第七章 掴んだこの手に残された希望を離しはしない

第53話 それでもまだ俺は歩き続けたい

 二色にしき家で年明けを祝い、兄貴とは千紗ちさを含め、入念に仕事についての打ち合わせを行った。

 提示された給与や待遇には何も不満は無いのだが、難点は今の住居から少し遠いのと、事務所にいれば四六時中兄貴が居る事。

 悪い人ではないがペースを乱される。

 


「なんだよ錬次れんじぃ、何が不満なんだよー?」

 

「兄さんと頻繁に顔を合わせる事かな」

 

「錬次くん……

 そんな直接的に言わなくても……」

 


 千紗にも兄貴に正体がバレた事について打ち明けたが、案外あっさりと受け入れていた。むしろ両親に隠している方が心労が大きいという、彼女の気持ちにも共感する。

 


「あー、もし電車とか危ないようなら言えよ?

 運転手か付き添いでも雇うから」

 

「いやそれはさすがに悪いよ」

 

「気にすんなってぇ。

 金なら持ってんだぜオレ?」

 


 ヌメっとした言い方には鳥肌が立つが、こんなにも気遣ってくれる人の下で働ける機会なんて、他に無いかもしれない。

 


「わかった。

 今月半ばの検診後からお願いしたい」

 

「OK、それでいこう!

 お前ん家まで迎えに行ったるぜぃ!」

 

「いや、一人で電車で行くからいい」

 


 こうして仕事の目処が立った俺は、千紗の誕生日前に岸田家にも新年の挨拶に向かった。

 千紗のご両親はとてもほがらかな人達で、俺の不安をよそにとても気分良く迎え入れてくれる。それが何よりも嬉しかったし、隣の千紗と共に幸せな気分になった。


 そして千紗の誕生日まで流れるように祝い事が続き、迎えた年明け後初の検診日。

 ガンの再発は確認されず、かねてより不安定だった血液検査の結果も良好とのこと。

 色を失うという代償は大きかったが、ここに来てようやく肩の力が抜けた。

 


「ほんじゃ、今日からよろしくな。

 他の社員にも錬次の事情は伝えてあるから、困った事があればなんでも聞いてくれ」

 

「ありがとう兄さん。

 みなさんよろしくお願いします」

 


 検査結果に異常が無かった俺は、今日から兄貴の会社で一社員として働く。特に研修の制度等は設けていないそうだが、初日は兄貴自ら細かく業務内容を教えてくれた。

 アパレルに比べれば圧倒的にデスクワークが多く、従業員の人数も少ない。しかし落ち着きがあってアットホームな環境は、今の俺でも働き易さを感じた。


 一週間も過ぎた頃には、兄貴と一緒に視察に行った住宅について、しっかり反響もきている。

 


「おい錬次。

 この前ホームページに掲載した紹介文、役に立ったって書き込み来てるぞ!」

 

「お、本当に? 

 どんなところがですか?」

 

「外観が良くて気に入ってたんだけど、入り口付近の足場の悪さは先に知れて助かったって。足が不自由だから、代わりにお勧めされてた部屋を今度見に行きたいですってさ!」

 

「そっか。俺の視界が誰かの役に立てたのか」

 


 こうした出来事がちょいちょい増えていき、色の無い世界に対し悲観ばかりしなくなっていた。

 もちろん元に戻るならそれが一番良い。だけどこの目だからこそ寄り添える事もあるのだと気付けた。

 これは明らかに兄さんのおかげだろう。


 不動産屋に勤めて三ヶ月。

 受付業務や取引先の大家との連絡にも慣れ始めたタイミングで、一通のメッセージの内容に思わず微笑んでしまった。

 


「どうしたよ錬次? 

 なんか嬉しい事でもあったのか? 

 さてはまた千紗ちゃんだなぁ?」

 

「残念ながら違いますよ。一美ひとみからです」

 

「一美ちゃん? 珍しいね。

 そんでもってどしたのさ?」

 

「あいつ新卒社員になったばかりなんですけど、働いてた大杉店に戻れないし、異動して忙しくしてる千智ちさとにもなかなか会えないしで、心が折れそうだとほざいてます」

 

「新卒じゃまだ三週間も経ってないじゃんさぁ。

 そんなんでこの先大丈夫かぁ?」

 

「心配ないですよ。研修が終わって夏頃には元の店舗に配属されますし、あいつは結構優秀なんです。

 甘えたいだけっすよ」

 

「それもそれでマズくないか? 

 甘える相手が違うだろうに」

 


 あまり深く考えないようにしていたが、退院後もこうしたプライベートな内容は定期的に送られてきている。その度に俺の体調を気遣う言葉も添えられていたのが、一美の優しさだと思っていた。

 しかし愚痴っぽい部分だけを切り取れば甘えて見えるのも事実で、兄貴に対しての返答にも悩んでしまう。

 


「まぁ錬次にとっても彼女は妹みたいなものでしたし、気を許せる数少ない一人なんじゃないですか?」

 

「でもそれは子ども時代の話だし、一美ちゃんも別人だと知ってるんだろう? それでズルズル関係引きずってたら、いつまで経ってもお互い抜け出せなくなるぞ?」

 


 その見解を聞いて、久しく忘れていた浮気シーンが蘇ってきた。

 俺が見てきた先の結末がこの過程を辿って進んでいたとしたら、やはりまだ錬次との浮気ルートが残り続けている可能性も十分にある。

 いくら浮気をしないと心に決めていたとしても、俺はそうなった経緯を知らない。

 仕事中に千紗が怪我をした時のようなミスを、俺はまた繰り返そうとしているのか。

 


「そう……ですよね。

 普通に友達としての付き合いには、どうやったら戻るんですかね?」

 

「今でも仲の良い友達なんだとは思うよ。

 でもさ、ただの男女ならともかく、両片想いみたいな時期があったわけじゃん君ら。

 つーか前世の嫁さんだろ? 

 友人関係が続くと思う?」

 

「難しいですかね?」

 

「不可能だと思うね俺は。

 手を伸ばせば届いてしまう距離に居るなら、いずれ二人の腕が絡まり合う日が来る。と思う」

 


 やっぱり客観的に見ればそれが自然なんだろうなぁ。

 夫婦生活の記憶は俺にしか無かったとしても、一美が今交際しているのは過去の俺。気持ちに折り合いをつけるとしたら、恐らく俺からもっと彼女を突き放すしかないんだ。

 そして休憩時間も終わろうとしていたその時、もう一通のメッセージが届く。

 


「また一美ちゃんかい?」

 

「えぇ、まぁ。

 なんかここに来たいって言ってます」

 

「なに? 

 一美ちゃんも新しい部屋探してんの?」

 

「たぶんそれはないかと。

 俺の仕事姿を見に来るのが目的でしょう」

 

「なーるほど。いいんじゃね? 

 俺も二人の関係性に興味しかないし。

 いつ来るのか決まったら教えてよ」

 

「わかりました。

 兄さんも会いたがってるって送っときます」

 


 幸せになって欲しい妹的な存在。俺はそう思ってるつもりだ。

 何回か見舞いに来てくれた際も決して疑われるような事はしていない。

 だが本人達よりも第三者からの印象の方が、そういった空気感は的確に捉えるだろう。

 せっかく距離を置くには良い状況なのだから、今後の為にもハッキリさせたい。

 

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