第47話 そのあたたかさに支えられて

 張り詰めていた気持ちが崩壊し、千紗ちさを見た瞬間に泣いてしまった俺は、落ち着いてから診断結果や手術の事を全て伝えた。

 彼女はみるみる青ざめていったが、すぐに気を持ち直していく。

 


「うちはね、その体はもうあなたのものだと思ってる。

 だけどどうしても決められないなら、二色にしきさんのご実家に行こうよ」

 

「実家に……?」

 

「そう。その体をくれたご両親に相談しよう。

 きっと前に進むキッカケになるよ!」

 


 去年の年末も少しだけ会いに行ったが、何も変わらずに迎え入れてくれた。

 あの優しい家族に話をすれば踏ん切りもつくかもしれない。

 万が一の事も考えて顔を見せておくべきだろう。

 


「そうしようかな。

 次の休みに一緒に来てくれる?」

 

「もちろん! うちも一緒に行くよ」

 


 それから店長に相談し、手術費用も貯めておきたかった俺は、この視覚でも出来る仕事を続けていた。

 タグを見れば色の種類も分かるので、品出しや検品、事務作業等は割とこなせた。

 藤田さんが産休で抜けた分、早番の人員として専念できたのも大きく、一美ひとみ千智ちさととあまりシフトが被らないのも気楽ではある。

 しかしこんなやり方もいつまで続けられるのか。

 


「おう錬次れんじ、最近早番の裏方ばっかりだな。

 社員になる為の事前準備か?」

 

「いや、俺はここでは社員にならないよ」

 

「ここではならない? 

 もしかして他のブランドでも行くのか?」

 

「まぁやりたい事が残っててな」

 

「マジかよ残念だなぁ。

 俺はそろそろ昇格試験受けるつもりだったんだよ。

 いい加減準社員を卒業したくてな」

 

「千智なら昇格出来るよ。俺が保証する」

 


 病気を宣告されて四日が過ぎた。

 梅雨入り目前にしてあいにくの雨となったこの日、約半年ぶりに二色家の最寄駅までやってきている。

 前もって家に行く事は伝えたが、理由については特に聞かれていない。二つ返事で了承された。

 


「少し緊張してきた」

 


 左手に傘を持ち、空いた右手は雨と手汗でだいぶ濡れている。そんな事はお構い無しに、千紗が優しく手を繋いでくれた。

 


「大丈夫。うちも一緒に居るよ」

 

「千紗ちゃん……。

 なんでそんなに完璧な奥さんみたいなの? 

 実は結婚歴でもある?」

 

「そういう冗談言えてる内は平気だね」

 


 彼女に励まされながら家の近くまで行くと、母親が玄関の外で待っている姿が目に入る。

 なんだか落ち着かない様子で周囲を見回していた。

 


「錬次! 千紗ちゃん! おかえりー」

 

「ご無沙汰してますお義母さん」

 

「ただいま母さん。

 でも千紗ちゃんにおかえりは変だろ」

 

「あんたは細かいわよ。

 さ、上がって上がって」

 


 まだ二回しか顔を合わせていないが、落ち着かないのを明るさで誤魔化しているのは分かる。本当に何も教えていないはずなのだが。

 相変わらず広々とした居間に通されると、先に父親がどっしりと構えていた。

 軽く挨拶を交わして畳に腰を下ろすと、早速母親の方から本題を切り出す。

 


「それで、何があったの錬次?」

 

「えっと、何かあったなんて言ったっけ?」

 

「お前の声を聞いてから母さんは毎日心配してたんだ。

 これ以上気を遣わすな」

 

「ごめん……。ありがとう二人とも」

 


 脳腫瘍ができてる事から処置としての手術のリスク。現状で色覚異常の症状があり、仕事にも支障が出ているなど、包み隠さず全てを両親に告白した。

 


「俺はこれ以上後遺症が残らない為にも、手術をするしかないと思ってる。

 失敗するリスクより、この先元気に生きられる可能性に賭けたいんだ」

 

「錬次、金の心配ならするな。

 念の為お前の癌保険にも以前から加入してある。

 もし二人での生活も困難になるなら、この家に戻って来ても良い。

 お前の部屋もあるんだから」

 

「父さん……本当にありがとう」

 


 その言葉だけで目が潤み、前がよく見えなくなっている。

 母さんは口を覆って絶句してるし、その分父さんが支えになろうとしてくれる。

 自分の両親じゃないと分かっていても、本物の親子の愛情が感じられて、胸がいっぱいになった。

 隣の千紗なんてポロポロと涙がこぼれ落ちている。

 


「あんたはもっと周りを頼りなさい。

 昔っからすぐひとりで抱え込むんだから」

 

「ごめん母さん。この性分は変わらないらしい」

 

「でもちゃんと相談してくれて良かった。

 手術の日程が決まったら教えなさいね」

 


 両親に背中を押されて、だいぶ前向きになる事が出来た。

 この体に傷を付ける後ろめたさも薄まり、絶望よりも生への渇望が湧き上がっている。

 もう迷っている場合ではない。

 


「そう。手術を受ける気になったのね」

 

「はい。仕事に復帰出来る目処もしばらく立たないので、非常に残念ですが辞職させて頂きます」

 

「私も残念だけど、二色くんの命が最重要だからね。

 一緒に働いたみんなにも最後に声だけ聞かせてあげて」

 


 実家に出向いた翌日には店長に辞める意思を伝え、残り数日の有給を使う日取りも整える。

 挨拶したいスタッフは大勢いるが、病気の事を知られればきっと一美は冷静ではいられなくなるだろう。

 詳しい話は口の固そうな数人だけにとどめておく。

 


「そっかぁ、やっぱ病気だったんだね二色くん。

 様子おかしかったもんねぇ」

 

「本当はもっと松本さんと仕事したかったですけど、生死に関わる問題なので泣く泣く決断しました」

 

「寂しくなるなぁ。でも死んだらあかんよ? 

 岸田さん後追いしかねないレベルでベタ惚れしてんだから」

 

「そうですね。

 千紗ちゃんの為にも絶対完治させて、いずれ俺の嫁さんにしますよ!」

 

「うんうんその意気だぁ! 

 あたしの異動とかまだ先だろうし、元気になったら遊びにおいで!

 ついでに飲みに行こうぜぃ!」

 

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