失われた刻とサリアス
翌日。
昨日も戻らなかったナイトレイから突然
何やら大事な話があるそうで、準備をしておくように言われたのが今朝のこと。
準備とやらが何かわからず困っているところをロミオに助けられ、桃色に花柄のワンピースを貸してもらえた。
髪もラミエスに結ってもらって、三つ編みのおさげにしてもらった。どう見ても上等なワンピースに恐縮していると、ロミオは姉のお下がりだからと笑っていた。
そうして今。一人で椅子に座り、緊張を紛らわそうと本を読んでいたら、トントンとノックの音が聞こえた。
返事をすると開いた扉から予想外の姿が現れて、サリアスは驚きの声を上げた。
「け、ケーリッヒさん、アランさん……!?」
「リアちゃーん、見舞いに来たぜ!」
「お久しぶりです、サリアスさん」
朗らかに笑う二人をみやり戸惑っていると、ナイトレイが彼らを押しのけるようにして歩いてきた。その姿にホッとして、サリアスも立ち上がって駆け寄る。
「おかえりなさい、お父さん」
「ただいまリア、驚かせて悪かった。あの二人は調べたい事があるそうでな。すまないが、協力してやってくれないか?」
「そうだったんですね。私でよければ、喜んで」
ナイトレイの簡潔な説明に納得して頷くと、執事のウォルトが声を掛けて入室して来た。ソファの上にテキパキとお茶の用意をして、どうぞと全員に座るよう促す。
その間にアランが見舞いの花束を花瓶に入れてサリアスに差し出した。どこに置くかと聞かれ、咄嗟に窓にと頼んでしまったサリアスが慌てるよりも先にサッと置いてしまったものだから、少し驚いた。でもそれは可愛らしい花の香りの心地良さに自然と笑顔へと変わる。
直後にナイトレイからも見舞いだと紙袋を渡され、サリアスは素直に嬉しいと思うことにした。袋の中には着心地の良さそうなカーディガンがはいっており、早速羽織ってみせるとキラキラと刺繍が煌めいた。魔素術の糸が使われているそうで、説明を聞いた途端に固まってしまったのだけど……それでも嬉しくて、胸がいっぱいになった。
ウォルトが整えた椅子に皆が座ると、アランが鞄から折り畳まれた古い紙を取り出して中央のテーブルに広げた。
「これは翠の砦の近くにある、失われた刻の遺跡に刻まれていた
アランの問いに少し躊躇ったが、サリアスは思い切って身を乗り出しそれを見る。
するとまたあの感覚が蘇ってきた。
言葉であり、文字であり、音であるそれが、サリアスの頭のなかにスルリと入ってくる。
無意識のうちにそれを声に出そうとするサリアスを素早くナイトレイが止めた。その声にハッとして我に返ったサリアスに、ナイトレイの声が優しくも厳かに響く。
「リア、唱秘語は声に出して読むと唱秘術を発動してしまう。だから口にせず、意味がわかるかだけ答えるんだ」
「は、はい。あの、なんとなくですが……わかります」
「では、次を」
おずおずと頷いたサリアスに頷くと、アランは再び鞄から折り畳まれた物を取り出した。しかしそれは紙ではなく、布のように柔らかいもので、サリアスの見たことがない何かだった。
なんだろうと首を傾げつつ見守るサリアスに、アランがそれをゆっくりと広げながら説明をする。
「これは魔法術で作られた布です。唱秘語の持つ不思議な魔力が封じ込められている……筈だと言われています。サリアスさん、この布に素手で触れて貰っても構いませんか?」
「……はい」
正直に言うと、怖かったけれど。
サリアスは恐る恐る、手を伸ばしてそれに触れた。
途端に、その布に刻まれた唱秘語が光り始めた。
最初は小さく、しかしだんだんとそれは強さを増し、直視できないほどになって、サリアスは思わず手を離し顔を逸らした。
すると一気に光は消え、何事もなかったかのように最初の状態に戻ってしまった。
ドクドクと心臓が鳴って、全身の血が猛スピードで流れていくのを感じた。冷や汗がサリアスの頬と背を伝う。
息があがって、両手で胸元を押さえつけた。
(私は、今、なにをした……?)
