魔法術と魔素術
サリアスの生命力と魔力は順調に回復していった。
傷は既に癒えていたのだが、やっと普通程度までに回復していた生命力を戻すのには時間がかかっているだけなのだ。つまりあまり深刻な状態ではない。
だからロミオと二人で書庫に通う日々に変わりはないまま、じわじわと治療を続けていた。
ただロミオが一足先に全快したことでそれは終わった。彼がカトレーナとの訓練を再開したからだ。書庫通いだけでなく話す機会も減ってしまったのは、サリアスにとって残念ではあったけれど、その埋め合わせだとロミオは訓練を見学させてくれるようになった。
二人が行っている訓練は魔素術の制御だった。見たことのない術を知ることは、サリアスにとっても勉強になる。つまり、変わらず充実した時間を過ごしていた。
しかしやはり一人の時間が増えたのは事実。その時間を有効活用するべく、サリアスは書庫に通い続けている。
最初は司書に選んで貰った本でクラフトについて詳しい知識を得ようとしたのだが、その前提となる基礎知識がないサリアスには難しかった。
それを司書に相談し、まずは初歩的な知識がまとめられた教本で勉強することにした。
今はその知識を得ることに専念しているのだ。
◇
魔法術と魔素術には明確な違いがある。
それは使う者の魔力だ。
魔法術は、術者本人の魔力でのみ行使される最もシンプルな術だ。
消費する魔力が多いほど大掛かりな事が出来るし、体内の魔力さえ残っていれば術の行使は可能。
最大の特徴は、物質を作り出すことができ、尚且つそれを魔力と共に保存できるところだ。
世の中には
それからもうひとつ。魔法術は他人の魔力や生命力に強く反応し影響を及ぼす。
サリアスを診てくれる医士が使う魔法術が正にそれだ。
ただしこれは優れた魔力操作を身につけ、どんな影響があるのかを学び、国から資格を得た人物しか公的な使用が出来ない。医士を名乗るにはそれなりの努力が必要だ。
また優れた優れた人には「治癒士」の資格が与えられ、特別な使用が許可されている。ただサリアスの読んだ本には治癒士の事は回復特化の兵士としか書かれておらず、それ以上のことはわからなかった。
対する魔素術は、術者の魔力だけでは発動できない。空気中に存在する
魔素は場所によって性質や量が全く違う。その為、任意に術を発動する事は困難であり、魔法術と比べると少し扱いづらい術だ。
けれど利点は幾つかある。
まず、魔素術は大きな効果を得やすい。空気中の魔素は術者の魔力によって術を成すのだが、少量の魔力でも多くの魔素が反応するので、術者の魔力が僅かでも絶大な効果を発揮してくれる。
次に、魔素術は特殊なコントロールによって固定することが可能だ。これはつまり魔力がなくても術が発動するようにできるということ。サリアスやロミオが着ていた戦闘服がまさにそれだ。
ただし、魔素術の固定は相当に修練を重ねた者でなくてはできないとてつもなく困難な技なのだそう。
そして最後に、魔素術を発動する為の魔素は持ち歩き可能。よっぽど魔素同士の相性が悪い場でなければ、擬似的ではあるが任意に術を発動することができる。少量の魔力で大きな効果を得る魔素術がどこでも使えるのは大きい利点だ。魔素を持ち歩くにはそれなりの準備が必要らしい。
今の時点でサリアスが得ることができた知識は以上だ。魔法術も魔素術も、それぞれメリットとデメリットがある。それをよく知っておく事が、術の理解を深める助けとなるそうだ。
司書にそう改めて解説をしてもらい、ようやくサリアスはクラフトのことが書かれた本を読めるようになった。
基礎知識をふまえ改めて勉強すると、成る程クラフトは実に魔法術らしい食料だと納得できた。空腹を防ぐというのは、厳密には封じられた魔力を消化と共に発動し、全身に魔法術が作用する効果を簡単に言ったもの。
クラフトは食べる
◇
「そんな便利な物、なんで御者が使ってるんだ? それこそ兵士とかが使いそうなのに……」
汗を拭いながらロミオが首を傾げる。それにサリアスが同意するように「なんででしょうか」と呟くと、一足先にサッパリしたカトレーナがピンと指を立てて微笑んだ。
「兵士は肉体強化の為に魔力を使うから、自然に魔力を吸われるような物は避けるのよ。多分そのせいね」
成る程、とサリアスは頷き……改めてロミオを見た。
カトレーナに教わった方法でサッパリしようと試みているのだが、なかなかうまくいかないようだ。
ここはアルトリス邸の鍛錬場。
広々とした何もない部屋にて、サリアスはロミオの魔素術訓練を見学させて貰っている。
見学するのは三回目になるが、やはりいつ見ても魔素術は興味深い。というよりもワクワクする。
