はじめての名前
なんてことをしてしまったのだと焦る間にも、ご主人様の話は続く。
「ステラードは末端ではあるものの、一応は子爵だ。だがそれが裏目になってな……結婚を希望する女性があまりにも多かった。それも気が強くて貪欲な性格の女性ばかり。明らかに両親の遺産と子爵の地位しか見ていなかった。俺の知らないところで争って、それを俺のせいにする奴までいた。流石にうんざりして、俺は全てを放置し仕事に専念していたんだ」
そんなある日。
国からの要請により魔獣の討伐に向かったご主人様は、任務中に別の精霊術士から殺されかけた。
理由はその術士が想う女性がご主人様と結婚したがったから。
犯人はすぐに捕まり、ご主人様も適切な治療で一命を取り留めた。けれどそのせいでご主人様は臓器を痛め、子をなせなくなったのだそう。
「不能だと知れ渡った途端に縁談は消え去った。同情されるようにもなったな……まあこれに関しては厄介払いができたんでむしろ感謝している。だが今まで受け継いで来たそれを途絶えさせるのは惜しいと、国王陛下から直々に命令されてしまった。精霊術士は己の家に伝わる精霊術を他家の貴族へ伝えぬよう、契約により禁じられている。それで最初は貴族ではない平民の養子をと思ったんだが……」
言葉を途絶えさせたご主人様の代わりに、ナターシャさんが続きを話してくれた。
「精霊術士に不可欠な体質を持つ子というのは、ごく僅かなのです。その上、子爵家は養子の順番も後回し。三年間待ちましたが、一向に見つかりませんでした」
「それで、奴隷を養子にすることにしたんだがな……」
またご主人様が言い淀んだ。
今回はナターシャさんのフォローもなく、そのまま沈黙してしまった。
私は彼を窺いつつ、恐る恐る声をかけた。
「あの、私はご主人様のお役に立てるのであれば、どの様な立場でもかまいません。けれど、その、奴隷を養子にしたりしたら、ご、ご主人様が何か言われたりしませんか……?」
「それは問題ない。表立ってはいないが、精霊士にはこういった例が結構あるんだ。流石に堂々と言ったりはできんがな、特に気にすることではない」
「でも……私、精霊は……」
そう、私は精霊が見えない。
だから凄く不安になった。要らないと捨てられるのは、二度と経験したくない事だったから。
けれどその不安をご主人様は即座に晴らしてしまった。
「わかっている。その為の隷属魔法なんだ」
「え?」
「原因は未だ解明されていないんだがな、隷属魔法によって精霊術士と結ばれている者は、精霊の存在を見聞きする事が出来るように……つまり、覚醒する事が可能になる。まだ魔力を流していないからわからないだろう。目を閉じて、俺と繋がる魔力に意識を集中してみろ」
「は、はい」
言われるままに目を閉じ、隷属魔法に魔力を送る。すると途端に自分の感覚が広がった。
今まで気付いていなかったのが不思議なくらい、その存在がわかる。今この場所にいるたくさんの気配。
「……まだ見えはしないだろうが、気配は感じられたんじゃないか?」
「はい、わかります! この部屋にたくさんいるのがわかります」
「その感覚に慣れるまで、魔力を流し続けるんだ。早ければ二、三日で感覚を掴める。そうなれば隷属魔法がなくても精霊を感知出来るようになるだろう。だが、お前の魔力の多さはわかっているがあまり無駄遣いはするな。今くらい……いや、もう少し少なくていい」
「はい、わかりました」
頷いて目を開けると、ご主人様が若干ホッとした様子で私を見ていた。しかしまさか自分が精霊術士の後継ぎになるとは……だんだん緊張してきた。
だって私は、精霊語も契約についても、そもそも自分の魔力のことすら全く知らないのだから。
◇
この国では、自らの魔力の性質を検査する事が義務付けられている。
それは貴族でも奴隷でも同じで、十四歳になると教会に呼び出される。何故十四歳かというと、一般的に魔力が安定するのがそのくらいの歳だからだ。勿論その前に安定したら、自ら申請して検査してもらう事も可能だ。
私はまだ十二歳。自分の魔力が安定していないこともはっきり自覚している。検査を受けていない中わかっているのは、私の魔力の量が普通より多い事。これは奴隷になる際の隷属魔法の紋を選ぶ時に参考にされるのだ。一番複雑で厄介な紋にしなくてはならないとかで、専門の人を呼んだりして大変だったからよく覚えている。