「……スさん、サリアスさん!」
「リア!?」
ナイトレイの声に、サリアスはハッと我に返った。震える体を大きな手がしっかりと抱き締める。
心臓の音が、サリアスとナイトレイの二人分聞こえてきた。それだけでよかった。
じっとりとした嫌な汗がサリアスの体から少しずつ引いていく。同時に心も平静を取り戻し、その上からさらに落ち着けと自分で自分に何度も言い聞かせた。
そうしてようやく顔を上げたサリアスは、厳しい表情をしたアランやナイトレイ、ケーリッヒを見て息を呑んだ。
全員が厳しい表情で布を見つめている。
沈黙を破ったのは、ナイトレイだった。
「……アラン、今のは」
「私も推測でしかなかったのですが……本当にサリアスさんは、特殊な力を持っているのかもしれません」
アランの言葉に、サリアスは血の気が引くのを感じた。
「取り敢えずそれはもうしまっとけ。リアちゃん、大丈夫だ。ただ文字が光っただけだからな」
「……はい」
柔らかいケーリッヒの声に頷くも布から目を離せず、アランによってそれが鞄に仕舞われるまでサリアスはジッとそれを追っていた。
やがて気を取り直したナイトレイがサリアスを膝の上に座らせ、改めてアランとケーリッヒに向き直った。
しかしアランはまだ難しい顔で考え込んでおり、話せそうにない。その代わりにと、ケーリッヒが腕組みをしつつ詳細を口にした。
「これはアランの思いつきでな。あの討伐の時の遺跡が失われた刻の物だったとすれば、それを読めるリアちゃんになら失われた刻の物が反応をするかもしれないと言い出したんだ。俺としても無視は出来ないから、殿下に頼んでこの布を引っ張り出してきたんだ。……まさか本当に反応があるとは思わなかったが……」
ケーリッヒが眉間に皺を寄せて唸る。ナイトレイはそれを誤魔化すようにサリアスを優しく撫でて言う。
「驚かせてすまなかった、リア。もう少しちゃんと話してから頼むべきだった。だがリアの魔力や生命力に異常はない。だから何かに反応したとすれば他の何かだ」
他の何か。
ナイトレイの言葉にサリアスは小さく声を上げた。
サリアスが持つ、普通の人と違うもの。
魔力でも、生命力でもなく、サリアスという存在そのものの中の、何か。
「「奴隷紋」」
サリアスとアランの声が重なった。
思わず顔を見合わせた二人は暫くジッと互いを見つめ合っていたが、直後ナイトレイがサリアスを抱き寄せたことで我に返った。ナイトレイはムッとした顔と棘のある声でアランに問う
「……奴隷紋が、どう影響するんだ」
「いえ、そこまでは考えついていません。あくまで可能性を考えた中で、一番適当かと思ったのがそれだっただけです」
アランは若干申し訳なさそうに片眼鏡をクイと整えた。それを見てサリアスはナイトレイが彼を責めているのではと心配になり、抱きしめている腕に手を置いて見上げた。
「お父さん、私もです。私も咄嗟にそう思ってしまいました。きっとアランさんと同じ感じです」
「リア……」
「しっかし、これを知られたら本格的にリアちゃんの今後が危なくなるな」
ケーリッヒの言葉に、サリアスは身を硬くする。ナイトレイがそれを非難するように声を上げた。
「おい、悪戯に不安を煽るようなことを言うな」
「いいえ、かなり真面目な話です。ナイトレイ、貴方もこれまで研究されてきた、失われた刻の不思議な力はご存知の筈。それを発動出来るかもしれないなんて事が表沙汰になってみなさい。研究者たちはこぞってサリアスさんを実験台にするでしょう」
「じっけん……?」
知らない単語だが、不穏な意味だということくらいはサリアスにもわかった。ナイトレイがとうとう声を荒げた。
「アラン!」
「落ち着けナイトレイ! アランも、もう少し言い方を考えろ!」
ケーリッヒの一喝に、不穏な空気が霧散した。やっと重たい空気から解放されたからか、サリアスは深く息を吸って、吐いた。
「……私は先に戻ります。調べたい事が幾つか増えましたので。サリアスさん、申し訳ありませんでした。貴女に害のある事だけはしないとお約束しますので、ご安心を」
アランは手短に言葉をまとめて素早く鞄に全てをしまい、席を立とうとした。
その様子にサリアスは初めての感覚を覚えた。
(この機会を逃したら、次にアランさんに会えるのはいつになる?)
