第22話 敵よりも友人で妻ではない誰か
その日は勤め先である大杉店の、オープン一周年記念の翌日だった。
人というのは一年も経てば、ある程度の慣れから退屈すら生じるものだ。目標を掲げ意気込む店員達に反して、売り場の賑わいや売上は突出する程ではない。
ただし俺の心労だけは他のスタッフの例に漏れ、肩透かしを食う余裕さえ無かった。
勤務前に
とてもじゃないが業務に集中出来る心境ではない。
「一美ちゃん、
「……もう話す事なんてないです」
千紗からの提案に一美の首が快く縦に振られるわけもなく、そっぽを向きながら迷惑そうにしている。
「そんな事言わないで。
うちは一美ちゃんを責めるつもりもないし、彼との関係を見せびらかしたりもしないから」
懇願されて渋々了承した一美は、不機嫌さを
以前この三人で来た時には、楽しそうにメニューの話をしていたはずだが……。
「……なんの話をするんですか?
今更岸田さんと友達になるなんて無理ですよ……」
席に通されて注文を終えると、警戒しながら先に本題を切り出したのは一美だった。隣に座る千紗を横目で見た彼女からは、怒りや憎しみは感じないが、戸惑いの色をまるで隠せていない。
そんな彼女を見て一呼吸置いた千紗は、真剣な表情で語り出す。
「うちはまだ終わったなんて思ってないよ。
あなた達の繋がりはそんな簡単なものじゃないし、いまだに絡まり合ってる。
このままだとうちは選ばれたなんて思えないし、いつ戻るか分からない二人の関係にずっと怯えながら付き合う事になる」
なんとなくだが、千紗の言い分も分かる気がした。俺にとっての妻の面影、一美にとっての約束の相手がそこにあり続ける限り、俺達は友人の一人として割り切る事が出来ない。頭で理解していても切れないそれは、近くに居る第三者目線だとより鮮明に見えてしまうのだろう。
「そんなことないですよ。
もう私は捨てられたじゃないですか」
「そう思ってるのはあなただけだよ。
結局彼はあなたの事で悩むのを辞めない。
それにあの時の一美ちゃんは遠い記憶に頼るばかりで、うちはその邪魔者に過ぎなかった。
それなら本音でぶつかり合えるライバルになって、うちの想いを証明する!
あなたに勝って彼と結ばれてみせる」
力強く宣言した千紗は、真っ直ぐに一美の目を見ている。
一方唖然としている一美は、徐々に内容を消化し始めたのか、目の奥に涙を浮かべながら口を開いた。
「私だって……私だって錬次先輩への想いの強さなら負けないよ!
再会した後も一緒に居るのが楽しくて、それで諦め切れなくなったんだから!」
そんな風に思われていたのか。てっきり思い出の中の錬次に縛られ、今もその気持ちが捨て切れないだけだと考えていた。
「じゃあやっぱりうちらはライバルだね。
どっちが錬次くんに選ばれるか、女同士の真剣勝負だよ!」
「後で後悔しても知らないから……千紗ちゃん」
差し出された千紗の右手に、友人として応えるように一美が握手を受け入れる。ようやく認め合い、スタートラインに立ったみたいな
食事を終えた帰り道、今度の休みに三人で遊びに行こうという話が、何故か二人の間だけでまとまっていく。あくまでも友達として楽しむらしいが、俺へのアプローチは個人の自由だそうだ。それって計画から破綻してる気がするんだが……
「というわけで、来週のお休みは錬次くんも空けておいてね」
「いや待ってくれ千紗ちゃん。
それじゃ途中で気まずくなりかねないし、俺も二人にどう接すればいいか分からないんだが」
「錬次先輩はいつもの自然体でいて下さい。
私も可愛い後輩として、先輩を楽しませますから!」
両手のガッツポーズと得意げな表情は、紛れも無く見慣れた一美の姿だった。
彼女の中で決着が付くならそれでもいいが、千紗と離れる気などさらさら無い俺にとっては、少し虚しさを覚える。
一美は手を振りながら反対方向の電車で帰り、俺は少し遅れて来た電車に千紗と並んで乗り込んだ。
「なぁ、さっきの計画にはどんな意味があるんだ?」
「うーん、それはたくさんあるけど、一番大きいのは一美ちゃんの気持ちの整理かな。
彼女の心の中は変な方向に膨らんじゃってたから」
千紗の発言があまりピンと来ない。
気持ちの整理で恋敵と遊ぶ理由もだが、変な方向とは具体的にどういう意味だろうか。
「詳しい事はそのうち説明するよ。
あとは本当の意味で彼女と友達になる為にも、あなたを取り返さないといけないからね」
今日の千紗はどうも含みのある言い回しばかりで、内容を汲み取るのが難しい。しかし今回の件に関して彼女なりの思惑があるのは間違い無く、状況を改善するにもその手腕が活かされると知っていた俺は、あくまで同行者として行く末を見守る事にした。
それから予定日までの間、一美の機嫌が元通りになった以外は特に変化も見られず、平穏な日々は刺激が薄いからこそ平穏なわけで。つまり先日の一件が嘘みたいに当然の日常が戻り、戻ったと実感した頃にはこの日が来てしまっていた。
「あれ、錬次先輩?
なんか渋い顔してますけど、どうしたんですか?」
渋い顔ってのはあれか?
ダンディなお兄さん的な印象を与える、素敵なお顔を表現する意味合いか?
「本当だ。なんかイヤそうに顔が歪んで、ちょっと間抜けな印象を受けるくらい酷い表情になってるね」
懇切丁寧なご説明をどうも、なんでも気付く俺の彼女さん。
遊びに行くのは良いとしてつい先日言い争ってた二人の相手を、この度同時に任命された俺の気持ちが今の顔面ですよ。
「錬次くん、心配しなくていいよ。
もしうちらがケンカになったとしても、それは友達同士のケンカ。
ちゃんと仲直りもできるし、悲しい結末は絶対に来ないよ」
本当に千紗は俺の心が覗けるのではと思ってしまう。こちらが抱く不安要素にしっかり応え、その穏やかで眩しい笑顔は眼と心を癒してくれる。しかしそこまで俺は顔に出易いのだろうか。
気を取り直して向かった先は、電車一本で行く事が出来る比較的近場の遊園地だ。俺は計画に関与していないが、恐らく一美の希望を尊重したのだろう。
「ここの観覧車はいつ見てもすごい迫力ですよね!」
そんな事を考えていると、不意に視界が暗闇で覆われる。
「千紗ちゃーん?
なーにしてるのかなぁ?」
背後から手を回して両目を塞いでいるのは、彼女以外には考えられない。
「一美ちゃんが子どもみたいで可愛いのは分かるけど、さすがにガン見し過ぎ。
今日はうちも居るって事を忘れないでね」
なんだ、ただの嫉妬か。
彼女のこんな一面も見られるのなら、このメンツで遊ぶのも悪くない気がしてきた。
「さて何から乗ろっか。
錬次くん乗りたいものある?」
「んー、確かここにトロッコに乗って遊ぶシューティングゲームみたいなアトラクションがあったよね。
それがいいかな」
「錬次先輩はホントにゲーム好きですよね!
でもせっかくならジェットコースターとか、遊園地らしいものにしましょうよー」
こうして訪れた奇妙な一日は、自由奔放とインドア派を委員長がまとめるような構図で始まった。出掛けるまでは憂鬱だった俺も、気付けばこの雰囲気を悪くないものと捉えている。
このまま何事も無く、楽しい状態で終われば良いのだが……
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