一歩を踏み出すまで
ナイトレイの言葉
皆でケーキを食べ終えた夜。
屋敷を歩き回って疲れただろうと気づかわれたサリアスは、いつもより早い時間に湯浴みを終え部屋に戻った。
そこには当然のようにナイトレイがいて、サリアスをベッドに寝かせると枕元に椅子を持って来て座り込んだ。寝るまでそばにいてくれるらしいと気づき、サリアスは喜んで甘えることにした。
昼間にロミオとアルトリス邸を歩き回ったこと、中庭がとても綺麗だったこと、クラフトを食べて驚いたことまで、今日一日の出来事を話す。
ナイトレイは何やら不穏な気配を出しつつも、優しく相槌を打って全て聞いていた。
ようやく話が途切れた時、サリアスはふと疑問に思っていたことを口にした。
「お父さん、私を任務に連れて行ったのは、カトレーナさんとケーリッヒさんがいたからというのは本当ですか?」
サリアスの問いにナイトレイは少し眉間にシワを寄せたが、数秒後に渋々頷いた。
「カトレーナが俺の同期だった話は覚えているか?」
「はい。同じ時期に養成学校で学ばれていたとお聞きしました」
「あいつはああ見えて面倒見が良くてな。貴族至上主義の奴らの中に混じっていたが、染まりきってはいなかった。だから嫌味もそんなに酷くはなかっただろ?」
嫌味?
「嫌味……ですか?」
「お前を奴隷だなんだって言っていたアレだ。養成学校では元平民の生徒は凄まじい迫害を受けていた。元奴隷ともなればもっと酷いことになっていただろう」
それは、サリアスには恐らく想像が及ばないものなのだろう。ナイトレイの見ているものが、サリアスの目には浮かばなかった。
「だがカトレーナは根底は甘いやつだ。だから嫌味は言っても暴力を振るったりはしない」
「……信頼していたんですね、私を傷つける事はないと」
「まあ……そうだ」
腕を組んで不本意そうに言うナイトレイだが、サリアスにはそれで十分だった。
「精霊術士の間にある偏見を少しでも知っておいて欲しかった。勿論、お前を傷つけさせなどしない。リアが泣くことになれば、徹底的に叩きのめす気でいた」
「お父さん、ありがとうございます。お父さんから理由を聞けてよかったです」
微笑むサリアスの頬を、ナイトレイの手が優しく撫でる。それに目を閉じて甘えながらも、サリアスは明瞭に己の胸の内を打ち明けた。
「私は、本当に何も知りませんでした。そのことすらもロミオに教わらなければ気づかなかったでしょう。貴族と平民の話、貴族社会の話。偏見と差別の話。厳しいルールの中にいずれ一人で立ち向かわなければならないと、改めて思い知りました。お父さんはそんな私を心配して、守ろうとしてくれているんだということも」
「それは当たり前だ。カトレーナはいいとしても、他の精霊術士は……正直、一生リアと関わらせたくない。けれど現実はそうはいかない。いつかお前が理不尽に苦しめられるような事があるだろう」
サリアスはナイトレイの言葉に素直に頷いた。
「そうですね。きっと、もっと過酷な現実があるのでしょう」
「だがそんなものからお前を守るのが俺の父としての役目であり、ステラード家の名が持つ力だ。リアにはちゃんと知っていて欲しい」
淡い光に照らされた赤紫の瞳を見つめて、サリアスは頷いた後小さく微笑んだ。
「でも大丈夫です。私にはお父さんがいます。いつだって私を見守ってくれて、助けてくれるお父さんが」
「……だが、俺はお前を守れなかった」
ナイトレイの言葉に、思わず違うと即答しかけたサリアスの口を、彼は首を振って閉じさせた。
「中型の獅子型魔獣は、本来ならば討伐はそう難しくない。特にあの時俺達をまとめていたケーリッヒは熟練の王国戦士。その実力は戦士の中で随一と言われている。そして実際に討伐は作戦通り進んでいたんだ。問題が発生したのは、遺跡の何かが反応をし始めた時だった」
ナイトレイは、頑なに伝えようとしなかった討伐のことを自らの口でサリアスに話し始めた。
◇
あの時。
戦闘開始から数分で眷属を殲滅した兵士と魔法士達は、獅子型魔獣に総攻撃を行なっていた。
しかし数十分経った頃、突然遺跡の床や崩れた柱などが光を放ち始めたのだ。何がどうなってるのか分からずに混乱した隙を突かれ、魔獣を結界のギリギリ端まで逃してしまった。
だがそれだけならまだしも魔獣は何かしらの手段で回復をして、再び暴れ出したのだ。そこからは泥仕合だった。