(私は本当に、安心して待つだけでいいの?)
──それは正しく焦りだった。
だからだろう。サリアスは初めて、自らナイトレイの手を離し、部屋から去ろうとするアランの元へと駆け寄った。この場の誰もが驚いてそれを見ていた。
サリアスが自分の意思でナイトレイから離れる事を選んだのだから当然だろう。サリアス自身も自分の行動に驚いていたのだから。
それでも、ここで止まってはいけないのだと。サリアスは懸命にアランを呼び止め、不器用な言葉で伝える。
「待ってください、アランさん! お願いです、私は、私の事を知りたいです! だって……だって、その文字が光ったってことは、あの時の遺跡の光も私のせいかもしれない……!」
サリアスの言葉に、ナイトレイのみならずケーリッヒも慌てて立ち上がった。
「リア! そんなことは」
「可能性は凄く高いです!」
ナイトレイが絶句した。サリアスが言葉を遮るのはこれが初めてだった。
「……私が、本当にそうだったら、あの時みたいな事がまたあるかもしれない! そうなったら、また誰かが怪我を……いえ、今度は誰かが死んでしまうかもしれない! それは絶対にだめです! だからお願いします、私に遺跡のことを……失われた刻の事を教えてください!」
「リアちゃん……」
「お願いします、私は、私のことを知りたいです」
ほとんど泣きながら、それでも必死に訴えるサリアス。その他の全員が驚きと共にそれを見ていた。
やがて、複雑な表情で暫く考え込んだアランが、ゆっくりと頷いた。
「サリアスさんが望むのでしたら、私からも調査の協力をお願いします。ですが今日は一旦解散しましょう。ラルクエス公爵にもお話がありますし、まだ貴女の体調も不安ですから。今後の事は、明日改めてナイトレイと相談させていただきます。それでよろしいですか?」
「は、はい……! ありがとうございます、アランさん」
涙を拭いて安堵の笑みを浮かべるサリアスに、ケーリッヒが跪いて手を伸ばす。そして優しく撫でながら言い聞かせるように告げた。
「リアちゃん、無理はするなよ? それから、この事は俺たちだけの秘密だ。他のやつに話したりしないようにな」
「はい、絶対に言いません」
「よし! それにしても大したお嬢ちゃんだよ。アランを折らせるとはやるもんだ」
ケーリッヒは何やら面白そうにアランさんを眺めつつ長々とサリアスの頭を撫で、最終的にナイトレイにどつかれて場所を取られた。
ただその彼の言動で部屋の空気が変わったことはサリアスにも明白で。きっとこの人は、こうして助けてくれる人なのだと、サリアスはケーリッヒをそう評価した。
ナイトレイがサリアスを連れて任務に赴いた理由にケーリッヒの存在があった理由がわかった気がする。
そしてきっとアランも。サリアスにとってもナイトレイにとっても、頼もしく信頼できる人に違いない。サリアスはナイトレイが厳しい目を向けていることに気づかぬまま、部屋を出る二人を見送った。
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