがをしないように、大声でバリケードより離れるように指示をしたが、ほとんどの人は恐怖と揺れで立っていることもできず、うずくまっていた。幸い被害は今度もほとんどなかった。

しかし、監視所はこの地震で大きな被害を受け、建物は全壊した。中にいた一人は落ちてきた梁で足を骨折したが、他の4人は無事に退避し外へ出ることができた。

ニコリスは監視所の丘からジミー・スタインらが手を振っているのを見て無事を確認すると、監視所を復旧させるより放棄して、五人を桟橋へ戻すことにした。

直ちに電話が不通になっているため、伝令が派遣された。

もうこの地震と朝の爆撃でロケット砲の脅威は完全になくなり、監視所の目的は終わったと判断したからである。

ニコリスは精力的に動いた。ジャクソンがいない今、ニコリスが戦いの指揮をとる必要があり、悲しんでいる暇がなかった。ギラド、アンドレー、聖らに大至急、バリケードの補修再開を命じた。

 監視所では直ちに撤収のため、崩壊した建物の中から弾薬など持ち出せるものは持ち出し、下へ運び出そうと、体の一番小さな者がもぐりこみ回収作業を開始した。

 ところが作業を開始してから直ぐに、見張りに立っていた者が突然大声をあげた。

「あれを見ろ。すごい--------。噴火しているぞ--------」とそれは悲鳴のような声であった。

ジミー・スタインはドキリとして監視所の西側に走った。

凄まじい噴火であった。山全体が火を吹き上げ、あたり一面は夕焼けのように真っ赤に輝くとともに、赤や黒の膨大な岩石を吹き上げ、灰色の噴煙は天高く数千メートルにまで昇り続け、どんどん風にのり広がり始めていた。

 神々はいよいよ行動を開始したようである。かつてこれほど繁栄し大きな文明を創りあげた国家はいまだなかった。その長耳族に処罰を加え、滅ぼそうと鬱積し蓄積された地下の全エネルギーを開放したのである。


「とうとう富士山の大噴火が始まった」

ニコリスはしばらく茫然としてつぶやいた。桟橋からもぐんぐんと高く昇り広がって行く噴煙が見えた。

聖もあの山の下で、今、恐ろしい惨劇が起きているはずの長耳族の人々、街並み、王宮,パコダ。ほんの数ヶ月だけの触れ合いであったが、滅び行く長耳族の文明、それにあのサロモンの姿が目に浮かび、不思議に胸迫る思いがしてきた。

「ああ、一千年にわたり栄えてきた長耳族の歴史も、今、人類の歴史から消え去ろうとしている--------」

聖はさまざまな感慨を胸に立ちすくんでいた。


 長耳族の軍も遠雷のように響き渡る音で、富士山の大噴火を知った。彼らは聖ら以上に驚き、恐怖と不安に苛まれ、長耳族の兵は持っていた盾や槍、弓などの武器を捨て、全員バラバラに隊列を崩し、砦や丘の上に登り、遥かかなたの噴火を見つめた。

噴火している富士山の麓には、彼らの住む街があり、家族がいるのである。

怒号のような声、悲鳴、泣き声、長耳族軍兵士の悲嘆の声はあたりにこだまし、今まで敵方として争った監視所、バリケード、船にいる人々は、そのことも忘れ、彼らの悲しみを見て、胸を打ちしめつけられた。

 ヘルンケンはその姿を見ながら、しばらく考えていたが、急いでニコリス、聖、それに医療班で船の中の救護所で働いているパティアを呼び寄せた。

そして直ぐに手紙をパティアに書かせ、ニコリスに危険な任務だが、手紙を長耳族の将軍アビランに渡してくれるように頼んだ。

ニコリスは快く承諾したが、パティアは手紙を書くよりは、私が直接行き話しますと言い書くことを断った。

ヘルンケンにはその時、彼女は既に、このような事態になることを予見しているように思えた。

しかし、今度は、それを聞きニコリスがパティアの行くことに反対した。

パティアには危険が大きすぎる。パティアに万が一、何か危害が加えられれば、私はサロモンに彼女を守り抜くという約束したのに、言い訳が立たないし、長耳族の唯一の生き残りを失う可能性がある。それは絶対に許されないとして、ヘルンケンとパティアに強く反対した。

