第9話 難民戦争

 202x年10月9日 午前10時00分 難民戦争


 瑞樹希空みずきのあが「解放区」を去ってから、さらに三カ月が経過した――。

 秋の空はますます青く、高くなっていたが、「解放区」から見上げる空にはいくつもの煙が立ってみえた。遠くから大きな音が響いてくる。


「南門にはが押し寄せてる。牛島のが食い止めているけど行くのか?」


 出発の準備を整えた界に向かって、牟臥がたずねる。


「もちろん、『下界』へ戻るには南からでないと行けないだろ」

「ここは何重にも包囲されている。突破するのは難しいぞ」

解放区ここにいても、いずれやつらはやってくる。早いか遅いかの違いだ。おれは行くよ」


 この間、『下界』の状況はさらに悪化していた。この国が巨大製薬企業〈アストラファイザー〉の傘下に入ったことで、国の施策として効率主義はさらに加速し、全国民にチップセットの埋設手術が義務化されたのである。


 強引なアストラファイザーの効率化施策についてゆけない人々が続出し、都市部から難民となって地方山間部へと流出した。難民となった彼らが目指したのが、全国に13箇所ある「解放区」だった。


 高度に情報化された現代社会に適合することのない、社会不適合者を矯正するための施設であった「解放区」は、政府の権限の及ばない一種の治外法権が約束された区域である。区域全体が世界を覆うネットワークから切り離されている。日本国民国家の従業員であることから逃げだした難民たちには、「解放区」が自由の新天地に見えたことだろう。


 さいしょに、首都近郊、千葉県の「解放区」が難民の手に落ちた。


 ――職員、収容者は殺到した難民によって皆殺しにされた。


 衝撃の報告に、他の「解放区」の調整官は戦慄した。

「解放区」の職員・収容者は、難民にとって、社会から疎外された同胞としてではなく、「無能な」「役立たず」として見られているとわかったからだ。


 ――やつらは敵だ。


 調整官の牟臥たちは、侵略者である難民たちと戦う決意を固めたが、戦いは絶望的だった。なにしろ敵味方の差は、10万対1300だ。この「解放区」が難民の手に落ちるのも時間の問題だった。逸洲界いつしまかいは、この時期に『下界』向けて「解放区」を出発しようとしていた。


「大丈夫なの?」

「ああ。牟臥調整官も元気で」

「元気でって――」


 牛島の守る南門が燃え始めている。青い空をのぼる煙は、南門守備隊の断末魔を意味していた。今日明日のうちに、この「解放区」を取り巻く、10万、20万もの難民がここへ殺到するだろう。界と牟臥が二度と会うことはないのだ。


「瑞樹に会ったら、よろしくいってね」

「必ず伝える」

「元気で」


 牟臥をひとり、かつて作業所だった「司令部」に残して界は、南門へ向かった。

 南門では、凄惨な戦いが繰り広げられていた。難民も、解放区の収容者もまんぞくな武器はなにも持っていない。木切れや鉄棒、石や岩を手に戦うのだ。


「逸洲!」

「牛島医務官。行ってくるよ」

「瑞樹によろしくな」


 十数人の収容者と共に、数百人の難民たちを壁ひとつで支えている牛島から送り出された。戦いは小休止らしく、難民の姿はない。

 門を出た。敵味方、いくつもの死体が打ち捨ててある、地獄のような風景の中、界は走りはじめた。


 ――足が壊れるまで走ってやる。

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