第10話 未来劇場

 202x年10月9日 午後0時00分 未来劇場


 「解放区」から走り出して2時間。

  かいは、まだ生きていた。

  両手は血だらけで、作業服の腹も背もべっとりと血に濡れていた。背の血は界の、腹の血はのものだ。界は、川沿いに街へ続く道をそれて、山の中を南へ向かっていた。


 道は「解放区」へ逃げこもうと殺気だった難民たちであふれ、前へ進めなかったのだ。進むうちに界は何度となく難民に襲撃された。あるときは逃げ、あるときは戦った。背中を切り付けられ、逆に顔を砕いたりして生き延びた。


 難民の群れが「解放区」を包囲し、その陥落が時間の問題となるにしたがって、難民たちのは、「解放区」内部にいる収容者たちから、同じ目的地を目指している同じ難民にすり替わっていった。やがて難民たちの手に落ちる「解放区」をだれが支配するのか、その綱引きがもう「解放区」の外ではじまっていたのだ。


「解放区」の南門が見下ろせる山の尾根から眺められるその光景は、さながら地獄絵図のようだった。燃え上がる南門。広場に横たわる死体、死体、死体。その多くはもはや「解放区」の調整官や収容者ではない。「解放区」へ逃げ込もうとやってきた難民同士が殺し合った結果、死体のほとんどは彼ら難民自身だった。

 ここからは、当初の目的を忘れたかのような難民同士の殺戮が、南門の前からはじまり何万人にもなる難民の群れ全体に波及していく様子が手に取るように眺められた。


「救いようのないやつらだ」


 界は尾根に張り出した大きな岩の上に座り込んだ。血で張り付いた作業着が肌に冷たい。これ以上、一歩も歩けそうになかった。そして、いま混濁してゆきつつある彼の意識はまだ、あの視線を感じていた。


「いまこれを見ている人がいたら交信コミュニケートしよう」


 これをみている人がいる。それが界の確信だった。いつかのどこかのだれかのまなざしだ。


「おれたちを守ってくれとはいわない。かれらを助けてくれともいわない。ただ、このことがあったことを、確かに、いまここであったことを覚えてほしい。おれたちの愚かしさと――」


 そして界は目を閉じた。世界が暗闇に閉ざされた。

 照明がおち、ゆっくりと舞台に幕が下ろされる。

 まばらな拍手と観客が席を立つ気配が、まだ暗い劇場の空気を優しく揺らした。


 ――セックスはコミュニケーションさ。

 ――愛だろ。

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