第34話 激昂にも止まぬ歯車の輪舞

 先程の不穏な音を聞き付けたスタッフ達が、事故現場へと一斉に駆け付けてくる。

 その中には遠くまで重たい棚を何枚も運んでいた千智ちさとも居るが、その場の様子を見て苦い表情を隠せていない。

 松本さんが千紗ちさそばに駆け寄り、怪我の具合を見ながら申し訳なさそうにしている。

 


「ごめんね岸田さん。

 あたしが監督役としてもっとしっかりしていれば……」

 

「いえ、そんな事ないです。

 うちの不注意なので」

 


 大きな怪我ではないと判断したのか、松本さんは周りのスタッフ達に作業に戻るよう促した。

 すぐに周辺の景色が広くなり、その場を離れないのは白百合さゆり一美ひとみと俺だけ。

 普段から無表情な白百合も、この時ばかりは血相を変えて体を震わせている。

 


「千紗さん……、ごめんなさい。

 僕のせいで……」

 

「気にしないで白百合くん。

 君のせいじゃないよ」

 

「でも僕が四本もまとめて持ったから……」

 


 その言葉を聞いた瞬間、自分の中で何かが弾け飛んだ。


 やっぱりお前が千紗に心配かけたからか。

 無茶したお前に巻き込まれて千紗が怪我をしたのか。

 千紗は知ってたって放っておくわけないじゃないか。

 こいつのせいで千紗が同じ運命を……!

 


「何してんだよお前は‼︎」

 


 気付いた時には白百合の胸ぐらを強引に掴んでいた。

 俺自身の落ち度などすっ飛ばして、ただ千紗にとってのお荷物にしかならないこいつが許せなかった。

 


「他人に仕事押し付けるよりもな、身の程もわきまえないで馬鹿やらかす方がよっぽど迷惑なんだよ‼︎」

 

「ご、ごめんなさい」

 

「ふざけんな‼︎ 

 なんでお前のせいで千紗が痛い思いしなくちゃならねぇんだよ‼︎ 

 謝って済む問題じゃねぇ‼︎」

 


 こいつの綺麗な顔面がどれだけ恐怖にゆがもうと知った事じゃない。

 首を吊る勢いでえりを持ち上げ、感情のままに怒鳴り散らした。

 


「やめて錬次れんじくん‼︎」

 


 千紗の叫び声は辺りの作業音よりも耳に入り易い。その声に理性を少しだけ取り戻した俺は、背後から一美がしがみついている事にもようやく気が付いた。

 松本さんは千紗の具合を見るはずが、こちらに驚いて目を見開いている。

 


「落ち着いて下さい先輩! 

 白百合くんも怯えてます!」

 

「悪いな一美。

 すぐには落ち着けそうもない」

 


 腕の力は多少抜けても、服を握る指からは一向に怒りが離れていかない。目の下が痙攣するほど表情筋が張り詰めているが、最早自分では緩める事が出来なくなっていた。

 


「錬次くん待って、その子は頑張ってただけなんだよ」

 

「頑張って君に怪我させるなら無駄な努力だ」

 

「だから違うの! 

 白百合くんが落としそうになったのが見えて、うちが勝手に手を出しただけなの!」

 

「だったら危ない橋を渡ろうとしたこいつは尚更悪い!」

 


 その瞬間、横面よこつらに強い衝撃が走った。

 


「なにすんだ一美」

 

「いい加減にして下さい先輩。

 らしくないですよ」

 


 真顔になった一美に、左頬を叩かれたらしい。いつの間に正面に回っていたのかすら気が付かなかった。

 再度熱が入り始めた気持ちも、なんとか鎮められていく。

 少しずつ冷静になり始めたところで、松本さんの言葉が聞こえてきた。

 


二色にしきくん、とりあえず今は岸田さんの手当てを優先しようか。

 手を貸してもらえるかい」

 

「俺一人で大丈夫です」

 


 自分で歩こうとする千紗を止め、両腕でその軽い身体を抱き上げる。

 若干怖がる彼女は首の後ろに手を回すが、頬はほんのり赤く染まっていた。

 


「錬次くん、これはさすがに恥ずかしいよ」

 

「ごめん。

 よく考えたら俺のせいだし、これぐらいさせてくれ」

 

「ううん、本当にうちの不注意なんだよ。

 でも危ないって思ったら体が動いちゃって……」

 


 休憩室まで移動する間に聞いた話しによると、残っていた資材をまとめて運ぼうとした白百合が、運び終えて戻った千紗の近くでよろめき、それを一度は手で支えた。しかしそのままバランスを崩して、手から落ちた金属が脚にぶつかったらしい。

 その経緯を詳しく知らなかった俺に、回避する為の助言など出来るはずもなかったわけだ。というか最後の俺の見込みの甘さが元凶じゃないか。

 彼女を椅子に座らせ、救急箱を持ってきた松本さんが手当てをしていると、白百合と一美も部屋に入ってくる。

 気まずい様子の白百合に対し、何故か一美の方が怯えた表情をしていた。

 


「どうしたんだよ一美。そんな顔して」

 

「先輩、もう怒ってないですか?」

 

「君には一度も怒ったりしてないけど」

 

「でもさっきの顔、すごく怖かったです……」

 


 俺を引っ叩いた時の彼女は本当に凛とした顔をしていたが、相当腹をくくって止めに入ったのだろう。あれだけ取り乱した成人男性に対して、恐怖心無くビンタなんて出来るはずがない。

 


「ごめんな一美、怖い思いさせちゃって。

 あと浜倉もすまん。

 カッとなってやり過ぎたし、言い方もまずかった」

 


 白百合は目を丸くして、信じられないといった様子だ。

 


「でも二色さんの言う通りです。

 僕が迷惑かけました」

 

「押し付けるなって言われれば、自分一人でやりたくなるのも無理はないからさ。協力してやるように伝えなかった俺にも原因はあるんだ。

 だからごめん」

 


 真剣な顔で話を聞いていた白百合は、深々と頭を下げ始める。

 


「本当にごめんなさい。

 少しでも役に立ちたかったんですが、その結果千紗さんに怪我をさせてしまいました。

 もう出来もしない事をやったりしません」

 


 その姿を見た休憩室内の全員が、穏やかに微笑んでいた。

 翌日に病院へ行った千紗の診断結果は打撲と捻挫で、全治二週間程度の軽症だった。

 大事に至らなくてひとまず安心したが、新たに判明した不安要素もある。

 俺が過去を変えようと動いたところで、それを含めた結果が今回の事故だったようにも思えるのだ。

 だとすれば確実に別の行動を起こせるのは千智だけになる。唯一主観を知っている千智なら変えられるものもあるはずだが、客観視点しか知らない錬次では、それが結末を変える行動なのかさえ分からない。

 千智に影響を与えるということは必然的に将来のり方が変わる事になるが、今回のように大切な人を傷付けない為には、致し方ない事なのかもしれない。

 

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