覚醒と祝福


 二人を見送っている間に、執事のウォルトがテーブルや椅子を元に戻した。それを見て、サリアスはギョッと目を見開く。いつ部屋に来たんだろう。いや、もしかしてずっと部屋にいたのでは?

 ケーリッヒの「秘密」という言葉を思い出して、どうすればとオロオロするサリアスを見てか、ナイトレイが察した様子で大丈夫だとその頭を撫でた。

「先の話はアランの秘匿結界の中で行われていた。術者が選んだ者のみ会話できる。あの執事には聞こえていない」

「その通りでございます、サリアス様。ご心配をおかけして申し訳ございません」

 優しい瞳をしたウォルトに微笑みながらそう言われ、ようやくサリアスもホッとして肩の力を抜いた。

 そしてナイトレイを見上げる。

「お父さん、もう今日のお仕事はないですか?」

「ああ。夕食までリアと過ごすつもりだ」

 その言葉にパッと表情が明るくなった。

「それなら、一緒にこのお邸の中庭に行きませんか? お父さんと見に行きたいです。とっても綺麗なんですよ」

 ナイトレイは期待のこもったサリアスの声に軽く笑いながら、またその頭を撫でた。

「そうか、じゃあ行こう」

 差し出された手を握って、二人は部屋を出た。


 中庭にいく道中、サリアスはあれこれとアルトリス邸での出来事を父に話した。

 魔素術の訓練を見せてもらったことや、クラフトのことを本を読んで調べたこと。

 今日は魔法術と魔素術の違いを勉強をしたと聞いたナイトレイは、少し楽しそうに微笑んだ。

「お父さんも勉強なさったんですか?」

「術の話は中々興味深いからな、今でも時折本を読む。最近はどんどん研究が進んでいるんだ。魔素術は精霊術と深い関係があるという論文は面白かったぞ」

 論文というのがサリアスにはわからなかったが、話の流れから本のようなものだということは理解できた。だからこそ目を丸くする。

「魔素術が、精霊術とですか……? そのお話は凄く面白そうです。カトレーナさんに聞いてみたら教えて貰えるでしょうか?」

 キラキラと目を輝かせるサリアスに、ナイトレイは微妙な心地で苦笑した。愛娘はどうもカトレーナに夢を持ち過ぎている気がする。

 でもそれを壊すのはものすごく憚られるのだ。こんなにも期待に満ち溢れた表情が万一にも曇ったりなど、それこそナイトレイにとっては大罪だ。

 だから今のうちに、少しずつ事実を伝えるしかない。

 ナイトレイはサリアスの手をぎゅうと握って、愛娘を見下ろした。

「リア、そのな……あいつは実戦は完璧だが、座学はどうも苦手らしい。もう少しすればゆっくり休みが取れる、詳しいことは俺が教えよう」

 夢は壊れていないだろうかと心配するナイトレイだったが、サリアスはそれを跳ね除けるほどの微笑みを浮かべ、心から嬉しそうに頬を赤く染めた。

「いいんですか!? お父さんとお勉強ができるなんて、すごく嬉しいです!」

 思わずと言った様子で抱き着いてきたサリアスに、ナイトレイは耐え難いほどの幸福というものを刹那の時間で教えられた。優しい花の香りの少女は、眩しくてキラキラと輝く笑顔を惜しみなく父へ捧げたのだ。



(今すぐ仕事が爆発しないかな……)

