知らない筈の言葉


 真っ暗な視界の中で、ぼんやりと意識が瞬きした。

「ぉぃ、ぉい、……おいっ!!」

 声がする。

 身体を揺らされているのがわかる。

 返事をしようとするが、力が入らない。どうしても動けない。目を開けることすら出来ない。かろうじて息だけはできているが、それだけだ。

「くそっ、今助けてやるから死ぬな! おい! 聞こえてるか!?」

 尚も響く声は何かしているのか、唸り声に変わった。

 そして少しすると、ぐいっと手を引っ張られた。


「おい、おい! 生きてるよな!? 今助けるからな!」


 暖かい。返事の代わりに掴まれた手に力を入れて何とか動かす。

 それが伝わったのか、良かったと安堵の呟きが聞こえた。

 手が離れて、うつ伏せだったのであろう身体を仰向けにされた。そのまま両脇を持ち上げられ、ずるずると引っ張られていく。

 落ち着ける場所に来たのか、少し姿勢が楽になった。

 さっきまでサリアスを呼んでいた声は、ぶつぶつと別の何かを呟いている。

「くそっ、ポーションも残ってない……! おい、ケースを見るぞ!」

 太腿のケースを漁る音。気配。

 ライフポーションが残っていると喜ぶ声。それはとても聞き覚えがあるもので、サリアスは目を緩々と開いた。


「せ、んぱい…?」

「気がついたか!? 待ってろ、今ライフポーションを飲ませるからな!」


 そう言われてから数秒後、柔らかい感触と共に覚えのある苦い薬液がサリアスの喉に流れ込んできた。一生懸命飲むと一旦間を置いて、また飲まされて。

 それを数回繰り返したところで、ようやく自分の身体に力が戻って来たのを感じた。

 目を開けるとようやくロミオの顔が見えた。ホッとしたような、今にも泣きそうな、そんな表情でサリアスを見下ろしている。

「大丈夫か……? わかるか?」

「はい、ぁ、りがとう……ござ、ぃます。ここは……どこですか?」

 虚な視界を動かすも、ロミオ以外の何もわからない。

 そんなサリアスを思い遣ってか、意識して鎮められているロミオの声が聞こえてきた。

「わからないが、遺跡の地下なのは確かだ。あんな高さから落ちたなんて……戦闘服がなかったら即死だった」

 その言葉に、じわじわとさっきの出来事が思い出された。


 恐怖で頭がいっぱいになって、心臓が痛いほど脈打って。

 そしてロミオも一緒に落ちたのだと気づきゾッとした。

「先輩の、怪我は」

 突然なサリアスの問いに、しかしロミオは数秒の躊躇いの後に答えてくれた。

「平気だ。……お前が守ってくれたから、怪我はない」

「そう、ですか……よかった」

「よくない! お前は重傷なんだぞ!」

 声が震えている。滲む視界には泣きそうなロミオの姿がある。

 サリアスは手を伸ばそうとしたが、全く動かなかった。


「具合はどうだ? 一応、目立つ傷はポーションで治療したし、生命力もさっきのライフポーションである程度は戻っている筈だけど」

「はい、だいじょ、です。すこし、待てば、うごけます」


「ば、ばか! 動くな! ジッとしてろ! 助けが来るまで安静に」


 ヒュンと、風を切る音がした。

 

 次の瞬間、ロミオの声をかき消す轟音と共に、巨大な何かがサリアス達のすぐそばに落ちてきた。

 悲鳴も上げられず固まっていると、ロミオが動けないサリアスを抱き上げてズルズルと後退り始めた。彼には何が起きたのかわかっているようだ。

 尋常じゃない気配。精霊の気配をアッサリと塗りつぶすそれは、恐怖でサリアスを縛り上げるには十分で。ただでさえ震えている声がつっかえそうになる。

「せんぱ……」

「嘘だろ……おい……っ!?」

 恐怖と絶望の入り混じった声。そしてそれを裏付けるように、激しい咆哮がこの空間に響き渡った。


「なんでここに魔獣が来るんだ!!」


『グガガアアアアアアア!!!!』


 サリアスは直感的に状況を理解した。咆哮で空気が痺れて、精霊の気配が散っていく。

 あれは、あの音は、地響きのものじゃなかった。

(討伐対象のこの魔獣の声だったんだ……!)

