第20話 累積された想いの決壊

 三人で遊んで一週間が経過した。

 大杉店がオープンして一周年の前日という事で、新井店長を筆頭に店員達は張り切っているが、俺は正直身が入らない。

 たまたま休憩が被った千紗ちさと一緒に、カフェで気分転換をする事にした。

 


「やっぱりお兄ちゃんって言われた時、すぐに否定出来なかったのが痛いよね。

 タイミング的にも仕方なかったと思うけど」

 


 あの日から一美ひとみの甘え方が悪化し、職場でも二人きりになろうと動いているのも分かっている。その度に上手く避けるのだが、一向にめげる気配が無いのが悩ましいところだ。

 


「どうしたもんかなぁこれ。

 ハッキリと幼馴染宣言してこないのも、理由がイマイチ分からないんだよ」

 

「それは手紙の内容だと思うよ。

 あの約束には確か、『オレから見つけて仲良くなる』って書いてあったから、錬次れんじくんから幼馴染として見てくれるまで待ってるんだと思う」

 


 なるほど、そういう部分を気にしているわけか。

 それにしても子どもの頃の約束で、十年以上会ってなかった相手を好きになれるものなのかと、今更ながら疑問を感じている。

 


「……話してみるしかないか」

 


 俺は一美の幼馴染じゃないし、一美もまた俺の妻ではない。

 お互いに別人の影に取り憑かれ、あやふやな関係を続けていくくらいなら、心は痛むがハッキリさせた方がいい。

 


「うちも一緒に行っていい? 

 今回はさすがに不安……」

 

「あぁ、後ろで見ていてくれ」

 


 こうして決意を固めた俺は、話がしたいと一美に伝え、その日の仕事終わりに集まる約束を取り付けた。一美は二つ返事で快諾かいだくしたので、恐らく内容を正反対に誤解している。良心がチクチクするなぁ……。

 


「それで錬次先輩、話ってなんですかー?」

 

「あぁ、その前に同席してもらう人がいるんだ」

 


 店を出て他のスタッフ達と解散し、その場に残った一美はまだ何かを期待している様子だった。

 しかしもう一人帰ろうとしない人物がいる事に気が付き、みるみる不服そうな表情に変わっていく。

 この時点でようやく何かを察したのだろう。

 


「なんで岸田さんまで居るんですか……?」

 

「俺が話す件に彼女も関係あるからだよ。

 場所を変えようか」

 


 うつむいたままの一美を連れて、近くの広場まで移動した。そこにはベンチもあるのだが、到着しても誰も座ろうとはしない。

 一美の正面に立ち冒頭の一言目を探してみても、肩を震わせてこぶしを握り締める彼女を前に、まともに喉が開かなかった。

 


「なんで……なんでこんなことするの……?」

 

「……こんなこと?」

 

「なんでこんな当て付けみたいなことするの⁉︎」

 


 必死な形相で怒鳴った一美に、少し気圧けおされそうになるが、彼女の気持ちを考えれば無理もないだろう。

 背後に居る千紗も辛そうに目をつむっている。

 


「そう思わせたならごめん。

 千紗に来てもらったのは……」

 

「聞きたくない‼︎」

 


 説明をさえぎった一美の声には、怒りと悲しみが入り混じっている。たった一言に込められた感情が、とてつもなく大きかった。

 


「思い出してくれたんじゃないのお兄ちゃん? 

 私はずっと覚えてたよ! 

 だから見付けてもらえるようにこっちに戻ってきたのに。

 本当はずっと言いたかったけど、お兄ちゃん忘れてるみたいだったから、邪魔しないよう我慢してたのに……」

 

「……いつから気付いてたんだ?」

 

「最初からだよ!

 バイトの面接に来たら似てる人と目があって、雰囲気変わってたけどやっぱりお兄ちゃんで、でもきっとここでの人間関係も出来てると思ったから、ずっとずっと言えなかった!」

 


 本当に再会した一番初めじゃないか。最後の記憶が小六の姿じゃ、面影もかなり薄かっただろうし、尚且つ中身は別人なのに。

 止まらず投げ付けられる言葉には胸が締め付けられ、俺は真っ直ぐに彼女を見る事さえ出来なくなっていた。



「でもお兄ちゃん私の誕生日も覚えてたし、昔みたいに一美って呼んで妹みたいに可愛がってくれたから、思い出してくれたんだなって嬉しかった。

 あれは私をからかってたの?」

 

「そんなつもりじゃないんだ……」

 

「じゃあなんでよ! 

 結婚の約束までしてくれて、私がどれだけお兄ちゃんを大好きだったか知ってるでしょ⁉︎ 

 忘れかけてた気持ちを思い出させたくせに、目の前で他の女の子のところに行くなんて、私をもてあそんでるとしか思えないよ‼︎」

 


 涙を浮かべて訴えかける一美を見て、当然罪悪感はある。俺が知ってる将来の記憶が混ざり、余計に彼女の過去を掘り返した上、期待させたまま放り出そうとしているのも分かる。

 しかし俺の感情も煮えたぎっていた。そんなに錬次を想っていたのならなぜ俺と結婚した。その想いが浮気に走らせたのか。結局想い続けたのは錬次で、千智ちさとだった俺は所詮ピエロかよ!

 吐き出せば売り言葉に買い言葉状態になるが、胸の内だけで歯止めが効くほど冷静ではいられない。

 


「……っ‼︎ 

 だったらなんで千智を……‼︎」

 

「違うよ錬次くん‼︎」

 


 歯を食いしばり怒りをぶち撒けそうになったその瞬間、千紗の声に静止された。

 


「錬次くんの見てる一美ちゃんと、一美ちゃんが見てる錬次くんは違う人だよ。

 だからあなたが気持ちをぶつけちゃダメ」

 


 穏やかな口調で言い聞かされ、落ち着きを取り戻して一美に視線を返すと、その華奢きゃしゃな身体は小刻みに震えている。

 


「そうやって……岸田さんの言う事なら聞くんだ……」

 


 一美の声は悔しさに満ちているが、俺は一度深呼吸をして心をしずめた。

 このままでは彼女に錬次を諦めさせるのはおろか、事態の収拾さえつかなくなる。

 言い分はもっともだし、誤解を招いた俺が全面的に悪い。だがその原因をどう伝えればいいのか。

 


「なぁ一美、そのロケットはなんだ?

 大切な物なのは知ってるけど」

 

「そっか……。

 中身までは忘れちゃったんだ。

 これだよ」

 


 手のひらで開かれたロケットの中には、小さく畳まれた紙が入っていた。一美の手で広げられたその紙は、予想通り錬次の缶の中身と同じ物である。

 


「もう一枚あったんだな、約束の手紙。

 でもそれを果たす事は出来ないよ。

 だって俺は………っ⁉︎」

 


 言いかけた俺の言葉は、一美の唇で強引に阻まれてしまう。不意に両手を後頭部に回され、全身で飛び込んでくるような激しい口付けだった。

 触れている柔らかい感触も肌の匂いも、その何もかもが全て懐かしく、涙を流す一美を見る前から抵抗の意志も芽生えない。

 力が抜けて、ただされるがままの俺の背後からは、すすり泣くような声だけがかすかに届いていた。

 


「何も聞きたくないよ。

 大人になった私をちゃんと見てよ。

 もう妹じゃなくて、ひとりの女として……」

 


 じっと目を見て離そうとしない一美に、こちらから逸らす事さえままならず、呆然とその場に立ち尽くしているだけ。

 だが後ろから響く悲しい声は、俺を呼び戻すように鼓膜を刺激し、罪悪感に心臓を握り潰される思いだった。

 

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