第16話 約束の果てに繋がる因果
見た事のない押し入れや本棚、使った事もないベッドと机。それらはあまり触れたくないような、だけど妙に馴染みのある不思議な感覚。
これは錬次の体に習慣として刻まれ、今もなお思考を省いて体感させる記憶なのだろうか。
特に引っ掻き傷やシールの跡が残るこの机は、錬次にとって相当強い想い入れがある。いや、机そのものではなくこの正面の引き出しの中。そこにある何かに対してこの体は引き寄せられ、それと同時に拒絶している。理由は説明出来ないが、この木目が視界に入った瞬間から、何故だかそう感じさせるのだ。
「錬次くん、手が震えてる……」
「あぁ。でもこれは俺の緊張じゃない。
体が反発してるのかも」
もちろん俺も無感情ではない。だがそこまで動揺するほど、まだ何も得られていない。期待と不安に多少強張る程度だ。
「たぶんこの引き出しだ。開けるよ」
無言で頷いた彼女を確認し、震える手をゆっくりと伸ばす。
その手は引き戻されるのを拒むかのように震えが強くなり、自分の意思ではないこの事態に胸のざわめきが増していく。
「ごめん錬次。
お前と
俺の一言を体が聞き届けてくれたのか、今度は少しずつ震えが収まっていく。
自分でも驚くほど冷静に、この体に別の意識が介入している状態を受け入れていた。
徐々に滑り出されていく引き出しは抵抗が緩く、中身と呼べる物は小さな四角い缶のみ。昔人気があったお菓子の缶だが、ほとんど触れられていないのか劣化はほぼ見られない。
「この中に約束を書いた手紙が入ってるの?」
「そうらしい。
体が迷い無くここに向かわせたからね」
錬次として生まれ変わって一年近く経つのに、こんなに錬次の存在を感じるのは初めての経験だ。それだけこの缶の中には重大な秘密が隠されているのだろうか。
手のひらに乗せた小さな缶の蓋を、慎重かつ丁寧に持ち上げていくと、そこには折り畳まれた一枚の紙だけが入っていた。
それは濡らしてしまったのか、裏側にも所々
これに約束の内容が書かれていると確信し、ゆっくりと紙を広げていくと、決して綺麗とは言えない文字が並んでいた。
『必ずまた会おう。
またオレから見つけて仲良くなって、いつかオレのお嫁さんにする。
そしたら子どもがいっぱいの楽しい家庭にしよう。
だからぜったい、もし死んだとしても、必ずまた会おう。
そこに
筆圧の強さからもその想いが伝わってくるが、何よりもこの体が叫び出しそうに
「これ、泣きながら書いたみたいだね。
すごく必死に手を動かしたのも、文字と文章の雰囲気から分かる……」
「なんだよこれ……。
これじゃまるで俺の方が浮気相手だったみたいじゃないか……!」
ポロッと口から漏れてしまった本音に、千紗は不思議そうに首を傾げている。
「浮気相手? どういうこと?」
「………なんか言い出せなくて黙ってたんだけどさ、俺が死ぬ少し前に見ちゃったんだよ。
二人が手を繋いで歩いてるとこを」
浮気現場を目撃し、事故死した時はそれについて問い詰めている最中だったと、全て千紗に告白した。
彼女は表情をピクリとも動かさずにただ黙って聞いていたが、俺は説明し終えてもまだ、ムカムカしてくる気持ちをグッと
「なんで教えてくれなかったの?」
「なんでなのかな。見えを張ってたのもあるよ。
他の男に奥さんを取られたなんて、情けなくて千紗ちゃんに言いたくなかったし……」
自分でもその時の心境を言い切る事が出来ない。曖昧な理由ならいくつか浮かんでくるが、それだけではない気がする。
「あなたは二人を悪く思われたくなかったんじゃないの?
自分が裏切られた被害者だとしても、大好きだった奥さんと大切な親友が悪役みたいに思われるのが嫌で、だから自分だけでその未来を変えようとしてたんじゃないの?」
彼女に言われてようやく気が付いた。確かに俺は死ぬ前の妻の言葉、言いかけたあの続きに浮気以外の理由を期待していた。
真実を知れずに錬次となって、このまま同じ未来を繰り返すのだけは許されない。そうなれば
結局自分でも一美と錬次を悪く思いたくないだけなんだ。
だがここで分かった二人の関係を考えると、目を逸らし続ける事さえしんどくなる。
「錬次くん、少し酷なこと言うけど、たとえ子どもの頃の話だとしても、ずっと心に残り続ける想いってあると思うの。
それがどういう道筋を辿ったのかは分からないけど、一美ちゃん達の将来に無関係とは思えない。
この件に関してあなたに非は無いよ」
「ありがとう千紗ちゃん。
君が分かってくれるだけで俺は救われるよ。
ここに記された誓いが浮気の原因なら、この世界で同じ状況には絶対にならないし。
それよりも心配なのは、一美にとっては今の俺がこれを書いた人物であることだ」
妻だった一美が何を思って錬次と手を繋いでいたかは分からない。本当に錬次との約束を果たしたかったのかも知れない。
だがそれはもういい。このまま一美が別人を追いかけ続けても誰も報われないし、千智としての俺の最後の夢も
決断する必要がある。約束を無かったことにして自分の道を選んでもらうか、約束の相手と俺は別人だと告げるか……
「そうだね。
一美ちゃんの気持ちは、あなたじゃない二色さんとの思い出が関わってる。
でもいっぺんに解決しようとしなくていいかも。
今日は二人の関係もハッキリしたし、一美ちゃんが約束に囚われてるだけなのか様子を見ようよ」
彼女の言葉を聞いた瞬間、なんだか体が軽くなった気がした。
もちろん俺の気持ちに余裕もできたのだが、それだけではなく、巻かれた包帯を外したような解放感に近い。
もしかしたら錬次も様子を見ていてほしいのか?
「わかった。
まだ焦る必要もないし、一美との接し方もじっくりと考えてみる」
「うん!
うちもまた一美ちゃんと楽しくおしゃべりしたい!」
話しもまとまったので一階に降り、錬次の両親が待つ居間に戻ると、母親は少し心配そうな顔をしてお菓子を食べていた。
「二人とも喧嘩とかしなかった?
大丈夫?」
「喧嘩なんてしてないよ。
多少気まずくなったけど、千紗ちゃんほど心を許せる人は他にいないからね」
調子に乗って錬次らしくない言い方でもしたかと思ったが、キョトンとした母親はすぐに嬉しそうな笑顔になり、つられて父親まで口角がほころんでいる。
「あんたがそんなに人を大切に想えるなんてねぇ。
顔に惹かれて寄って来た女の子を、数えきれないほど泣かせてたのに」
「
兄貴の名前が確か遼一だったな。
それにしてもそんなに驚かれるって、錬次のやつどんだけ女性に冷たかったんだよ。
「そろそろお
千紗ちゃんは明日も学校だし、俺も仕事あるから。
今日は色々とありがとう」
「あらそう。
千紗ちゃん、またいつでも遊びに来てね」
錬次の両親に別れを告げ、電車に揺られてのんびり帰った。
兄貴の顔は見られなかったけど、暖かみのあるいい家庭で、ちょっとだけ名残惜しさを感じる。
これからイベントだらけの年末年始が始まるが、果たして俺達には一美の様子を見ていられる余裕などあるのだろうか。
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