第64話 あなたにとっての償いだとしても

錬次れんじくん! 大丈夫ですか⁉︎」

 

「よう一美ひとみ

 わざわざ見舞いに来てくれてありがとな」

 

 病室に入って最初に目にした彼の顔は、私の心を酷くざわつかせた。苦しいとか、やり切れないといった様子ではない。まるで生気を吸い取られ、動くマネキンにでもなったみたいに、ひたすら人間らしさをすり減らしたように見えた。

 これまでとは明らかに違う。ただ具合が悪くなって倒れたのではない。それを私に確信させるには充分だった。

 でも今は取り乱してはいけない。昨日送られてきた千紗ちさちゃんからのメッセージは、どう解釈しても彼を励まして欲しいという内容だった。

 今日は彼女の誕生日だと言うのに、このやり切れない気持ちはどうしたらいいのだろう。

 私は平常心を装って、錬次くんに近付いた。

 


「いきなり倒れたって聞いたので、心臓止まるかと思いましたよ。意外と元気そうですね!」

 

「俺もびっくりしたよ。原因不明だしな」

 

「ガンの再発じゃなくて、本当に良かったです!」

 


 ちっとも良くなんかない。今の彼が置かれている状態は、もっと得体が知れない。

 声はしっかりしているけど、瞳の光が失われたようにも見える。

 私は今、本当に錬次くんと話しているのだろうか。

 彼の感情がいつもみたいに伝わってこない。

 


「何回再発したところで、もう今更だけどな」

 

「変なこと言わないで下さい。

 これ以上苦しんだら、体も心も保たなくなっちゃいますよ」

 

「それもそうだな。

 まぁ、今苦しんでるのは俺じゃないけど」

 


 やっと少しだけ変化が見えた。今の彼からは、寂しげな気持ちが表れている。決して喜べるものではないけど、心が通ってる事には間違いない。ちょっとだけホッとする。

 そんな会話をしている最中、引き戸がガラガラと音を立てて開いた。

 


「錬次くん……で、いいんだよね?」

 

「ごめんな千紗ちゃん。

 メッセで心配させたよな」

 

「ううん。

 ちゃんと錬次くんでいてくれて良かった」

 


 血相を変えつつも慎重に入ってきたのは、彼の一番大切な人だった。会話の内容からして、やっぱり錬次くんの精神的な部分に異常があったらしい。でも彼の表情は千紗ちゃんを見た途端、ハッキリと罪悪感をあらわにしていた。

 


「一美ちゃんもお見舞いに来てくれてたんだね」

 

「うん。私もついさっき来たの」

 

「そっか。少し二人で話せるかな?」

 

「え? 私はいいけど」

 


 千紗ちゃんに連れられて、病室から外に出る。

 錬次くんも事情を察しているらしく、何も言わずに見送られた。

 


「突然呼び出しちゃってごめんね」

 

「ううん、全然いいよ! 

 それよりどうしたの?」

 

「昨夜錬次くんから聞いたんだけど、彼の体の奥に居る二色にしきさんが、もう消えてしまうみたいなの」

 

「……え? 

 お兄ちゃんはまだ生きてたの?」

 

「うちにも詳しくは解らないけど、何度も夢の中では会ってたみたい。その彼の魂に寿命がきてるって……」

 


 自分でも驚くくらい、しっくりきている。錬次くんと接している際に時々感じていた、お兄ちゃんに似た雰囲気は本物だったのだと。

 でもそれが終わりに近付いている。そう思うと寂しさもあるけど、今の錬次くんの不調にも関係しているだろうし、なにより、早く千紗ちゃんと二人で幸せになって欲しい。

 


「そうなんだ。私もちゃんと話したかったな」

 

「一美ちゃんに今日来てもらったのは、その為なの」

 

「どういう意味?」

 

「彼は、二色さんの最期の願いを叶えてあげたいって……」

 


 恐らくそれが私と話す事なのだろう。

 少しでもお兄ちゃんに会えるなら私も嬉しいし、断る理由は無いと思っていた。

 千紗ちゃんから告げられる、その続きを聞くまでは。

 


「思い出の場所に、二人を連れて行きたいって言ってるの」

 

「ちょっと待って! 

 今日って、私の浮気を疑われた日だよね⁉︎ 

 しかも千紗ちゃんの誕生日だよ⁉︎」

 

「だからうちも、どうして良いのか分からないの。ここで同じ運命を辿るなんて容認出来ないけど、二色さんはうちらを巡り合わせてくれた恩人。その人の願いを無下には出来ないから」

 


 私にだって判断できない。錬次くんの知る未来も、きっと同じ理由で千智ちさとくんを落ち込ませた。

 結婚記念日に行く店まで変えたのに、結局浮気疑惑になる原因を作ろうだなんて……

 


「今はお兄ちゃんと話せるのかな?」

 

「わかんない。

 だいぶ不自然だったけど、今は彼のままだし」

 

「私が直接言ってみるよ」

 


 再度病室に戻り、窓の外を眺める錬次くんの下に向かう。その横顔は頬がけて、いつもより血色も悪い。

 


「錬次くん、大体の事情は聞きました」


「そうか。じゃあすぐに着替えるわ」

 

「いや、ちょっと待って下さい!

 ここではダメなんですか⁉︎」

 

「……俺が錬次に出来る、唯一の償いなんだ。

 大杉店まで着いてきて欲しい」

 

「それをまた千智くんに目撃させるんですか⁉︎

 それで彼が亡くなったら、取り返しがつきません!」

 

「大丈夫。結婚記念日も事故現場には行かないんだから、死んだりしないよ。千智には必ず俺から弁明するから、君は何も心配するな」

 


 もう決意が固まっているみたいで、私の話しに聞く耳を持たない。普段は融通が利く人なのに、稀に変な頑固さがある。

 


「じゃあせめて、千智くんに先に連絡させて下さい」

 

「それはダメだ!」

 


 気怠さが一転し、不意に出された怒鳴り声に、思わず身体が強張ってしまう。

 


「今日は重要な会議に出席してて、すぐに連絡は取れない。あとこの件に関しては、絶対に俺があいつに伝える」

 

「なんでそんなに頑ななんですか?」

 

「これぐらいさせてくれ。俺が守りたかった君と、君の中にある新しい命の将来の為に……」

 

「……そんなの勝手過ぎますよ。

 それで自分だけが泥を被りたいだなんて」

 

「これまで耐えてばかりだったんだ。

 最後のワガママだと思って聞いてほしい」

 

「最後⁉︎ どういう意味ですか⁉︎」

 

「千智に恨まれれば、今後会えなくなる可能性もあるからな」

 


 錬次くんは、自分の正体を千智くんにはバラさないと決意している。その上で未来を切り拓こうと奔走しているのは分かるが、ここに来てお兄ちゃんの望みまで叶えようだなんて。

 今の人形みたいな彼は、まるでその身に悪いものを全て集めて、そのまま見えない所に消え去ろうとしている。

 そんな最悪の予感が絶対に当たらない事を、私は祈るだけしか出来なかった。

 

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