突然の出来事

 バレットに乗って二十分強。

 サリアス達はあっという間に魔獣がいる遺跡に到着した。

 神秘的で美しい、しかしどこか寂寥を感じるそれを見て胸が高鳴る。こんなに素敵な場所に危険な魔獣がいるなんて信じられない。

「リア、行くぞ」

「はい」

 ナイトレイの手を取ってバレットを降り、集合場所へと向かう。

 道中では既に戦闘準備が始まっており、その緊張感と覇気にサリアスは思わず足を止めてしまった。今更ながら、この討伐任務の危険性に怖気付いていたのだ。

 そんなサリアスを、ナイトレイは膝を折って視線を合わせて宥めてくれた。

「大丈夫だ、リア。俺は強いし、あいつらも強い。だからお前は、お前の事に集中しろ」

 いつもと変わらない優しくて冷静な声に、サリアスは自然と顔を緩めた。

「ありがとうございます。私、お父さんのことを信じています。それに皆に頑張るって約束したから」

 大丈夫。そう口にすると、それが魔法のようにサリアスの強張った体を温めてくれた。


 着いた先にはカトレーナとロミオが待っていた。

 そういえば、ロミオは見習いだとナイトレイが言っていた。じゃあロミオはバックアップ担当で、そのお師匠様がカトレーナということだろうか?

 先にナイトレイに確認するか迷ったが、挨拶をしない方が無礼かとサリアスは頭を下げた。

「あの、未熟者ですが、どうかよろしくお願いします」

 言い終わると同時に視界に靴が見えた。

 えっ、と顔をあげたそこには、ロミオが不機嫌そうに腕を組んで佇んでいる。同じバックアップとして、何か言うことがあるのだろうか。

 そう思って顔を合わせたまま数秒の沈黙。サリアスは大人しく言葉を待っていたのだが、最終的に口を開いたロミオは激昂していた。

「お前! 師匠に謝れよ!」

「へっ?」

「惚けるな! カトレーナ師匠から聞いたぞ、お前に侮辱されたって! 奴隷如きが師匠を侮辱するなど、即刻死刑になるべきことだぞ!」

 死刑になるとの言葉に怯んだサリアスだが、全く覚えがない。

「???」

「な、なんだその顔は! 白を切るつもりか!」

 あまりにも意味が分からなくて、そういう表情になっていたみたいだ。でも本当にわからない。サリアスからするとカトレーナには注意をされただけの筈。こちらから何かを言ったりしたりはしていない。いや、確かに見惚れていたのはあるけれど……?

 困りきったサリアスはナイトレイに聞こうと顔を上げたが、その先で父が今まで見たことが無いほど真顔で片手を振りかざしているのを見てギョッとした。これ肉体言語で語ろうとしてる。慌てて反対の袖を引っ張って一生懸命首を振って止めた。

 ナイトレイは自分の様子に気づいたロミオが若干後ずさったのを見て、必死に縋り付く娘を見て、渋々と、本当に渋々と手を下げた。

 そしてため息を一つ。

「……勘違いしているようだが、リアはカトレーナを侮辱などしていないぞ。寧ろ綺麗な人だと絶賛していた」

 確認されるように名を呼ばれて、サリアスは真面目に背を伸ばした。

「はい! 燃える炎の様な鮮やかで綺麗な髪で、赤い口紅がとてもお似合いで、立ち姿も凛としてて、自信に溢れた表情もかっこよくて、とても綺麗な方ですね、と話していました!」

 複雑な表情をしていたカトレーナだったが、サリアスが言葉を並べるたびに上機嫌になっていくように見えた。そして全て話し終える頃にはロミオを下がらせ、直接サリアスに話しかけてきた。

「ど、奴隷にしては中々見る目があるようね。この私を見事に賛辞した事を評価して、特別に先程の無礼を許してあげるわ」

「はい、ありがとうございます!」

「うっ……本当にこの奴隷、良心が……はあ。もういいわ、本題に入りましょう。アンタは今日が初めてのバックアップなのよね?」

「はい」

 素直に頷くサリアスに、カトレーナは妙な心地で鼻を鳴らす。

「ロミオは既に十回バックアップをしているの。同じ見習いだからと言っても、経験値や実力は格段にロミオが上。だから彼の指示に従いなさい。いいわね」

「わかりました。ロミオさん、どうぞよろしくお願いします!」

 サリアスは頷いて、後ろで様子を見ていたロミオに頭を下げた。しかし向こうは歓迎する気がないらしい。物凄く嫌そうな顔でカトレーナを呼んだ。

「師匠、僕はこんな汚らわしい奴隷と任務をするなんて絶対に嫌です。バックアップなら他の奴のを見ればいいじゃないですか。やることはそう変わらないんだし」

 その言葉にあからさまにため息をついたのはナイトレイだった。

「お前は馬鹿か」

「な、なんだと!?」

「今回の任務内容を聞いただろう。結界術を行使している間、俺とカトレーナは大して動くことが無い。動きの速い魔獣と戦闘を行う魔法士や兵士のバックアップに、初参加のリアがついていけると思うか? 事故で大きな被害が起こるかもしれない。そうなるとお前もカトレーナも危険だとなぜわからん。バックアップを十回も経験して何も学んでいないようだな」

