最終話 わたしたちのジャッジメント(後編)

「もう、わたしは、負けないわ。想いの量でもね。さあ、クロマークかゲロハークかなんだか知らないけどかかってきなさい!!」


 ユウは叫び声をあげた。しかし、頭の中ではマークとの間合いを冷静に計算していた。


ーーこの技、初めて使うけどわたしに上手く使いこなせるかしら。いや、今は迷っている場合じゃない。使いこなすのよ!

ーーこのビーム、いつものビームと違って圧倒的に射程リーチが短い。できるだけおびき寄せなきゃ。密着することができたらそれが一番確実なんだけど……。

ーーヤツの狙いは私のTOVIC。破ったり穴が開いたりしたら使えないから、挑発すれば必ず密着して脱がそうとしてくるに違いない!


「ほほう、ユウくん、随分勇ましいじゃないか。それじゃあ、遠慮なくいただくとしよう! すべてのレフトビハインド普通の人々のために!」


 マークが轟然と襲いかかってきた。ユウは恐怖心に堪えながら、身構える。


ーーレーちゃんのワセリンで物理打撃攻撃はほとんど無効になっている。ヤツはTOVICを傷つけてはいけないからむやみに掴んだりはしてこない。怖くても逃げちゃダメ!


 マークの腕がユウのTOVICの袖をつかむ。その握力はもはや人外の領域まで強化されている。ユウは必死にそれを振り払った。ワセリンが飛び散り、するりと抜けるユウの腕。さらにつかもうと手を伸ばすマーク。


「なんてすべるんだ。このすべり尋常じゃない!」


 マークが悔し気にうめく。ユウはバックステップで間合いを取った。

 すかさずマークが前に出て再び掴みにかかる。ひらりとかわすユウ。体を入れ替えて再びマークと正面から向き合った。ユウはじりっと半歩前に出る。ユウに逃げる気はない。


ーーもっと正面を向いてくれなきゃ。射程リーチは短いし、照射範囲レンジも狭いんだから。


「ユウは一体何をするつもりなのかしら?」

 レーは訝し気に場を注視する。マークが動いたらすぐにでもユウを支援する考えだ。


「ユウちゃん、一方的に攻め込まれてるだけに見えるんだけど。とりあえず加勢しておかないと。マジカル・ミラクル・リリカル・バニー! もっとぬめってユウちゃんを護れー!」


 メグが叫ぶと大量のなめこが降ってきた。マークは足を取られて思わずつんのめる。


「山形産最高級天然原木なめこよ! キログラム千円もする無農薬なめこなんだから。あとでレーちゃんが使う、もとい、食べるから、あんまり踏みつぶさないでよね!」


 追うマークが手を伸ばして掴もうとするたびに、身体を左右に動かしてかわしているユウ。しかしかわすだけで退く気配も反撃する気配もない。それはまるでマークとのポジショニングを測っているかのようだ。


「なんか、ユウちゃんの動きが変」

「そうね。逃げようと思えばもっと簡単に逃げられるはずなのに。身体の位置を微調整しているみたい。それよりメグ、あんたさ、さっきも気になったんだけど、うなぎとかなめことかを私が『食べる』んじゃなくて『使う』って何よ」

「レーちゃん、そんなこと私に言わせないでよ」

「二人とも、そんなことはどうでもいいのです! もしかして、ユウはアレをするつもりかもしれないのです! それは危険なのです!」

「ママ、あれってなに?」


 怪訝な顔するレーにミサは厳しい顔で答える。


「ユウにはまだ早いのです! 止めるのです!」

「あっ、ママ、危ない!」


 ミサは小さな身体で跳ねるように飛び出して、距離をおいて対峙するユウとマークの間に割って入ろうとした。全裸のレーが必死に手を伸ばしてミサを取り押さえようとするが、その手は届かない。

 ミサの叫び声をバックに、ユウの正面に回り込んだマークは勝利を確信した顔で言葉を放った。


「ふふふ、さんざん手こずらせてくれたが、お遊びはここまでだ、ユウくん。今の君のチャージはせいぜいまだEぐらいだろう。人を捨てた私にとっては蚊に刺された程度のものだ。私も手荒なことはしたくないのだ。おとなしくTOVICを渡すんだ!」


 マークは声を上げるとユウに真正面から飛び掛かった。胸を隠すように両腕を組んだユウは歯を食いしばる。


 ーー耐えるのよ。あと少しだけ。自分とTOVICの性能とママたちのサポートを信じて! 


