第30話 柔軟な発想は時として理解し難い
「お魚を見に行きたいです!」
「なに? 明日の晩飯の食材でも探すの?」
「
「え、なにが?」
突拍子も無い一言が飛んできた。
その夜は
その苦悩に小一時間寄り添い、だいぶ千紗も落ち着いてきたタイミングでの謎発言。
一美の思考回路は一切読めん。
「食べるお魚じゃなくて、水族館に行きたいんです!」
「テレビで海の映像でも観たのか?」
「錬次先輩惜しい!
テレビでイルカショーを観ました!」
「あのなぁ一美、イルカってのは魚類じゃなくて哺乳類……」
「そしたら大きな水槽を自由に泳ぐお魚も見たいなぁって思いまして、こうして提案させて頂いてる次第です!」
「………さいですか」
気持ちは分からなくもないけど、イルカを見に行きたいって言ってくれれば余計な問答もなかったのに。
水族館か。まだ千紗とも行った事ないけど、最後に行ったのはいつだったかな?
「先輩と千紗ちゃんの予定はいかがですか?
あ、もちろん
「四人で遊びに行くのは初めてだね。
うちは六月以降なら都合付けられると思うよ」
四人で水族館⁉︎
そのイベントを俺は知っているぞ。
割と良い思い出だったと記憶しているし、回避せねばならない理由も無い。
「良いんじゃないか。
六月なら店も
「という事は思い出したんだね。
六月に行ったって」
酔っ払ってても千紗の悟り能力は衰えないのか……。
「じゃあ決まりですね!
千智先輩には私から聞いておきます」
「あーそれなんだが、当日は
「どういうこと?
うちらが付き合ってるのは
「あくまで友人同士の男女ペアって事にするんだよ。
完全に別行動するわけでもないし、一美も特に問題無いだろ?」
こちらからの問いかけに、一美は体を縮めて若干頬を染めている。
いつの間にか千智を男として見始めたのだろうか。
「ダ、Wデートって事は、私が千智先輩とですか?」
「そりゃそうだ。
彼女は譲れんが妹なら差し出そう」
「むぅ。でも二人っきりは少し緊張します……」
最近職場ではだいぶ
一美に正体を知られてそろそろ五ヶ月になるが、余計な手出しをしなくても上手くやっていけるのが分かった。
しかしキッカケくらいは作ってやらないと、ヘタレな過去の俺は行動を起こさない。
「大丈夫だよ一美ちゃん。
うちらも近くに居るし、壱谷さんもきっと喜んでくれるから」
「……私と一緒だと嬉しくなりますか?」
なんで上目遣いでこっち見んだよ。
あぁ、壱谷さんってある意味俺の事じゃん。
「それは君ら次第だよ。
でも今の千智だってたぶん嬉しいから安心しろ」
昔の自分の話ではあるが、やっぱり恥ずかしくなって一美と目を合わせにくい。酒も入ってるせいかじんわりと汗まで滲んでくる。
なんで一美相手に身体が強張ってんだか。
「イジワルですね先輩!
自分の気持ちくらいちゃんと教えてくれてもいいのに」
「今は他人事だからな」
「なんか錬次くん、最近一美ちゃんの扱いが雑だよね」
「まぁこれまで猫被ってたのは否定出来ない」
ほぼ全ての事情がバレた上に、妻よりも友人や妹としての側面が強まった今となっては、言葉選びも楽になり必然的に素も出てくる。しかしそれはお互い様であり、彼女達との包み隠さず意思を示せる距離感というのは、これまでの景色に新たな路線を敷いて走らされている感覚だ。
つまり見た目は同じでも歩幅や歩き方が変われば、それなりに変わるものもある。
変えてはいけないのは過去の俺である千智だけだ。
「よく分からないけど分かりました!
先輩はようやく心を開いてくれたって事ですね!」
「端的に言えばそうなるな。
当日は俺らもフォロー入れるし、とりあえず物は試しだと思ってさ」
「嫌がられないならそれでいいです。
私明日早いのでそろそろ失礼しますね!」
慌ただしく荷物を背負った一美を見送り、計画も順調に進められそうでホッと胸を撫で下ろす。
しかし横に居る千紗は何か不思議なものを見る目で俺に視線を向けていた。
「千紗ちゃんどうかした?」
「うーん、さっきの提案ってどっちの為?
一美ちゃん達? うちら?」
「あぁ、あれは千智を動かす意味合いが大きいよ。
こうしてお膳立てしないと進展無いからね」
「そっか。
受け身なのは今も昔も変わらないんだね」
それは暗に今でもヘタレだと言われているような……。
それにしても今日の彼女は少し挑発的だ。酔ってて潤んだ瞳が物欲しそうに見えるのもあるが、少しはだけた恰好で前傾姿勢を取られると、さすがに目線も胸元付近を
「ま、まぁ奥手なのは認めるよ」
「そうだよねぇ、結構ムッツリしてるよねー」
「……白百合の件、まだ怒ってる?」
「え、それはあんまり気にしてないよ!」
一美と違ってあまり人をからかったりしない彼女が、いつもと少し違って見える。
別に嫌な気はしないが、これも俺達の歩く道が変わった産物なのだろうか。
いやしかし胸がエロいって。
「君の中での憧れ像は崩れたりしてないか?」
「錬次くんの印象が悪くなってないかってこと?」
「他に憧れの人がいるの?」
「いないね。
今でも錬次くんだけが特別に見えるよ」
気を抜き過ぎて呆れられてるかと内心ヒヤヒヤしてた。
「あなたは自分の為みたいに言うけど、いつも誰かの幸せを願ってる。
お店で働いてる時も、プライベートでも」
「そこまでお人好しじゃないけどな」
「うちは本気でそう思ってるよ。
大切な人を想って必死に考えたり少しだけ手を貸したり。
そんな姿に惹かれてしまったんだから、もう仕方が無いよね」
こちらに来てから振り回されてばかりで、それらを忘れたいが故に仕事には真面目に取り組んできた。しかし彼女の中ではそれに限った話でもないらしい。とりあえず一安心だ。
「ありがとう千紗ちゃん。
眠そうだし家まで送っていくよ」
結論から言うと、その夜は千紗の家に泊まった。
相当疲れが溜まってたらしく、部屋に着いた時には半分寝ているほど。
彼女をベッドに運んでそのまま帰るつもりだったのだが、甘えた声で添い寝を要求されては理性がひとたまりもない。自分の気持ちに正直になり、隣に潜り込んで熟睡した。
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