失われた刻と唱秘術
サリアスはここに揃った人々を見回して、少し不安になってきた。
サリアスとロミオは、おそらく討伐の邪魔をした。ナイトレイとカトレーナもきっと心配しただろう。そしてそこに現れたのが討伐の指揮をとる戦士の二人。
何故ここにいるのか、頭の中をよぎったのは“罰”の文字だった。
思わずナイトレイを見上げると、少しだけ表情が硬くなっている。やはり何か罰があるのかと一気に不安になったが、そんなサリアスの様子に気づいたアランは表情を緩め、優しく「大丈夫ですよ」と言った。
「今回の件に関しましては、どなたにも処罰などはありません。我々がここに来たのは別の話の為です」
「ああ、そうだ。まあナイトレイには面白くない話だろうがな」
ケーリッヒが微妙な顔で腕を組む。こうして見ると討伐の時よりも落ち着いて威厳のある人に見えるから、不思議なものだ。
そんな彼からナイトレイは渋い顔をして目を逸らした。
「別にそんなことは……」
「そんな顔してたら説得力ないわよ、ナイトレイ」
カトレーナが苦笑しつつ、本題に入るよう促した。
因みにサリアスは念の為に横になったままだ。何となく恥ずかしかったのだけれど、ナイトレイは断固として起き上がらせてくれなかった。
「まず、サリアスさんの魔力についてです。ロミオさんの報告によると、謎の言語による歌を歌ったそうですが、記憶はありますか?」
「歌……?」
キョトンとするサリアスだったが、ロミオを見た途端にそういえばと記憶が浮かんできた。
あの時、壁を見ていたこと。魔獣に追い詰められ、ロミオに抱えられたまま模様を目で追ったこと。
そして光がそれを照らして、模様が文字だとわかった瞬間のことまで。
ただ、思い出せたのはその断片的な記憶しかなく、それを言葉にするのもサリアスには非常に難しいことだった。
「……あの壁に、文字が、刻まれていました。でも、何で読めたのか、どういう風に読んだのかは……」
「あー無理もないな。ロミオの言っていたような極限状態の時の記憶なんて、残る方が珍しい」
ケーリッヒの苦笑に、アランが頷いた。
「ええ、寧ろよく覚えているほうかと。サリアスさん、単刀直入に申しますと、貴女の読んだ文字は失われた刻の言語……即ち
「…………え?」
「やはりか」
ナイトレイが不機嫌そうに腕を組んだ。
サリアスは言われたことがよくわからず混乱していた。
唱秘術という言葉自体に馴染みがない。稀に使える人がいるという術、程度しか知識がないからだ。
疑問と困惑で言葉を詰まらせるサリアスだったが、気を取り直したらしいナイトレイに頭を撫でられてなんとか頷いた。
「リアは唱秘術についてはまだ知らなかったな」
「はい、珍しい術としか……」
「ならまずは失われた刻から話そう。失われた刻というのは、今よりずっと昔の俺たちと同じく知恵を持って生活していた存在がいた時代を指す。失われたと呼ばれているのは、その存在や文明が原因不明の何かによって滅び、再現不可能になってしまったからだ。ここまではいいか?」
「はい、わかりました」
頷くサリアスに、ナイトレイは微笑んだ。
「次に唱秘語だが、これは失われた刻の人々が使っていたとされる言語の事だ。これを読み、理解し、話すことによって、唱秘術が発動する。だがそれができる者は殆どいない。研究者によって翻訳も進んでいるが、正しく読む……つまり歌うには特殊な魔力が必要不可欠。そしてその魔力を持つ人間は稀少なんだ」
読んで、理解して、
その言葉にサリアスは不明瞭だった記憶が一部鮮明になるのを感じた。
「あっ……そう、だ、私……あの文字を見た途端、それが言葉で、文字で、音だって……何故かわかったんです」
あれは、よくない事だったのだろうか。
不安になり、サリアスは思わずナイトレイの服を摘んだ。
勝手にそんな術を使ってしまったなんて全然わかっていなかった。段々とあの時のことを思い出し、指先が震えてしまう。
