第17話 変わらない過去に変わる主観

 二〇一七年一月一日。

 俺が二色錬次にしきれんじに生まれ変わって、初めての元旦が来た。

 アルバイトの大半が家族や友人と過ごす為にシフトから名前を消し、三ヶ日さんがにちの営業は数少ない社員や準社員が総出で回す必要がある。

 それに対して消費者側は財布の紐が緩む時期なので、新春の安売りの為に大量の在庫を用意し、多くの顧客と売り上げ獲得を目指して身を削るのだ。

 つまり需要に対して供給の人員が不足するので、必然的にスタッフ一人当たりの負担が激増する。

 その日も営業開始と同時に人の波が押し寄せ、売り場に並べられた商品は瞬く間に数を減らし、会計待ちの長蛇の列は最後尾が何処にあるのかすら分からない。

 


「錬次、お前レジ打ち早いから森さんと代わってやってくれ。

 品出しはこっちでなんとかするから!」

 


 経験が浅い分、脳内に湧く選択肢が少ない千智は俺よりも決断が早く、それでいて的確なものを選べる技量が身に付いてきたので、無駄の多い俺と比べ洗練された思考にすら思えてくる。

 開店からのピークをなんとか乗り越え売り場に戻ると、見覚えのある人物達に目を凝らした。

 


「お、錬次! 紹介するよ。

 俺の両親とばあちゃんだ」

 

「あなたが二色錬次さんね。

 いつも息子がお世話になっております。

 二色さんのお話はよく伺いますよ」

 


 おっとりしたおばさんと図体のデカいおっさん、腰を曲げてどこ見てるのか分からないこの婆さんは、紛れもなく俺の家族だった。

 久しぶりの再会だが、嬉しさよりも焦りが出てくる。

 


「あ、初めまして二色です。

 こちらこそ千智ちさと君には世話になってばかりで……。

 ゆっくりお買い物していって下さい」

 


 自分の母親に他人行儀な接し方をするのは、非常にむず痒くて苦笑いしか出てこない。

 それにしても数年前なのに、変化の少ない人達だな。

 


「あらあら、なんだか笑い方が千智にそっくりですね。

 見た目は全然違うのに、まるで兄弟みたいに」

 


 俺はその瞬間驚きで固まったが、記憶を遡ってものすごい違和感を覚えていた。このセリフと状況に既視感があったからだ。

 過去を同じ手順で進めていけば当然同じ事象が起こるが、千智だった俺が自分に似ている錬次を見るのはあまりに不自然だ。

 確かこの時は『そんなに似てるか?』くらいに思い深く考えもしなかったが、逆の立場に視点を移すと、俺が見た錬次も俺が演じている錬次も、同じ笑い方をしていることになる。

 単に元々似てるところがあった可能性も否定出来ないが……

 


「毎日のように一緒に居るんで、移ったのかも知れません」

 


 その場はなんとか誤魔化せたが、疑問は消えないままだった。


 夕方になり荒れ果てた未開拓地帯と化した売り場は、それを整備するスタッフにとってこの上ない絶望感の淵を見せる。正月は客足が減るのも早いが、最後まで終わりの見えないところが何よりも苦しい。

 しかし落胆する俺の前に、光り輝く女神様がご降臨なされた。

 


千紗ちさ……岸田さん⁉︎ 

 今日は実家に帰ってるはずじゃ?」

 

「あけましておめでとうございます、二色さん。

 店長から少しの時間だけでも手伝えないかってメールがきたので、思い切って来ちゃいました!

 あなたにも会いたかったし……」

 


 最後に小声で囁かれたひと言に、俺のやる気は出勤前を遥かに凌駕するほどみなぎっている。

 大人になってからでも、青春って味わえるものなんだな……。

 


「岸田さぁん! 

 二色くんも居るよって言えば、すぐに駆け付けてくれると思ってたよぉ!