パティアはニコリスがそう言いながらヘルンケンに詰め寄って行くのを押しとどめた。

「ニコリスさん、ありがとうございます。いつもそのように思っていただき大変ありがたいと思っています。でも、私は行かなければなりません。今は手紙を書いている時間もありません。私と聖さんと二人でアビラン将軍の所へ行き説得してきます。私と聖さんは、いつかこのような時が来ることを、直接戦いを止めるように説得しなくてはならない時が来ることを覚悟していました。ですから是非、聖さんと行かせてください」

ニコリスはなおも何かを言おうとしたが、パティアと聖の二人の行かせてほしいという真摯な態度を見て、それ以上は口を出せなかった。

ヘルンケンはニコリスに言った。

「パティアさんと聖さんにお願いいたしましょう。このような緊急状態になって、お互いに戦争なんかやっている時ではない。彼らもきっと納得してくれると思います」

聖もニコリスに言った。

「私も、どのような結果になるか予想はできません。しかし、もう戦争は、なんとしても止めなくてはいけない。われわれには弾薬も少なくなり、もうこれ以上戦いをすれば大変危険になります。みんなのためにも是非行かせてほしい」

「あなたたちがそのような覚悟を持っているなら、私は何も言わない。それに、これ以上の戦争を止めることができるのなら、私には大変ありがたいのです。聖さんの言うとおり、もしさらに戦うことになるならば、今度、私は勝つ自信はない。勝ち負け紙一重のギリギリの戦いになります。最悪の場合、大変な事態になると思います。パティアさん、聖さん、大変危険な任務ですが、お願いいたします。私たちの運命はあなたたち二人にかかっています。このような事態では、これ以上の犠牲を、私たちも彼らも避けたいと思います。なんとか説得していただきたい」ニコリスは逆に二人に頼み込んだ。


 聖とパティアはヘルンケン、トーマス、ニコリスや大勢の人々に見送られ、バリケードの外へ出た。

聖は出るとすぐさま竹棒に白旗を付け掲げた。

バリケードの近くで死んだ騎兵のそばから、あれほど激しい地震のあった後でも、立ち去ろうとしなかった一頭の馬がいた。それに静かに近づき捕まえると、飛び乗り、後ろにパティアを乗せた。そして持っている白旗を高く掲げ、アビランら長耳族の軍がいる砦跡の丘へ馬を走らせた。

 長耳族の兵士の多くは、富士山の噴火に目を奪われ、聖たちが登ってくるのに気がつかなかったが、気づいた兵士も白旗を掲げ、武器を持たずにゆっくりとアビラン将軍に近づいて行く、聖、パティアの毅然たる態度を見て、自然に道を開け、無言で通過するのを見送った。長耳族の兵士たちはもう戦意を失い、浮き足立っていた。

 将軍アビランは顔を蒼白にしていたが、聖らが向かって来るのを知らされると、なお、将軍の威厳を失わず床几に座り、聖たちが近づいてくるのを待った。

アビランの心はもう複雑に乱れ、どのようにこれから対処したらよいのか、思考がまとまりつかねていた。国民や兵士たちを扇動して絶対勝利の戦いを挑んできたのに、苦戦を強いられ、そして今、国に大きな災難が降りかかってきている。

このまま災害から救援するため全員引き上げたほうがよいのだろうか。

しかし、勝利を得ずに兵を戻したならば、自分の地位も危うくなる。だが、アビランにはわかっていた。兵士たちは今、自然の脅威の前に、なんとわれわれ人間は愚劣な戦争をしているのか、という思いがわき上がり、口にはまだ出さないが、兵士たちの顔は皆、一刻も早く帰国したいと望んでいるのは明らかであった。

