第43話 またしてもぶり返される不穏な色

 千紗ちさとの旅行を終えて仕事に復帰すると、店ではすでに年末商戦の準備が開始されていた。

 普段より一週間ほど早く新作の在庫が積まれ、パンク寸前のバックルームからは次々に売り場へと品出しされていく。

 多少雑に並べても全て白百合さゆりの手で完璧に仕上がるので、この時ばかりは奴に全力で感謝した。

 


二色にしきさん。

 そんなペースで品出しするなら、レジ業務にでも専念して下さい」

 

「すみません浜倉さん! 

 もっと精進します!」

 

「いや気持ち悪いんですけど」

 

「アッハハハハハ! 

 錬次れんじ先輩が白百合くんに怒られてる!」

 

「やかましいぞ一美ひとみ! 

 自分の業務に集中しろ!」

 

「私もう自分の分担終わったので、手伝いに来たんですよ」

 

「マジかよごめん……」

 


 順調に後輩達が成長する中、何故か俺はスタミナ切れが激しくなっていて、休暇明けだというのに一番へばっている。

 元々一気に集中するより、こまめに積み重ねる方が得意だったのだが、ここまで足を引っ張るような事はなかった。

 身体が全く思うように動かない。

 


「あれ? ちょっと失礼しますよ先輩」

 

「ふぁっ⁉︎」

 


 突然一美がひんやりとした手で前髪をかき上げ、そっと額にかざしてきた。

 もう片方の手は自分のおでこに当てている。

 


「先輩、やっぱり熱ありますよ」

 

「なに? 

 俺は二日前まで休みもらってたんだぞ?」

 

「それで調子狂っちゃったんじゃないですか? 

 とりあえず休憩室で体温測ってきて下さい」

 


 渋々休憩室に向かうと、手前で篠崎店長に鉢合わせてしまった。

 この状況下でいきなり店長との対面は、中々に気まずい。

 


「あら二色くん。これから休憩かしら?」

 

「いえ、三隅みすみさんに熱があると疑われまして」

 

「言われてみると多少眼が充血してるわね。

 こっちにいらっしゃい」

 


 店長に促されるまま休憩室に入り、奥のベッドに寝かされる。

 手渡された体温計を脇に挟み五分間じっとしていると、計測完了の甲高い合図が脳内に鋭く響いた。

 


「三十九度を超えてるじゃない。

 今日は早退して、可能なら病院に行きなさい」

 

「申し訳ありません店長。

 有給使ったばかりなのに」

 

「気にしなくていいわ。

 それまでたくさん働いてた分、リズムが崩れてしまう場合もあるもの」

 


 これ以上店に居てもお荷物になるだけなので、大人しく帰るのが得策だろう。

 店長の厚意で少し休ませてもらった後、ふらふらとベッドを降りて帰り支度をした。

 


「先輩、大丈夫ですか? 

 ひとりで帰れます?」

 

「なんで君が心配そうな顔してんだよ。

 俺が欠けた分、負担を増やしちゃって悪いな」

 

「そんなのはいいですよ。

 千智ちさとくん呼びましょうか? 

 一緒に帰った方が安全ですし」

 


 売り場を抜けて帰ろうとする途中、駆け寄って来た一美の様子は本当に神経質になっている。

 その心遣いは出来れば千智だけに向けて欲しいのだが、嬉しくないと言えば嘘になる。

 


「大丈夫、一人で帰れるよ。

 千智はせっかくの休日なんだから、好きに使わせてやってくれ」

 

「先輩がそう言うなら……。

 もし困った事があれば、すぐに連絡下さいね」

 


 落ち着きの無い一美の頭を撫で、おぼつかない足でその場を後にした。

 十二月も終盤なので乾燥した風が冷たく、駅までの数分の道のりでも身体が芯まで凍えてくる。

 ようやく自宅に着いた時には、仕事中より何倍もしんどくなっていた。

 上着も脱がずにベッドへと倒れ込み、気が遠くなる感覚にも抗えない。

 


