第12話 打ち明けられる傍らの君は

 いつもとは違う部屋の中で、気持ちの良い朝を迎えた俺は、小さなテーブルの上でパソコンに向かう彼女を瞳に捉える。

 


「おはよう千紗ちさちゃん。

 先に起きてたんだね」

 


 俺の声に気付いた彼女はすぐに目線をこちらに移すが、その瞬間の彼女の様子はいつもと違って見えた。

 


「おはよう。

 錬次れんじくんはよく眠れた?」

 

「あぁ、ここ最近の疲れが一気に抜けた気分だよ」

 


 向けられた笑顔は作り笑いにも似た、若干よそよそしさがあるように感じられる。

 彼女はシャワーでも浴びたのか、服装が部屋着に変わっており、普段降ろしている髪も後ろでひとつに結われている。

 ノーメイクではなさそうだが、ほぼすっぴんに近い今の顔も、若々しくてとても可愛く思えた。

 

 彼女に勧められて浴室を借り、汗を流して部屋に戻ると、テーブルの上には食事や飲み物が用意されている。

 向かい合って座った俺達は朝食を摂る事にした。

 


「このサンドイッチ、千紗ちゃんの手作り?」

 

「そうだよ。

 なんだか眠れなかったから、朝になる前に作ってたの」

 


 俺が居て緊張でもしたのかな? とも思ったが、話した直後の彼女の表情があまりに深刻そうで、ただ事ではないと物語っている。

 


「何かあった?

 少し顔色が悪いけど」

 


 こちらからの問いかけに対し、食事の手を止めた彼女の雰囲気は、酷く考え込んでいるみたいだ。

 


「………キスしたの」

 

「……へ?」

 


 まるで見当違いだった返答に、何かの聞き間違いかと思った。

 けれど続けられた内容には瞬く間に血の気が引き、背筋が凍ったまま言葉も出なくなる。

 


「眠ってる錬次くんが可愛くてキスしたの。

 そうしたら錬次くん、すごく幸せそうな顔になって『ひとみ』って呼んだの」

 


 突如訪れた古傷をえぐる修羅場に、正しい対応がまるで浮かんでこない。言い訳をするのも変だが、本当の事を言ったところで危ない人認定されそうだし、俺は一体どうしたらいいのだ……。

 千紗を正面から見られず、自分でも目が泳いでるのが分かる。

 


「寝惚けてた錬次くん、あれは想像の中じゃなくて、過去に経験した事への条件反射だったよ。

 元カノにひとみって名前の人がいただけかな? とも思ったけど、歓迎会の時に錬次くんは一美ひとみちゃんを名前で呼んでたし、あの一美ちゃんで全部辻褄つじつまが合う。

 本当は錬次くんと一美ちゃん、そういう関係だったんだよね?」

 

「違う‼︎」

 


 投げかけられた質問は何も間違ってない。彼女がこれまでに感じてきた疑問を全て繋ぎ合わせれば、当然その結論に行き着くだろう。

 だが絶対に認められない。

 錬次と一美が友達以上の関係だったなんて、俺に認められるはずがない。

 突然衝動に駆られて怒鳴りつけ、目の前で怯えている彼女に対してもフォローの言葉ひとつ出てこない。

 俺はいつからこんな最低な男になったんだろう………

 


「大丈夫だから!」

 


 情けなく苛立ちと罪悪感に呑まれている俺に反して、まだ少々気まずい表情をした彼女は、懸命に立ち直ろうとしながら力強く言った。

 


「錬次くんと一美ちゃんの間に何があったとしても、ちゃんとうちは受け止めるから! 

 不安にならなくて大丈夫だから!」

 


 むしろ自分の方が不安で押し潰されそうだっただろう。

 なにせ寝ている彼氏に口付けしたら、友人の名前が出てきたのだから……。

 それでも受け入れるといった目で見つめてくる彼女の姿は、とても健気で美しく、凹んでいる俺にも一歩踏み出す勇気をくれた。

 


「ありがとう千紗ちゃん。本当の事を言うよ。

 信じられないと思うけど、これは冗談や作り話ではないんだ……」

 


 それから俺は転生前からの事を詳細に話した。

 自分が本当は壱谷千智いちたにちさとであり、一美と結婚してたこと。

 事故に遭って目覚めたら過去の世界に居て、同僚の二色錬次にしきれんじになってたこと。

 こちらに来てから辿った道は、全て未来での経験と同じ事象を経て進んでいること。


 あえて浮気されてた件については話さなかったが、彼女はこれまでの経緯を瞬き一つせずに聞いていた。

 


「そんなことって………」

 

「信じられなくて当然だよ。

 本人ですらおかしな夢を見てる気分なんだから」

 


 口を押さえて絶句する彼女の反応は正しいと思う。

 だがその後涙を流し始めたことには、理由が分からず困惑した。

 


「信じるよ! 

 あなたがそんな悲しい顔して、デタラメな嘘をつくわけないもん。

 でもどうしていいか分からないの」

 

「千紗ちゃん……。

 ごめん、辛い思いをさせて」

 

「辛いのはうちじゃないよ。

 奥さんの目の前で亡くなって、せっかくまた奥さんと巡り逢えたのに、今度は自分じゃない過去の自分と結ばれるのを見守るなんて……そんなの悲しすぎるよ………!」

 


 何度も考えたけどやっぱりこれしか答えがなくて、消えない悲しみを終わらせる為にも、新たな喜びで上書きしようとしていた。

 だけど目の前で千紗が代わりに泣いてくれた事で、仕方ないと諦めるしかなかった気持ちも、今はその涙と共に流されつつある。

 泣きじゃくる小さな頭はあまりにも健気で、その心に触れるようにゆっくりと撫でた。

 


「ありがとう千紗ちゃん。

 今の俺には君がいるから、もう大丈夫だよ。

 だからそんなに悲しまないで」

 

「でもうちでいいの? 

 あなたの中の一美ちゃんの存在はすごく大きいし、手を伸ばせばすぐに届くのに……」

 

「今は錬次だからな。

 千智が作った一美との幸せは俺には手に入らないんだよ。

 それに君と一美は比べる対象じゃない。

 どちらもそれぞれの素敵なところ、可愛らしいところを持ってるんだから」

 


 ようやく涙を拭いた彼女は、赤く腫らせた目でジッとこちらを凝視した後、ゆっくりと顎を上げながらまぶたを閉じる。

 


「今度は、うちの名前を呼んでよ……」

 


 切ない声で言った彼女の口を、優しく包むように唇で塞ぎ、そのまま体を少し強引に抱き寄せた。

 


「千紗ちゃん、これからは君との思い出でいっぱいにしたいんだ。

 だから協力して欲しい」

 


 嬉しそうに笑った彼女の姿に、もう一美を重ねる事はない。

 千智の隣に一美が居たみたいに、錬次の隣に居るべき人もここに居る。

 俺はこれからの人生を錬次として生きる意思を固め、友人として千智と一美を応援すると千紗に話した。

 


「うちらの事は秘密にした方がいいかもね。

 あなたが知ってる未来と変わったら、一美ちゃんの気持ちも変わっちゃうかも」

 


 その点については同意見で、俺と千紗の関係は彼らには悟らせたくない。

 だが錬次と一美の浮気が起こる将来だけは、どうしても俺の手で回避せねばと誓うのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る