アビランにも人間の野心や策謀は自然の前にはあまりにも小さく、どんなに空しいものかと痛切に知らされた。

アビランは傍にいた二人の近衛兵が馬から降りて近づいてきた聖たちに、手をかけようとしたのを止め、聖とパティアに目でそのまま来るように合図した。

アビランのあの恐ろしいほど、常に驕り高ぶっていた姿はもう消え去り、部下たちも、これが同じ将軍かと驚くほど表情は変わっていた。

 パティアは聖より先に歩みアビランの前に出た。

パティアは聖には言ってなかったが、アビランは伯父で母の兄であったので、子供の頃はよくアビランの家へ遊びに行き、伯父には可愛がられていた。父母が亡くなりサロモンに育てられるようになってから、行き来がほとんど無くなり疎遠になったが、アビランが軍の中で権力、地位が上がっていくにつれ、昔と変わり怖い人と思うようになった。ところが今のアビランを見ると、昔の穏やかな、やさしい目で、自分の娘を見るように親愛の情を持って見ているのを感じ、パティアはなぜか涙が出てきた。

「伯父さん、私たち家族のために伯父さんにいろいろなご迷惑をかけてすいません。今回とった祖父サロモンと私の行動は、あなたに不思議で理解を超える出来事だと思います。もうその時が来たので、その理由を話しても差しさわりが無いと思いますので話します。実は、この大噴火は予想されていたのです」

アビランはパティアが「大噴火は予想されていた」と言ったのに驚きの目で見つめた。

パティアは長耳族国の創始者アルゼノンの予言と、サロモンがどうしてそれを知り、苦慮し、パティアを選び長耳族の国を去らしたかの理由、それに長耳族が戦っている人たちは一万数千年後の未来から突然わけもわからずに、この時代に流されて来た。私はこれも神の意志のように思いますが、彼らはこの時代に生活基盤を作ることに精一杯で、決して長耳族に危険な存在では無いことを訴えた。

アビランには思いもつかない話であったため、茫然として無言であった。

サロモンは決して人を欺かない信頼できる男である。パティアも子供の時から知っているが優しい心を持った娘である。これが真実とすると--------、アビランの心は混乱していた。

そのあと聖がパティアに通訳させながらアビランに言った。

「今日が予言でいう長耳族国の最後の日になると思います。私たちは、もうこれ以上、戦いを中止し、お互いに生き残るための行動をとらなければなりません。軍を救援のために戻すことを考えているかもしれませんが、あの噴火の凄まじさでわかると思いますが、今から戻ることは全員死に行くようなことになります。直ちに今から北へ、火山灰などが届かない地へ逃れれば、まだ生き残ることができます。北へ北へと進むべきだと思います」と聖は真摯な表情で言った。

アビランは、悲劇の長耳族の国、最後の将軍を同情の目で見る聖を、しばらく無言で見ていた。そしてこぶしを強く握り締めたまま、瞑想にふけるかのように目を閉じた。

その目からは涙があふれ出ていた。

その時、さらに強い遠雷のような噴火の音が響き渡ってきた。富士山はさらに高く噴煙を上げた。同時に眺めていた長耳族の兵士たちは悲鳴のような声をあげた。

アビランはそれに促されるように目を開けパティアに言った。

「ありがとう、パティア。サロモンがとった謎の行動の理由がこれでわかった。さあ、戻りなさい。そしてあなたたちの仲間に言いなさい。あなたたちは勇敢であった。われわれはもう攻撃しない。早くこの地を去り、よりよい新天地が見つかることを私は祈ります」

聖にも何か言いかけようとしたが、言葉が通じないと思ったのか止め「シェニー」とお礼を言いながら聖の手とパティアの手を握り、しばらく無言でお互いに見つめていたが、目を伏せると、直ちに戻るように手振りで聖に告げた。

その姿は痛々しく、まるで病みあがりの萎えた体で、かろうじて立っているかのように見えた。


 聖、パティアが海岸のバリケードに戻り着くと、長耳族の兵は再び槍、剣、弓矢の武器を持ち、隊列を整え始めた。

ニコリスとヘルンケンは、彼らはまだ戦いを挑もうというのかと訝しく思いながら、一応戦闘体制をとらせた。

ラッパと太鼓が高らかに鳴り渡り、長耳族の兵は移動を開始した。

方向は北ではなく、西。長耳族の国へ向かって静々と撤退していった。

聖、パティア、ヘルンケンたちはそれを見て、忠告は無駄だったかと肩を落とし、砦を越え徐々に撤退して行く長耳族の軍を見送った。


 アビランはしばらく丘の上から、海岸の船や、ヘルンケン、パティアがいる方向を眺めていた。

「われわれの国が創始者の予言どおり、滅びて行くのは事実のようだ。あなたたちの忠告に従って北へ行けば、われわれは生き残れる可能性はまだあるかもしれない。しかし、われわれは国家のための軍隊なのだ。国が滅びる時は、われわれの軍も滅びる時である。私は今まで、ただ軍隊を兵士を、政争の道具、力として考え、国のあるべき姿、国民全体の本当の利益、栄光を忘れていた。創始者よ、私は大変な誤りを犯し、国の滅亡という悲劇をわれわれの国にもたらしてしまった。また、国が、国民が、いざと必要という時、兵のほとんどが不在という二重の誤りを犯してしまった。今からでは遅いかもしれない。だがわれわれは伝統ある長耳族の国ラ・ミュー帝国の最後の兵士なのだ。今こそ救い求めている国民を、一人でも多く助け、われわれの義務責任を果たさなければならない。国民が全員死に、われわれだけが生き残ることは絶対許されない。苦しい決断をした創始者へのお詫びのためにも、われわれは戻らねばならない。たとえ全員死ぬことになっても--------」

 アビランはしばらく思案に沈んでいたが、急に燃え上がるものを感じ、パティアの姿を求めた。しかし、遠すぎて探し当てることはできなかった。

あの中に長耳族の一人がいるということは、彼にとって、一つの大きな希望であった。彼らなら、あの大きな船に乗り、ここから無事抜け出し、創始者がしたように、彼らも新たな美しい地を見つけ、立派な国を創りあげてくれるであろう。れわれの国が滅びても、われわれ民族の血は生きのび、永遠に伝えられていく。

「創始者よ、神よ、彼女を守りたまえ--------」

アビランはつぶやくように、小さい声で祈った。そして振り返ると、待っている近衛兵に対し「さあ、急ごう」と大声で命令し、馬に鞭を入れると、前方に不気味な噴煙を上げている西に向かって馬を走らせた。



 三本マストの帆船二隻は、錨を上げると、ちょうどおりから陸より海にかけて吹き始めた強い風を受け、ゆっくりと動き出した。時は十一時半、予定より三十分早い出航である。

 人々は全員甲板に上がり、一年半の短い生活であったが、辛い労働と汗と涙で築き上げた村、苦しい生活だったが、離れ行く愛着のある村、慣れ親しんだ海辺、丘や山など、もう二度と再び見ることができない風景をしっかりと記憶しておこうとするかのように、いつまでも船べりから離れようとせず、見守り続けた。

船が動き出した時は、大きな歓声をあげて喜んだ者も、しだいに黙り込み、村のある離れ行く陸地をじっと、いつまでも凝視していた。

ジャクソンら朝方の戦闘で死んだ者たちは、海岸近くの高台に一緒に埋葬された。そこに一本の大きな十字架が目印に立てられた。

船尾から丘と海岸の十字架に向かって、ニコリスはいつまでも、戦いで死んでいった一人一人の顔を思い浮かべ、独り言のように名前を言い続けていた。

ゴールデン夫人らも、流れあふれる涙を拭こうともせず、去りゆく地を眺め続けた。

子供たちは、もう誰もいない浜辺に向かって、いつまでも手を振り続け、別れを惜しんでいた。

 ヘルンケン、ニコリス、聖らの船には四十八人、トーマス、アンドレー、ワトソンらの船には五十人と、各々分かれ乗船していた。

船は途中で別れ別れになるのを防ぐため、一本の太いロープで結び、トーマスらの船が先行、その後を三十メートルばかり離れて、ヘルンケンらを乗せた船が続いた。

波静かな湾内を船の揺れはほとんど無く、順調な航海のスタートをきり、人々はこの調子なら無事どこへでも行けると、最初はうまく出航できるかどうか、船は本当に完成し航海できるかどうかと、さまざまに悪く悪く考え不安に思っていた人々の心配も薄らぎ、前途に明るい希望を持ち始めた。