「あ、錬次くん起きたんだね」

 

「……あれ? 千紗ちゃん?」

 


 重いまぶたをゆっくり開けると、寝室には千紗とハンガーに掛けられた上着が目に入り、前額部には冷たいタオルが乗せられていた。

 状況から察するに看病しに来てくれたらしい。

 


「一美ちゃんから連絡が来たんだよ。

 すごく心配してた」

 

「わざわざありがとう。

 さっきよりは楽になったよ」

 

「よかった。

 今日はもう遅いから、明日病院行こうね。

 今夜はうちが面倒見てあげるから」

 


 至れり尽くせりで申し訳なくなるが、遠慮する余裕も無かったので甘える事にした。

 それから三十分もしない内に突然インターホンが鳴り、千紗が応対しに部屋を出る。

 


「先輩、調子はどうですか⁉︎」

 


 次に寝室に上がってきたのは、買い物袋を下げて慌てた様子の一美だった。

 どうやらお見舞いでも持ってきてくれたと見える。

 


「なんで一美まで……。

 君の家は逆方向だろ」

 

「だって先輩の後ろ姿見たらすごく辛そうだったから……

 心配で居ても立ってもいられなかったんですよ」

 

「でも千智が知ったら不安になるぞ?」

 

「だから千智くんには言いません!」

 

「おい……」

 


 せっかく二人が付き合いだしたのに、こんな理由で溝を作らせるわけにはいかないのだが。

 しかし一美の表情は謎の決意に満ちていて、口を出そうにも付け入る隙が見当たらない。

 上手く帰らせる口実はないかと考えていると、千紗が奥から注意を促した。

 


「一美ちゃん。

 錬次くんが心配なのは分かるけど、彼だってあなたの事が心配なんだよ? 

 夜に一人で帰らなきゃならないし、壱谷いちたにさんとの関係が悪くなっても困るんだから」

 


 それを聞いた一美は気まずそうに俯いてしまう。いや一番気まずいのは、この状況の原因になってしまっている俺なんだが。

 


「それは理解出来るけど、先輩が苦しんでるのに何もしてあげられなかったら、そんな自分はすごく嫌で………」

 


 何かがおかしい。

 彼女の言い分は友人や同僚どころか、妹に置き換えても不自然に思える。

 恋人目線ならしっくりくるが……。

 


「一美、俺と千智が別人だって言ったのは君だろ?

 千智が倒れた時にそうやって心配してやればいいんだ。

 どうせただの風邪だし、今夜は千紗ちゃんも居てくれるから大丈夫。

 安心して家に帰りな」

 

「……はい。ちゃんと病院行って下さいね」

 


 だいぶ複雑な面持ちだったが、なんとか聞き分けた一美は、栄養ドリンクやゼリーを置いて帰っていった。

 少し可哀想な気もしたが、彼女が妙な愛情に芽生えてしまえば、本気で抗うのは容易では無い。それこそ将来の浮気が現実味を帯びてしまう。

 


「さっきの一美ちゃん、本気の目だったね……」

 

「なんでこんな事になったんだろう? 

 千智と上手くいってないのかな?」

 

「逆だと思うよ。

 壱谷さんに対する好意が強まってるから、あなたへの感情と混同し始めてる気がする。

 あの子はずっと前から二人を見比べて、同じ特徴をたくさん知ってるんだから」

 


 なるほど。俺が一美に妻の影を見るように、一美もまた俺を見ながら千智の姿を重ねてしまうのか。

 探そうとしなくても不意に被ってしまうその感覚は、痛いほどよく分かる。

 

 翌朝、千紗が大学に行くタイミングで俺は病院へと向かい、診察結果はやはり風邪らしい。若干栄養不足を疑われ、念のため点滴も打たれてから家路へと着いた。

 熱もだいぶ引いて動けるくらいにはなったが、千紗の言いつけなので今日は仕事を休む。

 仕事はもちろん大事だが、一美の対策も何か考えなくては。

 

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