 マークがユウまで数十センチのところで、ついに拳を振り上げた。

 その途端、TOVICが激しく反応する。


「待っていたのよ! その間合いに入るのを! 一撃で決める!」

「ユウ、やめるのです! それは危険なのです!」

「悪党に、TOVICは渡さない! たとえこの身が滅びようとも! 食らえ! おっぱいいいいい、」

「ユウ―! やめるのですー!」

「ミルキイイイーーー、スプラアアアアアアッシュウウウウ!」


 乳白色の液体がTOVICスーツから飛出する。二筋の強力な水圧を浴びたマークは後方に弾き飛ばされていった。


「あ、あれは……、TOVICの幻の隠しコマンド、ミルキー・スプラッシュ!」

 レーが呆然とつぶやく。

「普通のおっぱいビームと違って2.2MPaメガパスカルの物理破壊力を持ち、しかも超ハイカロリーで免疫も豊富。まさに地球上で最強の液体、母乳。それをチャージEから噴出するなんて……、ユウちゃん、無茶よ……」

 メグも目を見開いている。


「ぎゃあああああ」


 マークの断末魔の叫び声が矢場杉産業本社ビルの屋上に響き渡った。


 ◇◇


 ある日の夕方。季節は真夏。

 今日も暑い一日だった。赤く染まった街並みがせめてもの昼間の暑さへの天の施しだ。それでもヒグラシの鳴き声に、わずかながら来るべき秋の音色が混じっている。


 マンションのキッチンではミサがエプロン姿でフライパンを振るっていた。


「むー、身長が足りないので、お料理がしにくくて仕方ないのです。まったくレーもメグもお料理する気がまったくないのはどうかと思うのです。ユウだけはかろうじてお料理を手伝ってくれるけど、今日は三人とも仕事に行ってるのです」

「ママ―、今日の晩御飯なにー? 僕、カレーがいいなあ」

「キミにママと呼ばれる筋合いはないのです。せめておねーちゃんと呼ぶのです。今日は粒マスタードソーセージなのです。おとなしく座って待つのです」

「えー、僕おなかすいたー」

「おとなしく待つのです!! レーたちが帰ってきてからみんなで食べるのです!」

 ミサにたしなめられて少年は不承不承にダイニングテーブルに腰かける。見た目、ミサよりも少し背が低い。小学校低学年ぐらいだろうか。


 キンコーン


 チャイムが鳴った。


「ただいまー」「ただいまー」

「あ、メグちゃんとユウちゃんだ! おかえりー!」


 先にダイニングに顔を出したのはユウだった。


「ただいま、マーク。お利口にしてた?」


 ユウは飛びついて来たマークと呼ばれた少年を抱きかかえる。そこへ再びチャイムが鳴り、「ただいまー。ああ、お腹すいたわ」と声が聞こえた。


「あ、レーちゃんも帰って来た! ママ! 早く食べようよ!」

「だから、キミにママと呼ばれる筋合いはないのです! 早く座るのです! いつまでユウにしがみついているのですか」

「だって、ユウちゃん、いい匂いがするんだもん」


 少年はユウの胸に顔をうずめてくんくんと鼻を鳴らす。ユウはマークと呼ばれた少年を胸に抱いて優しく話しかけた。


「まあ、わたしのミルクが気に入っちゃったのかしらねー。でもあれはそうそう上げられるもんじゃないの。ごめんね? ふふふ。かわいいねー、マーク」

「えー、ミルク飲ませてくれないのー? それならユウちゃんのまな板グリーンピースよりも、メグちゃんのマシュマロぽよぽよの方がいいやー」


 マークはそういうとユウの胸から飛び降りてメグの方に抱き着いた。メグは苦笑を隠せない。メグの隣には部屋に入ってきて、外着を脱ぎ、パンツまで全部脱ぎ捨てたレーが立っていた。


「はあ、やっぱり服を着ていると、締め付けられて苦しいわね。しかし、マークがこんなショタになっちゃうなんて、ミルキースプラッシュの威力はすごすぎるわね」

「まあ、ある意味、一番危険な兵器なのです。戦闘意欲がなくなっちゃうのです。まったくあなたたちのパパも罪なものを作ったのです。これじゃあやっつける気もおきないのです。さ、四人とも座るのです。今日はママ特製ハンバーグなのです」

「わーい、やったー!!」


 にこにこと笑うマーク少年の瞳は純で、どこまでも済んでいた。




(了)



 なごやかにミサ、レー、ユウ、メグ、そしてマークの五人がテーブルを囲んで食事が始まった。ふとユウがマークに向かってつぶやいた。


「ところで、マーク、さっきわたしのこと、まな板グリーンピースとか言わなかった?」

「えー、言ったよ。なにかまずかった?」

「ふふふ、まずくないわよ。そうだ、ご飯食べたらわたしとお風呂に入りましょうか?」

「え? ユウちゃんとお風呂? 入る入る!」


 にこにこと元気にマーク少年はハンバーグをほおばる。ユウもそれを慈愛に満ちた目で眺めながら、こっそりメグに耳打ちした。


「メグ、ワセリンと粒マスタード出しておいて。あと歯ブラシを三本ほど。すこし折檻が必要ね」


(ホントに了)


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