勇者の理由とボクの決意③

 ボクが勇者様を呼んだ――その事実は間違いない。

 だって、悪魔が現れて、乱戦になって、大勢の人が傷つくなら、誰だってそれを救える勇者に求めるじゃないか。

 勇者は、世界の希望――それは間違いないのに、間違っているようにも思える。

 異世界から召喚され、貴宝院奈緒という少女の人生は変わってしまった。

 ――であれば、その責任は?

 勇者様にそのことを指摘され、ボクはその場で考え込んだ。



「勇者様、ボクは……」



 ところが、不意に鼻先をちょんと小突かれてしまう。

 そのせいで、重く感じていた責任がどこかに飛んでちゃった。ふとのぞいた勇者様の顔には、さっきまでの重く暗しさはどこにもない。

 むしろ、何事もなかったかのように笑っているし。



「さて、暗い話はこれでおしまい」

「あ、あ、あの勇者様!?」

「それから、勇者様呼びはやめてよ。私のことは、奈緒って呼んで」

「いえ、そういうわけには……」

「いいから、奈緒って呼んでごらん」



 と脈絡もなく、勇者様がこっちに近づいてくる。



(えぇぇ〜っ? なになに!?)



 そのせいで、ボクはたじろいでおもわず後ずさちゃった。

 でも、勇者様の勢いは止まらない。むしろ、獲物を目の前にした狼みたいに、より一層近付いてきてるし……うぅ、どうしよう。

 なんで、こんなに詰め寄ってくるの? 突然、こんなことされたら、誰だって後ろに逃げるに決まってるじゃないか。

 それでも、勇者様はお構いなし。

 ボクに対して、さらに詰め寄ってくる。



「な、な、なんで近づいてきてるんですか?」

「ヨシムの口から、しっかりと『奈緒』って呼んでくれるのを聞きたいからね」

「だったら、こんなに詰め寄ってこなくてもいいじゃないですか!」

「ダ~メ。もしかしたら、ヨシムが小声でつぶやいて聞き逃しちゃうかもしれないじゃない?」

「そんな! ハ、ハ、ハッキリとだなんて無理です!!」



 あわわわ! どうしようっ、どうしよう!

 勇者様の勢いが止まらない――このままじゃ、ボクなにかされちゃうっ!

 そう考えている間、ついには部屋の隅の壁に追いやられてしまう。

 結果、ボクは逃げ場を失った。

 勇者様の右腕が微かに当たって、壁に手が付けられる。

 顔は近く、ボクの赤面した顔をまじまじと見つめる視線さらに羞恥心をあおる。こんなんじゃ恥ずかしくて死にそうだよ!



「ゆ、ゆ、勇者様……顔が近いです」

「言ってよ――『奈緒』って」



 でも、勇者様は思いとどまってくれない。

 意に反するようにグイグイとせまってくる。



「……そ……そんなの……恐れ恐れ多くて……言えません……」

「大丈夫。怒ったりしないから」

「……む……無理です……っ……そんなの……そんなのっ……」



 このままボクは勇者様に食べられちゃうの……?

 直後、恥ずかしさも相まって目をつぶる。

 その後は、目を閉じたせいでよくわからなった。だけど、勇者様にせまられている状況が変わっていないことだけは理解できる。



「言ってごらん。言った方が楽になれるよ?」




 耳元で勇者様の声が熱を帯びてささやかれる。

 それほどにボクに言わせたいの?



(こんなに責められたんじゃ……ボク……もう……っ!)



「……な……さ……ま……」

「なに? よく聞こえないよ」

「……なぉ……さ……ま」

「もっとハッキリと」

「……なぉさま」

「もう一度、大きな声で言ってごらん」

「奈緒様あああぁぁぁ〜ッ!!」



 うわーっ、もう恥ずかしすぎる。

 強引な責めに耐えかね、ついにボクは勇者様の名前を吐露してしまう。

 羞恥心の中に入り混じった背徳感も相まって、なんだか失っちゃいけない何かを失いそうになったよ。

 でも、寸前のところで耐えた。

 代わりに得たのは、とてつもない疲労感。極端な体温の上昇と、絶え絶えになった息がボクから気力を奪っていった。



「……はぁ……はぁ……」

「よく言えたね――エラい、エラい」

「奈緒様ぁ〜……」

「でも、様は余計かな? いずれは言わせるけどね」

「……そんなぁ……」



 この勇者様はいじわるだ。

 ボクのことをペットみたいに扱ってくる。ボクは、犬やネコじゃないのに……。

 だけど、奈緒様(本人がよべというから)は素面で、あやすように頭を撫でてきた。



「まあ、今回はこれで許してあげる。次は、もっとスゴいことするからね」

「……スゴいこと?」

「気になる?」

「そ、そ、それは……」

「――っと。今は教えない方がいいかな」

「え?」



 どうして、焦らすの?

 何をされちゃうか、気になっているのに。

 もちろん、ヘンな意味じゃない。突然、奈緒様が左側を気にしだしたからだ。

 ボクも気になって、釣られるように顔を向けると、いつのまにかキョーカ様とユナ様が扉の前に並んで立っていた。

 つ、つ、つまり、今のやりとりを見られたってことぉ~っ!?

 アワワッ、どうしよう! どうしよう!



「アハハハハ……。お邪魔だったかな?」



 ボクたちのやりとりを目撃してか、苦笑いを浮かべるユナ様。

 そりゃあ、そうだよね。

 名前を呼ぶだけなのになんだか破廉恥な雰囲気になっちゃったんだもん。気まずくなるのも無理はないよ。

 だけど、キョーカ様はなぜか雰囲気が違った。顔を俯けて、うなだれた感じでボクと目を合わせないようにしている。

 しかも、なにかをブツブツつぶやいてるし。

 も、もしかして、怒らせた……?

 不純なことをしていたと思って、それで思い詰めているとかだったら、どうしよう。

 弁明しようと、即座に否定してみせる。



「ち、ち、違うんです! これには、深い事じょ――」

「キタァァァァァーーーーーーー!!」



 へ? なにこの反応?

 キョーカ様の突然の絶叫にビックリ。

 もちろん、ボクだけでなく、奈緒様も、ユナ様も、驚いたご様子。いつものキョーカ様らしからぬ言動に何事かと思っちゃった。



「ど、どどどどうしたのかな? キョーカ?」

「どうしたも、こうしたもありませんッ‼」



 そう言って、両手の指を交差させて祈りのポーズをみせるキョーカ様。

「不純だ」と言って、怒られると思っていただけに予想外の反応だよ。さらに言えば、一応ボクも神官なワケで名前を呼ぶためだったとはいえ、誤解を与えるようなことをしたのは悪かったと反省してる。

 でも、キョーカ様はそれを叱責なさるご様子はなかった。

 それどころか、何かをきっかけに興奮して狂喜乱舞している。



「嗚呼、神よッ!! これが神託なのですね!?」



 うん、何を言っているんだろう――この人は。

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