第29話 ただ見ていただけだからね

 浜倉白百合はまくらさゆりの襲来から二週間。

 ちょうどGWゴールデンウィークも明けたばかりの今日、秘密裏に行われていた奴の導入研修も遂に終わりを告げる。

 憂鬱な気分で業務をこなし休憩を取ろうとしていたのだが、向かう先の休憩室から悲痛な嘆きが聞こえてきた。

 


「店長、どうしたらいいんですか彼は?

 なんであんなに扱いに困る子を採用したんですか⁉︎ 

 見た目ですか! 外見ルックスが良いからですか⁉︎」

 

「まぁこの業界じゃ外見も大事な要素だけどね、それだけじゃないよ。

 彼のスキルは、この店の宝になる見込みがあるよ」

 


 面接時に何やったんだ白百合は?

 というかそれを考慮しても接客業には向かないだろ。

 矢野さん、あんたの思考は至極真っ当だ。もっと言ってやれ。

 そのままあいつを追い払ってくれ。

 


「確かに服畳むのは早くて綺麗だし、ハンギングも教える事が無いぐらいに手慣れてます。

 でもそれ以外はさっぱりですし、そもそも意思の疎通が難しいんですよ!」

 


 そうだそうだ。教える身にもなってみろ。

 


「あ、そこに居たのか二色にしき! 

 お前もそう思うだろ⁉︎」

 

「え、いやぁ、俺浜倉くんとあんまり関わり無いんで……」

 


 言えるわけないだろ。店長が見込んだ人材にケチ付けるような事。どうせ言ったところで何も変わらないんだし。

 あらかさまに目を逸らした俺の腕を、不服そうな矢野さんががっしりと掴んだ。

 


「ならこっちに来い! 見せてやる!」

 

「ちょ、これから休憩なんですけど」

 

「ズラしていい。これも仕事の一環だ!」

 


 強引に売り場まで引きずり出され、一部分が異様に綺麗な売り場とすぐ横のご婦人集団を見るように指示される。その中心地には黙々と服を畳む白百合の姿があった。

 


「後輩の覗き見のどこが仕事なんすか……」

 

「他のスタッフの働きを見るのも大事だ」

 

「だったらわざわざ隠れなくても……」

 

「見付かったら困るんだよ! 俺が!」

 


 言い分はめちゃくちゃだが、気持ちはまぁ分かる。

 高い商品棚の影から覗いたその売り場は、白百合が移動した距離だけ完璧に仕上がっていく。早くて丁寧なその畳む姿に、お客さんはまるで大道芸でも見物しているかのように目を輝かせていた。恐らく白百合本人に釘付けの人が大半なのだが。

 


「すごいわねぇ! 

 可愛い見た目でテキパキ動いて」

 

「ありがとうございます」

 

「あなた若いのにお洋服屋さんのベテランなの?」

 

「家事で慣れました」

 

「まぁすごい! 

 あなたなら良いお嫁さんになれるわね!」

 

「僕男です」

 


 会話をしながらも手を止める事なく作業に没頭している。

 しかし側から見ればただの冷やかしと、接客をなかば放棄している店員のやり取りだ。良い客寄せパフォーマンスにはなっても、あのまま会話が終われば売り上げには繋がらない。

 なんとか状況を転換させたいのだが、あの場だけ変な空気が漂ってるし、白百合への説明は非常に面倒なのだ。

 出て行こうにも足が進まない俺と、繰り返し接客文句を仕込んだのに、まるで身に付いていない様子に悔しさを滲ませる矢野さんは、ただただ覗き見を継続している。

 そこへ慌てて割り込んだのは千紗ちさだった。

 


「お、お客様。何かお探しでしょうか?」

 

「あらやだ忘れてたわぁ。

 この前雑誌に載ってたスカートを探しに来たのよ」

 

「それでしたら在庫を確認して参りますので、少々こちらでお待ち頂けますか?」

 

「………?」

 

「ほら、浜倉さんも一緒に来て下さいね」

 


 会話の流れに置いて行かれた白百合は黙って見ていたが、若干引き攣った笑顔を作る千紗の誘導に従い、自らで築いた砦を離れて別の場所へと移動する。

 


「え、何あれ? 

 岸田さんどうするつもりなんだ?」

 

「いいから追いますよ。

 彼女ならきっと上手くやりますから」

 


 普段は堂々として熱い持論を展開する矢野さんも、この時ばかりは挙動不審な子どものように思えた。

 とりあえずストーカーの要領で二人を尾行していくと、先程のお客様が探していたスカート売り場まで辿り着く。

 


「浜倉くん、売り場を綺麗にするだけがこの仕事じゃないの」

 

「でも次の指示もらってないです」

 

「分からない事は聞いてって最初に言ったでしょ。

 困ったら他のスタッフに頼るよう教えられなかった?」

 

「教えられました」

 

「そしたら自分で考えて動くのも大事だよ。

 あのまま見せ物みたいになってていいの?」

 

「……イヤです」

 


 淡々と基本的な事を説明しているが、その声や表情はしっかりと相手に寄り添っていた。

 白百合は相変わらず無表情ながらも、少しずつ結び目がほどけていくみたいに距離を近付けていく。

 そんな二人を眺めている俺は、嫉妬よりも千紗の先輩ぶりに誇らしさを覚えていた。

 


「じゃあ一緒に接客するところから始めよっか。

 多分この商品が探し物だから、持って行って確認しよう」

 

「確認したらどうするんですか?」

 

「合ってればこの売り場までご案内するよ。

 あとはレジの場所とかお伝えして、離れた所で様子を見てあげて」

 

「分かりました。

 ありがとうございます岸田さん」

 


 その後お手本通りの接客を見せた千紗に、白百合からも教えを乞う姿が目に付くようになった。もちろんその日のみならず三日後にも一週間後にも、他のスタッフになど目もくれずに千紗だけを頼り続ける。

 五月が終わろうとしている頃には、その光景に疑問を抱くスタッフもいなくなっていた。

 


「それで、一部始終見ていて何もしなかったんだ」

 

「ごめんて千紗ちゃん。

 感心した矢野さんに付き合わされて、その後も話しに付き合わされたんだよ」

 

「まずその前にちゃんと助けに入っていれば、うちじゃなくてあなたが懐かれてたんじゃない?」

 

「それはそれで困る……」

 


 それからと言うもの、日を追うごとに千紗からの風当たりが強くなっているのも無理はない。白百合とシフトが被る度に付き纏われて、面倒見の良い千紗もさすがに疲れているのだろう。

 しかしあの一件だけでそこまで心を開けるものか?

 


「おはようございまーす」

 

「あ、千紗さんおはようございます」

 

「いや待て待て。挨拶してんの俺だから。

 俺をスルーして後ろに居る人に挨拶するってどういう了見よ?」

 

「……二色さんもおはようございます」

 

「んな嫌そうな顔で言うなよ浜倉。

 結構傷付くぞ」

 


 ある意味愉快で不愉快な新メンバーも加わり、徐々に蒸し暑苦しい季節を迎えようとしている。

 恒例の新人歓迎会も控えているが、その前に少しだけ楽しみなイベントが俺にはある。

 それは数日前の一美ひとみの思い付きから始まった。

 

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