 ヘルンケンは目を細め、微笑しながら、船や船に乗っている人々に目をそそいだ。

本当に長く短い一年半だった、こうして生きている自分が不思議であると思った。

しかし、みんなを見ているとヘルンケンは未来に何か自信と確信が持てるようになってきた。

ヘルンケンは静かに思いふけった。

二十一世紀の人は、われわれの戦った戦争を、多くの血が流れ、大きな悲しい歴史があったことを知らない。われわれは後世の人々から、全く知られず、評価されず、感謝もされない。私たちはこれから歴史の空白部分を生き、二十一世紀の知識を人々に伝え、人間をよりよい文明を創る作業を開始する。永遠の未来のために。

私は、私たちの力を結集すれば、これからもさまざまな障害を乗り越えて行けると、今、確信をもって言うことができる。私はこのように人々が、協力体制をいつまでも持ち続け、一つの目的に向かい、君たちが続々と困難な問題を解決して行く姿を見ていると、非常に美しいものを感じ、なんと人間は豊かな心をもち優れているか。なんと人生はすばらしいものか。やっと今、この年になって気がついた。

 私はゲーテの描いたファウストが望み追い求め、最後に無上の幸福と最高の刹那を味わい叫んだ「止まれ、お前はなんと、美しいか」と言った。

私も今、同様に叫びたい気持ちだ。

「止まれ、お前たちはなんと美しいか」と--------。

 私たちの前には、これからも言い尽くせない困難、試練が待ち受け、私たちは永遠の霧の中に消えていくことになるであろう。しかし、私には、みんなが、その霧の中に力を合わせ、鍬、鋤を持ち、土地を開拓し、家畜を飼い、新しい村を築きあげていく姿が見える。

彼らには二十一世紀の知恵、科学技術を持っている。彼らはそれを子々孫々に伝え、彼らはさらに村から町、町から国へと、大きく大きく発展させていく。私たちは歴史の霧の中に消えても、私たちの子孫が霧の中から飛び出し、偉大な人類の歴史を創ってくれる。

ああ、私の心の中は今、歓喜に満ち溢れている--------。

ヘルンケンは喜びを味わい、軽く体を震わせていた。


 富士山から風に乗り、火山灰はしだいに空を覆い降りそそぎ、やがて太陽をも隠し、周りの風景も全く見えなくなった。視界は三十メートルほどになっていった。

 人々は口や鼻を布で覆いながら、時々鳴らし、お互いの船の位置を確かめ合う鐘の音、船首や左右の船べりに立ち、舵手に大声で、深さや進行方向を叫ぶ声に耳を澄ました。

その声は明るく響き渡っていた。誰もが前途に明るい希望を持っていた。

 船が外洋の太平洋に出た時は、夜半を過ぎていた。富士山はさらに活発に噴火を続け、外洋にでても灰は依然降りそそぎ続け、時々、大粒の石も混ざり、ひどくなっていった。

海はその火山灰と軽石で真っ白になっていた。

 その中を津波の第一波が通り過ぎていった。しかし、船にいた者のほとんどは、疲労で早めに寝入っており、その揺れに気がつく者はいなかった。





   エピローグ


 二〇二X年、ここ東京の上野は常磐新線と地下鉄新線に伴う駅拡張工事のため、終日、地下工事が行われていた。

 十一月のある日、その地下二十メートルくらいの掘削工事現場で不思議な物が発見された。それは二メートル四方の石組みの箱で、何枚もの厚く大きな板状の石を組み合わせたもので、石と石の間や、隙間は漆喰のようなもので、しっかりと接合され、完全に密閉された容器であった。

 数時間たたずして、都や国の文化財保護委員、教育庁、文部科学省などの役人、それに一報を受けた大学の考古学研究所、警察官などが、その工事現場にやって来た。数社の新聞やテレビなどの報道機関も、発見の報に物珍しさから集まってきた。

