封印と精霊、そして事件
お医者さんをお見送りした後、少し休憩してから執務室の片付けを再開した。
ゴミ袋を貰って執務室に戻ると、お父さんは部屋の中央に大きな布を敷いていた。
細かく切り刻まれた紙をゴミ袋に詰めながらなんだろうと覗き込むと、見たことのない複雑な陣が描かれている。
「お父さん、それは?」
「精霊陣だ。今夜リアの魔力を封印する為に必要なんだが……埃臭いし汚いな」
「すごく綺麗な布ですね。キラキラしてて……でも確かにちょっと……洗えないでしょうか?」
「難しい。これは精霊種の魔物の毛で作られていてな。洗ってしまうと表面の魔力が流れてしまう」
「そ、そんなに凄いものなんですか!? 初めて見ました……」
確かにかなりボロボロだが、精霊陣はしっかり機能しているようで、ぼんやり青白く輝いている。
魔力をわざと停滞させて、精霊陣そのものを作り上げているのだと説明をしてもらってからさらに関心が高まった。
「お父さんが作ったんですか?」
「ああ、数年前にな。魔力の封印が必要になることは本当に稀なんだ。だからこの技術を持つ精霊術士はそういない。ステラードに伝わっていてよかった」
「……ありがとうございます、お父さん」
「気にするな。娘を守るのは普通の事だ」
また頭を撫でられる。
今度はポンポンではなくサラサラと。
お父さんは精霊陣の布を持って、ナターシャに相談してくると部屋を後にした。私も頑張ってゴミを集め終え、また書類の整理に取り掛かった。
数時間後。
空が赤く染まった頃にようやく執務室の片付けが一段落した。
不要な書類は破棄して、重要な記録はしっかり仕分けして、専用のバインダーに綴じた。承認が必要だったりするものは急ぎのものとそうでないものを分けて、立派な机に綺麗に積んだ。
流石に棚が足りず困っていたが、執事のダニエルさんに相談したら、すぐに倉庫から新しい物を出すことになった。同じく執事のギルバートさんとブレディさんは凄く力持ちで、重たい棚を難なく持ってきてくれた。本当にこの家の人達は凄い。
そういうわけで、執務室は劇的に綺麗になった。
足の踏み場のなかった床には優雅なレッドカーペットが。何がなんだかわからなかった紙束の山は新しい棚に勢揃い。埋もれていた哀れな机やソファーは再び日の目を見、美麗かつ荘厳な空間を演出している。
これを見て一番驚いたのは、最古参の執事長マイラスさんだった。カーペットの色を忘れていたと真顔で言っていたので、片付けができて本当に良かったと嬉しく思った。
ナターシャさんを始め沢山の人にも褒めて貰えて、凄く嬉しかった。皆がご褒美と言って沢山お菓子をくれたのにはビックリしたけど、大切に食べようと思う。
そうしてお祝い気分で夕食を食べ、湯あみをした後。
私はお父さんと一緒に渡り廊下で繋がれた空中庭園へ向かった。満点の星空に思わず見惚れてしまいそうになるけれど、首を横に振って小走りでお父さんの方へ向かう。
その足元には、ナターシャさんが秘密の技で綺麗にしてくれたらしい精霊陣の布が敷かれていた。
埃だらけで色褪せていた筈のそれは、見違えるほど美しく陣を輝かせている。思わず歓声をあげてしまった。
「寒くはないか?」
「はい、大丈夫です。お父さんが用意してくださったローブはとても暖かいですから」
「よかった。だがまだ白月の季節だからな、身体が冷える前に終わらせよう」
「はい!」
儀式の手順は簡単だそう。
封印を施される者が精霊陣の中に入り、精霊術によって魔力を隔離して、それを精霊の檻に閉じ込める。それだけ。
ただ準備は大変だ。私が今着ているローブは、精霊術によって魔力の通りを潤滑にし、精霊の力を増幅させる効果がある特別な物。精霊陣もそうだけど、全部お父さんが過去に作っていたからよかったものの、そうでなければ数年かかるところだったのだとか。実際これを作った時は、全部で五年かかったそうだ。
やはり魔力を封印するのはとても大変な事なのだ。そう思うとまた緊張してしまうので、その前に思い切って布を踏む。
精霊陣の中心に立ち、深呼吸をして……ふと思った。私の前に、お父さんが魔力を封印したのは誰なんだろう?
後で聞こうか迷っているうちに、お父さんの魔力が広がるのを感じた。自分の魔力に意識を集中するようにと言われ、気持ちを切り替えた。
「これより、ナイトレイ・ステラードの名の下に、封印の儀を始める。精霊マーテルよ、我が呼び声に応えたまえ」
凛としたお父さんの声に、すぐに綺麗な声が応えた。
『精霊マーテル、呼び声に応じ参りました。…あら、この子がナイトレイの娘サリアス?』
「そうだ、封印は可能だろうか」
『ちょっと調べてもいいかしら?』
姿はまだ見えないけれど、はっきりと声が聞こえる。なんて美しく透き通った声だろう。夢見心地でぼーっとしていると、柔らかく暖かな感覚が額に伝わった。
もしかして、今私は精霊に触れているのだろうか?
