第3話 低きに流れぬもの

~飯を食らい単為生殖たんいせいしょくふける、堕落だらくした時を過ごすこと三日ほど~



 六度の分裂を経て、俺は五十匹以上にもなるゾウリムシ集団へと変貌した。俺たちの捕食行動により、もはや周囲の極小微生物たちは激減している。


 途中、ねばねばした捕食者や針を持ったウニみたいな捕食者に食われてしまうことがあったが……捕食されている間に他が逃げて被害拡大を防いだため、損害は軽微だ。


 また、分裂して意識が増えたからか、捕食される際に痛みも薄まっていた。個としての意識が弱くなった影響だろうか?


〈さてさて。三日も放置してたけど。生きてるかな──うわキモッ。じゃなくて……要領がいいね、君。五十も意識を並列させてるって、結構凄いことだよ。多分普通は発狂するんじゃないかな〉


 しばらく音声の途絶えていた神いわく、凄いことらしい。


 そうは言っても、俺の意識では手先足先を動かすシミュレーションゲームといった感じだ。


 行なうのは複雑な処理など挟まない、単純極まる命令のみ。分裂、捕食、遊泳。すこぶるシンプルである。特に負担は感じない。


〈へえ~。ニート君に思わぬ適性が……って、また食べられてる! ぶふふッ〉


 ……ぐぬァッ!?


 神に笑われるまでもなく知覚する、鉄柱を腹へぶっ刺すような痛み。


 それは忘れもしない、ファーストインプレッション。


 ゾウリムシとなった俺を恐怖のどん底へ叩き込んだ、あのおぞましき捕食者である。このケツの痛み、生涯忘れることがないだろう。


〈君って時々、真面目なんだかふざけてるんだか分かんないよね……っと、逃げるんだ? 今なら数が沢山いるし、撃退すると思ったんだけど〉


 捕食されている間に無事な面々で逃走陣形を組んでいると、神より思わぬ言葉がこぼれ出た。


 撃退。考えてもみなかった行動だ。

 何せ我が身はゾウリムシ。牙を持たず目すら見えない繊毛虫せんもうちゅうである。一体どうやって捕食者を打倒するというのか。


〈まあ確かに、君はゾウリムシだけどね。じゃあ君、今後も困難に直面するたび、そうやって逃げ続けるのかい? 自分自身を差し出して、相手から逃げまどって、生贄いけにえを用意するために分裂して……。それじゃあ君、まるで逃げるために生まれたみたいじゃないか〉


 身をひるがえして遠ざかろうとした瞬間、容赦ない言葉が降りかかる。


 勝手に俺の魂をゾウリムシに突っ込んでおきながらこの口上こうじょう。やはりこいつは邪神に違いない。


 だけども……そんな罵詈雑言ばりぞうごんにも、一理ある。


 俺は確かに今という状況に追われていて、将来のことにまで考えが及んでいなかった。


 苦を避け楽へ逃げる刹那的な生き方。それは人であった頃、ニートであった時と変わらない漫然まんぜんとした生だ。


 そうやって低きに流れる生がどれほど退屈なものか。俺は身をもって知っている。


〈だろう? だからぼくは君を選んだんだよ──退屈というものを知っている、君をね。……そうそう、ゾウリムシって重力に逆らって進む性質があるんだよ。低きに流れるなんて、“らしく”ないんじゃない?〉


 愉快そうに笑う男の声。

 不思議とその言葉には、さげすむ色は乗っていなかった。


 いいだろう、ノってやる──ゾウリムシの底力ってもん、みせてやんよ!


 我ながらチョロいもんだと思いつつ、繊毛せんもうを動かし面舵おもかじいっぱい。

 右へ右へと旋回し、捕食されている俺へ突貫する!


 加速する勢いに乗ってぶちかますのは、大好きな漫画で見た中国拳法の奥義──八極拳はっきょくけん鐵山靠てつざんこうッ!


 ァッ!!!


〈ただの体当たりでしょ……〉


 そんなぼやきが聞こえた刹那──めにょりと、我が頭部(?)が謎の捕食者にめり込む。


 目が見えずとも分かたれた俺の体は知覚可能。それを利用しての全力突撃が、捕食者に直撃したのだ。


 どっこい、敵もる者。


 鐵山靠てつざんこうによって吹き飛びながらも、捕食者は捕食途中だった俺を丸呑み。どころか攻撃の気配をにじませこちらへ迫る!


〈あらら。避けられないよねえ〉


 ぐふぅ……。


 体がの字となるほど強烈な衝撃に、腹へと突き刺さる鋭利な突起。


 俺の突撃など効いていないとでも示すかの如く……突撃をぶちかましてきた捕食者は、その圧倒的な力でもって捕食を開始した。


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