しかしその手をしっかりと握ったナイトレイが、サリアスの不安を追い払うように語り掛けた。
「リア、心配しなくても大丈夫だ。稀だというだけで、使用に縛りがあるわけではない。確かに、研究者は唱秘術の使用には気をつけるようにと言っているが、それは魔力をどの程度消費するかわからないからだ。同じ効果でも魔力の消費に大きな差があったりと、実験の結果が不安定でな。だからリアが唱秘術を使った事は悪い事ではない。むしろロミオを助けたんだから、使えて良かったんだ」
「その通りだよ。もしあの時、リアが結界を張って、僕を癒してくれなかったら……僕もリアも、死んでいた。アランさんの魔法に応答できたのも、リアの力で魔力を回復できたからなんだ」
ロミオの言葉に、サリアスはようやく小さく頷いた。
……死。
そう、あの時、怖くて仕方がなかった。
サリアスがそれに押し潰されなかったのは、ロミオがそばにいてくれたからだ。
サリアスはロミオに手を伸ばした。気づいた彼が握り返すと、ありったけの心を込めて感謝の言葉を述べた。
「あの時、私が諦めずに文字を読もうと思えたのは、ロミオがいてくれたお陰なんです。そもそも私が唱秘術を使えたのも、ロミオが落ちた直後の私を一生懸命助けてくれたからです。だからロミオは私の命の恩人で……えっと、その……助けてくれて、そばにいてくれて、ありがとうございました」
ギュッと、握る手に力を込める。ロミオは驚いた様子で目を見開き震え出した。じわじわとその瞳に涙が滲むのを見て、サリアスは慌てて謝ろうとしたのだが。
「……っ、リアぁ!」
「ひぇ!?」
掴んでいた手を引かれて、サリアスはロミオにぎゅうと抱き締められた。
小さく何度もありがとうと言うのが聞こえて、驚いて固まっていたサリアスもありがとうと言って笑った。
「天使かな」「可愛らしいですね」「良心がギリギリする」
「おい! さっさと離れろ!」
「まあまあナイトレイ、ちょっとくらいいいじゃないの」
「よくない! リアは俺の娘だぞ!」
「すっかり子煩悩になったなあナイトレイ」
「いえいえ、サリアスさんは少しこういった事に疎いようですから、あれくらいの警戒をする方が良いかもしれませんよ」
「とにかく! 俺の娘から!! は な れ ろ!!」
「ベフッ!」
騒がしくロミオから離されたサリアスは、ナイトレイにしっかり抱えられてベッドに戻った。
そして膝の上に乗せられ、しっかりと腕を回される。
とても楽な姿勢になれたし、やっと皆の顔を見て話せると嬉しくなって、サリアスが素直にありがとうと言うと、ナイトレイも微笑み返してくれた。
まあ、ちょっと腕に力が入り過ぎているけれど、きっと落ちないように守ってくれているのだろう。
一通りを見守っていたアランは、何事もなかったかのように微笑んだまま話を再開した。
「さて、話を続けましょうか。サリアスさん、貴女はまだ魔力が安定せず、その量もいまだに増え続けていますが、唱秘術を使えるという事は確実です。その為、王国直属の研究機関において協力の要請が来ています」
「却下だ」
あまりの即答っぷりにサリアスのみならずケーリッヒやカトレーナすらもポカンとした。
「おいナイトレイ、気持ちはわかるが最後まで聞け。本当に変わっちまって……まさか偽物じゃないよな」
「えー、ゴホン。ですが、サリアスさんはステラード家の精霊術を受け継ぐという重大な使命があります。その為、様々な場所に相談を持ちかけまして……貴女には精霊術士の養成学校へ行って貰う事になりました」
「却下だ!」
再び即答したナイトレイを、しかしアランは静かに見つめている。笑みはない。
「これは決定事項です」
「行かせるわけないだろう! まだ魔力も安定していないし、体にも不調が残っているんだぞ!」
大きな声で責めるように怒鳴るナイトレイを腕の中から見上げ、サリアスはどうしようと焦る。
