第50話 差し伸べる君の手は暗闇でも輝きを放つ

 医師から告げられたのは、手術の成功を喜ぶ気持ちを打ち消し、尚且つどん底に突き落とすような事実だった。

 色覚は戻らない可能性も高いと言われていたし諦めもつくが、MRIで見えていた腫瘍は大きな部分だけだったらしい。

 それを説明する声色も非常に重たく、簡単に解決出来る問題ではない事がすぐに分かった。

 


「先生、息子はどうすれば完治出来るんですか⁉︎」

 

「今後は放射線治療を考えています。

 腫瘍も悪性でしたので、小さな物でも残しておくのは危険ですから」

 

「放射線治療⁉︎ 

 それって副作用とかも強いのでは?」

 

「多くの患者さんに吐き気や脱毛などの副作用が確認されています。

 しかし脳へのダメージを考慮すると、手術や抗がん剤では出来る事も限られてきます。

 息子さんの今後の人生を願うのであれば、一刻も早く放射線治療に移行するのが効果的です」

 

「そんな………」

 


 俺には放射線治療のリスクはイマイチピンとこないが、母さんの様子から察するに危険も大きいのだろう。

 しかしこんな所で死んでいる場合ではない。多少負担が大きくても、俺は生き延びなければならないんだ。

 


「先生、今後の治療方針はお任せします。

 必ず俺の頭から悪い物を取り去って下さい」

 

「最善は尽くします。

 ご家族のみなさんや恋人さんもよろしいでしょうか」

 


 千紗ちさと母さんが複雑な表情になる中、姿勢を整えた父さんが一歩前に踏み出した。

 


「本人が生き延びたいと言っているのに、我々が否定する理由はありません。

 息子をよろしくお願いします」

 


 本人と家族の同意を得た医師は、すぐに次の治療までの日程を調整する。

 術後まもなくだと負荷も大きい為、次の処置は一週間後に決まった。

 それまで両親は一旦実家に帰るが、千紗は日に日にやつれていく。

 俺は彼女が一番心配だった。

 


「千紗ちゃん。

 明日も仕事で早いんだし、もう帰って休んだ方がいいよ」

 

「うん。分かっているんだけど、少しでも一緒に居たくて」

 

「このままじゃ君が先にまいっちゃうよ。

 俺はきっと回復するから、元気になったら二人の時間をたくさん作ろう」

 


 毎日不安そうに帰る彼女を見るのは心苦しい。だけどお互い今後の為だとは理解しているし、今は感情を押し殺して耐えていた。

 そしていよいよ新たな治療が始まる。出来る限り健康な細胞を壊さない為、週に二回に間隔を空けて、悪性腫瘍の消滅が確認されるまで放射線を当てられるらしい。

 初めての処置を決行した日から耐えがたい吐き気と頭痛に悩まされ、二週間目に入った頃には枕の上の抜け毛にゾッとした。献身的に見舞いに来てくれる千紗には申し訳ないが、すでに作り笑いすらしんどくなっている。


 三週間が経過し、ほとんどの腫瘍が消え失せたと報告された時には、俺の世界がモノクロに変わっていた。

 赤みが認識出来ないだけではなく、全ての色彩が失われてしまい、光の明暗のみを瞳に捉えている。

 料理は美味しそうに見えないし、大好きだった映画やゲームも最早苦痛にしか感じない。

 治療を始める前よりも辛い現実に、生きる意味さえ見失いかけていた。

 


錬次れんじくん、調子はどう?」


「あぁ、千紗ちゃん。

 今にも吐きそうで最悪の気分だから、早く終わって欲しいところだよ………って、一美ひとみ⁉︎」

 

「よかった。まだ目は見えてるみたいですね」

 


 色覚が無くなった事は、まだ医者にしか伝えられていない。だがそれを自覚した後で最初に病室を訪れたのは、千紗ではなく一美だった。

 彼女には病気の事実さえ伝えていないし、もう一ヶ月以上も、たまに来る連絡に当たり障りの無い返信を送っていただけ。

 その彼女が千紗を真似た口調で、今目の前に立っている。

 


