第25話 瞳の中の虹や灰は掴めない

 知らなかった。もちろん錬次れんじ一美ひとみが出逢った当初なんて、俺には知るよしもないのだが、一美にそんな臆病な一面があったとは。

 元気の良い一美は錬次によって作られたわけだが、本人も無自覚の内に他人に好かれるすべとして身に付けたとも思える。むしろ根本が臆病で慎重だからこそ、表向きと本来の目的を使い分けて動いてる姿にしっくりくるのだ。


 喧騒に包まれる遊園地の中、ベンチに腰掛けて聞いた昔話は、俺達だけに特別な景色を見せていた。

 一美と錬次の心を思うと切なくもなるが、遠い昔の記憶をありありと語る一美の様相が眼に映れば、物理的に胸が苦しくなってくる。きっとこの体が強く反応し、何か訴えているに違いない。

 ふと隣に視線をやると、千紗ちさは寂しげな表情で目を潤ませていた。

 


「一美ちゃんにとって二色にしきさんは本当にかけがえのない人だったんだね。

 きっと二色さんにとっても……」

 

「私の人生に彩りをくれた恩人であり、忘れられない初恋の人です」

 


 その言葉は俺の全神経にズシンと響く。

 俺にとっては浮気相手であり、不本意ながらも今は体を借りている身。

 一美との間に埋まらない溝がある事を改めて思い知らされるのだ。

 


「俺としても錬次に会わせてやりたいんだが、過去を聞いても手掛かりや原因は分からなかった。

 力になれなくてすまん」

 


 こうして出た謝罪すらもを持たせる手段の一つに過ぎず、まるで感情が入っていかない。空虚な謝罪文句に時間を費やすくらいなら、慰めの言葉でも並べた方がまだ救いがあるのに。

 


「それは仕方ないですよ。

 千智ちさと先輩も好きでそうなってるわけじゃないんですから」

 

「………え? 今、なんて?」

 

「あなたは五年後を生きていた千智先輩ですよね?」

 


 ちょっと待て。俺は自分の正体についてヒントすら与えないよう、発言に細心の注意を払っていた。ましてやピンポイントに千智の名前が出る流れではない。

 苦笑しながらも答えを言い当てた一美は、俺の違和感についさっき気付いたのではないのか?

 


「よく見抜けたな。

 その事実は千紗ちゃんしか知らないんだけど」

 

「ずっと不思議だったんです。

 あなたと千智先輩は息が合ってるだけじゃなく、仕事の教え方とか細かい仕草までそっくりで、なんか兄弟よりも似てる二人だなぁってよく観察してました」

 


 勘の鋭さもあるだろうが、彼女が千智を気に掛けていたのはそういう意図もあったのか。

 大切な相手を意識しているうちに、近くにある酷似した特徴にも自然と目が向いたのだろう。

 


「それに何より、私の知ってる男性でお兄ちゃんみたいに私を楽しませてくれる人は、千智先輩以外に考えられませんから」

 

「……そうか。本当によく見られてたんだな」

 


 過去の俺も今の自分も、何かしらの要素で一美と繋がっている。だが錬次ではないと知られてしまった俺は、今後同じように接していくのも難しいだろう。せっかく俺達の関係性が、理想的な形に収まり始めたというのに。

 


「ごめんね一美ちゃん。

 うちは前から知ってたんだけど、彼の未来を狂わせない為にも秘密にしたかったの。

 特に壱谷いちたにさんがこの事実を知れば、確実にその先が変わってしまうから」

 


 千紗は頼み込むように告げた。彼女にとってはどちらに転んでも、さほど影響は受けないはずなのに。ただ俺の叶わなかった夢に協力しようと、進んで一緒に泥を被ってくれている。

 


「未来の千智先輩には、絶対に無かった事にしたくない出来事があったんですね。

 ………分かりました。

 私も秘密にしますので、また今まで通り仲良くしましょう。錬次先輩、千紗ちゃん!」

 


 一美が見せた空元気からげんきは、見ている方が悲しくなるくらい、必死で痩せ我慢しているのが分かった。

 