その直後、ケーリッヒが慌てた様子でナイトレイの暴走を止めた。
「落ち着けナイトレイ、何も今すぐってわけじゃない!」
「……は?」
「その通り。養成学校に行く事は決定しましたが、それは生命力が全快した上、魔力が安定してからです。だから今はゆっくり回復に専念していただきます」
「それならいいだろ!? な!? それにカトレーナだって、ロミオを通わせる予定だろ?」
急に話を振られたカトレーナだったが、戸惑った表情をしつつも確と頷いた。
「そのつもりだけど……これはリアちゃんに合わせた方が良さそうね。ロミオもそれがいいでしょ?」
サリアス同様に流れを見守っていたロミオはカトレーナの言葉にパッと表情を変えた。
「いいんですか!? 師匠が許していただけるなら、僕もリアと一緒に学校へ行きたいです!」
「死地を共に乗り越えた仲間が一緒なら、さらに安心じゃないか! な? これで納得してくれよナイトレイ」
ケーリッヒが必死に説得する。
ナイトレイは流石に言葉に詰まった様子で、しかしまだ黙り込んでいる。
その姿を見て、サリアスは胸元をぎゅうと掴み、これは自分がやるべきことだと悟った。
奴隷であるサリアスには本来自由意志はない。ナイトレイ……ご主人様の意思に従うと、契約でもその後でも告げていたし、撤回するつもりもない。だけど、自分の正直な気持ちを伝えるのも大切なのだと気づいた。
だからこれはサリアスが言わねばならないことだ。
ナイトレイの手を両手で包んで、目を閉じた。サリアスは色々と足りない頭の中で一生懸命に言葉を探し、話し始めた。
「私は初めての任務で色んなことを学びました。戦う人とその背を守る人の絆の大切さ。いろんな人達と共に戦う大変さ。誰かを守って、守られて、そうやって生まれる強い力があるということ」
サリアスの言葉に、ナイトレイのみならずその場の全員が耳を傾けている。
「私は、お父さんの為に生きることが喜びであって、生きがいであって、使命です。奴隷としても、娘としても。だからそのためにたくさんのことを知りたい。私に出来ることを精一杯やって、お父さんの助けになれるよう頑張りたいです。私がどうすればいいか、どうするべきなのか、教えて下さい……お父さん」
言い切ったサリアスは愛する父の手をぎゅうと握って、その顔を見上げた。
ナイトレイは暫く考え込んで、悩んで、葛藤をして。そうしてようやく口を開いた。
「リア。お前は俺の……命よりも大切な娘だ。見習いであろうと奴隷であろうと、俺のところに来てくれて、家族になってくれた。それだけで十分だと思っていた」
はい、と。サリアスが頷く。
その小さな手を大きな手で包み直して、ナイトレイは絞り出すように告げた。
「それでもお前が、前に進むと決めたのなら、俺は……リアの師匠として、父として……」
「はい」
「…………養成学校に行くことを、許可する」
「っ、はい!」
「でもまだダメだからな! 俺がいいと判断するまでは絶対にダメだからな!」
「はい、私はお父さんのお許しを待ちます」
正面に回り、ぎゅうと自分を抱きしめるナイトレイをを、サリアスも抱きしめ返した。全然力が入っていないので置いているだけでしかないけれど、それでも十分だった。心が満たされていたから。
大切な娘だと言ってもらえて嬉しかった。幸せだ。ナイトレイはサリアスにたくさんのものをくれた、誰よりも大切な父だ。だからその思いに報いたい。
「ありがとう、ございます。お父さん」
嬉しくて嬉しくて、それだけしか言えなかった。
そしてそれを見守る面々は。
「失礼、ちょっと目にゴミが」
「俺も昨日の玉ねぎが効いてきた」
「私も良心が滲みてきたわ」
「……リア、僕は……」
親子の絆に影響され各々目を拭う中、ロミオは胸に渦巻く複雑な想いになんとも言えない顔をしていた。
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