「グッ……」

 オロオロと見守るサリアスにはわからない話だが、それは全くの正論だった。ロミオは暫く拳を握り締めて顔を顰めていたが、低い声で「わかりました、師匠」と呟いた。



 ◇◆◇



 結界は封印の精霊たるマーテルが作る檻に似ている。

 囲む場所を指定して術を発動する仕組みで、規模によって作業も変わるらしく、今回は遺跡周辺ということでかなり大きな規模になると、ナイトレイはサリアスに話していた。

 ナイトレイとサリアスが東から南を、カトレーナとロミオが西から北を専用の道具で囲み、合流地点で術を発動させるのだとか。

 準備が無事に終わり、カトレーナらと合流したサリアスは、ロミオと一緒に後ろに下がる事になった。

「お父さん、気をつけて」

「お前もな、リア。絶対に危ない事はするな。何があろうと必ず助けるが、無理をするんじゃないぞ」

「はい。精一杯勉強して、お父さんの支えになれるよう頑張ります。だから、お父さんも無理はしないでください」

 伝えたい言葉を交わし、わかれ、サリアスは言われた通りの場所まで後退した。


 その先にはロミオがむすっとした顔で腕を組み仁王立ちしていた。サリアスが駆け寄った途端に目を丸くして普通の姿勢になったが、どうやらまだ怒りは治っていないらしく、サリアスの声にまたもや激昂した。

「ロミオさん、よろしくお願いします!」

「お前なあ! さっきから軽々しく名前を呼んで、何様のつもりだ!? 僕は御三公爵家の一つ、アルトリス公爵家の次男だぞ! 奴隷が気軽に名前を呼んでいいわけがないだろう!」

 絶句。だがそれは怯んだからではなく、意味のわからない言葉を捲し立てられて、貧弱なサリアスの脳が処理をできなかったからだ。

 学がないサリアスには、そもそもロミオが怒っているということすらよくわかっていない。だから素直に疑問を口にした。

「ご、さん……? あの、すみません、ごさんこうしゃくけ、ってなんですか?」

 ナチュラルに無知な発言に、今度はロミオが絶句した。しかしこちらは流石の貴族、すぐにサリアスが本気で何も知らないのだと理解し、怒りが驚愕に変わる。

「はぁ!? 何も知らないのか!? マジで!?」


「はい。私、奴隷になるまでも、なってからも、教会と店以外の場所に行ったことがなくて……すみません」


 ロミオは色んな意味でとんでもない顔をして、あり得ない物を見るような目でサリアスを見た。

 まさか、と。まさか本当にそうなのかと言いたげな視線を受け、サリアスは申し訳ない気持ちになりつつ頷いた。

 ロミオの目が若干遠くなった。

「……あー、えーとな、お前は貴族っていうのがどういうものか知ってるか?」

「お金持ちで偉い人々だと、奴隷商の方に聞きました」

「否定はしないがアバウト過ぎる……。いいか? 貴族とは、何かしらの功績を挙げ、国から爵位をいただいた人物、そしてその家族や子孫の事だ。爵位はわかるか?」

「しゃくい……子爵のしゃくの事ですか?」

「……お前は本当に、何も知らないんだな……」

 ロミオは呆れた様子で頭に手を当てた。もしかするとまだ若干苛立っているのかもしれない。でも少し貴族のことを教えてくれた。ロミオがとても優しい人なのだと、サリアスが判断するのには十分で。

 だから、何かしらぶつぶつ言っているロミオに思い切って声をかけ直せた。

「あの、私はロミオさんをどう呼べばいいですか? あっ、すみません、えっと、その……アルトリスさんのお名前を呼んでしまって失礼しました」

「お、おう……。はあ、なんかどうでも良くなってきた。じゃあ先輩だ、先輩と呼べ。そしてお前はちゃんと貴族社会の事を勉強しろ」

「はい、ありがとうございます、先輩!」

 呼んでいいと言ってもらえたのが嬉しくて、サリアスは子供らしくその場で小さく跳ねた。なんとなくロミオの目が変わった気がした。


 ◇


 その後、サリアスはバックアップのする事をおさらいしてから、貴族社会の事をロミオに教えて貰った。

 爵位には順位がある事、公爵家はこの国で二番目に偉いお家である事、貴族の家は基本的に自分の領地を持っている事。

 御三公爵家、というのは基本的には御三家と呼ばれていて、この国が建国した時からずっと続いている歴史深い三つの公爵家だそう。

 サリアスにとっては、それら全てが興味深い話だった。

 それになんだかんだで教えている様子のロミオだが、彼の説明はとてもわかりやすいし、質問があれば答えてくれる。ほんの一時間弱で、サリアスは貴族社会のおおよそを理解するに至れた。

