その涙の名は
また一時間ほど歩き回った後、サリアスとロミオは二階のテラスにておやつを食べた。
サリアスのおやつの義務はまだまだ続いている。毎日それに付き合っているロミオは嬉しそうにしているが、段々とおやつより談笑の方がサリアスには楽しみになっていた。
ついでに、世の中のお菓子は甘いものばかりではないのだと知ったのもロミオのおかげだ。彼は甘いものが少し苦手で、時々サリアスとは別の物を用意して食べている。
前に綺麗な見た目の箱に並んだ宝石のようなチョコレートの一つを食べた時は驚いた。舌がじんわりと痺れて、甘さより苦さの方が優っていたのだ。
ビターチョコレートという名を知ったのもその時が初めてだった。
「そういえば、リアは家でどんなお菓子を食べていたんだ? どこかいい店とかあるのか?」
今日の分のお菓子を食べ終わったロミオが問う。とてもいい匂いの紅茶を飲みながら、サリアスは軽く首を横に振った。
「お屋敷の外のことはまだあまり知らないんです。でもお菓子はいつも美味しくて……クッキーやケーキ、ドーナツ、パンケーキをいつも食べていました。全部お屋敷の料理人さんが作ってくれているとお聞きしましたよ」
「へえー、なんかいいなぁそれ。うちは見ての通り買ってきたものばっかでさ。もちろん美味しいけど……王都の店のお菓子はほぼ食べ尽くしてるから、飽きてきちゃって」
サラッとロミオが述べた言葉に、サリアスは思わずギョッとして声をあげてしまった。
「こ、これを!?」
「え? うん」
ロミオが公爵家の者だということを、また改めて一つ認識させられた。ずらりと並んだお菓子を思い浮かべながら、若干呆然と飽きたとの言葉に納得する。
「お屋敷で食べていたお菓子よりずっと凄い物ばかり……凄いです。でも確かに、何度も食べていると特別感が薄れちゃいそうですね」
「そうそう。僕もなんとなくつまらなくなって、お菓子そのものを食べなくなってたんだ。今はリアと食べているからまだ新鮮な感じだけど」
そのうちまた飽きちゃいそう、と困ったように笑うロミオを見て、なんとなくサリアスも戸惑った。
「アルトリスのお屋敷の料理人さんは、お菓子を作らないんですか?」
「食後のデザートはあるけど、こういうお菓子はどうだろう……? 前に、ウォルトとラミエスからクッキーを貰った事があったけど……あ、ウォルトはうちの執事長で、ラミエスはメイド長。二人とも会ったことはあるよな?」
「はい。ウォルトさんはお父さんのように気遣ってくれますし、ラミエスさんは今朝も髪を結ってくれました」
「あの二人は夫婦なんだ。今は息子夫婦に家を譲って住み込みで働いてるけど、前は近くの町で家族と暮らしてたらしくて、料理も交互に作ってたんだってさ。それで少し前に、孫にプレゼントするためのクッキーを分けて貰ったんだ」
ロミオの話にサリアスは目を丸くした。全く気が付かなかった。
「ウォルトさんとラミエスさんは夫婦なんですか!? 初めて知りました」
「二人とも公私を完全に区別してるしな。だから余計に特別って感じがして美味しかったよ」
「確かに、プレゼントのお菓子は特別ですね。……そうだ! あの、ロミオがよかったら、一緒に食べてみたいものがあります!」
◇
ロミオに案内されつつ自分の部屋に戻ったサリアスは、いそいそと机の上の鞄からそれを取り出した。
隣から覗き込んでいたロミオが首を傾げる。
「なんだそれ?」
「クラフトという非常食だそうです。私もまだ食べたことがないんですが、お父さんに初めてプレゼントした物なんです。お菓子とは違うものですが……」
そう言いつつ、サリアスは御者のヴィンセントに聞いた説明を思い出しながら話した。するとこれはロミオも知らなかったものらしく、もの凄く興味を持ってくれて、若干食い気味に食べてみたいと言ってもらえた。
嬉しくて思わず声が跳ねる。
「一本で一日お腹が減らないそうなので、一口でもいいですか? それならお夕飯までには効果がきれていると思います」
