第23話 無邪気なだけでは終われない

「次はあれ乗りましょあれ!」

 


 遊園地に到着して約一時間。

 最初に遊ぶアトラクションから意見が食い違った為、近くのものから順番に乗っていこうと決まった。そのはずだったのだが、一美ひとみは目に付くもの全てに興味を持ち、あちこち引っ張り回してはしゃぐ始末。

 基本的に室内を好む俺は、外気に触れつつ人の隙間をくぐり、次々と変わる景色に追い付くのもやっとの状態。

 


「一美ちゃん、少しペース落とさない? 

 このままだと帰る前に動けなくなっちゃうよ?」

 

「じゃあやっぱりこっちの小さな映画館に入りましょう! 

 これなら錬次れんじ先輩も休憩できますよね!」

 


 3Dのミニシアターか。内容はともかくとして、これなら座りながらでもアトラクション気分を味わえるし、冷たい空気と人の熱気のコントラストからもしばらく解放されるな。

 


「ねぇ錬次くん、一美ちゃんすごく楽しそうだけど、何か気付かない?」

 

「うん? 

 だいぶ興奮してるなぁとは思うけど」

 

「そうだね。子どもみたいにはしゃいでて、本当に楽しそう。

 さっきからうちらの距離がこんなに近いのに、まるで気にも留めてない感じで」

 


 考えてみると違和感もある。

 乗り物にも我先にと乗り込む一美は、後ろで俺達が手を繋いでいようと張り合う意思すら示してこない。普通の感覚であれば、好きな人が自分以外の異性と親密そうにしていて、見て見ぬ振りなど出来るはずがない。ましてや自分の娯楽に集中するなんてかなり不自然だ。

 


「夢中になって遊んでるから気付いてないのかな?」

 

「気付いてるよ。

 あなたがうちと一緒に居ても、ちゃんと自分を見てくれてるってところまで。

 安心してるんだろうね」

 


 ますます一美の思考が分からなくなる。恋敵がそこに居る時点で、安心感とは程遠い感情に揺れるのが自然なのに、見守られているだけの状況を良しとしているのか。

 それじゃまるで……

 


「まるで本当の兄妹みたいな関係だよね。

 今日のあなたと一美ちゃん」

 


 まさにそれが言いたかった。兄とその彼女に遊びに連れて来てもらえて、全身で喜びを表現しながら楽しんでる妹みたいな。

 つい先日千紗ちさに敵対心をあらわにした時は、唇ごと想い人を奪い取ろうとしていたのに。

 もしかしてまた気を遣っているのか?


 俺の脳内には乙女心を計算出来る領域がほぼ無いらしく、考えても正解に近付いてる実感が湧かないので、そこにリソースをあてがう事を辞めた。

 気分を一新して園内を満喫していると、昼過ぎには半分近く見て回っている。仕事以上にハードだ。

 


「そろそろお腹空いてこない? 

 あそこのフードコートで何か食べようよ!」

 

「わーい! 

 なーに食ーべよっかなぁ〜」

 


 千紗の提案で休憩を取る事にしたが、一美のテンションは下がる様子もない。何にするか選ぶ時も、食べている最中もずっと浮かれていた。

 


「遊んでる時の君は本当に変わらないな。

 いつも楽しそうだ」

 

「だって錬次先輩と遊ぶの本当に楽しいんだもん!

 あ、先輩を楽しませるのをすっかり忘れてました!

 楽しんでますか?」

 

「あぁ、俺も楽しんでるよ。

 主に一美の行動を観察してな」

 


 途端に腹を抱えて爆笑し始める一美は、心の底から幸せそうだ。その光景を微笑みながら眺める千紗もまた、肩の力が抜けて普段のおっとりとした雰囲気が戻っている。これが今日の計画を立てた目的であり、俺達の本来あるべき関係性なのかもしれないな。つい数日前は一美に妻の姿を見たばかりなのに、今の俺には大切な妹として映っている。

 そんな思いにふけっている最中、千紗が穏やかに口を開いた。

 


「ねぇ一美ちゃん、まだ錬次くんと恋人になりたいと思う? 

 彼がうちと付き合ってたとしても、あなたをちゃんと見ていて大切に想ってくれると分かった今でも」

 


 空気を壊しかねない核心を突く質問に、俺は血の気が引く思いだったが、ストローを咥える一美は割とケロッとしている。少しの間考える表情も見せたが、決して不機嫌そうではない。

 


「お兄ちゃんと一緒に居たい気持ちは変わらない。

 でも千紗ちゃんとも仲良くしていたいし、何よりお兄ちゃんが私を忘れないでいてくれるなら、このままでもいいかなぁ……」

 


 戸籍上も兄妹であれば重度のブラコンになるが、完全に妹目線での発言だった。

 彼女がそれでいいなら俺としても問題無いが、先日の言動がどうにも引っ掛かる。

 


「君はこの前自分を妹じゃなく、一人の女性として見てくれって訴えてたけど、あれは何が目的だったんだ?」

 

「だってお兄ちゃん、私を思い出した後も私と居るの迷惑そうにしたり、千紗ちゃんの事ばっかり気にしてたんだもん。

 だったら昔の約束も思い出させて、結婚前提の彼女になった方が私を見てくれるじゃん」

 


 結局のところ一貫した行動原理があったわけか。手段はかなり大袈裟だが、離れていた時間から兄妹としての近過ぎる距離に戻る過程だったとすれば、その急激な変化の中で心境も錯綜さくそうしていたのだろう。

 


「あ、でも千紗ちゃんは、私が錬次先輩と手を繋いでも妬かない?」

 

「そりゃ妬くけど……。

 でも今日は少しくらいならいいよ」

 


 なんか千紗と一美の関係も仲良し姉妹っぽくなってきたな。

 


「じゃあ錬次先輩、次はあれ乗りに行きましょ! 

