第11話 ママが覚醒した朝
「ふんふんふーん♫」
あら、やだわ、わたしったら。思わず鼻歌が漏れているのに気がつきました。
今日はわたしたちの結婚記念日。腕によりをかけてご飯作っちゃうのです。もうすぐパパも帰ってくるし。久しぶりに「あなた、おかえりなさーい♡ ご飯にする? お風呂にする? それとも、わ、た、し?」 をかましちゃおうかしら♡
「ママー」
いやーん、そんなこと言って、もしあの人がその気になっちゃったらどうしましょう。子供だってまだ起きてるのにー。
「ママー、ママー、なんか変な臭いするよー?」
「え? あらやだ、ママ、ちょっと妄想しててぼーっとしちゃってたのです。ごめんね、レーちゃん、せっかくの特製ハンバーグがちょっと焦げちゃったのです」
長女のレーはわんぱくざかりのもうすぐ五歳。近所の男の子とパンツ一丁で公園を走り回っている野生児です。腕白すぎて男の子を泣かせることなんて日常茶飯事で、ママ的には困っちゃうのです。腕力も脚力も五歳児とは思えません。レーが本気で握手すると大人のわたしの手がちぎれるんじゃないかと思うくらい。この子、オリンピック選手にでもなるつもりなのでしょうか。
次女のユウは三歳。長女のレーとは打って変わって本が大好きなインドア派。でもちょっと痩せすぎなのが気になるのです。身長も体重も標準よりもだいぶ小さい。体格だけでなくて、気も小さいびびりちゃんなので、いろいろ心配なのです。
三女のメグはよちよち歩きができるようになったばっかりの一歳。まるまるつやつやぷくぷくの赤ちゃん。三人の中で一番赤ちゃんらしいかもなのです。このもちもちのほっぺたとお尻は、いつまでもぷにぷにしたくなっちゃいます。ユウとは逆にころころのおデブちゃんにならないように気を付けてあげなければならないのです。
「ママー!」
「ばぶばぶ!」
ユウとメグも寄ってきて、レーと合わせた三人でエプロンにまとわりついてきました。三人ともわたしのかわいい、何よりも大切な娘たちなのです。
「はいはい。レーもユウもメグももう少し待っててくださいなのです。パパ、もうすぐ帰ってくるのです。帰ってきたらおめでとうって言って、ママ特製ハンバーグをみんなで食べるのです」
「ママー、今日はなんのお祝いの日なのー?」
「今日はパパとママの結婚記念日なのです」
しかし、パパ遅いのです。娘たちを待たせすぎなのです。そう言えば最近なんか忙しそうにしていたのです。パパの勤める矢場杉産業は、地元ではちょっと名の知れた大企業。なんかよく分からないけど世界のトップシェアだそうなのです。すごいでしょ? お給料も結構びっくりするぐらいいいのです。我が家は経済的な苦労とは無縁なのです。ありがたい限りなのです。
とは言ってもパパの健康の方が重要なのです。パパがいて貧乏なのと、パパがいなくて裕福なの、どちらか選べと言われたら、迷わず貧乏をわたしは選ぶのです。いざとなったら自慢の悩殺ボディで水商売も辞さないのです。それはともかく、最近パパの仕事ぶりはオーバーワーク気味で、すこーし心配なのです。
キンコーン。
「あ! パパ帰ってきた―。わーい、パパ―!」
「わーい、パパだー!」
「あー、ああうー!」
レーとユウがチャイムに鋭く反応してダッシュで玄関に向かいました。レーのダッシュはオリンピック選手並み、それに比べるとユウはおっとりと、しかし両手を上げてとてとてと、最後にパンツ丸出しのメグがよちよちペンギン歩きでついていきます。
わたしはにっこり微笑みながらお料理の最後の仕上げに取りかかりました。今日は例の三択はなしなのです。パパにはゆっくりご飯食べてもらって、しっかり休んでもらうのです。
そこへレーが顔を出しました。めずらしく落ち着かない表情でわたしを呼びます。
「ママー、パパ、玄関で寝ちゃったよー」
嫌な予感がして駆けつけたわたしの目に飛び込んできたのは、真っ青な顔をして胸を押さえながらうめくパパの姿でした。
「あなた! どうしたの、あなた!」
「ミ、ミサ、……こ、これを」
苦しそうに声をあげながらパパは茶色の小瓶を背広の内ポケットから取り出しました。
「きゃっ! 血が出てるのです!」
パパの背広の中のYシャツは、血で染まっていました。わたしの背後からレーがおそるおそる声をかけます。
「パパ! どうしたの?」
「レー、……パパがいなくても、ママを護って……強く生きて、くれ。お前たちに会えて、……パパは幸せだった……」
「あなた! あなた! 一体どういうことなのです!」
「ミサ、……俺は、この世に存在するべきではない薬を、作ってしまった。この薬は、世界を変えてしまう。……悪人の手に渡るぐらいなら、ミサ、おまえが……飲んでくれ。これを飲むと、……ある途方もない能力が……、備わる。その力を使うも使わないも、……ミサ次第だ。ぐふっ」
「あ、あなた! しっかりして!」
「ミ、ミサ、……愛して……る」
パパはありったけの力を絞り出すようにして最後の「る」まで言い切ると、ふっと床に崩れ落ちました。手から茶色の小瓶が零れ落ちて床に転がります。
事態を把握できないわたしでしたが、パパが永遠に手の届かないところに行ってしまったことだけは理解しました。思わず玄関の床にへたりこんでしまいます。
「あなたー!! なんで一人で行っちゃうのですか。わたしたちを残したままで」
いつかこんな日が来るのではないかという漠然とした不安は、最悪の形で現実のものとなってしまったのです。