 敬愛する父が残念なことを考えていることなど、サリアスは全く気づかなかった。


 ◇


「この先です!」

 サリアスがナイトレイの手を引いて中庭に入る。

 すると丁度吹いた風が色とりどりの花びらを巻き上げて、花の雨をサリアスに散らした。

 キラキラと花弁に混じって光が舞っている。あまりにも幻想的で美しい光景に、サリアスのみならずナイトレイまでもが見入った。

 まるで何かがサリアスのためにこれを見せてくれたような気がして、少女は父を振り返る。するとそれに微笑みを返しながら、ナイトレイは優しく告げた。


「お前への祝福だそうだ、リア」


 祝福、という言葉にサリアスはキョトンと目を丸くして小首を傾げる。何かいいことがあったのか、考えてみるもそれらしきものはない。

 静かに混乱するサリアスを見て、ナイトレイが笑う。

「目を閉じて、ゆっくり息をしながら耳を澄ませてみろ」

「は、はい」

 サリアスは言われた通り、目を閉じて大きくゆっくり息を吸って、はいて。そして意識を音に集中させる。

 すると小さくて可愛らしい声があちこちから聞こえてきた。初めは小さかったが、意識を向けるごとにドンドン声は大きくなって、たくさん聞こえるようになって。


「○☆**♪?」

「**☆#♪♪!」

「#☆○○*#☆」


 なにを言っているのかさっぱりわからない。けれどなんとなく、サリアスはその言葉に既視感を覚えた。その言葉を知っていたような気がしたのだ。

 そしてそうやって考えるうちにようやくこの声の主に思い至って、ゆっくり目を開けると。


「せ……精霊……!?」


 キラキラと輝く光は、まさに精霊の放つ光だった。

 小さな気配が声と形を持ってサリアスに集まってくる。その手にはたくさんの花びら。フワリと降り注ぐ一枚を受け止めて、ゆっくりナイトレイを見る。

 彼は優しく微笑んで、サリアスを見守っていた。

「ああ、精霊だ。お前の精霊を見る目と聞く耳が覚醒した事を祝福している」

「こんなに、たくさん……存在を感じていたけれど、どんな姿なのかは全く知りませんでした。凄く綺麗です」

 呆然とするサリアスの髪を、手を、無邪気に精霊達が引っ張った。思わずつられて立ち上がると、花びらを持った小さな精霊達が一斉にサリアスの周りをクルクルと飛び回り始めた。

 それがくすぐったくて、嬉しくて、サリアスは目を輝かせて笑う。

「☆☆*♪○♪♪!」

「わっ、あははっ! ありがとうございます! え、これもですか? わあ……お父さん、お父さん見てください! こんなにたくさんお花をいただきました!」

「*○☆☆#♪◎!」

 精霊語がまだわからないサリアスへ、ナイトレイが言葉を軽く説明してくれた。

「彼らからの贈り物だと。よかったな、リア」

 キラキラと碧の瞳を輝かせ、サリアスは心からの喜びを笑顔と言葉に乗せた。

「とっても嬉しいです! ありがとうございます、ってまだあるんですか!? あっ、わわわっ、落としちゃう!」


 花びらの雨の中でとても嬉しそうに精霊達と戯れるサリアスを見て、ナイトレイは堪え切れずに片手で柱をバシバシと叩いた。親の贔屓目は否定しないが、彼にとってはサリアス本人も精霊に見えた。

 無垢で優しい魔力を身にまとい、眩しいくらいの幸せに溢れた微笑みを浮かべる姿。ピンク色のワンピースがフワリと舞うと、それすらも花のように見えた。

 最早贔屓目など無関係だ。説明すら蛇足に違いない。

 うちの娘が最高に可愛い──ナイトレイの心はこの言葉に尽きていた。


 やがてサリアスに呼ばれてナイトレイも庭に入った。

 そして小さく笑うものだからサリアスは首を傾げる。その少女の柔らかな髪をスッと撫でて、ナイトレイはサリアスに一輪の花を差し出すした。

 精霊が髪に付けていたらしい。それに気づいたサリアスが髪を解こうとするのをナイトレイが苦笑しつつとめた。

「まだまだたくさんついている。後で鏡を見ながらとったほうがいい。それからリア、俺からも言わせてくれ」

 一言の間。

 サリアスの前に跪き、ナイトレイが微笑む。

「よく頑張ったな。おめでとう、リア」

 そうして優しく抱きしめられて、サリアスもぎゅうとその大きな背中に手を伸ばした。

 嬉しい涙が溢れてくる。それを拭うこともせずに、サリアスは必死になって言葉を紡いだ。

「お父さん、私にこの目と耳を与えてくださり、本当にありがとうございます。とっても嬉しいです。言葉にできないくらい、嬉しいです……!」

 そう二人で感動シーンに突入していたのだが、それを全く気にしない精霊達が無邪気に父娘の方へ突入してきた。

 髪と手を引かれ、サリアスは驚きつつも精霊達のほうへ戻った。

「ま、まだお花があるんですか!?」

「○☆◎#♪☆☆!」

 結局、ゆっくりする暇もないまま、サリアスとナイトレイは精霊達の祝福を堪能して過ごしたのだった。

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