いじめっ子から友達になるまで

はじめての贈り物


 サリアス達が焔の砦に着いたのは、家を出てからほぼ一日が過ぎた夜明け前だった。

 休憩なしでの移動に馬や御者を気にするサリアスだったが、流石はプロの方々。装備や魔法術によって負荷減少を行なっているから平気なのだと得意げに語り、サリアスを安心させてくれた。

 ステラード家の専任御者たる彼以外にはそう滅多に会う機会はないが、王都にいるフリーの御者と馬は、なんと一週間不眠不休で移動してもピンピンしているらしい。

 目を輝かせて聞き入るサリアスに、ナイトレイから声が掛かった。そろそろ行くぞと呼んでいる。それに手を振ったサリアスは御者と馬に頭を下げて微笑んだ。

「ありがとうございました、ヴィンセントさん。よかったら、またお話を聞かせてください」

「もちろんですとも。リアお嬢様は聞き上手ですなぁ。自慢しがいがありますが、つい私ばかり話してしまいましたよ〜。そうだ! お話を聞いてくれたお礼にこれをどうぞ」

 そう言ってヴィンセントがサリアスに差し出したのは、何かが入った袋だった。お菓子に似た良い香りがする。

促されて中を開けてみると、長方形のクッキーのような物が数本入っていた。

「これはなんですか?」

「クラフトと言う、栄養のある非常食です。一本食べればその日一日は空腹になりません。備えあれば憂いなし、残り物で申し訳ないですが、どうぞお持ちください」

「いいんですか? ヴィンセントさんのは……」

「もちろん、こちらに」

 そう言ってヴィンセントはもう一つ袋を見せてくれた。中には同じくクラフトが沢山入っている。こんなに沢山食べ切れるのだろうか。

「クラフトは魔法術によって作り出されています。だからとても長持ちしますし、毒などの有害な成分を弾くんですよ。お嬢様も安心してお食べください」

「凄いものなんですね! ありがとうございます、大切に食べます。あ、えっと……あの、お父さんにも分けてあげていいですか?」

 自分だけ食べるというのも、そもそもこんなに便利な物はナイトレイにこそ必要だと思ったのだけど。サリアスが見上げた先のヴィンセントは口を押さえてのけぞって。

「ええ……可愛い……」

「?」

 時々サリアスに対してメイド達が見せる謎の反応を返され、首を傾げる。けれどそれも約数秒で、ヴィンセントは咳払いのような何かをした後にニコリと笑顔を向けた。

「ゴフッ、いえ、大丈夫ですよ。是非ナイトレイ様にも差し上げてください。リアお嬢様からのプレゼントですから、きっととても喜んでいただけますとも」

 プレゼント。

 思いがけない言葉に、しかしサリアスは目を見開いて輝かせた。頬に熱が集まって心が跳ねる。

「私、お父さんに初めてプレゼントできるんだ……」

 それが嬉しくて、クラフトの袋を両手で抱きしめた。

「ありがとうございます、ヴィンセントさん!」

「天使かよ……ゴフッゴフッ、お嬢様のお役に立てて何よりです。討伐任務、頑張ってくださいね。どうか怪我などしないよう気をつけてください」

「はい、頑張ります。帰る時に任務のお話ができるようにしますので、その時は私の話を聞いてください」

「ウホホッ、楽しみにしてます」

 ニコニコと見送ってくれるヴィンセントに笑顔で手を振って、サリアスはナイトレイのいる砦の入り口へ走り出した。


 ◇


 サリアスが着く頃には丁度手続きを終えたナイトレイが娘を迎えようとこちらを向いていた。

 早速クラフトをプレゼントしようと駆け寄るサリアスだったが、突然その前に誰かが現れぶつかりそうになってしまった。慌てて足を止めたが、サリアスは後ろに転んで尻餅をついてしまった。