「なんでここが分かった……?」

 

「だって錬次先輩、どう考えても様子がおかしかったです。

 だから悪い事だとは思ったんですが、実家に行っておばさんに確認しました。

 勝手な事をしてすみません」

 


 そう言えばこの子は、錬次の実家の場所も知ってるんだったな。

 そうまでしてわざわざ会いに来られるなら、もっと上手く誤魔化すべきだった。

 本当に何をやってるんだろうな俺は。

 


「そ、そんなに嫌だったんですか⁉︎ 

 それとも辛い思いさせちゃいましたか⁉︎」

 

「いや、違うんだ。もう君の肌や髪を見ても、どんな色をしているのか分からなくて……」

 


 そっけなく別れたあの時の彼女の顔も、決して本来の綺麗な色ではなかったのだろう。しかしあれが最後に見た彼女の鮮やかな姿で、もう二度とそこにだって戻れない。

 そう実感すると心が引き裂かれそうになり、溢れ出す涙が止められなかった。

 


「ごめんなさい。

 私、先輩の苦しみに何も気付いてあげられなかった。

 勝手に自分だけ幸せになるとか言ってましたし……」

 

「違うんだ。俺の方こそ心配かけてごめん。

 こんな事になるなら、もっと君の顔をたくさん見ておけば良かった。ちゃんと伝えておけば良かったんだ」

 


 泣き喚く俺の額に、一美の柔らかな感触が優しく触れる。

 包み込まれる腕の中でほんのり感じる香りは、紛れも無く懐かしい一美のそれだった。

 俺の情けない姿に居た堪れなくなったのだろうか。

 その懐を借りてただ泣き続けるしか出来ない男を、彼女は決して無闇に離そうとしなかった。

 


千智ちさととは上手くやれてるか?」

 

「過去のあなたじゃないですか。

 何よりも私の事を大切にしてくれますよ」

 

「そりゃそうか。

 あいつの昇格試験の結果も、そろそろ出た時期だよな?」

 

「はい、もう八月から社員になれるみたいです。

 慣れてきたら錬次にも報告しようって、千智くんが言ってました」

 

「順調に進んでるみたいだな。

 君達が幸せに暮らしてくれるなら、俺も報われるよ」

 

「せんぱい……」

 


 落ち着きを取り戻してからは、店の様子や二人について色々話を聞かせてもらった。

 俺の知る過去と変わった点も無く、余計な手出しをしなければ無事に結婚までの道を辿るだろう。

 妻であった一美も、こうして錬次の見舞いに来ていたのかも知れない。

 距離感を間違わなければ、浮気の原因にもならないはず。

 


「私、そろそろ行きますね。

 また会いに来てもいいですか?」

 

「構わないけど、千智を妬かせないようにしてくれよ。

 というか下手に心配されたくないし、俺に関しては黙っててほしい」

 

「わかりました。

 千智くんは仕事頑張ってますし、しばらく内緒にしておきますね」

 

「あぁ。頃合いを見て俺から報告するよ」

 

「はい。

 錬次くんも必ず幸せになって下さいね」

 


 また君付けが出た。

 さっきのは千紗のフリしたわけじゃないのか? 

 千智と同列に扱われてるんじゃないだろうな?

 


「俺には千紗ちゃんが居るから、要らぬ心配すんな。

 それよりもなんだよその呼び方は」

 

「だって、もう先輩じゃなくなっちゃいましたもん。

 いつまでも錬次先輩って言うの、おかしくないですか?」

 

「いつまで経とうが、人生の先輩に変わりは無いぞ!」

 


 恐らくこの先も彼女はちょいちょい見舞いに来るのだろう。

 だが今はお互いパートナーが居るし、変な気を起こしたりはしない。

 絶望に暮れていた俺を救ってくれた分、早く元気な姿を見せて恩返しをしてやるべきだ。

 そんな新たな決意も芽生え、明るい未来に希望を抱くのだった。

 

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