 大多数の者は、報告を受けた時、どうせ時々建設現場で発見される江戸時代の武士の棺か、せいぜい大名くらいの地位のある墓を偶然に掘り当ててしまったのではないか。そうでないとしたら、古くとも一千年か千数百年くらい前の古墳時代か鎌倉時代の遺物が発見されたのだろうという程度しか考えていなかった。

 しかし、地下三十メートルの深いところで発見されたということに、何か異例な感じをもった者もいた。

やがて、その石組みの箱は慎重に掘り出され、地下現場よりクレーンによって持ち上げられ、明るい地上へ運ばれた。

そしてその箱は、近くの上野国立博物館に運ばれ、中を調査することになった。

運送するためのトラックを待つ間、東大の考古研究室の一人が、石のふたに何か絵か文字のようなものが書かれてあるのに気がついた。注意深く、刷毛で泥や土を払っていくと、はっきりと文字が現れてきた。

しかも、日本語と英語、フランス語、ドイツ語、中国語などのいろいろな言語の文字で書かれてあった。

「タイム・カプセル。愛する人々へ、われらが遺言なり」と-------。

 居合わせた二ユース・カメラマンは、直ぐにそれにカメラを向けた。

中に何が入っているのだろうか、誰かの悪戯なのであろうか。国立博物館に運ばれて行く間、大学の教授、研究所の所員、新聞、テレビの報道記者の間に、話がはずんだ。

 大多数はさまざまな国の文字が見えたので、そんなに古くない、せいぜい古くとも、百年くらい前の明治時代のタイム・カプセルだろうという意見であった。

しかし、異議をとなえる者もいた。ある新聞記者は「地下三十メートルのところに、あんな大きく重いタイム・カプセルを入れるには、大変な人手と時間がかかる工事になり、明治時代以降なら何か記録が残っているはずだ。この地域は昔から割合、賑やかな所なのだから、密かにこのようなものを埋めようとしても誰か気がつくし、大きな話題になるはずだ。ちょっとおかしいな-------」と言った。

国の地質調査所の研究員もまた、何かそう簡単に割り切れないところがあるというのである。

というのは、そのタイム・カプセルの2.5メートルくらい上からの地層の重なりが、綺麗に他の地層と切断されず連なっている。もし上から掘って埋めたなら、真上の地層は、その部分だけ崩れているはずだというのである。さらにその地層の厚さから考えると、千年、二千年という単位でなく相当古い時代と思われる。おかしい、どうやってタイム・カプセルを地下三十メートルの中に埋めたのだろうかと、首をかしげながら報道記者たちに言った。

 国立博物館にそのタイム・カプセルが着いた時は、夕方になり、作業の準備や専門家を集めるのに時間がかかること、それに役人や博物館員の勤務時間外になるなどの問題で、タイム・カプセルを開けることは、翌日の十時以降にすることに決まった。

 その日の発見されたタイム・カプセルについては、たまたま、ある有名芸能人の婚約発表があったため、テレビ、ラジオのニュースはそちらの話題に集中し、ほとんど採りあげることもなく、また新聞でも、数社だけが三面の片隅に、ほんの小さく数行載せていただけであった。


 しかし、翌日の午後、日本中、いや世界中が驚天動地することになった。

そして上野の国立博物館へ、内外の報道記者が続々集まり、博物館の前庭はテレビカメラ、衛星中継するアンテナ、新聞社、各国大使館の車などで埋まり、空はヘリコプター、報道の航空機が飛びまわり、上野駅周辺は交通の大渋滞が起きることになった。

あの三年前に羽田空港近くで起き、百名以上の人々を乗せたまま消えた、モノレール、バスの乗客が、一万数千年前の時代からタイム・カプセルに托し、自分たちの運命を、そして父や母、妻、夫、兄弟、子供、友人、恋人に、手紙を書き、形見の品物などを入れてきたのであった。

 各国の言葉で書かれた手紙の一つ一つ、見る者涙なくして読むことができないものばかりであった。

 タイム・カプセルは水や外気を防ぐため、三重の構造になっていた。そして最後に厳重に栓され、特殊なガスが満たされた二十本のウイスキーなどの酒壜に(調査した結果、窒素ガスと判明、しかし、時が立ち過ぎ半減していた)、たくさんの手紙、絵、形見の髪の毛、指輪、ペンダントなどが入っていた。