 しかし全く痛みがなく、それが戦闘服に守られたからだと瞬時に理解して、サリアスは凄いと小さく呟いた。

 そこにナイトレイが駆け寄って、すぐさまサリアスを助け起こす。

「リア、大丈夫か?」

「服のおかげで痛くなかったです」

「そうか、よかった。……なんの真似だ、カトレーナ」

 ナイトレイに立たせてもらったサリアスは、父の鋭い視線の先を見る。


 そこにはとても綺麗な女性がいた。


 燃える火のような赤い髪に真紅の口紅、自信に満ち溢れた堂々とした姿。

 思わず見惚れてしまったサリアスだったが、彼女の声で慌てて我に返った。

「貴女こそどういうおつもりかしら、ナイトレイ。私よりそんな小汚い奴隷を優先するなんて、どうかしているわ」

 声までもが凛と張って美しい。これは自分が口を挟むべきではないと、サリアスは大人しく自分の前に立つナイトレイの背を見上げた。

「リアは俺の娘だ。逆に聞くが、なぜ娘よりお前を優先せねばならない?」

「なっ……! 私を奴隷以下だと侮辱するの!?」

 カッとなった様子の女性はサリアスと共にナイトレイを睨む。ナイトレイはそれに答えるも、声には何やら微妙な呆れが混じっていた。

「何度言わせる気か知らんが、リアは俺の娘だと言っているだろう。奴隷ではない」

「奴隷紋をつけた人間なんて、どこの誰であろうと奴隷でしかないわ!」

 キッパリと言い切った女性は、今度こそサリアスだけをしかと睨みつけた。

「いいこと? そこの奴隷。ステラードの養子になったからって勘違いしないで。肩書きはどうあれ所詮奴隷は奴隷なんだから、思い上がらないことね!」

「はい!」

「わかるならいいのよ……て、はっ?」

 目を丸くした女性に、サリアスの方も目を丸くする。何か変だっただろうかとナイトレイを見上げると、笑いを堪えるように小さく肩を震わせていた。どういうことか本当にわからない。戸惑って女性とナイトレイを交互に見やる。

 暫くすると、女性の頬が赤く染まって表情が険しくなった。けれどすぐにサリアスから目を逸らし、ふんと鼻を鳴らした。

「……わ、わかってるならいいわ。調子に乗らないで」

「気をつけます!」

「な、なんなのよこの奴隷……なんか良心が……」

 微妙な表情で首を振った後、女性はスタスタと砦の中に入っていった。

 本当に意味がわからない。困ってナイトレイを見上げると、とうとう我慢できなくなったようで可笑しそうに笑っているのが見えた。こんな風に笑う父の姿は初めてで、サリアスは戸惑いながらも落ち着くのを待つしかない。

 ようやく満足したらしいナイトレイは、サリアスの困惑した様子を見て優しく頭を撫でた。それにホッとして、サリアスは疑問を口にした。

「お父さん、今の綺麗な方はどなただったんでしょう」

「あれはカトレーナ・ジェス・ロマラナ。ロマラナ侯爵家の現当主で、俺と同じ精霊術士だ。養成学校で同期だったんだが、あの通りやかましい奴でな。その頃から色々やらかしていた」

 同期、そして精霊術士。サリアスは驚きと感動でジワジワと興奮してきた。

「お父さん以外の精霊術士……! 凄く綺麗な人でしたね。あんなに綺麗な髪、生まれて初めて見ました。それに雰囲気も凛としていて、かっこよかったです」

 夢見心地でカトレーナの姿を思い返していると、ナイトレイが気遣わしげにサリアスの頭を撫でた。

「……嫌な気分にならなかったか? あいつ散々言っていたが」

「え?」

 キョトンと目を丸くしたサリアスだったが、すぐに首を横に振った。

「いいえ。全部本当の事ですし、私のお返事もちゃんと聞いていただけましたから」

「そうか」

 ナイトレイは目を細めて、またサリアスの頭を撫でた後手を差し出した。反射的にサリアスは小さな手を重ねる。

「討伐任務の部隊は三十分後に砦の広間に集合だ。眠くはないか?」

「大丈夫です。ここに来るまでにいっぱい寝ましたし、ヴィンセントさんとお話も……って、あっ」

 カトレーナのことが衝撃的だったから忘れかけていた。サリアスは空いている方の手で袋からクラフトを取り出した。

「お父さん、あの」

「なんだ?」

「これ、ヴィンセントさんからいただいたんです。クラフトって言って、一本食べればお腹がいっぱいになる非常食だそうで……それで、お父さんに、ぷ、プレゼントしたくて」

「…………俺に、プレゼント?」

「は、はい! あの、ご迷惑でなければ」

「迷惑なわけないだろう。ありがとう、リア」

 微笑んで頭を撫でるナイトレイを見上げて、サリアスは照れた笑みを浮かべた。

 袋の中から三本クラフトを取り出して残りをサリアスに渡すと、ナイトレイは娘の手を取って砦へ向かうべく歩みを再開した。もう片方の手にあるクラフトを真剣に見つめ続けながら。

 まさか永久保存するにはどうするかを考えているとは、サリアスには思いもよらなかった。

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