最終章 二度目の人生でもこうして巡り逢えた

第61話 追いかけ続けた俺と君に

 二〇二〇年の年末付近から開始された放射線治療は、だいぶ慎重に行われている。それというのも、ガン細胞を殺せる放射線は、当然健康な細胞まで破壊しかねない。

 それまでの二度の治療も、週に二、三回に分けて継続的にやる事で、脳みその異物をクリアにしてきた。

 だが今回の細かい腫瘍は、小まめにやっても完全消滅が難しい。

 脳へのダメージを考慮して間隔を空けつつ、検査をしては治療再開というサイクルを繰り返していた。

 


「わぁ、錬次れんじくんもう普通に歩けてる!」

 

「治療を止めてる時は、リハビリばかりしてたからな」

 


 損傷していた脳の神経はある程度まで回復し、短時間なら自然に歩けるようになった。

 色彩は取り戻せなくても、脚だけならなんとかなる。それを実感出来たのは大きな希望である。

 早く退院し、二人で暮らすはずだった部屋に戻りたい。独り寂しく過ごしている千紗ちさに、これ以上の孤独を感じさせたくない。だから俺は治療を続け、リハビリも欠かさずにやれている。


 気付けばもう、俺が体験した千智ちさとの命日まで残り三ヶ月だった。

 


「次の検査で問題無ければ、一時退院だよね?」

 

「あぁ。八月から腫瘍は確認されてないし、脚の調子も良い。

 今月末の検査で入院は最後だ」

 


 ちょうど千智の誕生日頃に、俺の生活も変わる。それを確信して、一美ひとみにも連絡を入れていた。

 浮気が起こる日時、そして千智が最期に食事を摂ったあの店。それさえ変えてしまえば、同じ未来には繋がらないはずだから。


 迎えた二週間後の検査の日。

 俺の脳に異常は見られず、無事に一時退院が言い渡された。

 


「おかえり錬次くん!」

 

「ただいま。あと千紗ちゃんもおかえり」

 

「うん、ただいま!」

 


 病院から一緒に帰宅し、ふたり同時に玄関を跨ぐ。たったこれだけの行動が、今の俺達にとってはなによりも嬉しかった。

 また千紗とここで生活が出来る。そう考えるだけで目頭が熱くなり、ぎゅっと彼女の手を握り締めて離す事もできない。

 部屋の中は相変わらず綺麗にされてるし、いつ戻るかも分からないのに、俺の過ごし易い状態が維持されている。どこまでも俺の事だけを想って。

 


壱谷いちたにさんには、本当に隠し続けるの?」

 

「そのつもりだよ。あいつの命が懸かってるけど、それだけは変えたくない」

 

「後ろ暗く思わせてしまうから?」

 

「うん。そもそも俺は、錬次のおかげで一美と仲良くなれたと思ってたんだ。それが実は未来の自分で、ヤキモキしながら繋げてもらった関係だと知れば、一美を真っ直ぐ見れなくなる」

 

「そういうところあるよね。

 あなたもたくさん悩んでたし」

 

「あの夫婦には、新鮮な気持ちで居てほしいんだ」

 


 自惚うぬぼれたいわけではないが、一美は今、本当に幸せな新婚生活を送っている。千智として見てきた彼女もそうだし、錬次宛に送られてくる連絡でもそれは分かった。

 あとは最後に残る大きな課題を二つクリアすれば、前世の自分の未練は解決する。


 年末の雰囲気が見え隠れし始めた頃、兄貴が我が家に遊びに来た。

 体調を心配して早めに会いに来ると告げられていたが、相変わらずのすっとぼけた態度が、なんとなく鼻につく。

 

「千紗ちゃん久しぶりぃー! 

 錬次も元気そうじゃん」

 

「お久しぶりです。錬次くんもご飯いっぱい食べるようになってくれて、だいぶ回復してきましたよ!」

 

「確かにゲッソリから、ヒョロいなぁくらいにはなったか?」

 

「余計なお世話だ。

 やっと胃が膨らんできたんだよ」

 

「そりゃ良かった。んじゃ千紗ちゃんへの手土産に買った、このプリンも食えるな!」

 

「うちの好み覚えててくれたんですね!

 ありがとうございます!」

 

「……六個も入ってるじゃないか」

 


 渡された紙袋の中から、三個のプリンをテーブルに並べて、残りを冷蔵庫にしまう。

 確かにこれは千紗の一番好きなお店の物だし、すごくありがたい。

 だけどこんなに買ってこなくてもいいのに。

 変なところで気を回す兄貴だ。

 


「そういや錬次。

 一美ちゃんと不倫してないだろうなぁ?」

 


 和やかな空気感からの唐突な爆弾発言に、思わずブッと吹き出しそうになる。

 


「プリンが鼻に逆流するだろ! 

 退院してから会ってないよ」

 

「マジかー。逆に不安だなそれ」

 

「なにが?」

 

「ほら、会えない時間が愛を深める。なーんて言うだろ?」

 


 本気でスプーンを投げ付けようかと思った。どうせプラスチック製だし、当たっても痛くはない。むしろステンレス製でもいい。

 


「あのなぁ、あいつは新婚で、俺には千紗ちゃんが居るだろ」

 

「でもお前が見た浮気も、原因までは知らないんだろ?」

 

「それはそうだけど……」

 

「まぁ俺は浮気だと思ってないんだけどなー」

 


 兄貴が発した言葉に、俺と千紗は目を丸くして凍り付いた。

 


「えっと、遼一りょういちさん、どういう意味ですか?」

 

「あれ? 千紗ちゃんは気付かなかった?

 こいつが見たのって、手を繋いでた現場だけだよ?」

 

「言われてみれば確かに……。

 夫目線では浮気に見えても、確証は持てないですね」

 


 ちょっと待ってくれ。俺はあの二人の雰囲気と行動を見掛けて、前世では三日間、今世で六年近くも原因を探ってきたんだ。

 それがそもそも浮気ではない? 

 そんな結論が本当にあるのか?

 


「今の錬次は脚も本調子じゃない。

 仮にその場所で偶然一美ちゃんと会って、転びかけたところに手を掴まれたらどうだ?」

 

「いや、普通に隣に立って笑い合ってたんだぞ?」

 

「じゃあ転んだお前の手を引いて、立ち上がらせた瞬間とか?」

 

「………一旦落ち着かせてくれ」

 

「錬次くん……」

 


 頬を伝う涙の感触に、会話を中断させた。

 今だからこそ可能な推測だが、否定出来ない事に胸が締め付けられる。

 俺はそれを勝手に浮気と解釈して、妻との最期の時間にあんな顔をさせたのか? 

 慌てふためくわけでもなく、妙に冷静だったのは気掛かりだったけど、浮気でもなかったとしたら俺はなんて事を。

 

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