そして前へ


 気づけば試着会があった日からひと月が経っていた。

 なんと、未だに私室の片付けは完了していない。本と書類と資料があまりにもぐちゃぐちゃに放置されていたので、仕分けが全然進まないのだ。

 お父さんは執務室にてお仕事をしている。私の大掃除で出てきた重要書類の対応に追われているそうな。

 思えば、執務室はなんだかんだで余分なものがなかったから、私室よりずっと片付けやすかったのだろう。


 あと、かなり精霊の気配がわかるようになってきた。今では下位の精霊もしっかり感じ取れるようになっている。これぞ正しく大きな進歩だ。

 マーテル様のお姿を拝見できる日は、そう遠くないかもしれない。


 のんびりとおやつ(義務です)を食べながらそう考えていると、テラスにメーヴェさんがやって来た。メーヴェさんの表情は強張っていて私は驚いて席を立った。談笑していたミリエルさんも驚いた様子で立ち上がる。

「メーヴェ、どうしたの?」


「……ナイトレイ様が、緊急で討伐任務に行かれるそうです。それにお嬢様も同行させる、と……」


「まあ……! いつかはくるとわかっていたけれど、こんなに早くだなんて」

「いくらなんでも早過ぎよ! お嬢様はまだ病み上がりなのに、魔物の討伐に参加するなんて危険だわ!」

「メ、メーヴェさん、ミリエルさん、私は大丈夫ですから……」

「大丈夫じゃないです!」

 そう言ってギュッと私を抱きしめるメーヴェさんは、小さく震えている。どうすればいいのかわからなくてその背をさすっていると、ミリエルさんが落ち着いた声で呼びかけてくれた。

「メーヴェ、落ち着いて。ナイトレイ様もそれは重々承知なさってるでしょう。その上でのご判断なら、きっと考えがあるはずよ。無闇にお嬢様を危険に晒すようなことを、ナイトレイ様はなさらないわ」

「……でも……」

 まだ不安そうな暗い表情のメーヴェさんに、私はミリエルさんの真似をして微笑んだ。

「メーヴェさん、大丈夫です。お父さんはとっても凄い精霊術士だから、絶対に私を守ってくれます」

「お嬢様……」

 そう言って笑いかけると、メーヴェさんも滲んでいた涙を拭って同じく微笑んでくれた。

「お嬢様に慰めてもらうなんて、私ったらお姉さんメイド失格ですね」

「そんなことないです。メーヴェさんは私を心配してくれて、抱きしめてくれました。本当の妹のように。私もメーヴェさんを本当のお姉さんみたいだと思いました。だから……ありがとうございます、メーヴェお姉さん」

「て、天使かよ……」

「メーヴェ、素がでてるわ」

 メーヴェさんは嬉しそうにまた抱きしめてくれた。

 ミリエルさんが何故か残念なものを見るような目で私達を見ていたのがちょっとだけ気になったけど、後でメーヴェさんと同じように抱きしめてくれたから、きっと悪い意味ではないんだろうと思う。



 その晩、私は緊張しつつ戦闘用の服を着て馬車に乗った。もちろんお父さんも一緒だ。ユリカさんとナターシャさんが一緒に行くと主張していたのだけど、お父さんは危ないからダメと却下してしまった。でも私も皆に危ない目に遭って欲しくないと一生懸命それを伝えると、皆渋々だけど頷いてくれた。

 本音を言ってしまうと、私だってちょっと不安だ。でもお父さんと親子になってから初めての遠出だから、二人だけで行くのが楽しみでもあった。

 馬車の中、ランプの下でお父さんが地図を広げて見せてくれた。

「これから向かうのは、領外にある焔の砦だ。砦については知っているか?」

「はい。王国直属の兵士たちが拠点にする、頑丈な建物ですよね?」

「その通りだ。詳しく言うと、この国には東西南北それぞれに一つずつ砦がある。東は蒼の砦、西は焔の砦、北には翠の砦、南には銀の砦。俺たちの領地は、焔の砦の南西に位置している。今回の討伐対象は、中型の獅子型魔獣。場所は砦付近の遺跡だ。どうやらそこで群れを増やしていたみたいでな、親玉がしぶとく生き残っているそうだ」


