第51話 帰還して得られる最上の安らぎ
「いよいよ明日退院だね」
「やっと心置きなく
「入院中も結構くっついてきたじゃない」
予定していた最後の処置を終え、治療後の経過を見ながら全身を
腫瘍は一旦綺麗さっぱり消えたらしいが、頭皮が所々見える髪の抜け跡と、辺り一面白黒の世界は今も残っていた。
毛髪はまた生え揃う日が来るけれど、見える景色はもう二度と変わりはしない。
だがそんな俺を気遣い、他の楽しみを一緒に探してくれる千紗が居るからこそ、沈む気持ちも切り替えられた。
「おー、すごいな!
入院前より綺麗になってるじゃん!」
「汚す人が居ないからね。
お掃除するのも楽だったよ」
「千紗ちゃん酷い!
俺をただの厄介者扱いしてたんだ!」
「冗談だよ。この部屋に帰ってくるのも寂しかったんだから」
久しぶりに戻った二人の家は、片付け上手な彼女のおかげで本当にスッキリしていた。退院して浮かれてしまったが、ここに一人で帰宅していた彼女を思うと心が痛む。病床で横になってた俺の方が、気持ち的にはいくらかマシだったのかもしれない。
「ごめんな千紗ちゃん。
いつも本当にありがとう。ただいま」
「おかえり
また一緒のお布団で寝られるね」
そう言ってしがみついてきた彼女からは、ずっと耐えてきた思いが触れ合う身体を通して伝わってきた。
上を向いてまぶたを閉じる彼女と唇を重ね、ようやく日常に戻ってきた事を実感する。
これ以上の幸福感を今は想像出来ない。
「あれ?
リビングの配線とか、なんか色々と場所が変わってる?」
「錬次くんに見えにくそうなものは、一箇所にまとめて片付けたの。
配線も端っこに固定して繋がってるから、大丈夫だよ」
部屋の中の内装は所々変わっており、妙に広々として見えた。足元には全く物が無く、
床との見分けが付かない可能性を考えて、ここまで準備してくれるとは。
どうやって感謝を伝えればいいのだろう。
「千紗ちゃん、俺、またちゃんと働くから。
君を支えていけるように頑張るからさ。
そしたら俺と……」
「そんなに焦らなくてもいいよ。
うちだってお仕事頑張るし、あなたがそばに居てくれるだけで幸せだから」
「俺も同じ気持ちだよ。
君と出逢えて本当に良かった」
言いかけた言葉は遮られてしまったが、それでも千紗は嬉しそうだった。
それから定期的な検査を受けつつ、貯金と傷病手当を頼って生活をしていたが、この視界にも慣れてくると今のままでは満足出来なくなる。かと言って身体障害として扱われるこの目では一般的な職には就けないし、探したところでまともな稼ぎが見込めない。
退院から四ヶ月過ぎた頃には、ほとんど専業主夫になっていた。
「そろそろ年末も近いけど、今年はどうしよっか?」
「千紗ちゃんはまた実家に帰るでしょ?」
「今回は錬次くんも紹介したいな。
うちらももう付き合って三年以上になるし、同棲してるのは親も知ってるから」
「え、でもこんな体で仕事もしてない俺が行ったら、親御さんもがっかりしない?」
「するわけないじゃん。
大まかにはその辺りも伝えてあるし、その体でも頑張ってる錬次くんを見たら応援してくれるよ」
あまり乗り気ではなかったが、千紗の熱意に押されて渋々承諾する。娘を想う親心を考えると決して歓迎されるとは思えない。しかし顔も見せずに世話になりっぱなしなのも気が引ける。
翌日には予定の調整を始め、二〇一八年から二〇一九年への移り変わりは
そして大晦日三日前。
二色家に到着すると、見慣れない顔まで揃っている。
「おう錬次!
ずいぶんと久しぶりだなぁ」
いきなり親しげに話し掛けられ困惑するが、すぐに父さん似のキリッとした顔に気が付いた。
「りょ、
「そりゃお前に比べれば元気さ。
色々と大変だったみたいだな。
その割にはちゃっかり可愛い彼女連れて来て腹立つが」
厳格な父親とは違い、性格は母親の方が近いと見える。しかし錬次の爽やかな印象ともだいぶ離れていて、どちらかと言うと昔の俺みたいなやかましいノリだ。
「はじめまして、
錬次くんやご両親にはいつもお世話になっております」
「岸田さんだね。俺は錬次の兄の遼一です!
今はフリーだから、弟に嫌気が差したらいつでも俺のところにおいでね!」
「おいてめぇ、その顎かち割るぞ」
「おーこわ!
お前いつの間にそんな迫力身に付けたの?」
しまった、つい本音が声に出てしまった。
それにしてもなんだこのチャラい男は。
確か兄貴は五歳上だったから、もうこいつ
あ、でも俺の精神年齢の方が年上のはずか。
「錬次ー、千紗ちゃーん、おかえりー」
「あぁ、ただいま母さん。
その節は心配かけたね」
「そんなのいいわよ。
さ、早く上がりなさい二人とも」
「お邪魔しまーす」
退院後に会うのは初だが、こうしてまた元気な姿を見せられるのは嬉しい。両親も相変わらずで安心した。
二人で泊まるには元の錬次の部屋では狭かったので、居間に負けない広さの客間を貸し出される。旅館の一室のような雰囲気で、中々に心地良いものだった。
全員で夕食を食べていると、不意に兄からのじっとりした視線が気になり始める。
「兄さんどうしたの?
千紗ちゃんは渡さないけど」
「えー、千紗ちゃん本当に可愛いし性格も良いし、やっぱり可愛いからお兄ちゃんも仲良くなりたいなぁ」
「気安く名前を呼ぶその舌から、まずは引っこ抜こうか」
「あはは……。
錬次くん、本気で怒らないで……」
前言撤回だ。昔の俺とも全然違う、腹に込み上げる不快感がある。
ヘラヘラと腑抜けたその面を今すぐ一発ぶん殴りたい。
だが千紗が困り顔で腕を抑えるので、ここでは勘弁してやろう。
「いやぁ、からかい甲斐のあるやつだなぁ!」
「ちょっと遼一! その辺にしときなさい!
久しぶりに錬次に会えて嬉しいのは分かるけど、さすがに可哀想でしょ!」
「まぁそうね。
程々にしないと本当に拳が飛んできそう。
とりあえずさ、錬次に話しがあるから、後で俺の部屋来いよ」
なんでこの流れで俺が呼び出し食らってんだ?
食事を終え、内容も告げられないまま兄貴の部屋に向かうと、椅子に座って偉そうにふんぞり返って待っていた。
「どんな用件だ?」
「おう、いらっしゃい。
この部屋見ても懐かしくも何ともないだろー?」
「何が言いたいのか分からないんだけど」
「んじゃ率直に言うわ。君は誰だい?」
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