空気中の魔素と術者の魔力が反応すると、様々な色に変わって綺麗だが、その後に起こる術の現象はとても激しい。その制御は見ているだけのサリアスにも感じ取れるほど困難だ。
数回目でようやく風の魔素術に成功したロミオに冷たいお茶を差し出すと、よっぽど疲れたのかそれを一気に飲み干してしまった。
用意したカトレーナがこっそりウインクするのを見て、サリアスは微笑んで小さく頷いた。
話はクラフトに戻る。
「私もあまり使わないけど、遠征任務の時とかは結構重宝するみたいね」
「そういえば、御者は居眠りをしないように魔力を使うことがあると聞きました。でも兵士みたいにたくさん魔力を消耗することは無いから、クラフトはすごく手頃で便利な術紙なのかもしれません」
「なるほどな。魔法術は量産向けだけど装飾とかはできないもんな。この見た目じゃ貴族受けしないだろうし……かと言って平民が使うには値段が高いし」
納得した様子でクラフトを見るロミオに、カトレーナが驚いた表情を見せる。
「あらロミオ、そんなことまでわかるようになってきたの? ふふっ、リアちゃんには感謝しなきゃね。この間までは魔法術は使えないから興味ないって、本に触りもしなかったのに」
「なっ、し、師匠!」
華麗に笑うカトレーナさんに、ロミオは少しむくれた顔をしてみせる。
しかしサリアスはその言葉には首を横に振った。
「感謝をするのは私の方です。ロミオが教えてくれるから私も理解ができたんです」
ロミオが何故、あまりサリアスの部屋を訪ねられなくなったのか。訓練に身を入れるようになったのか。それがわからない程察しの悪い頭ではないつもりだ。
何やら固まってしまったロミオを見て、サリアスは少し俯いた。
「だから私も、魔素術を使ってみたかったです。詠唱は威厳を感じますし、目に見えてすごい効果があるのも格好いいですし、何より自然現象を自分で起こせるのはすごく便利ですよね」
カトレーナは「確かに残念ね」と頷いた。
「リアちゃんは唱秘術向けの魔力ってほぼ確定してるものね。使えない人はとことん使えないところは、魔素術の欠点だわ」
「でも僕はリアの術の方が好きだなあ。一回しか聴けなかったけど、歌みたいな詠唱で、すごく神秘的でさ」
何気ない様子でロミオが語ると、カトレーナがパッと目を輝かせた。
「気になる〜! 唱秘術なんて生きてるうちに一回見られたら幸運って感じなのよ。それがこんなにすぐそばに術者がいるなんて、私ってば凄くついてるわよね。リアちゃんの唱秘術、早く見てみたいわぁ!」
カトレーナの周辺がキラキラと輝いて見える。眩しいほどのそれに、思わずサリアスは目を瞬かせた。
「す、すみませんカトレーナさん。私が未熟なせいで」
「あらま、気にしないで! 魔力の安定は未熟とかそういうことは別だから。今のは私の言い方が悪かったわ。つまりね、私はすごく楽しみなの。ロミオやリアちゃんみたいに、次の世代が成長していくのが、ね」
カトレーナが微笑んでサリアスとロミオの頭を撫でる。
それを受けつつ少年少女は顔を見合わせて笑った。
次の世代と言われるとなんだかこそばゆい。特にサリアスはナイトレイの次を担う者だ。それを認めてもらえたと思えて嬉しかった。
やがて満足したらしいカトレーナから離れ、ロミオが思い出したようにサリアスに問うた。
「そう言えば、リアのお父さんは精霊術の他になんの術を使うんだ?」
「あ、えっと……あれ?」
思い返してみると、ナイトレイはサリアスの前で精霊術以外を使った事がない。なんだかショックだ。
「私、知らないです」
「え!? もうナイトレイったら、こういう大事なことすら言わないんだから」
しょぼんとしたサリアスにカトレーナが目を丸くした。どういうことなのかと視線を向けると、呆れたような表情でアッサリと教えてくれた。
「あいつは精霊術以外の術は使わないの。契約している精霊との約束でね」
「約束、ですか?」
「そう。契約をする代わりに他の術の使用を禁ずる、って約束。面倒そうだけど何とかなってるのよね」
今度はサリアスがロミオと共に目を丸くした。信じられないと言いたげに。
だが思い返してみると……サリアスは実際に、ナイトレイの精霊術の便利さを見てきたのだ。
傷を治す、書類を切り刻む、魔力を封印する、結界をはる。全部が精霊術だった。
それを話すと、ロミオは微妙な表情で成る程なと呟いた。
「ってことは、リアのお父さんって結構凄い精霊と契約してるのか……いいなぁ」
「あら、ロミオは魔素術無しでも大丈夫なのかしら?」
「え、無理です」
カトレーナのからかいへ即答したロミオに、サリアスは思わずわらってしまった。
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