 はい、昔みたいに私の手を引いて下さい!」

 


 差し出された小さめの手には少々ポカンとしてしまうが、重い腰を椅子から持ち上げ、言われた通りに手を握る。

 


「んじゃまぁ行きますか。

 千紗ちゃんも一緒においでよ」

 

「あれ………?」

 

「ん? どうした一美?」

 

「いえ、なんでもないです」

 


 絶叫系は割と平気なのだが、三半規管が弱いのかクルクル回る乗り物が苦手で、次のアトラクションを終えた俺はベンチで項垂うなだれてしまった。

 


「大丈夫錬次くん? 飲み物いる?」

 

「うぇぇ、さっき食べた物が出てきそう……」

 

「ええぇ……。もう、無理しちゃダメだよ」

 


 隣に座る千紗に背中をさすられ、胃も少しずつ落ち着きを取り戻すが、しばらく乗り物は遠慮したい。

 その頃一美はずっと上の空で、本当に空を見上げたり目を瞑ったりと、一人で勝手に百面相ひゃくめんそうしていた。

 


「どうしたんだ一美? 

 さっきから考え事か?」

 

「あ、いえ、大した事では。

 それよりお兄ちゃん、昔大事にしてたクマのぬいぐるみまだ持ってる? 

 ほら、手が取れた時も自分で直してたじゃん」

 


 唐突に投げかけられた質問は確実に錬次の持つ記憶の一部で、俺に正しい返答など出来るわけがない。しかし乗り物酔いでまともに思考も働かなかったので、一応当たり障りなく答える。

 


「あ、あぁ、あのクマね。

 多分実家の押し入れの奥にしまってあると思うよ。

 それがどうかしたのか?」

 


 返事を聞いた一美は呆然としてしまった。何が起きているのか分からないけど、何故かしっくりくる。そんな複雑な表情だ。

 


「やっぱり……。あなたは誰ですか?」

 


 俺は千紗と顔を見合わせた。どうやらさっきのは失言だったらしい。

 


「クマのぬいぐるみなんてお兄ちゃんは知りませんよ。

 私達の思い出にあるのは、お兄ちゃんが直してくれたうさぎのぬいぐるみです」

 

「……どこで別人だと気付いた?」

 

「キッカケは手を繋いだ時です。

 お兄ちゃんは左手を繋ぐと、小指でトントンってする癖があったんですよ。

 ただの癖なので抜けただけかと思い、かまをかけさせてもらいました」

 


 なるほど、あのタイミングで違和感を持ってたのか。

 しかしどうしたものか。正直に話すわけにもいかないし……

 


「黙っててすまん。

 俺は確かに錬次ではないけど、君をよく知ってる人間だよ。

 なぜか突然錬次の体になって今に至るが」

 

「……?

 多重人格とかそんな感じですか?」

 


 多重人格か。はたから見ればそう思えるかもしれないが、未来の出来事を知っている時点で人格障害とは別物なんだよな。

 


「俺は今より五年先の未来を生きてたが、事故に遭って意識が戻ったら錬次になってたんだ。

 君とは未来でも関りがある」

 

「……よく分からないですけど、一応分かりました。

 それでお兄ちゃんは今どこにいるんですか?」

 

「正直俺にも詳しいことは何も……。

 ハッキリしてるのは、錬次として目覚めたのが大杉店のバックルームでパッキンの雪崩なだれに埋もれてた事。

 その前までは錬次がこの体のあるじだったはずだ」

 


 俺の話を聞き届けた一美は、落ち込んだようにうつむいてしまう。

 幼馴染と再会したと思ったら実は別人で、本物は行方不明ときている。しかもその経緯が現実離れしているわけだし、取り乱さずにいるだけでも相当な精神力だろう。

 気まずい沈黙に包まれる中、千紗から一美に声を掛ける。

 


「一美ちゃん、うちらは少し前に二色さんのご実家に行って、あなた達が交わした約束を見せてもらったの。

 二色さんを探す手掛かりになるかもしれないから、良ければ二人の過去を聞かせてくれないかな?」

 


 ゆっくりと頭を上げた一美は、今にも泣き出しそうな表情をしているが、千紗に対して深くうなずいた。

 そして彼女は錬次との出逢いから別れまでの物語を、真剣な声色で語り始める。

 


「私がお兄ちゃんと出逢ったのは、まだ小学生になる前でした…」

 

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