 和紙に書かれていた手紙、絵は多少黄色っぽく変色していたが、ビンの中の特殊ガスに保護され、ほとんど酸化せず、文字や絵ははっきりと残り、これがとても一万数千年前にかかれたものとは思えないようであった。

絵は単色で特殊な岩絵の具のようなインクを使い、写真に近いほど精密に描かれ、生活していた一万数千年前の東京と村の周囲の風景、村での生活風景、建造中の船の造船現場などが描かれ、見る人に感動とあまりにも現在の東京の地形と異なるのに、驚きを与えた。

他に和紙に包まれた植物の標本と五種類の種子があり、中には見たことも存在をも知らなかった数種の植物もあり、世界中の植物学者は目の色を変えて、詳しい資料を求め殺到した。

そしてカプセルに入っていた中で一番大きい物が、厚さ15センチ、直径60センチほどの樹木の切り株で、腐食から保護するため漆が塗ってあった。よく見ると百二、三十年から百五十年くらいの年輪が綺麗に残っており、植物学者は針葉樹シラビソ系の樹木ではないかと言っていたが、今では絶滅の品種のようで確定はなかなかできなかった。

しかし、この切り株が行方不明になった人々がいた年代確定には大変役に立っただけでなく、古い気象や環境を研究している人たちに、大きな研究材料を与えることになった。 

 本当に彼らからのタイム・カプセルなのかと、さまざまな調査がなされた。筆跡はまぎれもなく一致した。手紙の内容からも、家族以外には知られない事柄が書かれてあり、調査のために数カ国に二、三の手紙の写真コピーを送り、親、兄弟などに判定してもらったところ、その家族らに大きな反響を与えると共に、全員、本物であると認めてきた。

入っていた髪の毛などでDNAの検査も行われた。行方不明者の自宅より、毛髪、へその緒、部屋のゴミなどの提供を受け、DNAの照合がなされた。いずれもDNAは合致し同一人物と認められた。

年代測定もあらゆる観点から調査がなされた。

切り株だけでなく、外気や水を防ぐための漆喰の中に混ざっていた草や木の破片などから放射性炭素の量を調べてみると、一万二千五百年前、プラス・マイナス二百年と判明した。

 他にも花粉や植物の種など、いろいろな検査結果からも、やはり一万二千年から一万三千年前という結果になった。

 世界中の人々は再び三年前に起きた事件を思い出すとともに、手紙によって遺族や恋人、友人たちは再び新たな涙にくれることになった。

 ヘルンケンは村の構成員全員の名前、それに一万数千年前の生活、周辺の風物、原住民の姿、文化水準などを記し、われわれはこの時代を人類のために、歴史のために、希望をもって生きぬいて行くことを誓い、二十一世紀の人は、われわれの存在を決して忘れないでほしいと結んでいた。

 ヘルンケンの長文の手紙には、富士山の近くに優れた文明の国家を築いている長耳の民族がいること、富士山の大噴火が近づきつつあること、それに中尾、松延の英雄的な死をも触れてあった。しかし、長耳族の脅威は書かれていたが、多くの者が死傷した戦いはタイム・カプセル完成後に発生したため記されていなかった。

 現代に生きている人々は彼らが船を造り、新たな新天地を求め船出しようとしていたことをヘルンケンの手紙、船の建造中の絵によって知った。


「彼らはわれわれ人類の父、母なのだ」

ある新聞の記者は自国の報道編集部へ、そういう書き出しでインターネットを使い記事を送信した。


 美智子の両親は手紙を早く見ることを切望し、何回も博物館へ足を運んだが、実際に見ることができたのは、発見後一週間たってからであった。

翌日、美智子の両親は美智子がいた一万数千年前を思い涙を浮かべながら、羽田空港周辺を一日中さまよっていた。

夕方、空港の直ぐ横を流れている多摩川河口の河原に、二人は集めた石と周辺の石で小さなケルンを積み上げた。


二年後、発見されたタイム・カプセルの全資料、手紙は全文翻訳された後、全世界に公表された。




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