第60話 探すのを辞めない君だから

 ずっと大切にしていたロケット。そして本物の錬次れんじからの約束の手紙。突然これらを一美ひとみに預けられ、俺は当然困惑している。お守り代わりにしても、彼女にとって思い入れが深すぎるし、リハビリもしていない今の足では歩けない。

 家まで返しに来いって、一体どうしろと言うんだ。

 


「それは荷が重すぎるだろ」

 

千紗ちさちゃんは人生を賭けてあなたを支えてます。私も全力で千智ちさとくんを支えます。だからあなたは、元気になるって約束して下さい。千紗ちゃんと一緒に、私達の所まで来てください」

 

「その誓いの証というわけか……」

 

「お願いします。私ももう迷いません。

 必ず幸せになりますから!」

 


 こんなに強気な一美を見るのは、いつ以来だろうか。

 俺が色を失ったばかりの時は優しさが際立ってたし、大杉店に居た頃まで遡るかもしれない。

 その固い決意を無駄にはしたくなかった。

 


「わかった。

 部屋がどれだけ汚れたか見に行ってやるよ」

 

「えー、そんなに汚してないですよ?」

 

「いーや、汚れてるね。

 あんま掃除しないじゃん」

 

「い、忙しいんですよ! もう!」

 

「千紗ちゃんは忙しくてもしっかりやるけどなぁ。女子力の違いかこれは?」

 

「そろそろ泣きますよ! 本当に泣きますよ⁉︎」

 

「おうおう泣いてみろ」

 


 軽く茶化したつもりなのだが、一美は宣言通りに涙を流し始めた。堪えている様子も見せず、ふざけたやり取りからあまりにも唐突に。前置きがまさか本気だったなんて、思いもしなかった。

 


「すまん、からかい過ぎたか?」

 

「いえ、元気そうな姿を見たら、嬉しくなっちゃって」

 

「そうか。心配せずに君は楽しく生きろ」

 

「心配しながら楽しく生きます!」

 

「その生き方は一番難しそうだな」

 


 そんな会話をしていると、千紗も病室に入ってきた。

 


「なんか二人とも、本当に兄妹みたいだね」

 

「千紗ちゃん! またちょっと痩せた?」

 

「錬次くんほどじゃないよ。

 一美ちゃんはすっかり綺麗になったね」

 

「えー、千紗ちゃんの方が綺麗だよー」

 


 そんな女子トークに花を咲かせる二人は、約五年前の新人歓迎会の時と比べ、いい大人の女性になっている。紆余曲折を経て紡がれた彼女らの友情は、この先も永遠なのだろう。

 


「あなたが居てくれるならね」

 

「え、また察したの千紗ちゃん? 

 俺声に出してないんだけど」

 


 突然こちらに振り向いた千紗は、当然の様に心の声と対話をしている。

 


「目が言ってたよ。

 うちらはずっと仲良くしてるんだろうなって」

 

「……君はすごいな。

 でも俺が居ないと崩れるのか?」

 

「うちは自信無いよ。

 あなたの居ない世界で、こんな風に楽しくしてるなんて」

 

「そうですよ錬次くん! 

 私達みんな、百年くらい落ち込みますよ!」

 

「馬鹿言わないでくれ。

 確実に俺のが先に死ぬんだから」

 

「そんなの決めつけないでよ。

 すごく悲しくなるから……」

 


 今度は千紗を泣かせてしまった。さっき一美が落ち着いたばかりなのに、立て続けに二人の涙を見るなんて。

 ……我ながら女泣かせな男だな。

 しかし長生きは期待されても困るんだが。

 


「言い方が悪かったな。年下の女性より長生きする可能性なんて、限りなく薄いだろ?」

 


 指で涙を拭いた千紗は、途端にクスクス笑い出す。

 


「それはそうかも。うちがお婆ちゃんになった姿を見てもらえれば、それで充分だね」

 

「はい! はい! 私もそれでいいです!」

 

「お前は千智に頼めよ」

 

「うーわ、錬次くんノリ悪ーい」

 

「一美さんよぅ。病人にノリを求めるな」

 


 顔中にシワができても、元気でいる二人の姿か。若々しい彼女達からは想像も出来ないし、可能ならそんな未来まで見てみたい。

 だけど今は来年まで生きる事が最優先だ。俺の知る未来でも、最後に錬次を見たのは二〇二二年の一月八日。その先でも生き続けて、三日後に死ぬ運命の千智を救わねばならない。果たしてこんな状態の俺に、自分以外の心配をする余裕などあるのだろうか。いや、考えるまでもないか。


 そして一週間後。

 予定通り結婚式を挙げた一美と千智から、写真付きのメッセージが届いた。

 繰り返し見て目に焼き付いていた写真だが、色が見えなきゃ華やかさにも欠ける。

 色んな意味で虚しくなり、窓の外の真っ暗な空を眺めていた。

 


「生憎の天気だったね。

 夜になっても雲が分厚いよ」

 

「あぁ。俺は晴れ男だったんだけど、式の日だけは曇ってた。招待した人の中に、強烈な雨男か雨女が居たのかもな」

 

「じゃああなたが参加してたら、晴れたのかもね」

 

「どうなんだろう。この体はわからないよ」

 

「中身は一緒だもん、きっと晴れ男だよ。

 今日はあなたにとっての晴れの日でもあるよ」

 

「いや、俺にとってはただの曇った土曜日だ」

 


 こうまで空が覆われていると、俺にはただの真っ黒な景色としか認識出来ない。消したばかりのPC画面のように、ガラスに映った自分の姿の方が鮮明だ。

 一緒に一日を過ごしてくれた千紗は、見えもしない星でも探しているのか、ただただ視線が上方に向けられている。

 何もない場所に視点が留まる時は、大抵なら脳内の映像を見ているはず。視覚から入る情報を無視して、記憶や想像が浮かび出される状態だ。

 今日の千紗の頭の中に、ポジティブなものが描かれるとは思えない。何もない空に負の感情から来る情景を映すなら、せめて星のひとつでも煌めいてくれれば良いのに。

 俺は今日もひたすらネガティブだ。

 


「ねぇ錬次くん、あれ見える?」

 

「ん? どれ?」

 

「あそこ。雲の隙間から星が見えるよ」

 


 どんなに暗い闇の中からでも、彼女はちゃんと光を探していた。親友の結婚式なんて、彼女にとっては祝福より、妬みに捉えてもおかしくないのに。

 そんな強靭なメンタルの持ち主だからこそ、俺の側に居てくれるのだろう。

 早くこの体を治して、彼女に本当の晴れの日を見せてあげたい。

 

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