第65話 愛した人との決別の為に

「飲み物買ってきたよ。

 二人とも話は済んだ?」

 


 錬次れんじくんの提案に不満を持ちつつ、渋々受け入れようとしていた頃、病室に三本のペットボトルを持った千紗ちさちゃんが入ってきた。

 私と話した後、一人で泣いていたのだろう。目元のファンデに少し擦った跡が残っている。

 こんな時こそ平常心だ。

 


「千紗ちゃんありがとう! 

 ちょうど話し終えたとこだよ」

 

「そうなんだ。

 一美ひとみちゃんはお茶が好きだったよね?

 錬次くんはあまーいレモンティーね」

 


 飲み物を飲みながら、この後出掛ける事を伝える。千紗ちゃんはその結論を知っていたかのように、何も言わずに頷いた。

 


「あれ? 

 千紗ちゃんは一緒に行かれないの?」

 

「そうしたいのは山々なんだけど、今日は半休しか取れなかったの。午後にはどうしても外せない仕事があって……」

 


 ふと思い立ったアイディアであるが、即答で崩されてしまう。この時間から出れば、行って帰るだけでもお昼時はだいぶ過ぎるし、やっぱり二人で向かう運命なのだろうか。

 


「錬次くん。その顔で出歩いたら、周りの人に心配されちゃうね。少しメイクでくまとか隠そうか」

 

「そんなにすごい顔してる?」

 

「うん。まるで別人みたいだよ」

 

「そうか……」

 


 体型は多少戻ってきたはずなのに、今日の彼は本当に顔が青いし、率直に言えば薬物でもやってそうな不気味さがある。

 何日も徹夜したわけでもないと思うけど、なんでこんなにも不健康そうな上に、異常なまでの信念をかんじるのだろう。

 そんな事を考えている間に、千紗ちゃんは取り出したポーチのメイク道具で、錬次くんの肌を丁寧に整えていく。

 


「錬次くん、行くのは良いけど、ひとつお願いがあるの」

 

「千紗ちゃんの頼みなら出来る限り聞くよ」

 

「夜はうちと一緒に居て。

 仕事が終わったら、すぐここに帰ってくるから」

 

「どうせ夕方にはまた検査があるし、それまでには戻るさ」

 

「約束だからね……」

 


 メイクを終えた彼の顔は、見違えるほどに明るくなった。元気な時の爽やかさを取り戻し、そのまま売り場に立てそうなくらい。そんな日がもう訪れない事は分かってるけど。

 


「外出許可は取ってるんですか?」

 

「いい顔はされなかったけど、昼前後の空き時間だけならなんとかなったよ」

 

「そうですか。では私も覚悟を決めます」

 

「そんなに力まなくてもいい。

 いつもみたいに楽しそうにしててくれ」

 

「それは無理ですよ! 

 錬次くんも何か決意してますし、お兄ちゃんとの最期でもあるんですから……」

 

「いつもの一美と店を見に行きたい」

 


 表情が変わった。今日会ってからずっと違和感はあったけど、その雰囲気ともどこか違って見える。

 その時、隣に居る千紗ちゃんも異変を感じ取ったのか、じっと彼を見つめていた。

 


「どうした二人とも?」

 

「いえ、なんでもありません」

 


 でもそれを指摘する事は私には出来ない。きっとこの事態に一番不安を抱いたのは千紗ちゃんだから、彼女が目を瞑ると言うのなら、私もそれに従う。


 病院の玄関口で千紗ちゃんに別れを告げた後、ゆっくり歩を進める錬次くんに合わせて、駅へと向かった。

 作り笑いで見送った千紗ちゃんに比べて、彼の表情は期待に満ちている。

 私は罪悪感に押し潰されそうだったけど。

 


「電車の席、空いてて良かったですね」

 

「あぁ。まだ長時間は歩けないからな」

 


 ほぼ待ち時間無く乗り込んだ電車も、思いの外空席が多い。

 私は彼の隣に座り、気になっていた事を尋ねてみた。

 


「今日の外出って、本当に恩返しの為だけですか?」

 


 彼は回答に渋っている。口を閉じて、説明の仕方に悩んでいるのだろうか。

 一駅ぐらい過ぎたところで、やっと声を出した。

 


「俺個人の想いとしては、妻との決別の意味合いも大きい」

 

「決別? 一体なんの話ですか?」

 

「俺の生きた世界が幻想みたいなものだとしても、そこには残してきた妻が居て、置き去りにした疑念がある。もし俺が同じ行動を取って同じ状況になれば、妻に非が無い事の証明になる」

 

「………何が言いたいのかよく分かりません」

 

「妻の浮気に見えた現場が、全て誤解だったと解れば、妻が最後に見せた涙も本物になる。愛し合ったまま事故死で別れたのだと心から思えた時、俺はようやく千紗ちゃんと生きる道へと切り替えられるから。君を巻き込んでしまってすまんな」

 


 もう離れて六年の月日が経つのに、彼はずっと奥さんの浮気を否定したくて――その根拠を掴みたくて仕方がなかったのだろう。例えこの世界の自分が危険に遭う可能性が残っても、それ以上に前世で思い残したものが大きいんだ。

 愛した人との絆を確かめる最後のチャンス。それの為なら強引にでも流れを変えず、千智ちさとくんが誤解するところまでの道筋を作っている。

 


「ずっとこうするつもりだったんですか?」

 

「いや、昨日までは全部無かった事にするつもりだった」

 

「じゃあどうしてこんなやり方を……」

 

「錬次の願いを聞いた時に、拒否したいと思えなかった。この気持ちに動かされた俺が元凶なら、無かった事にするよりも、一美の無実を証明する方がケジメがつく。そう思ったんだ」

 

「私、これで千智くんが死んだら、あなたを許せませんよ」

 

「その言葉が聞けて嬉しいよ。必ず後腐れ無いように俺から事情を話すから、君と千紗ちゃんは手を出さないでくれ。俺と同じ想いを持つ千智は、真相を知らなければ君を愛し続けるから」

 


 重たい口を開いた割に、語った後はすっきりしていた。いや、きっと話したくても言い悩んでいたから、打ち明けられて楽になったのだろう。でも私の心中はモヤモヤしっぱなしだ。

 


「矛盾してますよ。私との愛を立証する為に、私に怪訝される様な行動を取るなんて……」

 

「今の君は友人の一美だ。

 妻だった一美への気持ちとは別物さ」

 

「でも同一人物じゃないですか!」

 

「悪いけど、千紗ちゃんと君のどちらかしか救えないなら、俺は千紗ちゃんを選ぶ。それと同義だよ」

 

「いいですよーだ。

 私には千智くんがいますから!」

 

「あぁ。千智に大切にしてもらってくれ」

 

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