 怖い。視界が歪む。涙が出てきて止まらない。

 ロミオが正面から強くサリアスを抱き締めながら、おそるおそる中腰で後退する。きっと魔獣と目が合っているのだろう。背を見せたらその瞬間に襲われる。

 サリアスも懸命に動こうとするが、深く傷を負った身体はまだまともに動いてくれない。

 そうするうちに、やがて。

 トン、と。

 何かに当たる音がした。


「なっ…………」


 ロミオの呆然としたような声がサリアスを揺らす。

 目を開けるとそこには壁があった。

 逃げ道がなくなった二人の元へ、魔獣がゆっくり近づいてくる。もうどうしようもないのだと、ロミオの腕がガクガクと震え出したのを感じて、サリアスは霞む視界でそっと瞬きをした。

 真っ白になった頭で、ぼんやりと壁を見つめた。

 人は死ぬ時それまでの幸せな記憶を思い出すとどこかで聞いたが、出鱈目だったと残念に思う。

 壁には何かが刻まれている。模様にしては規則性がない。こんな状況じゃなければ、じっくり眺めて調べて、ナイトレイと共に何だろうと語り合って……そんな未来があった筈なのに。

 今はどうだ。その希望はただの願望に、そして現実逃避になれ果ててしまっている。


 魔獣の魔力が高まるのを感じた。同時にサリアスは体内の魔力が減っていくのもわかった。

 ロミオも同じなのだろう。声にならない悲鳴を絞り出している。

 魔力を吸って、何をするつもりなのか。こんな瀕死の子供二人を前に何の意味があるというのか。

 意味。


 ……意味?


 サリアスは力を振り絞ってもう一度壁に目を凝らした。

 ここに刻まれているのは模様じゃない。文字だ。何故かはわからないが、そう確信できる。

 でもこんな暗闇じゃ読めない。それに読めたからってそれこそ何の意味もない。ここで終わる最後にできることなんて。

 なんて思っていると、随分と都合よく魔獣のいる方から光が届いた。

 サリアスの目に文字が映る。

 鮮明に、そして意味を持って。

 読める。スルスルと頭に入ってくる。

 それは言葉であり、文字であり、音だった。


「ユゥ セベンフェ 

 ズェ ゼルン バケドゥス キリファ 

 リオス ジァフ……」


「おい、何を……」

 ロミオが戸惑いの声を出す。


「ユゥ バネン ミゥ 

 ルレイ レイ……フスフェ、ビル……」


 サリアスがそこまで読んだ時、唐突に光が消えた。

 意識が揺れる。透明な幕を張った向こう側にいるような心地。

 ……私は今、何をしていた?

 呆然とするサリアスの肩を温かな手が掴む。ハッとして目を向けると、ロミオが戸惑った表情でサリアスを見下ろしていた。けれどそれしかわからない。視界が揺れて、歪む。

「お前、何をしたんだ!? 何で結界が……!?」

「け、かい……? 私、何をして……」

「歌ってたじゃないか! 聞いた事もない言葉で……って、あれ、なんか身体が」

 そう言うと、ロミオはサリアスを壁にもたれるように座らせて立ち上がった。ひらけた視界の先には何もいない。幻だったかの如く気配も消えていた。

 その間にロミオは一通り体を見て、訳がわからないと言うように目を丸くした。

「な、治ってる……肩も足も、魔力も……! お前がやったのか!?」

 歪んでいた視界がチカチカと点滅を始めた。答えたいのに、うまく声が出せない。

「あ、れ……」

 なんで身体がさっきみたいに動かなくなってしまっているんだろう。意識が遠のいていく。

 気を失いそうなサリアスを、ロミオが必死に呼ぶ。僅かに声が聞こえている。なのに世界はどんどん暗くなっていって、感覚も無くなって。

 最後にサリアスが思ったのは、他でもない。


(──お父さん……!!)


 心の中で呼んですぐに、プツリとサリアスの意識が途切れた。

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