「ありがとうございました。私みたいな者にこんなに親切にしてくれるなんて、先輩はとても優しい方ですね」

 サラリと口にした言葉をサリアスは自分で噛み締める。

 ロミオはというと、ギョッとした様子で頬を赤くし、慌ててサリアスと距離をとった。

「こ、これはあくまで慈善活動の一環だ! 無知な者を教育するのは公爵家の人間として当然の事だからな、思いあがるなよ!」

「はい、ご教授いただきありがとうございました!」

「うっ……バ、バックアップに戻るぞ! やることは覚えているだろうな!?」

 呻くロミオに頷き返し、サリアスはガーターケースから遠見の魔法具を取り出した。


 バックアップは基本、魔法具等を用いて遠方から相方の様子を見る。

 そして何か問題が生じた時に対応をする。これが仕事だ。

 例えば、相方が戦闘不能になった場合は、隊長のバックアップである副隊長にそれを伝える。

 生命力や魔力に異常が出た場合は、相方になんらかの方法で確認を取る。サリアスの場合は隷属魔法による通信テレパスを使用する。

 そして別の魔物等による敵襲を察知した場合は、即座にバックアップから観測へと役目を切り替え、方向や規模を副隊長へ伝える。魔法による通信が不可能な場合は、通信可能なバックアップに敵襲を知らせる。


 バックアップは言葉通り相方の背中を守るのが役目だ。しかし今回、ナイトレイとカトレーナは動く事も戦闘に参加する事もない。だからサリアスは警戒をしつつもロミオに色々教わっていた。

「異常はありません。結界も安定してます」

「こっちも異常はない。それにしても、時間がかかり過ぎてるな。兵士と魔法士達は何をしてるんだ」

「今回の敵は中型の獅子型魔獣、ですよね。それって、どのくらい強いんですか?」

「僕もそこまではわかってない。師匠はバックアップをし続ける中で自然と理解できると言っていた。けど、こんなに時間がかかっているのは初めてだ」

「……皆さん、無事でしょうか……」

 思わず呟き、ふとロミオを見る。とてもイライラしているのがはっきりわかった。

 心配になったサリアスがどうしたのかと聞こうとした矢先に、ロミオは大きな声を上げながら頭を掻き毟った。

「ああもう我慢できない! 僕は師匠達の様子を見てくる! お前はここで待ってろ!」

「えっ、で、でも」

「お前は後輩なんだから、僕の命令に従え! いいな!」

「は、い……」

 そう言って走って行ってしまうロミオを呆然と見送る。

 けれど数分後すぐに我に返った。


 大きな地震が起こったのだ。


 立っていられないほどの揺れと轟音。サリアスは咄嗟に蹲み込んで揺れが治るのを待っていたが、大きな悲鳴にハッと顔を上げた。

(今の、先輩の声だ)

 遺跡の合間の何処かわからないけれど、聞き間違いじゃない。サリアスは一瞬悩んだが、すぐに悲鳴の元へと駆け出した。地面が揺れてうまく走れず、何度も転びながらそれでも走った。

 幸運な事に、遺跡からそう遠くない所でロミオを見つけることができた。彼は先程のサリアスと同じように、体勢を低くして揺れに耐えていたが、こちらに気付いて目があった。驚きと期待の目。やはり助けを求めていたのだ。

 駆け寄り、声をかけようとした次の瞬間。


 パラパラと、砂と石が落ちてきた。

 何かが軋む音、砕ける音。

 何が起こるのか、直感的に理解したサリアスは、ロミオの元へ思い切り走って飛び込んだ。そしてぶつかる様に彼に覆い被さった直後、突き上げる様な地面の動きと共に遺跡の床が崩れ落ちた。

「なっ……!?」

 浮遊感に身体中が固まった。乱暴に庇ったせいでロミオの顔が見えないが、彼の身体も強張って動かない。

 そして落ちる。体の中のものが浮かんで激しく震える心地に、サリアスとロミオは絶叫した。


「うわあああああぁぁああぁぁ!!?」

「きゃああああぁぁああああっ!!」


 落ちる。

 どんどん落ちる。

 風がびゅうびゅうと吹き抜けていく。

 真っ暗で地面が見えない。どうしよう。

 どうしよう。


 どうしよう………!?


「っ、お、とう、さん」


 サリアスの脳が恐怖に染まった。

 怖い。

 怖い。

 怖い怖い怖い怖い怖い!

(死にたくない!)

 ギュッと目を閉じる。

 しがみつくようにロミオを抱き締める。

 二人の声が耳の中で混じっている。

 きっと彼も同じ気持ちなんだ。


 なんて考えている間に、途轍もない衝撃と圧が全身を襲った。


「あ゛っうう!!」

「グハッ!!」


 少し跳ねた二人の身体は、次の瞬間降り注ぐ壊れた遺跡の柱や岩に叩き潰された。

 あまりの痛みと衝撃に、サリアスは悲鳴すら上げられずに意識を失った。


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