因みに紋は目に見えるものではない。隷属魔法に奴隷の魔力を固定する為の魔法術だ。魔力量に見合ったものでないと、隷属魔法を使う時に支障をきたすらしい。奴隷にとって隷属魔法はなくてはならないもの……いわば身分証明なので、いついかなる時も問題なく発動できるようにしておく必要があるのだ。
とにかく私が知っているのは、自分の魔力の量が非常に多いということだけ。けれどご主人様はそれもご存知のようだから、他にも何か知っているのかもしれない。
聞きたいと思ったが、奴隷の身分でご主人様に問うのは無礼すぎる。そう思って黙っていると、ナターシャさんがお茶と書類を持って来て、私とご主人様の座るテーブルにそっと置いた。
恐る恐る覗き込むと、それは養子縁組の書類だった。
私の父となるご主人様の名前は、ナイトレイ・ステラード。そして子となる私の名は、まだ空欄だった。
「奴隷商から聞いたが、お前は孤児だったそうだな。だから自分の名前を持たないと。……本当か?」
「はい。私は小さい頃に奴隷商人の馬車に拾われたそうです。商品登録が可能になる歳までは教会で育てられ、その後奴隷として正式に隷属魔法を施されました。その中で名を必要とする事はありませんでした」
「そうか、なら俺が名付けをしてもいいか?」
「はい」
ご主人様はしばらく悩むように黙り込んだ。
ナターシャさんはそれを遠くから見つめている。
私はソワソワしていた。
だって、自分の名前が貰えるなんて、すごく嬉しい。どんな名前でも、それは私の存在を認めてくれる証となる。
ジッとご主人様を見つめていると、ふと彼は顔を上げ小さく数回頷き、そのまま私の顔を見つつ不思議な言葉で話し始めた。
それが精霊語だとわかった私は思わず目を丸くした。ご主人様の方から感じる強い存在感。これはかなり上位の精霊の気配に違いない。そんな精霊と普通に会話をしているなんて。
仰天していると、やがてご主人様が私に向かって口を開いた。
「精霊王妃サージュレイの娘、マーテリアスか。うん、そうだな…お前の名は、サリアスだ。サリアス・ステラード。この名でどうだろうか」
「サリアス……私は、サリアス…」
ああ、胸がいっぱいだ。
私は今この瞬間生まれたんだ。
嬉しくて仕方がなくて、とうとう涙が滲んできた。
「どうした!? 嫌だったか!?」
「いいえ、いいえ……嬉しいんです。ありがとうございます。本当に……ありがとう、ございます」
ご主人様に精一杯笑って見せる。彼は少し驚いたが、やがて口元を緩めて微笑んだ。
その後ろからナターシャさんが歩み寄って、私のそばに跪いた。ビックリしていると、ハンカチで顔を拭いてくれた。
あったかくていい匂いのハンカチ。
「お嬢様……いえ、サリアスお嬢様。改めて、よろしくお願いしますね」
「はい」
頷くと、ご主人様が書き終えた書類をナターシャへと渡した。
そして思い出したようにあ、と小さく声を上げた。
「いいか、サリアス。これからは俺の事を父と呼べ。ご主人様じゃなく、お前の父親だと認識するように。わかったか?」
「えっ? で、でも……」
「もう書類も書いてしまったからな。お前がご主人様と呼び続けると、俺が娘を奴隷扱いするような奴だと誤解されかねん。だからもうご主人様はなしだ。いいな?」
「わ、わかりました。ですが、あの、私……親がいなかったので、どのようにお呼びすれば……」
「ふむ。一般的な呼び方を挙げるなら……パパ、お父さん、お父様、おやじ、父さん……どれが良い?」
「じゃあ……お父さんとお呼びしてよろしいでしょうか」
「勿論だ。俺もお前のことは愛称のリアと呼ぼう。いいだろうか?」
「はい! よろしくお願いします、ご……お、お父さん」
嬉しさのあまりかなんだか顔が熱く感じた。
ご主人様……いや、お父さんも少し赤くなっている。
私はこれから、この人と、家族として生きるのだ。
そう実感できる頃には、私とお父さんは二人で仲良く並んで眠っていた。聞いた話によると、この大きなベッドは、子供と……つまり私と一緒に寝るために態々新調したそうだ。
隣の枕で寝息を立てるお父さんの温もりは、私をとても安心させてくれた。
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