第59話 誓いは結ばれる


錬次れんじくん、大丈夫?」

 

「あぁ。だいぶ落ち着いてきたよ」

 

「よかった。

 でも一美ひとみちゃんは立ち直ったかな?」

 

「あいつは切り替え早いし、問題無いだろ」

 


 大杉店を一周見て回った後、店長の許可を得て裏方に居る一美と顔を合わせた。

 見付けた瞬間の一美は業務に集中していたのだが、こちらに気付くなり崩れ落ちてしまう。どうやら彼女の中で張り詰めていたプレッシャーや重圧の糸が、懐かしの先輩と同僚をあの場で見てしまった事で、引き千切れてしまったらしい。

 膝をついてわんわん泣きじゃくる一美を目の前にして、無力な俺には何も出来ないまま。千紗ちさや一美、そして千智ちさとと一緒に働いた時間の大きさが胸の奥に突き刺さり、呆然としているしかなかった。思い入れが強過ぎるのも考えものだ。


 その場を後にした俺と千紗は、予定通り思い出の喫茶店で休憩をしている。

 


「ここのカフェも本当に懐かしいね。

 店員さん達もほとんど変わってないし」

 

「本当だね。

 変わらずに残ってくれるのもありがたい」

 

「錬次くんは、他に行きたいところある?」

 

「うーん、そうだなぁ……」

 


 見ておきたい場所は山ほどあった。この周辺だけでもたくさんの思い出があるし、千紗と行った店、一美と歩いた街なんて数えたらキリが無い。

 あえて一ヶ所に絞るなら……

 


「家に帰りたいかな。俺達二人の家に」

 

「うん。それが一番いいね」

 


 千紗を独りにしたくなかったのに、ガンの再発で結局彼女を置き去りにしてしまった。それがずっと心残りで、出来る事なら早く病院を抜け出したい。入院生活中はそればかりを考えている。

 短い時間でもそれを叶えたかったのだ。


 自分達の部屋に帰ったこの日から、俺はより一層リハビリに励み、松葉杖で歩ける距離も着実に伸びていく。それに反して、検査結果はよくない状態が続いているらしく、一向に退院を言い渡されなかった。


 ただ必死に歩行訓練を重ね、再び自分の足で歩ける日を夢見ること半年近く。年が明ける前に放射線治療が再開された。

 


「またですか⁉︎ 何回再発するんですか⁉︎」

 

「前回の治療において、MRIでも確認出来ない細かな腫瘍が残っていたらしく、すぐ近い場所で成長しています。今回は念入りに時間をかけて治療しましょう」

 


 もう三週間もしない内に一美達は入籍し、それから三ヶ月後には結婚式もある。そのタイミングで放射線治療などすれば、祝ってやる事すらままならない。

 色と足の機能を奪われ、希望さえ遠ざかるばかりの二度目の人生において、唯一の支えは千紗がくれる愛だけだった。

 


「連絡来たね」

 

「あぁ。無事に入籍出来てなによりだ」

 

「四月三日に式をやりたいって言ってるけど、どうする?」

 

「その日にやってもらうよ。

 俺を待ってたらいつになるか分からないし」

 

「……じゃあ遠くから二人で祝おうね」

 


 過去の俺の入籍の日、未来から来た俺はベッドから動けずにいた。

 常に付き纏う頭痛と頻繁に起こる吐き気。足のリハビリなどとても行える状態ではない。

 慣れるどころか過去最悪とも思える副作用に、食事も喉を通らなかった。

 それでも手を握ってくれる千紗の支えは嬉しいけれど、心にも限界が近付いている。

 


「その指輪は、君を縛ってない?」

 

「縛る? どういう意味?」

 

「もう渡してから一年が過ぎたのに、俺は未だにこのざまだ。

 俺が居なければ……一緒に居て欲しいなんて言わなければ、君は幸せにもっと近付けたかなって、最近思うんだよ」

 


 嫌われる覚悟をしていた。ずっと側に居てくれた彼女に対して、最大の裏切りだと分かっていた。

 だがもう辛すぎる。自分の不幸ならともかく、彼女を巻き込み過ぎている。

 せめて彼女は幸せになって欲しい。俺を嫌悪してでも、彼女だけは幸せを掴んで欲しい。

 そんな思いで吐き捨てた言葉だった。

 


「…………ありがとう」

 

「え?」

 

 声を震わせながら、千紗から出た感謝の言葉には理解が追い付かない。

 今にも壊れそうな表情で、目には零れ落ちそうな涙が溜まっているのに、口元だけが微笑んでいる。

 鼻を啜りながら笑った彼女は、感謝の意味を語り出した。

 

「うちだけでも幸せになれって言いたくて、わざと突き放してるんでしょ?

 そんなに想ってくれたのが嬉しいから」

 

「やっぱ無理か……」

 

「無理だよ。だって考えてること分かるし、うちは錬次くんと一緒じゃなきゃ幸せになれないもん」

 

「プレッシャーだなぁ」

 

「そうだろうね。でもうちの幸せを願うなら、一緒に病気と戦おうよ。あなたが諦めたら何も出来ないよ……」

 


 溜まっていた涙がようやく溢れ出す。

 しかし頭が回らなくて、どう声を掛けて良いのか分からなかった。

 

 結婚式の一週間前。

 三月も残り数日で終わる頃に、一美が見舞いに来た。

 大杉店で会った日から毎回申し訳なさそうにしている為、正直顔を合わせ辛い。

 会いに来てくれたからには、追い返すわけにもいかないが。

 


「もうすぐだな、結婚式」

 

「ごめんなさい。

 私達だけ幸せになっちゃって」

 

「逆だよ。君達が幸せになってくれれば、俺らにもまだ救いがある。だから変な気を回すな」

 

「そう……ですよね。私が幸せにならないと、錬次くんまで困っちゃいますよね」

 

「なんだ? マリッジブルーか?」

 

「いえ、千智くんは本当に私を想ってくれますし、平気です」

 


 見え見えの作り笑いで言われても、ちっとも安心出来ない。

 それでも千智の前では平静を装えるのだろうが。

 


「これ、預けておきます」

 

「おい、このロケットって」

 

「お婆ちゃんの形見です。手紙も入ってます。錬次くんは元気になって、必ずそれをあの家まで返しに来て下さい」

 

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