「ああ! 世の中にはこんなに便利なものもあるんだな。じゃあ、いただきまーす」
「いただきます」
パクッと。
二人で一緒に口にして、しばし味わい飲み込んだ。
サリアスには変化がよくわからなかったものの、とっても甘い味だった。それをロミオに伝えてみると、少し辛めの味だったと言われ、二人で目を丸くした。
どうやらそれぞれの好みの味がするらしい。これがものすごくサリアスとロミオの興味を惹いた。
「魔法術で作られてるなら、その効果かな? 魔法士の人なら詳しい理由がわかるかもしれないけど……」
「ロミオの知り合いの人に、魔法術士の方はいらっしゃいますか?」
「知り合いと言うか、僕のお婆様が魔法士だったんだ。もう引退してるけど。でも領地にいるから中々会えないんだよなぁ。手紙だと時間がちょっとかかるけど、リアが良ければ聞いてみるか?」
「いいんですか!? 私、精霊術と唱秘術しか知らないから、この機会に調べてみたいです!」
サリアスが思わず前のめりで迫ったからか、ロミオは驚いていたが、すぐに笑って頷き、そしてサリアスの言葉に確かにそうだと同意した。
「魔法術と魔素術の方が実際に見る機会は多いし、今のうちに勉強する方がいいかもな」
「はい。ステラードのお屋敷にいた頃はあまり時間が取れなかったんです」
「じゃあ今日は夕飯まで書庫で本を探そうよ。うちの書庫はすっごく広いから、色んなことを調べられるし。それにもしかしたらクラフトの事もわかるかもしれない」
ロミオの提案に、サリアスはまたも食い気味に賛成した。
◇
すっかりテンションが上がったサリアス達は、ワクワクしながら書庫での本探しを楽しんだ。けれどあまりにも量が多かったので、書庫を管理する司書さんにお願いして、関係がありそうな物を選んで貰うことにした。
そしてそれを待つ間、二人はそれぞれが最近読んだ本の話を始めた。サリアスの方は精霊術について書かれた本だったので、話題は自然と自分たちのことへ移り変わる。
この時になってようやく、サリアスはロミオが自分の一つ上で、精霊術だけじゃなくて魔素術も使える事や、師匠のカトレーナも同じく魔素術も使いこなす精霊術士だと知った。
ロミオが彼女の弟子になったのにはそういった経緯があったのだ。そして精霊を感じる才能と魔力の質は全く別なのだと知って驚いた。
「本当にリアは知らないことが多いな」
ロミオがまた苦笑するも、嫌な感じは全くしない。だからサリアスも素直に頷いた。
「そうですね、こうして教えてもらってようやく自覚したくらいです」
「じゃあついでにこの家……アルトリス公爵家のことも教えるよ」
ロミオの家、アルトリス公爵家は攻撃性の高い精霊術士の家系で、魔素術か魔法術を合わせて使うのが特徴だ。
ロミオが早くからバックアップで実戦経験を積んでいるのは、攻撃する時に躊躇いを少しでも無くす為なのだそう。養成学校を卒業したらすぐに王城の精霊術士となり、討伐任務に従事することが、アルトリス公爵家に生まれた者の義務であり、使命だそうな。
ロミオが背負うものを垣間見たサリアスは、神妙に討伐任務のことを思い返した。
「カトレーナさん達がそんなに先の事まで考えられていたなんて、想像もしていませんでした。じゃあもしかして、お父さんが私を連れて行ってくれたのも、何か理由があるんでしょうか」
「実は僕も気になってたんだ。リアは魔力を封印したばかりで、お医者さんにも生命力の回復をするように言われていたんだろ? なんでナイトレイは、こんなに早くリアを連れて行ったんだろう」
二人で悩んでいると、軽いノックの後書庫の扉が開いた。そして入ってきたのは、まさに今話題となりつつあるナイトレイその人だった。
サリアスは嬉しさのあまり思わず駆け寄って抱き着いた。
「お父さん! おかえりなさい!」
「ああ、ただいまリア」
サリアスを軽々と受け止めたナイトレイは、とても嬉しそうに、そして安堵したように少女を抱きしめた。
「動けるようになったんだな、よかった」
「色んな方々にお世話をして貰えたから、すぐに元気になりました」
