第二章 変わりゆくのは自分自身か君達なのか

第8話 発展途上と転換の調べ

 季節は夏本番。

 アパレル業界では店員がある意味マネキンとしての役目も担ってる為、湿気と冷房の空気にまみれた店内では次の季節の洋服を着用している。

 通勤時に照りつける七月の日差しは、秋服の装備ではとても耐えられない。

 


「おはようございまーす……」

 


 店内に入ってようやくクールダウンされた体が、またすぐに長袖に包まれることを考えると憂鬱だ。

 


「あ、二色にしきさんおはようございます!

 これ見て下さいこれこれ。

 今日の岸田さんのコーデめっちゃ可愛くないですか?」

 


 休憩室の中がやけに賑やかだと思ったら、一美ひとみと岸田さんがお互いの服装を見せ合って楽しんでいたようだ。

 


「二色さん、うちのこの服どうですか……?」

 

「あぁ、色やサイズ感もいいし、よく似合っているよ」

 


 飲み会が終わった夜から、俺と彼女の関係は大きく変わった。

 まだ付き合ってるわけではないが、俺も彼女のことを一人の女性として意識するようになり、休みの日には二人で出掛けたりもしている。

 そんな彼女は美容関係の大学に通っているので、オシャレにも人一倍気を使っているのだ。

 


「おーい三隅みすみさんちょっと来てくれ。

 昨日の検品後のデータ入力間違えてたみたいだから、一緒に確認したい」

 

「えー、待って下さいよ壱谷いちたにさん。

 私まだ出勤時間前ですよ」

 

「勤務始まったら他にやる事があるだろ。

 嫌だったらミスしないように早く覚えてくれ。

 あ、錬次れんじおはよう」

 


 関係が変化してるのは向こうも同じなようで、最近では千智ちさとから積極的に一美のフォローをすることも多い。

 まぁ雰囲気的には仲の良い友達か同僚って感じだが。

 


「二色さん、今日の仕事が終わった後、少しお話しできませんか?」

 

「ん? 別に構わないけどどうしたの?」

 

「……えっと、ちょっとお願いしたいことがあって」

 


 岸田さんの様子は若干不自然にも見えたが、遅番の後は基本的に帰って寝るだけなので、断る理由など探しもしなかった。



 その日の店の営業も滞りなく終わり、岸田さんとの約束があった俺は、休憩室のソファーに座って彼女を待っている。

 今日の千智は早番を終えて先に上がってるので、仕事終わりに絡んでくる人間もいない。

 いや、そんな事もないか……

 


「二色さんお疲れ様です。

 今日の私どうでした? 

 お客様への対応もバッチリでしたよね!」

 

「そうね、違う商品を検索して渡してるのに、欲しがってた商品と両方売ってしまうところが、いかにも君らしいと思うよ」

 

「もぉ、お客様がどっちも可愛いからって買ってくれたんですから、完璧な売り込みじゃないですかぁ」

 


 少しの間距離を置かれていた気もするが、最近ではまた一美から絡んでくることも多くなった。

 相変わらずの機械音痴っぷりには手を焼かされるが。

 


「お待たせしました。

 今日は一美ちゃんも一緒にご飯食べに行きましょ」

 


 なに? 聞いてなかったぞそれは。

 仕事終わりだし食事でもしながら話すつもりはあったが、まさか一美も同席するなんて……

 しかもどうやら一美は前もって誘われていたらしい。

 一体どういうつもりなんだ岸田さん………?

 


「勝手なことをしてすみません。

 どうしても確認しておきたいことがあって、その為には一美ちゃんが必要なんです」

 


 囁くように耳打ちされ、なんのことか分からないままだが一応了承する。

 従業員用の通用口を使い、うちの店舗があるビルを後にした俺達は、手軽なところで近くにあるファミレスを選択した。

 


「ここのドリア美味しいんですよ!