がちゃりと音がして玄関の扉が開き、スーツ姿の目つきの鋭い女性と外人風のマッチョな男性が入ってきました。女性の方が声を上げます。
「あ、間に合わなかった! 殺すなって命令されてたのに!」
「デス代サン、ソレよりも例の薬を」
女性は床に落ちた茶色の小瓶を掴もうとします。
「ちょっと、あなたたち、なんなのですか! 勝手に人の家に入ってこないでくださいなのです!」
「奥サン、我々は矢場杉産業特異課のモノです。ご主人が会社の重要な情報をモチ逃げしようとしたので追ってキマした。ご主人は我々の警告を無視したので発砲したところ誤って命中してシマって……」
「とりあえず会社の最重要情報のこの薬、返してくださらない?」
なんですって? 誤って命中? そんなわけあるもんですか! じゃあ、なんですか。パパは何かの間違いで死んでしまったってことなのですか。
わたしは二人の言い草に猛烈に腹が立って、デス代と呼ばれた若い女性の腕から力いっぱい茶色の小瓶をもぎ取りました。勢いがあまって瓶の封が開いて、錠剤が数粒、玄関の土間に散らばります。男性の方が慌ててその粒を拾い集めています。どうやら一粒も無駄にできない貴重な錠剤のようです。
「あなたたちには渡さないのです! どんな事情があるのか知りませんが、これはわたしの夫が、わたしに飲めと言ったモノ。絶対渡さないのです。お引き取りいただきたいのです!」
「ああ? そんなわがまま言わないでもらえます? そもそもご主人が銃の前で急に逃げようとするから弾に当たっちゃったんだから」
「ソウですソウです! デス代サンに返してくれれば、後はこちらでマルく収めておきます」
「あ、そうね。それをおとなしく返してもらえれば、ご主人の退職金と遺族年金にすこーし色を付けてくれるように上司に言っておくわ」
なに言ってるの、この女。まだ若い新人風情が、うちの主人に値段を付けるってことなのですか。
わたしは覚悟を決めて瓶の中に残っていた錠剤十粒ほどを、一気に口の中に押し込みました。台所へ走って行って、蛇口の下に顔を付け、水道水で胃の中へ流し込みます。なんのどんな薬かまったく知りません。でもパパはわたしに飲めと言いました。絶対こうするのが、正解なのです。この二人の言うとおりに渡すのはダメなのです。絶対ダメなのです。それがパパの意思なら、わたしはそれに従うのみです。わたしは唇から水道水を少しこぼしながら二人を睨みつけました。あなたたちにはこの薬は渡しません!
「わあ、この人、ジアセチル・トリメブチンⅡ酸クシェドール錠を十錠以上一気ノミしましたよ」
「ヤバいわよ。オーバードーズどころの騒ぎじゃないわ。どんな副作用出るか分かったもんじゃないのに、バカなの? この女。ボック、ご主人の遺体を担いで! とにかく会社に戻るわよ! 課長に報告しなきゃ!」
「デス代サン、了解デス! 行きましょう」
男性の方が手早くパパの身体を荷物のように肩に担ぐと、二人は嵐のように去って行ってしまいました。
わたしは呆然と玄関に座り込みます。三人の娘たちを抱きしめていると、娘たちの身体のぬくもりに涙が出てきました。
「う、う、う、あなたー!!!!」
◇
翌朝、目を覚ますとベッドの上にわたしと子供たちは並んで寝ていました。どうやって眠ったのか覚えていません。身体を起こすと、なんかいつもよりも身が軽い気がします。不思議に思って身体を動かしていると、レーがもぞもぞと起き出しました。
「レー、おはよう」
レーは寝ぼけた目をわたしに向けると、途端に目を丸くしました。
「ママ? ママなの? あれー、ママがちっちゃくなってるー!!」
◇
どのような力が働いたのでしょうか。わたしの身体はレーよりも一回り大きいだけの小学校中学年の身体になっていたのでした。
そして、もう一つ変わった点。
「レーは誰にも負けない運動能力を、それも裸に近ければ近いほどポテンシャルが向上する力を」
「ユウは運動が苦手だから、先端技術の結晶たる戦闘スーツを意のままに操ることができるオペレーティングスキルを」
「メグはまだ赤ちゃんだけど、長じたときに世の中の男性の九十八パーセントを萌やしてしまう甘々ボイスと銀河系随一の魔力を」
そう。わたしは、思い通りの人に、思い通りのスキルを付与できる、ギフトメーカーたる能力を手に入れることができたのです。
そしてわたし自身もスピードと破壊力を超ハイレベルで合わせ持つ格闘スキルを身に付けていたのでした。
「これからは自分の力で未来を切り開いていかないといけないのです。レー、分かりましたか?」
「はい、ママ。分かった……」
「レー、これからわたしのことはママではなく、おねーちゃんと呼ぶのです」
「えー、ママがおねーちゃんってなんか変」
「おねーちゃんと呼ぶのです!! 今日からわたしたちは
「……はい、お、おねーちゃん」
レーは不承不承頷きました。少し強引かもしれませんが、こうしないと世の中では生き残れないのです。厳しい現実を乗り越えないと生きていけないのです。
「そう。それでいいのです。分かったらレーはおねーちゃんと格闘技のトレーニングをするのです。パンツ一丁になって」
「えー、パンツ一丁になるのー?」
「なるのです!!」
こうしてわたしたち四人の生活が始まったのでした。
それは同時に、平凡だったわたしたちの家族の風景を根底から覆してしまった、矢場杉産業との闘いの日々の始まりでもあったのです。
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