第46話 打ちひしがれて見失う光と彩

二色にしきさん。

 精密検査の結果、水晶体や網膜の異常は見つかりませんでした。

 眼は健康です」

 

「異常無しですか⁉︎ 

 じゃあ疲れ目とかですかね?」

 

「すぐに総合病院で検査をされるべきかと」

 

「総合病院ですか? 眼の不調なのに?」

 


 眼科での検査は入念に行われ、結果が出るまでに二時間以上を要した。

 しかしここでは問題点が何も判明せず、不具合の自覚がある俺としては腑に落ちない。

 更に複数の科が揃う総合病院への受診を勧められ、わけが分からず困惑している。

 


「色覚異常は眼球以外にも、心因性や脳の病でも起こります」

 

「そんなに原因が色々あるんですか」

 

「可能性はいくらでも存在します。

 極度のストレスによる精神的な視力の阻害なら、悩みを解決する事で治りますが、主に十代前半までの若い患者さんが多いです。

 二色さんの場合は脳梗塞や脳腫瘍の疑いが強いと考えられます」

 

「ちょっ、あんまり脅かさないで下さいよ……」

 

「脅しでは無く事実です。

 早急にMRIで検査すべきです」

 


 突然の宣告に胸のざわめきが収まらないまま診察室を出ると、連絡を見て駆けつけた千紗ちさが待合室で座っていた。

 彼女を目にして多少はホッとするが、この結果をどうやって説明すれば良いのか分からない。

 


「どうだった? 眼の病気とかなの?」

 

「いや、眼は正常だったよ……」

 

「眼は?

 もしかして、他のところに病気があるってこと?」

 

「そうらしい。

 検査でも赤系が認識し辛いのは確かなのに、眼球は問題無いんだ。

 心因性か脳の病気を疑われたよ」

 


 眼科を後にした俺達は、家に帰ってもあまり会話が進まなかった。

 新しい仕事で忙しくしている彼女も、俺の前ではいつも明るい姿を見せてくれる。

 しかしこの時ばかりは笑顔など見せられないのだろう。

 ようやく環境の変化にも追い付き始めたというのに、また新たな問題が浮上してくるなんて。

 翌日に休みをもらう連絡を店に入れ、ベッドの上で頭を抱えていると、千紗が寝室に入ってきた。

 暗い顔で歩いてきた彼女は隣に腰を下ろし、体を震わせながら俺に抱きついてくる。

 


「うち、分かっちゃったかも……」

 

「え? なにが?」

 

「もうすぐ六月だよ。

 未来の錬次れんじくんが転職する時期……」

 


 そういえばそうだった。

 俺はなんとしても大杉店に残るって決意をしていたんだ。

 


「本当は転職じゃなくて、病気で続けられなくなったんじゃないかな?」

 

「いやでも、錬次は少し体弱いところあったけど、大きな病気をしてるようには見えなかったよ?」

 

「だってあなた、今でも壱谷いちたにさんや一美ひとみちゃんの前では強がるでしょ? 

 二人には心配かけないようにって頑張るじゃない」

 

「俺も気遣われてたってわけか……」

 


 途端に虚しさを感じ始める。

 自分ですらその可能性に気付けなかったのに、彼女は俺から聞いた話をちゃんと覚えていて、状況から関連性をいち早く見付け出す。

 俺以上に俺の事を考えてくれる彼女に、またしても負担を強いてしまうのだろうか。

 しがみつく彼女を優しく腕に抱き、感謝を込めてキスをした。

 

 翌日。

 心配そうな顔で出勤する千紗を見送り、総合病院へと向かった。

 症状と眼科での検査結果を預けると、案内されたのはやはり脳神経外科。

 眼科医の見解と同じなのだろう。

 


「二色さん、これが先程のMRIで撮影した画像です」

 


 二十分程かけて撮られた二色錬次の脳みその写真。

 元の健康体ではこんなものを撮影した事がないので、比較も出来なければ特異性なんて分からない。

 小さな頭蓋骨の中にしっかり詰まっているようには見える。

 そして小さな白い点もあった。

 


「後頭部に当たるこの部分。ここが色を認識する場所です。

 そしてこちらが免疫機能を正常化させる部位です。

 この二箇所に小さな影があるのはお分かりですか?」

 

「はい、見えます……」

 

「これらは腫瘍です。

 現段階で他に転移は見られませんが、放置すれば色覚異常は更に進行するでしょう」

 

「脳腫瘍って事ですか?」

 

「はい。二色さんは脳腫瘍によって、後天性色覚異常をきたしております。

 この大きさなら広がる前に摘出手術となります」

 


 かつてない衝撃だった。

 自分がそんな大病を患うことになるなんて。

 若い方が腫瘍の進行は早いと聞くし、脳が侵されれば命なんて容易く持っていかれるだろう。

 


「手術にリスクは無いんですか?」

 

「リスクは当然あります。

 特に脳にメスを入れるというのは、簡単に決断出来るものではありません。

 しかし抗がん剤では時間が掛かり、脳機能の欠損も大きくなります。

 出来る限り早急に、尚且つ体への負担を考えると、現状では手術が一番リスクが少ないんです」

 

「………少し考える時間を下さい」

 


 出来るだけ早くに決断するよう警告されたが、こんなものすぐに決められるはずがない。

 俺にはやらなきゃいけない事がたくさん残されているし、何より今の体は借り物みたいなものだ。

 簡単に脳みそを削らせて、障害でも残れば大問題になる。

 今働けなくなれば千紗を守れないし、見据えていた将来も叶わない。

 


「俺はどうしたらいいんだ………」

 


 家に帰っても自室で一人悩み続けていた。

 突然鳴り出した電話に顔を上げると、窓の外は日が暮れ始めている。

 着信相手は仕事を終えた千紗だった。

 


「もしもし。千紗ちゃんお疲れさま」

 

「あ、うん。

 錬次くんは病院行ってどうだった?」

 

「全部はっきりしたよ。

 帰ってきたら詳しく話すね」

 

「………うん。わかった」

 


 きっと彼女の今の反応は何かを察している。

 でも俺と錬次二人の人生に関わるような話し、電話では説明し切れない。

 四十分ぐらいで帰って来た彼女は、酷く慌てた様子だった。

 そして愛する彼女の顔を見た瞬間、胸がギュッっと締め付けられる。

 


「錬次くん⁉︎」

 

「千紗ちゃん……俺、もう疲れた………」

 


 途中まで近付いて行った脚は膝から下が崩れ落ち、真っ直ぐ彼女に向ける両目からは大粒の涙がこぼれ落ちた。

 玄関から駆け寄って来た彼女は、少し汗ばんでいるのにとても安らぐ香りがする。

 何も言わずに抱きしめられ、ただただ涙を流し続けていた。

 

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