「これならあと数日で帰れそうだな。皆リアに会いたがっていた」
ナイトレイの言葉に笑みを浮かべて、しかしハッとしてサリアスはナイトレイから離れ、口元を両手で隠した。
「私も……その、会いたいです。ロミオ、良くしてもらっているのに、わがままを言ってごめんなさい」
律儀な少女に、少年は暖かい苦笑をした。
「気にするなよ、リアにとって大切な家族なんだろ」
「……はい。とっても大切な家族です」
フォローをしてくれたロミオに、サリアスははにかみながら頷いた。
それを見守る司書とナイトレイは二人して変なうめき声を漏らす。変な声に我に返ったサリアスは、ちょうどよかったとナイトレイの袖を引っ張った。
「あの、お父さん。お父さんはなんで、私をバックアップに連れて行ってくれたんですか?」
ナイトレイは娘からの突然の質問に少々驚いたが、すぐに軽く微笑みながら答えた。
「そういえば言ってなかったな。外を見せる、多くの人々を見せる、同業者を見せる、俺の仕事を見せる……色々あったが、何よりも難易度が低くて好都合だったからだ。あんな事故が起きるなんて予想もしていなかった」
「私とケーリッヒがいたってのもあるんじゃない?」
聞き覚えがありまくりの艶やかな声に、サリアスはひょこっとナイトレイの後ろに顔を出した。そして炎のような美しい髪に笑みを浮かべた。
「カトレーナさん!」
「こんにちは〜リアちゃん。もう動いていいって聞いたから、お祝いにケーキ買ってきたわよ!」
そう言って差し出された箱を見て、サリアスは目を丸くしたのだが……その言葉に驚きの声をあげたのは二人の少年と父だった。
「えっ、師匠も!?」
「なっ、お前もか!?」
「「「……えっ?」」」
全員の視線がサリアスの頭上にて繋がった。
サリアスは何が何だかわからなくて、きょろきょろと三人を見回すしかない。数秒の硬直状態から一番早く復活したのはナイトレイだった。
「……俺はナターシャ達に頼まれて、セルリアンガーデンのケーキを買ってきたんだ。俺とリアの二人分」
「私もセルリアンガーデンのケーキを買ってきたわ。私とロミオとリアちゃんの三人分」
「僕もウォルトに頼んで、セルリアンガーデンのケーキを、リアと僕の二人分……」
ナイトレイが深呼吸のようなため息を吐いて、軽く頭を抱えた。
「合計七つのケーキときたか……。いやまて、まさか……お前達はどのケーキを買った?」
「「ウンディーネショートケーキ」」
この時ようやく事態を把握したサリアスは、でもやはりどうすればいいか全くわからぬまま三人を見守るしかない。
見守るしかない筈だったのだけど……ジワジワと込み上げてくる暖かくて熱い何かに頭のてっぺんまで包まれて、気付くとポロリと涙が溢れていた。
サリアスが慌てるよりも先に、三人が慌て出した。
「リア!?」
「どうしたんだ!?」
「リアちゃん、大丈夫?」
心配そうに寄り添われて、それがさらに胸を温めた。涙がどんどん頬を濡らす。
生まれて初めての経験だった。
「あ、れ……? なんでだろ、嬉しいのに……」
慌てて目を擦るも、涙は溢れて溢れて全然止まらない。
途方に暮れるサリアスだったが、優しい手頭をそっと撫でてくれるのがわかって顔を上げた。
そこにはナイトレイがいて、微笑んでサリアスを見下ろしていた。それだけでサリアスは安心して、そしてぎゅうとナイトレイに抱き着いた。
「お、とうさん。私、うれし、ん、です。ほんと、です」
「わかっている。喜んで貰えて俺も嬉しい。心配するな、リア。人は嬉しい時も涙が出るものだからな」
「……っ、よかっ……た……」
嫌じゃない、とっても嬉しいってわかってもらえたことに安堵して、サリアスは差し出されたハンカチで涙を拭いながら微笑んだ。
そしてその日の夕食後、長いテーブルに並べられた七つのケーキは、その名の通り蒼くキラキラと輝いていてとても美しかった。
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