第5話 作業所

 202x年6月7日 午後4時30分 効率化


 作業所は解放区のなかで、唯一インターネットが利用できる施設だ。24時間出入は自由。収容者が好きなときに、好きなだけ情報処理端末を利用し、ITスキルを高められるようを配意されている。


 いまも30メートル四方くらいの広い部屋に、100名近い収容者が思い思いに、パソコンやタブレット端末に向かっている。入ってきた界に注意を払うものはいない。


 静かだ。

 ここは実社会へ復帰したときに、自立した生活を送るためのスキルを身につける場所である。ここの収容者は、ひとつの作業に集中するという行為そのものが困難だ。界と同じ障害を持つ者も多い。作業所で、皆の集中を妨げる行為は許されない。


 黙って空いている席につく。

 タブレット端末を操作すると、さっそくタブレット端末の操作方法についてのトレーニングメニューが表示された。トレーニングはパスする――。


 収容者が社会復帰トレーニングを行うことは、解放区の義務だ。一定期間内にトレーニングを終えれば解放区を退所する権利を得ることができる。逆に必要なトレーニングをクリアできない収容者が「下界」に下りることはできない。


 社会復帰トレーニングのプログラムは苦痛だ。たとえば、ある事務用品の在庫管理をシミュレーションしたトレーニング。数値を誤らずに入力していく。並行して、たとえば従業員の勤務管理のシミュレーション。業務量と従業員の要望を擦り合わせながら最適なシフトを組む……。


 界は、複数の作業を並列に処理してゆくという作業がどうしてもできない。薬で視線不安が抑制されている今でさえ難しいのだ。薬なしでは、1分と耐えられない。パニックを起こしてしまうのだ。


 下界――実社会では、情報処理端末を利用しての並列処理が当然のように求められる。作業はふたつとは限らない。みっつ、よっつ、ときには五つ異常の作業をひとりの人間が、ひとつの端末でこなさなければならないのだ。


 そうしなければ、実社会を実質的に管理し、支配しているAI(人工知能)の処理速度に追いつかないのだ。


 高度に情報化された実社会は、界のような人間にとって住みにくい場所となった。情報化社会で求められるものは効率化である。24時間しかない時間を、限りある資源を、狭くなってきた地球をに利用しなければならない。


 世界経済を支配する巨大企業の経営者たちは、企業活動の効率化を極限にまで推し進めるため、業務のあらゆる分野にAIを導入した。人間には追い付けないすさまじいスピードで計算を行い、24時間休む必要のないAIが、さまざまな業種で人間と共に働きはじめた。


 あらゆる物事のスピードが早くなった。なにしろ、AIは計算し続けても疲れるということがない。人間が眠っている間も、食事をしている間もAIは仕事を処理し続ける。最大限、時間と資源を利用することができる。極めて効率的だ。


 いつリストラにあうかわからない。

 人間はストレスにさらされながら働くことになる。じっさいに世界中で何十万、何百万といったスケールで人員整理が行われ、失業者が町に溢れた。


 AIに奪われて、数少なくなった仕事を大勢の失業者が争って手に入れようとする。必要とされるスキルは「いかに効率的に働けるかどうか」ということだけ。企業経営者たちはAIを導入したことで、図らずも、極限にまで効率化を求める世界を作り上げることになった。


 そのの溜まり場がここだった。「作業所」に静かな時間が流れている。

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