「中型……の、しし? まじゅう、ですか?」


「初めて聞いたか。獅子とは大きな身体と長い毛、四つの足で駆ける獣だ。そうだな……犬を見たことがあるか?」

「はい、とても耳が良くて鼻がいい生き物でした」

「それがもっと大きく……お前の背以上に大きいのが獅子だ。耳もよく鼻も良く、俊敏で賢い。そういった知力のある獣が魔力を持ち、さらに転化したものを魔獣と呼ぶんだ。魔物というと含意が広いからな、呼び分けは覚えておいて損はない」

「わかりました。教えてくれてありがとうございます、お父さん。……でも、そんなに強そうな魔獣の討伐に、私がいて大丈夫でしょうか」

「今回お前は見習いとして俺のバックアップをする。一定の距離を保って支援をするから、危険性はないに等しい。もちろん俺の戦闘にも影響はない。他のバックアップ担当の奴等をよく見て、しっかり学んでおけ」

「はい! 頑張ります!」

 初めての事だらけだけど、お父さんが笑うだけで勇気が湧いた。色んなことを学んで、経験する。その機会を逃すのはとても勿体無いのだからと、自然に気持ちも前を向いた。


 討伐任務に招集された精霊術士はお父さんの他に一名。

 あとは魔法士が数十人、兵士がたくさん。術士はこういった戦闘の際、必ず一人はバックアップを伴っているそうで、実質的に戦闘を行う魔法士は20人程度だそう。

 私はお父さん以外の精霊術士に会うのが、少し楽しみだった。

 でもその前に、必要な知識を得ておかないとバックアップのしようがない。地図をしまって、私はお父さんからもっと詳しく魔物、魔獣のことを聞いた。

 魔力の封印の時にも耳にした「転化」とは、魔物や精霊が自らの魔力を失い、凶暴化することなのだそう。転化したら周辺の魔力を吸うようになることを「反転現象」と言い、私の時のように誰彼構わず魔力を持つものを襲って奪ってしまうのだとか。転化してしまった魔物や精霊は元に戻すことはできないそうで、少し怖いと思ってしまった。

 黙り込んでしまった私を気遣って、お父さんは話題を変えてくれた。申し訳ない。

「ところで、その服はどうだ? 試着した時に一通り機能は説明したが、無事発動しているか?」

「はい。快適な温度で、身体も軽く感じます。肉体強化と負荷減少、魔力の通りもいいです。何より着心地が良くて、とっても素敵です」

吸魔ドレイン……魔力の吸収への対策として、反吸魔アンチドレインの効果もある。出来る限り吸魔の発生する場所に入らないように気を付けて欲しいが、万が一でもその服がお前を守ってくれるからな。守りがあれば冷静さも保ちやすいだろう」

「そんな効果もあるんですね。試着の時は肉体強化にばかり気を取られて、聞きそびれていました。お父さんの言うとおり、安心感がさらに増しました。この服はどちらで仕立てられたのですか?」

「王城の魔素術士に頼んだものだ。肉体強化や温度調節はともかく、反吸魔の付与は魔素術限定かつ高度な技術だから、扱える者が少なくてな。王城以外では銀の砦に一人いるが、それ以外の魔素術士は知らないな」

「そ、そんなに凄いんですか!? 破けないよう気をつけなきゃ……」

「よほどのことがない限り破けたりしないから、そんなに緊張しなくていい」

 そう言って笑うお父さんに頭を撫でられ、そろそろ寝るように指示された。ソファに横になると、感慨深い様子でお父さんが呟いた。


「お前とこうして馬車に乗るのは二度目だが……あの時からこうして話していたら、もっとお前のことがわかっていただろうな。惜しい事をした」

「……私は、そうは思いません。あの時から、お父さんは優しいってわかってましたから」

「そうか。……そうか……今更だが、俺はリアと出会えて、親子になれて、本当に嬉しく思っているんだ」

「私もです。お父さんに……あのお家に、娘として受け入れてもらえて、本当に嬉しいです」

 微笑みあった後、お父さんは私の頭を撫でて明かりを消した。

 優しい気配はマーテル様の檻だろうか。それに包まれて、私はすぐに眠りについた。


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