「ほら、まだ観覧車にも乗ってませんし、行きましょうよ!」

 

「一美、錬次はまだこの体の中に居ると思う。

 もし俺が消えて錬次が戻ってきたら、今度こそ本当の幼馴染として可愛がってもらえよ」

 


 それを聞いた一美は複雑な表情で黙り、隣に居る千紗は俺の袖をぎゅっと掴んだ。その手は小さく震えている。

 


「錬次先輩、それは寂しいですよ。

 バイトを始めてから毎日が楽しくて、ずっと幸せを感じてたのは本心ですから。

 飲み物買ってきますね」

 


 苦笑を置き去りにしてとぼとぼと歩く一美の後ろ姿は、見るからに哀愁が漂っている。過去や未来に囚われて今この瞬間から目を背けてばかりなのは、ここに居るはずの俺だけなのかも知れない。

 掴まれた袖を引かれて顔を向けると、千紗のスカートには水滴がポタポタと落ちていた。

 


「もう言わないで……

 あなたが消えるなんて絶対言わないで!」

 


 涙ながらに訴える千紗に、なんて声を掛ければ良いのか分からない。ただその気持ちがどうしようもなく嬉しく、先程の無神経な発言がただただ申し訳なくて、口を閉じたまま彼女の手を強く握った。

 その後持ち直そうとした二人と観覧車に乗るが、一度湿っぽくなった空気は、少し高い位置での天日てんぴ干し程度で乾くはずもなく、次に進む両足までも泥沼にハマっている。

 


「今日は帰ろうか。

 俺が言うのもなんだが、すぐに楽しめる雰囲気には戻らないだろう」

 

「そうですね……。

 また日を改めましょうか」

 


 結局閉鎖空間の効力で更に意気消沈してしまい、残りのアトラクションは諦め遊園地を後にした。

 


 翌日。

 遊園地での出来事を思い返していた俺は、ある重大なミスを犯していた事に気が付き、出勤前から頭を抱えていた。

 


「一美にバレたら、未来が変わっちまうじゃねぇか……」

 


 話の流れとは言え、俺が転生した千智だと完全に知られてしまった以上、同じ道を辿れるとは思えない。かと言って今更錬次のフリをして誤魔化すのも無理があるだろう。

 どう考えても八方塞がりだ……

 


「どしたの二色くん? 

 そんな珍妙な顔してぇ」

 

「松本さん……。

 せめて神妙な顔って言ってくれませんか?」

 

「あんたが何か抱えてる顔なんて、もう見飽きてるからさー。

 それよりなぁんか不思議な顔してるよ? 今日のあんた」

 


 さすが目ざといと定評のある松本さんだ。

 ありもしない錬次の影をこの先一美が追わなくて済む事に、多少なりともホッとしている部分がある。

 隠し続けて接する罪悪感は中々のものだったからな。

 


「松本さん、ちょっと相談いいですか?」

 

「おぅいいよー。どんとこーい!」

 

「もしも大切な人が行方不明になってたと分かったら、松本さんならどうします?」

 


 彼女は少し首を傾げると、口を尖らせて悩んでいる。

 


「んー、もし手掛かりがあるなら探す。

 無いなら帰りを信じて待つしか無いよねぇ。

 そんなに待てないと思うけど」

 

「さっぱりしてるんですね。

 苦しくなりませんか?」

 

「どんなに大切な人だって死ねばもう会えないし、いつか会えるかもって待ち続けるのも辛いじゃん。

 あたしだったら新しい生活に切り替えるかなぁ」

 


 死ねば会えない……か。

 約束の中に死んでもまた会おうみたいに書かれてたけど、それを体現するには俺みたいに転生でもするしかない。意図的に引き起こすなんて不可能だ。

 錬次がこの体に居るなんて、変に未練を残す言い方だったのかもな。

 


「ありがとうございます松本さん。

 気休めにはなりました」

 

「あんたあたしに遠慮無くない⁉︎

 まぁ気休めでもいいけどぉ」

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