 大変だけど頑張ろうね!」

 


 店長かたってメールしたのはあんたか松本さん……

 仕方ない、今日のMVPはくれてやるよ!

 


「あーでも三隅みすみさんは来れないってさ。

 あの子の実家遠いみたいねぇ……ってあんたもよくご存知か。

 落ち込むなよ若人わこうど!」

 


 しかし彼女への感謝も束の間、残念そうにも嘲笑うかのようにも見える、何とも言えない表情で耳打ちしてきた。

 


「変に気を回さなくていいですって。

 三隅は友人で妹みたいなもんですけど、それ以上はないですから!」

 

「じゃあなにか?

 岸田さんに乗り換えたってか? 

 あんたも罪な男だねぇ。

 おばさん血ぃ見ないか心配さー」

 

「お黙り下さい! 

 仕事しますよ、もう!」

 


 その後も協力的なスタッフ達が駆け付けてくれたことで、一時は壊滅的だった状況も勤務時間内に片付けることが出来た。

 明日も同じように済むかは分からないが、この達成感の余韻はもう少しの間だけでも感じていたい。

 


「なぁ錬次、飯行かないか? 

 もうクタクタで早く座りたいし。

 よければ岸田さんも一緒にどう?」

 

「すみません、本当はご一緒したいのですが、今夜はこのまま実家に戻るので……」

 


 他のスタッフはそれぞれ事情があったので、俺は千智と二人で夕飯を食べる事になった。

 新年早々どうかとは思ったが、一番の馴染みで気が休まる、いつものラーメン屋で。

 


「なぁ錬次、お前一美ひとみのことどう思ってんの?」

 


 唐突な質問に、思わず口に含んだ麺を吹き出しそうになる。

 この頃の千智は一美に特別な感情も抱き始めてるし、錬次を多少はライバル視していたかもしれない。

 


「シンプルに言えば妹。

 細かく言えば元気で甘ったれでそそっかしくて、少しわがままだけど見ていて飽きない妹」

 

「結局妹かよ。

 結構大人っぽい顔する時もあるけどなぁ」

 

「そういう事じゃないんだよ。

 妹は四十になろうが八十になろうが妹に変わりはないだろ。

 子どもとして見てるんじゃなくて、あの子との距離感や関係性からそう見える」

 

「清々しいほどに言い切るんだな。

 でも俺はそうは見れないと思うわ。

 妹じゃなくて可愛い後輩……から女性になりつつあるかな」

 


 そう思ってた時期が俺にもあったさ。だがあの一件から俺の中では、一美は幼馴染のお兄さんに憧れる妹なんだよ。

 接し方も特に変えずに数回顔を合わせたけど、前までのもどかしい気持ちはだいぶ減った。それは彼女から向けられる笑顔に、過去の錬次が映っている事が明らかになったからだろう。

 他人を追いかける好きだった女の子を見ていて、整理されていく気持ちはあっても、未練は思ったより大きくない。

 


「いいと思うぞ。

 一美も千智と一緒に居ると楽しそうだし、俺としても見ていて微笑ましいからな」

 

「まぁもう少し気長に見ていくわ。

 居心地の良さはあるが、今はあの子の気持ちも分からないし」

 


 この時期に告白イベントは起こらないはずだし、何よりすぐに早まっても爆死するのは目に見えている。

 ここは慎重に行かせて、俺が告白した日までに二人の仲を取り持たなければ。

 


「あの子の中ではまだ友達として見てそうだしなぁ。

 でも半年ぐらい過ぎた頃には、全然変わってるかもしれないぞ?」

 

「半年かぁ。

 一美がバイト続けてくれてりゃいいけど」

 


 笑いながら話す千智は、先程よりもスッキリした顔をしている。きっと俺もこんな風に安心させられたのだろう。

 過去の自分の気持ちが順調に育まれているところで、一美が今のままでは話がこじれるばかり。

 一体いつまで様子見期間を儲けるべきか、多少の焦りを感じるのだった。

 

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