「中型の魔物が回復手段を持っているなんて本当に稀なことだ。なんとか削り切りあと一歩というところで、あの咆哮があった。そして遺跡を巻き込むほどの勢いで地面が揺れて……ここから先はリアの知っている通りだ」
「そう、だったんですか……」
サリアスは呆然と呟いた。
何も気づかなかった自分を知ってしまったからだ。
バックアップとしてナイトレイを助ける為にいたのに、本当に唯々そこにいただけで、何一つ知らなかった。
本来ならば安全で短期決戦となる筈があんなに長引いていたという時点で、ロミオのように焦る方が普通だったのだと今更知った。
(お父さんの助けになりたいのに、足を引っ張っただけだったんだ)
恥ずかしくなって俯いた。
ナイトレイがケーリッヒの命令を拒否してまで探しに来てくれた事は嬉しかった。それが討伐の成功に繋がったのだから、きっと結果的にはよかったのだろう。
だがサリアスが迷惑をかけたことに何の変わりもない。
己を恥じている娘に、ナイトレイは優しく手を伸ばして柔らかな髪を撫でた。そして静かに告げる。
「お前は何も悪くない。これは俺だけでなく、あの場にいた全員がそう言っていることだ」
「……でも、私はお父さんに迷惑を」
「かけていない」
ナイトレイの声と微笑みに、サリアスはおずおずと頷いた。すると今度はナイトレイが俯いて、悲痛な表情でサリアスの手を両手で握る。
驚いて目を見開く少女に、ナイトレイの切実な言葉が響いた。
「リア、俺を許さなくていい。軽率な判断でお前を危機に晒した。これは事実だ」
「おと……さん」
「……すまなかった。怖い思いをさせて、辛い目に遭わせて……本当にすまなかった」
懺悔のようなそれに、サリアスは段々と目を潤ませて首を横に振った。ナイトレイの手を内側から握り返し、必死に縋る。
「お父さん、これは勝手に行動した私の自業自得なんです。お父さんが助けてくれなければ、私は死んでしまっていました。助けてくれたお父さんが謝ることなんて何もありません!」
「リア……」
呆然と、ナイトレイが名を呼んだ。
「私、もっと頑張ります。たくさん勉強します。精霊を見られるように一生懸命感覚を鍛えます。だから、また私を連れて行ってください。もちろんお父さんのお許しを待ちます! だから、だから……私を、お父さんの弟子のままでいさせてください……!」
サリアスは頬に伝う涙を拭うことをしなかった。ナイトレイはしっかりと握っていた小さな手を、ゆっくりと額にあてる。サリアスの手にその体温がじんわりと移ってきた。
ナイトレイが何かと葛藤しているとすぐにわかった。けれどそれがなんなのか、知識のないサリアスには見当もつかない。だからひたすらに待つ。願いを込めた瞳をまっすぐに向けて。
どのくらい、そうしていただろう。
ナイトレイはゆっくりとサリアスの手を離し、潤んでキラキラと揺らめいている碧の瞳に目を合わせた。
「……リア、頼むのは俺の方だ。また怖い目に遭うかもしれないし、今度はもっと酷い怪我をするかもしれない。それでも、俺はお前にしか精霊術を託せないんだ。どうかステラードの精霊術士になってくれ、サリアス」
久しぶりの名の呼び方。ナイトレイの願いを聞いて、少女はやっと微笑んで頷いた。
「はい、もちろんです。私はお父さんの娘で、弟子ですから」
サリアスの言葉に、今度こそナイトレイは安堵したように微笑みを返した。
握っていた手を離し、小さな頬の涙を拭いながら、低く柔らかな声がサリアスに話を続ける。
「任務に同行させる機会はこれからどんどん増えるだろう。だからといって焦ることはない。俺はお前が回復し、問題なくバックアップを務められると判断するまで、同行は許可しない。だからリア、今はお前の体を休めることに専念しろ。これは師としての言葉だ」
「はい。しっかり休んで、お父さんを安心させられるくらい元気になります」
「ああ。俺もそばで見守っている。さあ、そろそろ寝ろ。寝坊したら朝食を一緒に食べられないからな」
「はい。おやすみなさい、お父さん」
「おやすみ、リア」
ナイトレイに優しく頭を撫でられながら、サリアスはゆっくりと時間をかけて夢の世界へと旅立った。
父がどんな顔で、どんな気持ちでそれを見守っていたのか。できれば知りたかったなと思いながら。
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