第4話 医務室

 202x年6月7日 午後4時10分 医務室


「不安を感じたら――視線を感じたら、飲みなさい」


 医務室で受け取ったカプセルも白かった。

 界は、それを受け取るなり、1個口に放り込んで飲み下した。


「……10個処方した。一度に4個が限度だ。それ以上飲むと、戻ってこれなくなるぞ」


 牛島医務官の白衣は、牟臥のとちがって薄汚れていた。


「水色のカプセルが欲しい」

「なに」

「水色のカプセル」


 希空のあは、水色のカプセルを手に入れるために、何度のこのしなびた茄子のような老人と交わったのだろう。そう考えると、頭の奥が焼けて、目の前の細い首を絞めたくなる。


 これで安心だ。薬が効いてきた。


「……瑞樹希空みずきのあから聞いたのか」

「セックスしたんだろ」


 爽快だ。視線も雑音も消え、頭の中がクリアになった気がする。身体に力がみなぎる。


「このおいぼれに、あの子の相手は務まらんさ」

「殺してやる」

「いいか、逸洲」


 差し出した界の右手を牛島が掴んだ。老人とは思えない力だった。


「あの子に依存するな。自由にしてやれ」

「希空はおれのものだ」

「ちがう。あの子の人生は、あの子のものだ」


 界は自由な左手で、牛島の右こめかみをしたたかに殴りつけて、医務室を飛び出した。


 医務室を出ると、雨が降っていた。

 雨音が建物のなかにまで忍び込んでくる。

   

 視線を感じて足を止めた。

 薬が効いている。幻覚ではない。

 眼鏡をかけた男だった。廊下の向こうからかいを見ていた。作業服を着ているので調整官ではない、収容者だ。たしか、狭間はざまといったはずだ。


 狭間は、なにも言わずにじっと界を見つめていた。

 ほんとうの視線をなげる男。

 作業所へ向かうために目の前を横切っても、狭間はなにも言わなかった。ただじっと、界を目で追っていた。


 ――思い出した。


 狭間は、希空が唯一セックスの相手にしてこなかった男だ。

 界が振り返ると、狭間の姿はもうなかった。彼の立っていた場所には、白い廊下がずっと続いていた。

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