 器にくっついたカリッとしたご飯やソースが、なんかお菓子みたいなんです」

 


 君はいつもそうだったじゃないか。

 どんな場所で何をしていても、必ず良いところを見付けて喜んでくれる。

 だから君とのデートで退屈したことなんて一度も無かったよ。

 

 身振り手振りでエア食レポみたいな事をしてる一美を見て、つい記憶の中の彼女と重ねていると、その隣からジッとこちらを見られている事に気が付いた。

 しかしその視線に鋭さは無く、かと言って熱い眼差しとも少し違う。

 


「岸田さん……? どうかした?」

 

「す、すみません! 

 その……二色さんを見ていたくなっちゃっただけです!」

 


 彼女は恥ずかしさを誤魔化すように大きめの声を出すが、すぐに冷静な表情に戻った。

 普段はふわっとした雰囲気なのに、今日はなんとなく力んでる感じが見え隠れしている。

 


「ごめん、もしかして私お邪魔だった?」

 

「全然そんなことないよ! 

 うちは一美ちゃんともお話ししたかったの」

 


 セリフでは空気を読んでいるが、ケロッとした表情の一美に対し、岸田さんは本気で焦ってる様子だ。

 それからは料理が届いても和気あいあいと女子トークを繰り広げる二人に、今度は俺が何しに来たのか分からないままとりあえず箸を進めた。

 


「ふぅ、お腹いっぱいです。

 では私は明日の講義も早いので、お先に失礼しますねー」

 


 結局夕飯を食べながら女子会に付き合わされて終わり、一美だけが一足先に駅に向かった。

 残された俺は今日誘われた目的を思い返して首をかしげる。

 


「お願いってこれだったの?」

 

「いえ、違うんです。

 あの……一駅分でいいので、一緒に歩きませんか?」

 


 仕事終わりで多少疲れてはいたが、彼女と居る時間は決して退屈にはならないので、その提案を二つ返事で承諾した。


 生ぬるく湿った空気が肌に張り付く夜は、辺りに人影が無くてもどこか騒がしさを覚える。

 しかし何か考え事をしているような彼女に、そんなことに回す思考領域は無いらしく、しばらくの間後ろを歩くだけで声を発しなかった。

 だんだんとじれったくなってしまった俺は、自分から彼女に発言を促す。

 


「今日はどうしたの? 

 なんか様子おかしいけど」

 


 顔を上げた彼女は歩みを止め、意を決したように口を開いた。

 


「うち分かった気がするの。

 二色さんが一美ちゃんを見る目は、家族を見てるような信頼感のある目。

 でも一美ちゃんはあくまで先輩として見てるから、二色さんはいつも悲しい色を出してる。

 見ていてすごく切なくなったけど、ちゃんと見ました」

 


 今日の行動の全てに納得が出来た。

 俺との関係を進展させるさせるために、自分と一美に対する対応の違いなどを確認したかったのだろう。

 そして出された彼女の結論もまた、俺を納得させるには十分な答えだった。

 


「でも嬉しかったのが、隣に居るうちの事をちゃんと意識してくれてたとこです」

 

「そりゃ一緒に居るのに無視したりは出来ないよ」

 

「ううん、そういう意味じゃなくて。

 さりげなく気を遣ったり、照れ隠しをしたり、異性として意識してくれてるなぁって」

 


 心を見透かされたようで急に恥ずかしくなり、つい頭をく。

 


「だからもう少し距離を縮めたくて。

 ここからがお願いなんですが、二人の時は下の名前で呼び合いませんか?」

 


 もっと際どい要求がくるかと期待……ではなく身構えてしまったが、なんとも純粋な心の持ち主である。

 


千紗ちさ……ちゃんって呼べばいいかな?」

 

「うん、それがいい! ありがとう錬次くん」

 


 周囲の空気に反して、一切不快感のない笑顔を見た俺は、今の自分が千智ではない事に胸を撫で下ろすのだった。

 

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