なんてあったかくて、心地よいのだろう。
『うーん…封印は問題ないと思うのだけれど、この子の魔力はまだ伸び代があるわね。少なくとも今の量と同じくらい。だからまた間をおかずに封印しなくちゃいけないわ』
「マーテルはそれでも問題ないか?」
『ええ、もちろんよ。後はこの子次第ね。……サリアス、聴こえているわね?』
「は、はいっ! マーテル、様」
『よかったわ、謝らなくちゃと思っていたの。うちの子たちが迷惑をかけてごめんなさいね。どうやら貴女には精霊との深い縁があるみたい。だから魔力が美味しくなっちゃうの。でもそれ自体は悪い事じゃないから安心して』
「はい。ありがとうございます、マーテル様。……あの」
『なあに?』
するりと言葉が飛び出てしまって、自分でもビックリした。でもそれに優しい声が応えてくれたから、つい甘えてしまった。
「いつか私が、精霊を見る目を身につけたら、お姿を拝見させていただいてもいいでしょうか」
『まあ嬉しい、もちろんよ! 私はいつでもナイトレイの呼び声に応えるわ。だから焦らず、ゆっくり、力をつけていきなさい。ね?』
「はい!」
柔らかく微笑む美女の姿が、勝手に頭の中に現れる。けれど私の想像の中ではシルエットが限界だ。早く本当の姿を見られるようになりたい。心からそう思う。
だから今は、儀式に集中しなくては。
「リア、マーテルは封印の檻を用意してくれる。お前の魔力を切り離すのは別の精霊だ」
『魔力を離すとき、ちょっとビックリするかもしれないから、心の準備をしてね』
「はい」
『いくわよ、ナイトレイ』
「ああ」
頷いたお父さんが、精霊語で何かを話している。きっと別の精霊に呼びかけているんだ。
そう考えてあっと驚いた。
マーテル様は人の言葉で話してくださっていた。きっと凄く上位の精霊なんだ。
そんな精霊を呼び出せるなんて、本当にお父さんはすごい精霊術士なんだと感動する。
──そう思った直後に、突然身体中に激痛が走った。
「きゃあああっ!!?」
「リア!?」
『まずいわ!! ナイトレイ、彼女を陣の外へ!!』
「いたいっ、いたい!! うああああぁ!!」
「しっかりしろ、リア!! 今助ける!!」
あまりの激痛に涙を流しながら蹲っていると、お父さんの温かい手が私を抱き上げて、精霊陣の外へ運んでくれた。
それでも痛みは止まない。私は無意識のうちにお父さんの服を両手で握りしめていた。涙が後から後から流れてくる。
「マーテル! 何が起こった!?」
『精霊よ! 私達以外の精霊が、サリアスの魔力を奪っているわ! 切り離すときを狙っていたのね……! このままだとそいつに生命力ごとサリアスの魔力を全部奪われてしまうわ!』
「なんだと!? くそ、その精霊はどこだ!?」
『詳しい場所はわからないけど、この周辺に気配を感じるわ! すぐ眷属の精霊に探させるから、ナイトレイは結界でサリアスを守って!』
「わかった! 見つけたらすぐ知らせてくれ!」
お父さんが精霊語で何かを話し、私を囲むように足で円を描いた。
『かの者を守れ、プロテクト!』
純白のベールが私を覆う。
途端に痛みが消え、私は止まっていた呼吸を喘鳴と共に再開した。
お父さんが、私を抱きしめて頭を撫でてくれた。
なんとか目を開けて彼を見上げると、今にも泣き出しそうな顔が見えた。大丈夫だと言いたくて手を伸ばそうとするけど、全然力が入らない。
「お、とう……さん」
「すまない、リア、すまない。警戒を怠った俺のせいでこんな目に遭わせてしまった」
「だぃ、じょぶ、です」
お父さんが助けてくれたから、大丈夫。怖くないし、もう痛みもない。今度こそ手を持ち上げると、お父さんは私の手を握って頬に押し当ててくれた。
嬉しくて微笑むと、お父さんは安心した様子で頬を緩めた。
数分後、マーテル様の気配が戻ってきた。
『見つけたわ! 裏の森の精霊よ! 転化しかけてるから急がないと……!』
「わかった、ありがとうマーテル。リアを頼めるか?」
『いいけど、大丈夫?』
「大丈夫だ」
そう言い私の手を離そうとしたお父さんを、力一杯引き留めた。もちろん行って欲しくないわけじゃない。お父さんはきっと私の魔力をとった精霊をやっつけに行こうとしてる。私のために。
でも今のお父さんは冷静じゃないように見えた。
私はお父さんに、無理をしたり怪我をしたりして欲しくない。
「おとう、さん。けが、しないで」
「リア……わかった。大丈夫だ、俺は強い。だから安心して、マーテルと一緒に待っていろ」
「……はい」
『気をつけなさいよナイトレイ。この子を泣かせるようなことをしないで』
「ああ。精霊を捕獲したらすぐに戻る」
そう言い、私の頭を撫でると、今度こそお父さんは走って行った。私はその後すぐにマーテル様の暖かい……手?に撫でて貰って、いつの間にか意識を失ってしまった。
寝落ちしたとも言えるけど。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます