第63話 心残りは積もるばかり

 三ヶ日さんがにちの間に、二色にしき家と岸田家が立て続けに出向いてくれて、新年の挨拶は全て我が家で行われた。順調に回復している事を全員に泣くほど喜ばれ、数日後に待ち受ける大仕事も頭の隅へと追いやられている。

 しかしこればかりは忘れたり出来ない。ずっと運命を変える日を待ち望んできたのだから。

 初夢に出た錬次れんじはそれ以降現れないが、身体の変化は特に無い。


 そして千紗ちさが二十六歳になる誕生日であり、浮気現場目撃の日が前日に迫っていた。

 


「明日はできる限り家に居たいから、今日プレゼントを探しに行こうか」

「えー、今年は用意してくれてないの?」

「一昨年のネックレスや去年の腕時計は、今も大事に着けてくれてるし、今年はそれに合いそうな色の物を、千紗ちゃんの目で選んで欲しいんだ。来年はまた俺が準備しておくから」

 


 二人の絆を強める為に、俺が温めていた提案である。材質や形だけでしか選択出来ない俺に、千紗が見た彩りが組み合わさる事で、贈り物の価値を高めていく。あえて時間を掛けていけば、翌年の期待感に二人で生きる希望も湧いてくる。

 そんな俺の思惑など彼女は瞬時に見抜き、良い笑顔を見せてくれた。

 


「それいいね! じゃあ今日はうちが候補を探すから、最後は一緒に決めようよ!」

 

「うん、そうしようか」

 


 こうして街へ繰り出し、二時間程で千紗に良く似合うピアスを購入できた。

 だが店を出た直後、不意に強烈なめまいに見舞われ、その場に倒れ込んでしまう。

 前兆など何も無く、疲れが溜まるような動き方もしていない。視界がチカチカと点滅するように光り始め、全身に力が入らなくなり、床にうつ伏せになっていた。


 次に意識が戻った時には、しばらく世話になった病室におり、ベッドでもたれ掛かって眠る千紗は、プレゼントを握りながら涙の跡を残していた。

 また再発でもしたのだろうか。

 


「うぅ……ん。

 あ、錬次くん! 体調はどう⁉︎」

 

「おはよう千紗ちゃん。

 ちょっと頭がぼーっとするくらいだよ」

 

「よかったぁー。

 突然倒れたから、本当にびっくりしたよ」

 

「俺は救急車で運ばれたのか?」

 

「うん。うちが呼んだの。

 一時的に脈がすごく弱まってて、危なかったんだよ」

 


 彼女によると、身体を調べても異常は無く、腫瘍も再発していないらしい。

 ただ心拍数が急激に弱くなり、衰弱しそうな状態だったという。

 この事態を起こしそうな原因はひとつしかない。

 


「錬次が消えたのかも……」

 

「二色さん、一日ついたちの夢に出たって言ってたよね。

 彼の意識が消えたら、肉体にも影響が出るのかな?」

 

「分からないけど、それ以外に思い当たる節が無い」

 

「そうだね。

 とりあえず今日は入院で、明日また検査するって」

 

「………ごめん。明日は君の誕生日なのに」

 

「あなたは気にしなくていいの!

 また明日もここに来るから。

 そしたら一緒に帰ろ?」

 


 もしこれが錬次に関係してるなら、先日の時点で大人しく消えてくれればと、本気でそう思った。

 なんでこんなにピンポイントなタイミングで、入院なんてしなきゃならないんだよ……

 


「君はなんでいつも、そんなに聞き分けがいいんだ?

 少し不安になってくるよ」

 

「わがままを言った方が、あなたは救われる?」

 

「……どんな君でもいいよ。

 千紗ちゃんさえそばに居てくれれば、それが救いだから」

 

「じゃあうちの好きにする。一番好きでいられる自分で、ずっとあなたのそばに居る。だから不安にならないで」

 

「千紗ちゃん……愛してる」

 

「うちもあなたを愛してるよ。

 そんなに泣かないで……」

 

 こんなに一途に想ってくれてるのに、涙を堪えるなんて無理だった。嬉しいのはもちろんだし、肝心な時に崩れてしまう自分が悔しい。

 強く抱きしめ合っているこの時間が、そう長くは続かないと思うと、離す事なんて出来なかった。

 この苦しみや恐怖が生まれ変わりの代償だとしたら、あまりにも大き過ぎる。

 


「生まれ変わってここにこられて、本当に良かった……」

 


 それでもこの一言が最も本音に近く、今の千紗に伝えたい言葉だった。

 聞いた彼女は身体を震わせ、初めて耳にする子どもみたいな高い声で大号泣し始める。

 どれだけ我慢させてきたかを考えれば、まだ吐き出し切れたりはしないだろう。

 


「錬次くん、うち……今、心の底から嬉しい。

 頑張ったこと、全部、報われた気がする……」

 


 涙を零しながらも、彼女はまだ俺の為に嘘をついている。それはどんな慰めよりもあたたかくて、とても優しい嘘だった。

 

「まだ報われてなんかいないだろ。その指輪の約束と、シワシワになった君の姿も見せてくれよ」

 

「……ばか」

 


 そう言いながらキスをしてきた彼女の顔は、目の下に黒いスジができるくらい、メイクが溶けてしまっている。

 病室の鏡で化粧を直した彼女は、また明日と言って帰っていった。


 病院のベッドで過ごす夜は心細い。いつまで経ってもこの時間だけは慣れない。

 だから毎回布団を頭まで被り、まぶたを強く閉じる。

 



「まだ消えてはいなかったか、錬次」

 

「ごめんな千智ちさと。今日怒ってただろ」

 

「いや、お前のせいにするしかなかっただけだ」

 

「あと一日。いや、数時間かな」

 

「お前が残れる時間か?」

 

「あぁ。俺の余命だな」

 


 またも夢の中に出現した錬次は、この前よりも儚い気配が確かにあった。本当にこれで終わりなのだろう。

 この場にありもしない空を見上げ、目の前の男は独り言のように呟き始めた。

 


「最期に一美ひとみと話したかった。あいつと再会するはずだったあの店を、一緒に見られなかったのは心残りだなぁ……」

 

「そんな風に自分の希望を語るのは珍しいな」

 

「すまん、忘れてくれ。

 もう死ぬのだと思ったら、ついな」

 

「いや、叶えてやるよ。最期の望みくらい」

 


 浮気の真相はほとんど判明したようなものだ。錬次と一美が大杉店の前に二人で居た理由。それは消えかかっている本物の錬次の願いだったのだろう。

 錬次が俺をこの世界に呼び出したおかげで、千紗という最愛の人と巡り逢えた。再び元気だった妻と楽しい時間を過ごせた。これだけで充分、彼に恩返しをする理由になる。

 なんとしてでもそれくらいは叶えてやりたい。

 


「叶えるって、どうするつもりだよ?」

 

「俺が知ってる未来に逆らわずに動く。

 お前と一美が一緒に居る光景を、俺は知っているからな」

 

「それじゃ最悪の未来に向かわないか?」

 

「すでに命日の予定は変えてある。

 この世界の千智は死なないはずだ」

 

「……すまない。ありがとう千智」

 

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